201枚目 「意図を解く」
骨守の立場からすれば、竜の尾骨は守るべきものである。
だが、キーナにしてみれば「山を切り崩してまで町を守ろうと奮闘した」石切りの民も敬愛の対象だ。彼らだって、時代の波に乗ることでイシクブールを守ろうとしたのだから――。
「大丈夫。私から『秘密』については何も言わないわ。この口で伝えるのはあくまでも、この町が馬車の失踪に関係している可能性があるかどうか、だけよ」
「へ」
「当たり前じゃない。『これ』を知っている人は、この町の味方でなくっちゃ」
ラエルは薄手の手袋を嵌め直し、ワンピースを翻す。
「それに、約束は守るものでしょう。勿論、彼が既に知っているなら別だけれど」
黒髪の少女はそう言って、すたすたと出て行ってしまった。
慌てて後を追ったキーナの顔を掠めて、伝書蝙蝠が彼女の周囲を飛び回る。
低い位置で束ねられた黒髪を前に寄せ、手袋越しに猛禽の足を受け止めたラエルはくるりと振り向くと、会釈してキーナに手を振った。
「じゃあね、キーナさん。ペタさんにもよろしく!」
「……お、おぅ」
ぽかんと。間の抜けた顔のまま、取り残されるキーナ。
戸を閉めて戻れば、伸びをするペンタスが居る。
彫刻士の家系に産まれ、磨きに特化した技術を持つツノつきの獣人。
釈然としないが……キーナとペタにできることは、もうないのかも知れない。
「まあ、元気になったみたいでよかった」
キーナは菓子に手を出そうとして、それをペンタスが横取りする。
むっとした少年の目をしっかりと受け止めて、硬貨を潰したような瞳が歪んだ。
「それ。本心で言ってる、めぇ」
灰髪の少年は口を丸くして後、言葉の意味を察して目を逸らす。
お互い無言のまま口に運ばれた菓子と茶からは、あまり味がしなかった。
黒髪おかっぱが揺れる。
結局のところ、スカルペッロ邸宅から針鼠が戻るほうが早かった。
任された仕事が一つ減り、嬉しいような、そうでもないような。
「……ただいま戻った……わ?」
「お帰りなさい、ラエルさん」
ポフに戻ったラエルを出迎えたのは、針鼠ではなく白魔導士カルツェだった。
重たげな白衣を着た彼はラエルの両手を掴むと、その顔を凝視する。
「な、なぁに。カルツェ」
「…………」
丸眼鏡を通し、赤い瞳は紫目を捉える。
暫く黙っていた彼は眉間に深い谷を作ると、重い口を開いた。
「後で、ドクターが直々に言いたいことがあるんだそうです」
「う、嘘でしょう。昨日の今日で、もうそこまで話が届いているなんて」
「モニタリングしていると聞かされていませんでしたか? 僕はともかく、主治医である師匠に体調面のごまかしがきくとは思わないことです」
カルツェは口を尖らせながら言って、ラエルの手をぐにぐにとマッサージする。
「魔力暴走の痕跡……傷を白魔術で塞いで……治療者はストレンさんですね」
僅かな熱が掌を伝って身体を這う。治療の際に白魔術使いが行う健診である。
こうなるともう嘘を吐くことはできない。
ラエルは観念して概要を話すことにした。
「魔力暴走をしたときにちょっとね。多分、昔の傷痕が開いたんだと思うわ」
「……白砂漠生活の時の怪我、ですか?」
「そう。父は魔力があまり多い人じゃあなかったから、代わりに縫うのが得意だったの。母も白魔術は使えたけれど、今思えば『天使の霧』だったのかもしれないわ。こう、肉が内側から盛り上がって……」
治療の様子を想起して身震いする。
不安や危機感よりも気持ち悪さが勝つ。あれは何度見ても慣れはしない。
一方、ラエルの話を聞いていたカルツェは顎元に指を添えて俯く。
「縫う……センチュアリッジでハーミットさんの魔法無効化が解術しなかったのは、治療糸に貴女の魔力が馴染んでいたからでしょうか」
「もしかして、糸で縫う白魔術ってそう多くないの?」
「あまり使われてはいませんね。技能を引き継いだ技術者も少ないらしいので」
なんだか奥歯にものが挟まった様な言い方をする。カルツェはその場に疑問を残したまま白衣に袖を通すとフードを被り、首元に巻きつけた布を撫でた。
「僕はこれから仕事です。『強欲』なら自室で貴女を待っていますよ」
「カルツェ、何だか機嫌悪い?」
「……気のせいだと言いたいところではありますが。僕は師匠と貴方が行った問診の内容を、知っているので」
軽口を止めたラエルに、赤い瞳が向けられる。
艶のある黒髪は白魔導士の顔に影を作り、目の下に薄い隈を作っていた。
紫目の少女は「ふ」と笑って、ひらひらと手を振る。
リビングへ向かう扉を早く開いて――閉じてしまいたい空気だった。
「大丈夫よ。ついさっきもその話をしてきたの」
「……僕が懸念しているのは。貴女が師匠には話して、僕には話さなかった内容のことです」
ラエルは髪を束ねたリリアンに指を添える。カルツェの目が歪んだ。
「貴女には、起きたことを『明かさない』選択肢が残されている」
忘れないで下さい。と、念を押す様に白魔導士は口にする。
「どちらを選ぶにしても。貴女は決して。間違えてなどいないということを」
ポータブルハウス――通称ポフの一室にて。沸かしたお湯を流し込む、簡易組み立てのコーフィーセットがある。
セピアに染まったそれは器に注がれたあと、手袋をしていない右手で持ち上げられた。
鼠顔を外したハーミットは、ひとり自室のベッドに腰掛けている。
黄土色のコートはリビングのハンガーにかけ、普段身に着けている装備やショルダーバッグも外していた。
(残火には別の仕事を与えてある。暫くこっちには戻ってこない)
金髪少年は黒の長袖タートルネックに薄手のシャツを羽織る。
二杯目になるコーフィーをソーサーに置くと、手帳に視線を落とした。
ラエルを呼び戻しに行ってもらったノワールには既に報酬を渡したあとだ。
新鮮なアプルの実は大層気に入ったらしく、両足で鷲掴みにして羽ばたいていった。
……言うまでもなく、監視をお休みさせる為の賄賂である。
つまりラエルはポフに辿り着いている筈なのだが。
リビングの扉が開く気配は、今の所ない。
(カルツェと何か話しているんだな。昨日は話すどころじゃあなかっただろうし)
積もる話もあるだろう。彼女を急かす気は微塵もなかった。
ハーミットは苦い水を舌に絡め、つい先ほどアステルから聞いた話を思い出す。
(しかし「骨守」か。密教とはいえ、あの内容を魔導王国に隠し通したとは恐れ入る)
第三大陸に伝わる竜骨信仰。
石切りを辞めたスカルペッロ家と、信仰を破りながらも次の世代に希望を求めた石工たちについて――何故スカルペッロの家紋が鑿と鎚のままなのか、も。ハーミットは聞いていた。
(町の人間関係が妙にギスギスしていると思えば、そういうことか)
曰く、東地区は新しい文化を受け入れようと努力した住民が作り上げた区域であり。
西地区は昔ながらの教えを手放さなかった物たちが守ってきた区域、ということらしい。
話を聞く限り、昔に比べると町の様子は大分柔らかくなったそうだが、それでも。地域に刻まれた溝は簡単に取り払えるものではない。
町の中央に座するあの骨竜は信仰を明確にすると同時に、土地の信仰から離れたものたちの目に「慣れ」を刷り込む為の物でもあった。
石工が晶砂岩を材料に作り上げた、竜の骨と蟲を祀る彫像。
目に慣れてしまえば嫌悪は薄れていくものだ――双方に敵意がなければ尚更だろう。
(町を救った骨竜の像。骨守の竜骨信仰と蟲信仰……あの宗教と関係があるとすれば、蟲信仰の方だと思ったけど。聞いた内容があまりにも正反対なのが気になるな)
イシクブールの蟲信仰と、ラエルたちが被害をこうむった謎の宗教アダンソン。
山を守る祈りと、人を贄にする邪教。
物事には、必然性があるはずだ。
何故山を守ろうとするのか。
何故人を贄にするのか。
(そも。山崩れは魔術でどうにでも対処できただろうに、どうしてスカルペッロ家は町を急成長させる手札を捨ててまで山を守る方を選んだんだろうか。元の家長だったハク・セット=スカルペッロは強引な人だった、と文献にはあったけれど……町の為にならないことはしなかったというし)
セット家に嫁いだスカルペッロの子女は、その一代で実家を商家と呼ばれるまで成長させると息子夫婦に後を継がせた。
スカルペッロの名を継いだ彼らは結果として、セット家と並ぶまでになる。
そうしてイシクブールの未来を担う役目は、セット家からスカルペッロ家へと。
(まるで。バトンでも渡したみたいだ)
――かこん。
リビングの扉が閉まり、廊下を歩く革靴の音がする。
ハーミットは手帳を閉じて前を向く。部屋の扉は、遠慮がちに開かれた。
灰色のキャミソールロングワンピースに、見覚えのない黒い靴。
黒いシースルーに繋がれたフリル付きの袖が視界に入る。
二の腕を覆う様な刺繍は、内側に刻まれた鮮やかな痣を隠していた。
(ストレンさんが選んだのかな。らしいし、俺が選ぶより似合ってる)
ラエルの髪は黒色だが、漆黒ではなく鴉の濡羽のような青みがかったそれだ。
浮島生活を経て手入れされるようになったうねり髪が同色の服に溶けることなく輝きを放つ。
きらきらと。まぶしい。
「た、ただいま。ハーミット」
「うん。お帰りラエル。昨日ぶりだね?」
「……なんだ、調子は良くなったのね。見違えるようじゃないの」
黒髪の少女は呆れるようにして、扉を閉じる。
伏せられた紫の瞳には昨晩目にしたような陰りがない。
金髪少年はそれに疑問を覚えながら、口を開く。
「さっきアステルさんから『骨守』のことを聞いてきたよ。今のところは、君が探している宗教団体と骨守の蟲信仰が同じとは考えづらいけどね」
「そう。アステルさんから」
「君にも説明が必要だろうと思ったんだ。でも、その顔を見る限り、君も独自にたどり着いていたという認識で間違いないかな?」
「ええ。ついでに白状すると、昨日私が倒れた原因はそれよ。今は落ち着いているけれど」
「なるほど」
単刀直入に、必要なことを必要なだけ。お互いの顔色を窺いながらの会話である。
少年は琥珀の目を細め、少女は静かに笑んだ。
ハーミットは確信をもって笑顔を作る。
溌溂としたそれではなく、他者を案じるものを。
「何か、あったみたいだね」
「……そう見える?」
「そう見える」
普段のように「笑顔が変だ」という顔すらされなかったことに驚きながらも、ハーミットは畳みかけるように同意する。
ラエルは用意された椅子に腰かける。
腹の前で組まれた指は落ち着きなく形を変えた。
「さっきまで、ペタさんとキーナさんに昔話をしていたから。そのせいかも」
「昔話?」
「そう。私があの天幕に運び込まれる前の話。塩の涙を渡るより前、船都市の坑道跡を密輸されるより前の話」
「……白砂漠でサバイバルしてた時の?」
「それよりは少し後ね。私たちが騙されて後の話だから」
少年は、思わず閉口した。
彼は浮島でラエルの身辺調査をしていたが、主治医であるスフェーンからは必要以上の情報を引き出すことができなかった。故に、あらゆる人脈を使って第三大陸を調べたのだが――結局、白砂漠で起こったことは分からずじまいだったのだ。
加えて、過酷な生活を送っていたという割に、黒髪の少女はその過去を懐かしむだけで辛そうな顔をした事は一度も無かった。
砂魚の味が恋しいとか、三つ首鷹は食べるもんじゃないとか、砂虫の巣は流石に肝が冷えたとか、炭樹には世話になったとか。
ラエル本人からはそういう話しか聞いたことがない。
そして、過去を想起する彼女は大抵笑顔だった。
だから少年は、無責任にも安堵していた。彼女なら心配ないと。
ラエルが何を抱えているのか。これまで一切、探ることをしなかった。
監視対象である彼女に唯一許されたプライベートスペースを、侵さないためにも。
(……そもそも彼女は、俺にアダンソンの話をしてこなかった。一人でどうにか第三大陸に行って、両親を取り戻し、団体を潰したい。それだけしか口にしなかった)
手段を選ばず組織を崩壊させたかったのなら、ハーミットやアネモネにでも打ち明ければ済む話である。事実、金髪少年は情勢調査よりイシクブールに寄ることを優先したし、仮にラエルがこの場におらずとも「アダンソン」を知っていたなら同じ行動をとっただろう。
(スフェーンは事情を知っているのか? 知っていたとして、どうして彼は動かなかった?)
魔術が苦手な黒魔術士で。感情欠損で。それがどうした?
ラエル・イゥルポテーはハーミット・ヘッジホッグに何を隠している?
溢れるように疑問が沸く。問いただすべき事項が脳裏を埋め尽くす。
それは恐らく、彼女を傷つけるに十分な言葉だと――飲みこんだ。
「君は、この数か月に渡って俺を見てきて、『強欲』という人間がどういう奴なのか、何となく分かっていると思っていたんだけど」
「そうかしら。私には、貴方が何を考えているのか、ちっとも分からないけれど?」
「……」
「貴方にだけ黙っているのも悪いと思ったの。だから、聞いてくれる?」
ああ、言わせてしまった。
彼女はあの甲板で感情欠損を明かした時のように、紫の目を真っ直ぐとこちらに向けて、琥珀を射るようにして。身じろぎできない身体に言葉を縫いとめていく。
淡々と明かされる過去と、言葉と共に想起される場面と。
それは確かに、道理は通っているし、物語としても成立した回想だった。
だが、いささか綺麗すぎる。
ハーミットは、ラエルが自分に何を求めているのか理解してしまった。
少女の回想が済んだ後。少年は間髪入れず、用意していたコーフィーを飲み干した。
頬を引き攣らせて。笑顔を作ることもできずに、問う。
「――君は、何を隠そうとしているんだ」




