206枚目 「魚網鴻離」
第四広間という部屋の札を後に廊下を戻る。
重体だと判断された賊は三度目の往復で運び終えることになった。今は「お疲れさま。帰りはゆっくり戻って来ていいよ」というハーミットの指示に従い、歩を進めるだけである。
黒髪の少女は少し離れた場所から「第四広間」の札を振り返る。
台車を一つ運ぶごとに、部屋の内から漏れる声に怒気が混ざりつつあったのを思い出す。
それは彼女の友人である白魔導士や赤魔術士、それから比較的真っ当な倫理観を持った白魔術使いたちからのもので――けれど生憎、全体の半分ほどだった。
(人族が嫌われていることは知っていたけれど、獣人まで後回しにする人もいるのね)
獣人と魔族と言えば、魔導戦争で協力関係にあったはず。にもかかわらず、中には排斥を訴える者も居るということか。
(浮島で生活していたのに、全く知らなかった……)
或いは、ラエルの周囲がそれだけ管理されていたということだ。
ノワールは皮膜を舌でつつきながら、台車の上で顔を洗う。
飴玉のような黒い瞳が一際、カンテラの光を反射したように見えた。
『そろそろ解術してもいいんじゃないです』
「……それもそうね」
片手間で解術し、ラエルはようやく一息ついた。まさか事情聴取を受けることになるとは思っていなかったし、患者を運ぶことになるとも考えていなかった。
「ぐったりしている人も多かったけれど、あれでも死んではいないのよね」
『です。収容場所が魔法瓶ですから。死ぬに死ねないというです』
「……あの魔法瓶、意外と快適だって聞いたのだけど?」
『まあ快適ではあるですが。強欲が使用した魔法具の影響もありますです。捕縛前に怪我をしていた場合、そのまま固定されるです』
「えっ、それ、ずっと痛いってことよね」
『です』
ラエルは足を止め、今の時刻を確認する。
賊の襲撃が二日前の話だ。先程運んだ重傷者はそれだけの間、血が流れない傷痕の痛みにもだえ苦しんでいたということになる。
それを知っていて「死なせない」と決めた針鼠は冷酷にも思えるが、一方でその呪いがなければ、全員が生存した状態での捕縛は難しかっただろう。
ただ、「死なないから」と必要以上の苦痛を放置する判断を下した白魔術士たちの心情は……ラエルには理解できなかった。
『そも。今回は相手が悪いです。強欲は対犯罪者となると容赦ないです』
「センチュアリッジの時もそうだったけれど、殴りに行くものね」
『後先考えずに突っ込む、です。それで死なない実力があるから質が悪い――強欲と呼ばれる所以もその辺りからです』
「……死なせない為だけに?」
『それ以外にないです』
くぁ、と大きな欠伸をする蝙蝠。ラエルは紫の目を歪めると外を見た。
収容所と呼ばれるこの施設は、軽度の悪さをした者たちへ社会生活に戻るための訓練を施す場でもあるという。
窓のように嵌め込まれた魔鏡素材を挟んだ向こう側、中庭のようになった芝生には、休憩中なのか空を見上げる犯罪者の姿があった。
勿論、その中に今回捕縛された賊の姿は見当たらない。
彼らは第一大陸と第二大陸をはるばる超えてこの第三大陸へ這入り込み、一般人に危害を加えようとした重犯罪者だ。然るべき刑が決定するまでは、皆してあの瓶の中である。
(罪がなかったとしても、あったとしても、死なせたくない……って)
ハーミットは他者の命を優先するあまりに自身をないがしろにしがちである。
それは多分、相対する相手全員を「同族」と認識しているからだろう。
「助けられない人と、助けられる罪人を並べたら。彼は後者を救うのかしら」
『……』
「それを悪いことだとは思わないけれど。もし報われなかったらと思うと、なんだか嫌になるわ」
ハーミット・ヘッジホッグのそれは、他者に対する強烈な庇護意識ともいえる。
砂漠で弱肉強食を過ごして来たラエルとは、死生観が全く違うのだ。
黒髪の少女は零れ落ちる自身の理性と情をこそ、拾おうとしてきた。
いくら「生きること」を目的としているとはいえ、あの時感じた嫌悪と抵抗感が全てであろう。少女の中には「そうまでして生き残りたくなかった」という後悔が、確かにある。
けれど。もし同じ状況にあったとき。あの針鼠ならどうするだろうか。
その場に自分一人であるならともかく、他者が傍に居たならば。
(彼はきっと、身を削る)
命を零さない為の最善手がそれであるならば。彼は己にも容赦しない。
「……はぁ。やだやだ」
頬を叩き、空の台車に手をかける。ラエルは戻る道の続きを歩き始めた。
針鼠の心配はさておき、いま気にするべきは両親の行方だ。
両親の行方を知っているだろうアダンソンの行方と――その情報を握っているであろう賊たちが素直に情報提供してくれるかどうか、である。
最後の角を曲がったところで、部屋から出てきた針鼠と目が合う。
硝子玉の瞳は感情を表に出すことなく、静かに向けられた。
「あっ。おかえり、こっちは終わったよ」
「相変わらず仕事が早いわねぇ」
「人手があったおかげだよ。とても助かった」
それじゃあ、当初の目的通り話を聞きに行ってみようか。
ハーミットはそう言って、すたすたと先を行ってしまった。
ラエルは慌てて台車をレーテに預け、黄土色の背中を追いかける。
扉の内側から最後に出てきたのはメルデルだった。
彼女は扉の施錠を確認して、負傷者のリストをレーテに手渡すと腕を組む。
台車に乗ったままだった蝙蝠が、視線を投げる。
『いかがしましたです』
「んふ。いいえ?」
『……』
ラエルが出ている間に何かあったようだ。
ノワールは眉間に皺をよせ、歯を擦る。
メルデルは眉根を寄せながら微笑んで、レーテに向き直った。
「この度は浮島の関係者が不適切な対応をしてしまい、申し訳ありませんでした」
「いやいや。私たちは彼に世話になっている立場。感謝こそすれ不満はないさ」
レーテははぐらかす様に言うと、台車を返却するために踵を返した。先を行ったハーミットとは真逆の方角――よほど、信頼しているらしい。
長身の丸眼鏡が不適に笑う。
「魔導王国ではなく。彼を、ですかね」
『……早く追いかけるです、館長』
「ふふ。ええ、行きましょうか。ニュイ=ノワール」
言霊使いは、ゆったりとした動きで裾を翻す。蝙蝠と共に少年少女の後を追った。
一方その頃。
とある収容部屋には、剣呑な空気が漂っていた。
床には黒い箱が六つ。その内二つから魔法瓶が転がり出て、音を立てる。
『……あー、なんでこうなったんだ?』
『なんでといいますか、脱走しようとか言い出したのサンゲイザーじゃないですか』
『しゅるるる。いやぁな、幹部面子を一緒くたに収容するなんて露骨に逃げろと言われているようなもんじゃねぇかと思うだろうが』
がろり、と石の床に転がる魔法瓶には蜥蜴の獣人。隣の魔法瓶には小人の姿。
二人は暫く顔を見合わせていたが、徐に周囲を見回した。
この部屋には、渥地の酸土の幹部が収容されている。
彼等の収容方法は非常にシンプルなもので、外が見えない黒い箱の中に魔法瓶を個別に梱包するというものだった。
……問題は、その箱の蓋がしっかりと固定されていなかったことであり、原則として床に並べて重しを乗せておくべきものを、棚の上にただ並べて収容したことである。
この状況を逆手に取れると考えた幹部たちは、箱を床に落としてしまえば瓶も割れるのではと意気込んだ。つまるところ、棚の上から箱ごとダイブを試みた――結果がこれである。
箱から出られたのは小人と蜥蜴の二名だけ。瓶には傷一つ入らなかった。
あとは、四角い瓶入りの箱がさめざめと床に転がっているのみである。
(オレが前に捕まった時より魔法瓶の強度が上がっているとみた)
目論見が外れた蜥蜴の獣人――クレマスマーグ・サンゲイザーは舌を打ち、裂けた口を歪ませる。
隣に来た小人――アントィー・タマンは蜥蜴へ疑いの視線を注ぎながら、やれやれと肩を竦めた。
とたん、目の前のひしゃげた黒箱から女性の叫び声が上がる。
『うぇぇぇん!! 暗いままぁだあ!! 何処にいるんだよみんなぁああああ!!』
グリーンアッシュの髪を振り乱すような絶叫は、この場の全員の混乱を掻っ攫うくらいに大声量だった。冷静になった賊たちは息を整え、各々口を開き始める。
『んな叫ばなくても全員傍にいますよ五代目……因みに視界が一回転した後に眼鏡が砕け散ったんだが、無謀をした全員とも無事か? 俺は無事じゃない』
アッシュブラックの髪を掻き上げ言う男性。箱の蓋と眼鏡が尻の下ということもあって、既に諦めモードになっていた。
特に被害がなかった小人は苦笑しつつ、箱の外から言葉を返す。
『箱から出たのは私とサンゲイザーの二人だけですよ、ベイツ先輩。しかし、エドガーとフィルムは気絶してるんですかねぇ。うんともすんとも言わないなぁ』
『目も当てられんな』
『ですねぇ。かなり音も大きかったし、誰か来ちゃうかもですよ』
小人は瓶の中で胡坐をかく。装備は取り上げられているので手持無沙汰らしい。削られた爪を眺めながら床の凹凸を数え始めた。
蜥蜴の獣人は瓶の壁に手を当てる。床が平たいこともあって、勢いをつければ転がっていけそうだと思った。
『しゅるるる。床にぶち当たれば罅ぐらい入ると見込んでのことだったんだが、まあ頑丈だぁなこの魔法瓶。あのヘッジホッグが使っているだけのことはある』
『……サンゲイザー、妙に高ぶってません? まさか人を呼びたいが為だけにこんなことさせたんじゃないですよね? おいこらこっち見ろ尻尾で返事するんじゃねぇぞ』
『はぁ、そうは言うけどなアンティ。この一日半暗闇に閉じ込められてるんだぞ。いくら何でも暇すぎるだろうが。聴取は面倒だったが箱詰めよりかはマシだろ』
『私は別に、何日でも暗い場所に居られますしぃ……というか、あの聴取がマシとか言います? 正気ですか?』
『極めて冷静だっつーの』
蜥蜴の獣人は言いながら黄金の瞳を細める。人との関わりが内輪のコミュニティのみになってしまえば、その先に待っているのは破滅である。
サンゲイザーの思惑を知ってか知らずか、首領は鼻をすすりながら身体を起こしたようだ。
『アタシもあの面接官は苦手かなぁ。隙がなくて負ける気しかしないのが本当に嫌だ』
『俺は別に。隠すべき名前すらないからな』
『……そうじゃなくて。あの背高のっぽ眼鏡、明らかに私たちを値踏みしてたでしょうが。嫌じゃないですかそんなの、利用されるのはこりごりだってのにさぁ』
姿が見えない二人に、アンティがぼやく。
ベイツは黙ったが首領は口を開いた。
『それはそうだけど。魔導王国に収監されちゃったらおしまいだしねぇ。アタシは皆の為に死ねるけど、たかが一人を吊ったところで済む事だとも思わないし?』
『吊るって……第二じゃあないんですから重くても魔術懲罰だと思いますよ、死ねない奴』
『えー。それは嫌だなぁ、アタシ痛いの嫌いだし。それに。このままだと駄目な感じするんだよねぇ』
魔法瓶の内側で胡坐を組み、細い腕で肘をつきながら首領の女性――ドルー・ブルダレ・スキンコモルは言う。帰って来ない返答に首を傾げた。
『どしたの、皆黙っちゃってさぁ』
『いやぁ……首領がそう言うなら、割と真面目に脱出を考えようかなと……』
『五代目、首領になる前から勘だけは良いからな』
『しゅるるるる』
――転生の勘。
渥地の酸土がここまで生き残ってこられたのは、彼女の勘があったからだと言っても過言ではない。危機を回避し、徹底的に生存の道を選択する本能は、第二大陸を生き抜くには必須の「強運」だった。
(ま、その代わり勝負運は無ぇけどなぁ。ここぞという勝負事に、スキンコモルが所属する陣営は必ず敗北するか引き分ける……)
つまり、盗賊同盟の首領に選ばれた時点で「盗賊」としての運は壊滅的だった。
この収容所から出る方法を探すにしても「盗賊」として立ち回るのは得策ではないだろう。
(運頼みに行動したとして、賊以外の立場でこの収容施設を出られるかと言われれば。まあできないこともねぇだろうが……やったとして、無用な屍が増えるだけだぁな)
何かいい方法はないものか。蜥蜴は考える。
瓶の外に耳をすませば、人の足音が近づいて来る。
男の歩幅が二人……いや、片方はあの面接官らしい。特徴的な足音と気配だから憶えている。もう一人は町長の旦那だろうか。
問題はその二人より早く耳に届いた足音二つである。
せかせかと歩く子どもの歩幅に、女性の駆け足が続く。
蜥蜴の獣人は溜め息を一つ吐くと、一応はこれを好機だと判断した。
依然、首領と班長と談笑する小人を置いて、一人がらごろと瓶を転がす。
『あれ、サンゲイザー?』
アンティが振り返ると、蜥蜴の獣人は出口の前に自らの瓶を転がしたところだった。丁度、部屋から入って来た人間の足が置かれる場所である。
「陰湿」の二文字をアンティが飲みこんで、扉が開くまであと数秒。
かくして開かれた戸の向こうから現れた黒髪の少女に、小人は目を丸くするのだが――蜥蜴の獣人が入った魔法瓶が、横から割り込んだ鼠顔の少年に踏みつけられたのが半秒後。鼠顔がぐりんと天井を向いたのちに床へ落ちた。
弾き飛ばされた魔法瓶がスピンしながら戻って来る。
小人の傍をすり抜けて、気絶している二人の箱へと激突する。
効果音を記すとすれば「がっしゃぁ――――ん!!」だ。
『……』
アンティはこれからのことを考える。
実に頭が痛い。と顔をしわしわにしてみせた。




