202枚目 「意志を編む」
「何を選ぼうが、貴女は間違えていない」と。
ラエルは玄関でのやり取りを思い出す。
まあ、そうだ。その通り。聞き返されるに決まっている。
他者を謀ることに長けた彼ならば、他者の言葉の真偽を探るのも得意分野だろう。
それに。もし「聞き出す」立場に立ったなら、きっと同じ質問をする。
「お前は何をそんなに隠したがっているんだよ」と。浮島で罪人や絵描きにラエル自身がそうしたように、詰め寄ることだろう。
けれど、容赦なく問いただされたかったのはラエル自身だった。
だから、信頼しよう。
その聡明さを信用しよう。
きっと「彼」が相手なら。ラエル・イゥルポテーは間違えずに済むのだと。
自らに、言い聞かせる。
「――――っ」
それでも。押しとどめていたものが決壊するのは簡単だった。
竜骨の像の前、あの影を目にした時と同じような感覚が全身を駆け巡る。
身体を焼く熱と、痛みと、濁流のような魔力の波。
「癖」でもついてしまったのだろうか。それとも、ストレンが言うように自分が無理をして来ただけだったのか。元々魔力を抑え込める程の力量すら、備わっていなかったのか。
開こうとした口が締まる。声の代わりに嗚咽が零れる。
たったひとつ告白をする為に。心臓を、握りつぶされて、いるような。
「――…………?」
ふ、と。
圧迫感が失せて、ラエルは意識を取り戻す。
気づけば床に尻をついていて、金髪少年が心配げな顔をしてこちらの手を取っていた。
手袋をしていない少年の右手は、少女より少し大きい。
右肩に異変はない。どうやら魔力暴走が起きる前に、彼が止めてくれたのだと知る。
「……」
「……」
暫く、目が合わなかった。
着崩れた服が皺になりそうだとか、足首が痛いから捻ったのかなとか。実に冷静に思考が進む。
沈黙に耐えられなかったのは少年の方だったらしい。
「ごめん、急に倒れたから。まさかと思って」
「……!」
言って、離れようと身を起こした彼の手を縋るように引き留める。
ほとんど無意識だったが、いま手を離されると不味い気がしたのだ。
それに、理屈は分からないが魔力暴走が止まったことも事実である。これを利用しない手はない。この機を逃してはいけないと、本能が警鐘を鳴らしていた。
ラエルはハーミットの右手を掴んだまま、床に視線を落とす。
「ま、魔力暴走しないという保証がないから、このまま聞いて欲しいのだけど」
「か……構わないけど。向かい合ったままじゃあ話し辛くないか?」
「そこはほら。こう、こっちの壁に並んで座れば解決するでしょう?」
どの道、足を捻っているので立ち上がるのは面倒だ。
ラエルはハーミットの右隣に肩を寄せ、壁に背をついて足を伸ばした。
金髪少年は胡坐をかいて、握った手のひらに視線を落とす。
湿った熱が伝わる。お互いに、否応なく相手の存在を感じる。
ラエルは呼吸を整える。
そうしてようやく、穏やかな顔をした。
「本当は、ずっと話さなくてもいいかなって。スフェーンさんやカルツェにもそう言われていたし、浮島に居た時はそうすべきだとすら思っていたの。ばれなきゃいいって」
「……」
「でも、無茶だったみたい。私は嘘が上手くないから、自分のことまでは騙せなかった」
右ひざを立てて顔を伏せる。黒髪が紫目を影の中に隠す。
少年の目には、光を失った少女が映った。
「聞かれたことに答えるわ」
ラエルが、ハーミットを見ずにそう言った。
「貴方が知りたいことを、私に教えて」
歪な、強がりを隠さない笑みだった。
沈黙と躊躇いが場に満ちて、呼吸する気配だけが耳に届く。
その静けさが名残惜しいと感じたのか。ラエルは何かを口にしようとして、何度も辞めた。
ハーミットは、ラエルに向けていた視線を逸らす。
薄暗い自室の壁を背に、少女と二人床に座っているという奇妙な状況だが。いつまでも心地よい静寂に身を委ねていられるわけではない。
だから、躊躇いながらも口を開いた。
「……ラエルたちはアダンソンに騙されて、祈りを捧げるようになったって言ってたけど。全員が白砂漠から連れ出されるまでそうだったのか?」
「私は、その。多少は理性があったからフリだけれど。そうね、そうなるわ」
「信者たちに包囲されて逃げ出せない状況だったと仮定しても……俺には、君が大人しくやられるようには思わない」
人売りの巣窟で見せたしぶとさ。浮島で魔族を相手に立ちまわった身のこなし。
なによりも前提として、彼女は白砂漠を生き抜いた黒魔術使いなのである。
「……ストレンさん曰く、人族の魔術行使で『霹靂』を六割命中させるには、素人に大弓で鳥を撃ち落とさせるみたいな無茶が必要らしい」
魔力導線の性質に個人差があるのはともかく、魔力を持て余した人族に雷系統の中級魔術を教える人間が、人族一般の常識を持っているとは思えない。
魔術を教えたラエルの両親は、共に相当の魔術師だったと考えられないだろうか。
「それこそ、半端者が行使する暗示程度なら歯牙にもかけないくらいに」
「……」
「俺が気になった点は二つ。一つ目は、君たちが暗示を受けて言いなりになったというところだ」
ハーミットは、人差し指を曲げた。
内在魔力の状態が術者の精神的影響を諸に受けるとはいえ、それは同じ次元の人間たちで検証した統計結果に過ぎない。
仮に精神状態が不安定になったとしても、地力の差は明確に表れる。
「例えば。君は万全の状態であれば、平均的な人族の魔術師が使用する『沈黙』ぐらいは無効化できるだろう」
「……」
「浮島の住民は魔族の軍人ばかりだ。あの中に居たから、君本来の実力は測りきれなかったけれど――蚤の市の一件で、君が生き残った理由がまぐれじゃなかったと証明された。そこのところ、どうなんだ?」
「……そうね。力量とかは、よく分からないけれど。私たちに接触して来たアダンソンの信者が『祝詞』を押しつけた時、読み上げたのは確かよ。ただ、噛んだのはわざとだったわ」
両親は子音を一部省略していたわね。
と、何でもないことのようにラエルは呟く。
「私は未熟者だったから四日間は正気じゃなかったけれど、彼らはどうだったのかしら。見た目にはおかしいことになっていたわよ」
「……君は、両親を信じたのか?」
「ええ。だって、父も母も嘘が下手だったから。彼らが正気なのは直ぐに分かったわ」
だから。ラエルも敬虔な信者になったフリをした。
差し出された得体の知れない食材も、できるだけ食べた。
信者たちの術式を受けながら、その効力を相殺し続けた。
何日も、何カ月も、何年も。
一秒たりとも気が抜けない日が、何年も。
そのような状況だったから、ふとしたきっかけで決壊したのだ。
完璧は、永遠に続けられるものではない。
「丁度、三年やり過ごした頃にね。ばれちゃったのよ」
ある日を境に、提供されていた食料に毒が混ざるようになった。
一番にそれを口にした者を治療させるという名目で、彼らは父を砂漠から連れ出した。
「残った母と私は砂魚を狩ったりして耐えたのだけど、案外早く次の迎えが来てしまって。その後、私も結局……」
白砂漠を連れ出され、黒髪の少女は紆余曲折を経て人売りの天幕へと辿り着き――目の前に座る、琥珀の目をした少年と出会った。
これが、伏せられていたことのあらましだ。
「質問は二つあったわよね。もう一つは?」
「……信者からの食料供給についてだよ。食料が十分だったなら、センチュアリッジ島で出会った時に君がやせ細っていた理由が分からないからね」
「なるほど」
「無理をして答える必要はないよ」
「……必要は、あるわ。私が引き摺っていたら、貴方が一人でお礼参りに行きそうだし?」
黒髪の少女は一呼吸いれて、話の続きを口にする。
「母が連れ出されて、一人になって。サンドクラフトも、魔導書も何冊も取り上げられて。水源を潰されて備蓄が尽きて――それでも、砂魚ぐらいは自分で獲れたわ。氷柱を砕くこともできた」
そう。あの砂漠で、ラエルは生きることができていた。
だからこそこの先が「本題」だ。
ラエルは、膝に顔を埋めた。
「生きることはできた。けれど……限度があるわよね。拠点から離れすぎると戻れなくなるし、クラフトがないから狩りの範囲も狭まって、どんどん生物が居なくなる。……連れ出される一カ月前ぐらいかしらね。お腹が空いて、たまらなくなって。ああ、そろそろ駄目だなって。諦めかけた頃になってね。見つけちゃったのよ。身に覚えのない備蓄を」
少女は、畳んでいた足を伸ばした。
ワンピースにできた皺をなぞり、太ももを差して指を止める。
「砂の下に埋もれた箱。そこには、皮付きの干し肉が詰まっていたわ」
「……干し肉?」
「そう、肉。その備蓄があったお蔭で、私は生き延びた」
ラエルは繰り返すと、自らの太ももに指を滑らせる。
太ももの上に線を引くように移動する。
爪先が刻むのは、直方体の軌跡。
……筋肉の繊維に沿った、切り取り線。
「!!」
ハーミットは無言のまま目を見開いて、ラエルの視線を探す。
紫目は虚空を眺め、力無く笑った。
「やったのは、母でしょうね。黒魔術師なのにやけに白魔術にも学があって。作った傷を塞ぐぐらい、わけがない人だったから」
「……」
「ちなみに、残さず食べたのだけど」
乾いて、軽くて、重みの無い黒い肉。
噛んでも味は無いし、けれど食べなければ死ぬから。
死ぬほど胃が空っぽで、それがなければ内側から解けてしまいそうだったから。
恨みたいほど不味かった。あの味は忘れない。二度と、口にしたいとは思わない。
それに。最後まで正気だった母に、あんな選択をさせた自分の存在が、憎い。
飲み下した後に残った感情は、ひとつ。
「ああ、私は間違ったんだ。って」
……叶うなら、息を止めてしまいたい。
生きていたくない。こんなことをしてまで意識を保っていたくない。
寂しいし、苦しいし、息をすることすら罪に思う。
食べたくなかったと口にしながら、空腹から食指が動いてしまった己が恨めしい。
結局は自分の為にしか動けない弱い人間だと思い知らされる。自分のことが、嫌いになる。
怖いとも恐ろしいとも感じない自分が理解できない。
嫌だ。もう嫌だ。十分じゃないか。十分死に物狂いで生きてきたじゃないか!!
だのに。脳裏の彼等は、「死ぬことは悪いこと」だというのだ。
死ぬのが悪いならどうしたらいい。無為に生きていればいいのか?
そんな訳がない。どうしようもないまま、他人に迷惑をかけたままだなんて。
生きながらえた血肉は――それを許さないに違いない。
「……私は、母にあの選択をさせた彼らが許せない。事情とか経緯とか動機とかどうでもいい。本当は何も知りたくない。知らないまま、自分だけ気分が良いままに復讐したい。……だけど、私は。全部飲みこんだ上で、許さないことを、選びたいの」
消え入るような独白に、金髪少年の声が降る。
「どうして、そこまでするんだ」
「どうしてって……そうね。サンドクォーツクで貴方が言っていたことに近いけれど」
ラエルは言って、ハーミットの方を振り向く。
暗い紫色は、ただ不安げに琥珀を射た。
「知ることができるのに、それを怠るのはいけないことだって。思って」
「……」
「白砂漠から出る前ですら間違え続けていたのに。努力で埋められることをしなかったら、私はそれこそ『間違った』人間になってしまうと思ったの」
恐怖が欠けているから、間違っている?
常識に欠けているから、間違っている?
(違う。私が、私がそこに居たことが。それすらも間違っていたから)
「私はこの一件が片づいたら。魔王様に頼んで、終わりにしてもらうつもりでいるわ」
「……」
「遅かれ早かれ、あの男と同じ檻の中へ行く。だから」
「……」
「ハーミット?」
金髪少年は無表情のまま、固まっていた。
それが少女の声が届いてか、届かずか、手をとったままゆらりと身を起こして、呆然と見上げるしかない彼女の右肩を「とん」と押す。
壁に押し付けられる形で身体を固定されたラエルは、少年の左手袋越しにかけられる圧と青筋が浮かぶ笑顔とを交互に見比べて、流石に息を呑んだ。
「な、えと、ご、めんなさい!?」
「ん? ラエルには、何か悪いことでもした自覚があるのか?」
「ないけれど!! 圧が!! 明らかに怒って、る……わよね!?」
「うん。怒ってるけど。怒ってるけどさ。ちょっと黙って。静かにして。落ち着くから」
「り、理不尽ね……」
「理不尽、かな。まあ、君からしたら理不尽なんだろうなぁ」
理由も分からぬまま家族と引き離され、原因も分からぬまま感情を欠いて。
事情を知らされぬまま浮島に縛られ、真実を前にして決意を固めて。
「どうせなら、もっと前向きにならないか?」
「え」
「あの人もそうだけどさ……もっとこう、打算でも見込みでも、突飛な案でも構わないから……なんで俺の回りに集まる奴らはこう……欲の矛先が偏って……」
つないだままの手で、こめかみをぐりぐりとマッサージする金髪少年。
先程までの暗い表情は何処へやら、黒髪の少女は呆れた風に目を線にした。
「貴方にだけは言われたくないわ、それ」
「はぁ!? なんで!?」
「そっちこそ、周囲を振り回してる自覚はないの!?」
「ない!! 意図的にかきまわすことはあるけどさ!!」
「あるんじゃない」
「……否定はしない」
少年は引きつった笑みを浮かべ、少女もつられて苦笑した。
ハーミットは元の位置に座り直すと嘆息する。
動機が分かった。目的もはっきりした。
これで、ラエルに関する様々な検討事項を取っ払うことができる。
「――で。まだ俺に隠そうとしてることってある?」
「ないわよ。というか、私から報告しなくても把握してるじゃない。今日だって、靴とか服とか変わってるのに、全然驚いてくれないし」
「似合ってるよ」
「お世辞だとしても遅いわよ……これからどうするの? 骨守がアダンソンに近い何かだ、って所までは辿り着いたけれど。私たちがスカルペッロ家の人に問いただせることって、もう馬車の件しか残っていないじゃない?」
口を尖らせるようにして、ラエルは言う。
その口ぶりに安堵しつつ、ハーミットは悪戯を企むような笑みを浮かべた。
「んー。一応、心当たりはあるんだ。アポイントは取って来たから、昼食をとったら面会できると思うけど……その前に、君の足をどうにかしないとだよね。捻ってたし」
「……気づいてたの……というか、さっきの私の話、しっかり聞いてた?」
「聞いたけど、だからといって君への対応が変わるわけじゃあない」
配慮はするけどね。と、朱色の唇は弧を描く。
「君は君の意志で、生き延びる選択をしたんだ。どう考えても簡単な決断じゃないし、きっと、もの凄く勇気が要る行動だっただろう。それでも」
少なくとも、その肉が「なに」かを理解して後悔しているのであれば。
ラエルが、その事実を死ぬまで抱えて生きていくのだとしても。
それでも――いいや。だからこそ、強欲は笑う。
「俺は、君が今を生きていることの方が、嬉しい」
「……」
「な、んだよその顔。本気で言った時に限ってそういう顔されると傷つく……」
「そうじゃなくて。思い出したわ。もう一つ報告があるんだった!」
ぽん、と手を叩く。
ラエルはふらふらと立ち上がって、自身の右二の腕を指差した。
「魔力暴走した時、この辺から赤紫の包装紐みたいなものが、びろびろーって出てね? 痣の方から生えたらしいんだけれど。貴方、そういう呪術に心当たりはある?」
「…………」
「ちょっと、聞いてる?」
「ん――聞いてない。聞いてないことにする。君に免じて今回は見逃す。うん」
うんうん、と一人で納得したように頷いた金髪少年は立ち上がって、それとなくラエルの補助に回る。腰に回された手に目を瞬かせ、紫目は不安げに歪められた。
「え、ちょ、ハーミット?」
「ラエル。そのことはくれぐれも他言しないように。身の危険があるから。いい?」
「……い、良いけれど。貴方、これが何か知ってるの?」
「知らない。知らないから怖い。以上」
「これ以上ないくらい雑な回答ね!?」
「これでも、殆ど回答を言ってるようなもんなんだけどなぁー」
軽口を叩きながら、少年少女は部屋を後にする。
少女が吐き出した後悔と、少年がぼやいた偽善と。
薄暗い部屋に、いっそう重い空気を閉じ込めたように思えた。




