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208枚目 「蜥蜴の爪痕」


『そも、渥地(あつしち)酸土(テラロッサ)が第三大陸にきたのは「オレ」が盗賊同盟の壊滅を目論んだからではあるんだが。その時に名目上受けた仕事っていうのが「運び」だ。サンドクォーツクからイシクブールにな?』


 クレマスマーグ・サンゲイザーは削れた爪で宙を掻く。

 ラエルとハーミットは驚きを隠せず、顔を見合わせた。


「……蚤の市襲撃の狡猾さから鑑みて、そっちは依頼者のことをもっと調べているものだとばかり思っていたよ」

『しゅるるる! 詮索しねぇことがうまく働く場合もある、と言いたいところなんだが。まぁ正直なところ偵察に行った奴らが手と足だけになって帰って来たからなぁ。流石にな』

「手と足って」


 ラエルが口元を抑える。馬車にのせられるまでの記憶が曖昧な彼女にしてみれば、その気を失った間に「そうなっていた」かも分からなかったということだ。


 少し息を整えて、口を開く。


「私たちのことを運んだって。乗っていたのは賊の人だけだったの?」

『ああ。依頼者は「荷物」を引き渡した時点で姿をくらました。三回ともだな』

「……そう、なの。通りで」


 ずっと違和感があったのだ。朦朧とした意識の中で、見覚えのない顔ばかりが並んでいたのを覚えている。馬車を移された後ならともかく、馬車にのせられた時点でそうだったのだとしたら――現在に至るまで、肝心の信者たちは誰一人欠けていないことになる。


「貴方たちはサンドクォーツクで私たちを拾って運んだのね。町を出るときに詮索されなかったのは、時期的にセンチュアリッジのことがあったからかしら」

「……幾らなんでも、時期が悪すぎるな」

『そりゃあ、オレの計画の為に手を組んだ奴らが時期を指定したからなぁ。隠れ蓑に使えるなら何でも利用するだろ。しゅるるる』

「手を組んだ、だって?」

『ああ。イシクブールのスキャポライトとは別に、名前も知らねぇ一般人と、胡散臭い声した変な奴。合わせて二人な』

「……顔は?」

『憶えてねぇんだなぁこれが。大方、認識阻害でも使われたんだろうよ』


 蜥蜴の獣人はけらけらと笑うが、その目は歪まない。


 例え、どうしようもなく終わるしかない盗賊同盟だったのだとしても――身内を利用された事実は変わらない。失笑と共に低い舌打ちが飛んだ。


 ラエルは思わず浮かせていた腰を椅子に戻す。

 認識阻害魔術は上級魔術だ。使い手はそう多くない。


 とすれば、心当たりは一人だけだ。


「……これって、やっぱり」

「ああ、間違いない」


 浮島を襲撃し、カーリー・パーカーを脱獄させて逃げおおせた男。

 もう一人の協力者の存在も気にかかるが、魔術使用にはあの絵描きが関わっていたと考えるのが自然だろう。


『なんだ、知り合いか』

「変態の犯罪者に知り合いがいて堪るか」

『?』

「こっちの話よ。気にしないで、というのは……難しいかもしれないけれど」

『は、気遣いは結構。どうせ終わったことだ、これも因果応報だろうよ』


 革手袋が軋む。

 針鼠は硝子の目で、サンゲイザーを見据えた。


「憎いか?」

『いいや。辛酸でも舐めて苦しめとは思うがなぁ! しゅるるる!』

「そうか。希望に添えるかは微妙だけど、考慮はしておこう」

『あ?』

「この一件に関わった奴らは捕まえるつもりでいるんだ。……今日は話が聞けて良かった」


 ハーミットは言いながら立ち上がり、瓶に手をかけた。


「検討の材料としては十分だ。情報提供に感謝するよ、クレマスマーグ・サンゲイザー」


 蜥蜴の獣人は傾いた瓶底に体制を崩しながら、口元を引き攣らせた。

 ラエルはその光景に若干引きながら、しかしハーミットの後を追って立ち上がる。


 蜥蜴の獣人は始め、提供する情報はないと言っていた。


 その彼が一方的に情報を開示することで何か見返りを得ようとしていたのなら、あの口の軽さも頷ける――だから、相手を信用しきってはいけないと。あえて警戒を強めるように意識を切り替えたのだろう。


 少年は硝子の瞳ごしに、蜥蜴と目を合わせる。


「アプルの実が食べたいだとか、その程度であれば応じよう。けど、流石に脱走を企てた奴に施すのは難しい。分かってくれ」


 黄色い瞳を裂くように、黒い瞳孔が細まったのだけが分かった。







 その後の聴取では、めぼしい情報は得られなかった。


 蚤の市の撤収作業が始まるころになってポフに戻った二人は扉の鍵を落として後、ようやく一息つく。


 少年は鼠顔を外し、少女はケープを外す。

 蝙蝠はこれからが仕事の時間ということもあって外を飛び回って来るとのこと。元気で羨ましい限りだった。


「はぁ……メルデルさんに遭遇するわ、身内の管理不足に出くわすわ、身体の調子が戻って来たと思ったら胃痛が復活したところだよ。本当に勘弁してほしい」

「貴方、まさか浮島でもこういう対応をしていたの?」


 机に突っ伏した金髪少年の隣に座り、装備品の点検をする黒髪の少女が呟く。

 ハーミットは琥珀の目を濁らせたまま、疲れを隠すそぶりもなく顔を上げた。


「うん、そう。割とああいう対応は多いかな。種族間の差別とか軋轢とか、魔族だけが原因というわけでもないからややこしいんだけど。今回は魔族案件だったみたいだね。種族勘に頼った治療優先順位の恣意操作だ。魔力が少ない人種に対する知識不足もあるかもしれないけど、単純に人族と獣人が気に入らなかった上に後回しにしても死なないからって、余計にエスカレートしたんだろう……だから、根本的には俺のせいなんだよ」

「……」


 ハーミットがあからさまに弱音を吐くのは珍しい。


 収容所で意図せずメルデルと遭遇したこともそうだが、今日一日で起きたあれこれが彼の胃を鷲掴みにして離さない。

 毒の治療で処方された薬があるので胃薬が飲めないと残念そうにぼやく彼に、ラエルは苦笑を返す事しかできなかった。


「お茶淹れるけれど、貴方も飲む?」

「あ、うん。俺も手伝うよ」


 ハーミットが応えて席を立つ。ラエルは魔法具に火を入れて、水を入れた薬缶を温める。ティーセットを用意しながら砂糖が入った瓶をテーブルに置いた。


(始めて会った時は責任感とかけ離れたような性格だと思っていたけれど。思い返すほどに、始めて会った時にどれだけ無理をしていたかが分かるというか……)


 吐き出して楽になったばかりの彼女はというと、ようやく手にした情報を糧に前へ進む気満々なのだが――今日は朝から夕まで働きづめである。


(ストレンが言ったように、休息が必要なのかもしれない)


 他愛のない会話をして、美味しい食事を摂って。


(せめてこのポフの中では。お互いに嘘を吐かなくてもいいように)


 並んで立つ少年少女の間には、頭一つ分の段差があった。

 お湯が沸くまでの僅かな間。二人は言葉を交わすことなく、けれど穏やかに時間は流れていく。


 湯気と水に揉まれた茶葉が、滲むように色をつけていく。

 透明だったものに、否応なく色が足されていく。


「ラエルは、さ。サンゲイザーが言っていたこと、どう思う?」

「どうって?」

「彼の言葉に信憑性があるか、っていう話」


 少年の言葉に、器を用意する手が止まった。

 彼は端から端まで、取りこぼしが出ないように疑っているのだろう。


(あの獣人に、嘘をつくメリットはないように思う)


「……私の記憶と重ねても、証言と大きな乖離は無いように思うわ。白砂漠に来た信者たちは、少なくとも捕縛されている彼等の中には居なかったし」

「そうか」

「ええ。もし私を運んだ馬車の中に信者がいたとしても、既に殺されているなら判断がつかない――確実なのは、あの砂漠に渥地(あつしち)酸土(テラロッサ)は立ち入っていないということだけね」


 黒髪の少女に言えるのはここまでだ。彼女はサンゲイザーを庇うことはできないし、する義理も無い。けれど、不確かな情報の一つとして、可能性として彼の言葉を覚えておくことは許されるだろうと。


 他者を信じるかどうかは、個人の主観と自由によるのだと。


「ねぇ、ハーミット」

「ん?」


 金髪少年は琥珀の瞳をこちらに向ける。

 カンテラの灯りから僅かな光を拾って瞬くその目に、黒髪の少女は一度逡巡して。


 ――口にしかけた言葉は、戸を叩く音にかき消された。


 こんこん、などという余裕のある音ではない。まるで何かに追われているかのような切羽詰まった打音だった。


 二人は手にしていたものを机に置く。


「……凄い音」

「来客みたいだね。今日は休む暇も無いみたいだ」


 カップを置いて、蒸らされた紅茶を一口も飲むことなく少年が鼠顔を被る。少女もまた、椅子に掛けていたケープを羽織って魔力を練る。


 扉を叩く音は止む気配がない。

 ハーミットはラエルに待機指示を出しつつ、扉の前に立った。


「はい。いかがしましたか?」

「ハーミットくん!! 私だ、レーテだ!!」

「…………」


 ハーミットは少し考えて、扉の向こうの気配が一つだけだと判断する。意を決して開かれた向こう側には、息も絶え絶えなレーテが立っていた。


 リビング側に控えていたラエルも出てきたところで、錆色の瞳が鼠顔を射抜く。


「どうしたんですか、そんなに切羽詰まって」

「スカリィにばれてしまった」

「えっ?」


 どうやら明日の朝一で件の村へ向かえるよう、レーテは馬車のスケジュールを合わせてくれていたらしい。それが、スカリィにばれたと――そもそも町長の許可を取らずに何をやっているのかという突っ込みは傍に置くことにして。


 しかし今日一日別行動だった町長に、いつ情報が洩れる機会があったというのだろうか。


「挙動不信を問い詰められた衛兵の口が割られてボロが出た!! どうする、今すぐにでも馬車を出そうか!?」

「かなり焦っているようだけれど、スカリィさんにばれると何がいけないの?」

「恐らく。恐らくなんだが。彼女は君たちを全力で引きとめにかかるだろう。そうなったら晶砂岩を身に着けていようがいまいがお構いなしに、この町に閉じ込めにかかる可能性がある」

「な、何故?」

「明後日に、アステルとネオンの結婚お披露目会の開催が決まったからだよ……!!」

「……」

「……」


 結婚、お披露目会。


「祝い事の席ともなれば立場上出席を断れないのを彼女は知っている。君たちが仕事を再開するとなれば、持ちうる権力と武力を持って君たちの足止めにかかるだろう」

「権力と武力? 話し合いは?」

「うーん、成程」

「成程じゃないわよ、貴方まで普通に話を進めないで頂戴」


 黒髪の少女は肩を落とす。集中が瞬く間に途切れてしまった。

 針鼠はレーテをなだめながら、しかし何かに気付く。


「大丈夫です、レーテさん。私も覚悟ができました」

「ん?」

「一緒に怒られましょう。言葉は時に刃に勝ります」


 錆色の瞳が見開かれ、サスペンダーがずれおちる。


 ラエルが顔を上げると、そこには杖をついたスカルペッロ町長がこめかみに青筋を浮かせたままにして立っていた。


 汗だくになって振り返ることができない旦那の背後から、青い瞳は会釈する。


「楽しそうなお話が聞こえたもので。詳しいことをお聞かせ願えますか?」


 まさか、首を横に振るわけにもいかず。

 温い紅茶をリビングに残し、二人は町長宅へと足を伸ばす事になった。





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