198枚目 「破鏡照らさず」
カフス売りのグリッタを送り出す役をネオンに任せ、大部屋にはアステルとハーミットが残された。
重々しい話をしていたばかりとは思えない様子でアプルの続きを頬張る少年に、次期当主候補は杖をついて距離を詰める。
「……椅子を引いてくださいますか?」
「はは。貴女の頼みであれば、喜んで」
茶化す様に答えたハーミットに、アステルは珍しく苦笑を返した。
「ああ、ネオンならしばらく戻りませんわ。久々に休暇をとらせていますの。旧交を温めに酒でも入れて来いと言ってありますわ」
「……そうですか」
アステルは結局自分で椅子を引くと、針鼠の隣の席に腰を下ろした。
ふう、と。体力がないのは相変わらずなのか、上がった息を整える。
「それにしても。見違えるほどに嘘が上手くなりましたね? わたくしたちがどんな思いで父様や母様や妹を話し合いで黙らせたと思っているんです。貴方、最初からグリッタさまに告解の場を与えたくなかったのではありませんか」
「……」
「わたくしが言えた立場ではありませんが。あのような空気になってしまっては、もう聞き出すことはできません。本当は、話を聞きたかったのですけど」
責められることを望む方に、許しを押し付けるのは罰が過ぎると学びましたし。
商人が残したアプルの実に串を伸ばし、針鼠は視線を合わせぬまま咀嚼する。
「……本人から聞いた話で良ければ、説明しますよ」
「ええ。聞かせて頂いても?」
「……彼は、始めの一カ月ほどでシンさんと別れるつもりだったらしいんです」
シン・カーマイン・ラールギロス=スカルペッロ。
灰髪の少年、キーナの実父である。
白き者である彼は、自身の晶化が近いことを悟って町を出ることを決意した。それが、魔導戦争が終結してすぐの話である。
「夜半、黒曜馬に跨って町を抜け出そうとした彼を問い正そうとして。……押し切られたんだそうです。それで、第三大陸を出た」
「……ネオンが手引きをしたと聞きました」
「そう、ですか。……第二大陸に着いた彼らは死に場所を決める為の旅を始めました。あちこち回ったらしいですよ。川上都市に山岳の王国。沼地を越えた先にある温泉街。火山を越えた先にある雪国。森を越え山を越え草原を越え、そうしていつの間にか首都に辿り着いて、あの有名な資料室を訪問して。……そこで」
そこで、シンは倒れた。必死に抑え込んできた魔力を抑え込めなくなった。
彼等はそれから死に物狂いで出国して、草原を抜け、洞窟を抜け、帰らずの樹海に至るまで時間に追われるがままに旅をした。覚悟と決意に引き摺られるように移動した。
「……シンさんは樹海に踏み入ってすぐに歩けなくなって。馬は草原に置いたままだったそうで、グリッタさんはそこで一緒に死ぬ予定だったんだそうです。第三に居るウィズリィさんが子どもを孕んでいるとは、少しも知らなくて」
グリッタは、友人であるシンが晶化してしまう前に、ウィズリィの工房から盗み出した薬を飲ませようと決めていた。心中しようと、目論んでいた。
「だからまさか。目を離した間にシンが自殺を図るなんて思ってもいなかった。ましてやそれが、失敗するなんて――思わなかったと」
鼠顔の少年が左手を握り込む。皿の上にはもう、ひとかけらも残っていない。
アステルはハーミットの説明に納得したのか、静かに頷いて見せた。
「……手紙を読んでおかしいと思ったのです。シンは、自分のことになると途端に優柔不断で、最初に食べる菓子を最後まで悩んでいる様な人でした。そんな人が、あんな未練たらたらな文章を書き綴っておいて死にきれるわけがありません」
「……」
跳痺虫の鱗粉と安寧草を調合して作られる「安楽毒」を、グリッタは二人分用意していた。
それを、シンは使わずに死ぬと決めた。
決めたが――死にきれなかった。
他者を巻き込まないために身を粉にする覚悟はあった。けれど。
獣を捌く刃物で腹を裂いた。けれど、胸をえぐる程の度胸は無かった。
首元の動脈を狙った。けれど、傷は中途半端に太い血管を避けていた。
手首を切り裂こうにも、太ももに穴を開けようにも、どれもこれも浅くて。
中途半端な致命傷は折り重なって、より一層痛みと恐怖が増すばかりで。
誰に助けを乞うこともできず、血が抜けていく感覚よりも早く反射で使った白魔術が身体を中途半端に修復して。その傷痕がなまじ痛くて、苦痛で。ようやく叫び声を上げる頃には、晶化が進行して目は裂け、身体の内側が針の筵を飲んだかのようで。
「グリッタさんは、苦しむシンさんを一目見て。迷いなく剣を抜いたそうです。シンさんの口元はもう魔晶石で塞がっていて……手の施す余地も無かったと」
「……」
「何よりも、晶化に巻き込まれて死ぬ覚悟ができなかったのだと……言っていました。話を聞いただけの私にも、彼に死への恐怖があっただろうことは否定できませんが――それ以上に、シンさんのことが見ていられなかったんじゃないかと。思います」
「……希望的観測ですわ」
「ええ。知り合いをひいきするのは悪いと、自分でも思います」
けれど。商人グリッタは彼の遺体を土に埋めた後に、自らも毒を煽った。
「死ねなかったんだそうです。何事も大ざっぱなウィズリィさんのことだから、調合が失敗していたんでしょう。三日三晩苦しんで、グリッタさんは生還した。二本目を仰いでも多少苦しむだけで、やっぱり死ねなかった」
中途半端に耐性がついた身体にはもう安楽毒が効かなくなっていて、彼は途方に暮れた。
無責任に、死ぬなと言われた気がして。旅をつづけることにした。
彼が大事にしていた黒曜馬を連れて。毒の香りを身に纏ったまま。
何年もイシクブールの近くまでやってきては第二大陸へ帰っていくカフス売りの商人が生まれ。そうしてついに、この町に戻って来た。それが、今から約一週間前の話である。
「これで、話はおしまいです。これ以上は、グリッタさんに聞いてみないと」
「そうですか」
一部始終を聞き終えたアステルは暫く口を噤んでいたが、やがて閉じていた瞼を開いた。
鏡面のような青白い白濁した瞳が、何も写さない水晶体が、徐に針鼠の方を向く。
「十分ですわ。ありがとうございました」
「……今からでも追いかければ、間に合うと思うんですが」
「彼は自責を口にするだけでしょうから。わたくし、冒険譚は好きでも救いようのない謝罪は苦手なので」
アステルはふわりと薄い笑みを湛える。
「最も、吐き出させないことも、彼にとっては罰になるのかもしれませんけれど」
グリッタが自責の念に駆られようが、救われまいが。
針鼠に過ぎたことをどうにかする術はない。
(ノワールが言っていた「既に終わったこと」っていうのは。キーナくんの父親がもう故人で、捜しようがないことを指していたんだろう)
あの蝙蝠が情報を伏せるにしては、その重さが足りないような気もするが。現実は、このようなものなのだ。
「……もう一つ耳に入れて頂きたいことが。ネオンさんと、キーナくんの今後についてです」
ハーミットが切り出すと、アステルはゆっくりとこちらを振り向いた。
「晶化の件ですか?」
「はい。今回は幸いにも、お二人の晶化を解くことができましたが……次はありません。魔法を使用せずとも、彼等が呼吸をするたびに晶化は進行します。私には、猶予を伸ばすことしかできません」
「仕組みが分かれば、いかようにも対策のしようがあるとわたくしは思うのですが。それができるなら世界中の白き者が長生きになっているでしょうし――それでも。無理を承知でお願いすることはできませんか?」
縋るような言葉に、針鼠は首を横に振る。
「薬は作れますが安定した量はありません。使用期限も非常に短い」
「それでも、といったら?」
「……私を生かしたまま牢にでも繋いで、生き血を絞るしかないですね。供給できるのは私が死ぬまでの間、ですが。貴女が本気で望まれるのであれば、謹んでお受けします」
ハーミットは言って、アステルの瞳を覗き込む。
青い瞳は深慮しているようだった。本気で取り押さえられても困るのだが。
「原材料は至ってシンプルで『魔力が通っていない物質』かつ『魔力を通わせない物質』でなければなりません。これが、なかなか調達できない代物で。手っ取り早いのが私の存在といいますか……アステルさん?」
「歯はくいしばりましたか?」
「へっ」
すぱんっ。
歯を食いしばることもできず、コートの襟越しに頬を叩かれる。
鼠顔が衝撃で浮かびあがり、元の位置とは少しずれて収まった。
「……痛いんですが」
「痛いんですが、じゃあありません。何ですか貴方、身を粉にするにもほどがあるでしょう。まさか自身を実験体に研究しているとは言わせませんよ」
「(視線を逸らす)」
「蹴り潰しましょうか?」
「事後報告だし痛いから辞めて下さい」
何故視線を逸らしただけでばれたのか全くもって分からない。椅子に座ったまま太ももに踵の低い革靴が食い込む。入蹴角度があと少しずれていたら悶絶ものだった。
「母娘揃って足癖が悪いのはどうにかならないんですか!?」
「わたくし自身、筋力が低下して尚も立って歩けるのは血のせいだと思っています」
そう言いながら足を引くアステル。
スカートのひらめきに、華奢な黒のフリルと、白い太ももに巻かれた鋸状の護身武器とが視界を掠め、危機感と共に目を逸らす針鼠。
蹴りの代わりにあの針を突き刺されていたらと思うと、彼女の理性はしっかり働いているのかもしれないと思った。
アステルはハーミットの挙動に気づくようすもなく服の皺を伸ばすと、子どものように頬を膨らませた。
「薬は諦めます。忸怩たる思いですが。忸怩たる思いしかありませんが」
「……」
「謝らないで下さいね。あの薬が『そう』であるなら二度と使用したくないと思っただけのことですわ。一個人を苗床に培養される薬を願い乞うなど傲慢にもほどがありますし」
「ははは。まぁ、生きた人間の一部を材料にしてるとなると気持ち悪いが勝ちますよね」
感染症の面から考えても他者の血に接触することはあまり喜ばしくない。そういう理由もあって、ラエルがあの小瓶の内容物を摂取したと聞いた時には大層焦ったのだが――と、思考して頷く針鼠をアステルは顔を引き攣らせながら凝視する。
「……そういう意図ではないのですが……」
「ないんですか?」
「貴方、この六年で耳が腐り落ちたのですか?」
「言葉のオブラートが蒸発した……だと……!?」
「オブラートが何なのかはともかく、貴方が何を言おうが翻訳魔術であらかた意味は伝わるんですから観念してください。ほら、椅子から降りて、そこに片膝をつく。早く」
「え?」
「早く」
急かされるままに椅子を降りて片膝をつく針鼠。
そういえば、昔本で読んでは憧れた騎士がこういう体制をして君主に誓いをしていた気がする。剣士の作法はアネモネ辺りが詳しいだろうか。
あまりの混乱に現実逃避を始めたハーミットを見下ろすように椅子から身を寄せて、アステルはゆっくりと鼠頭に手をかける。
もしゃり、と撫でれば、ダッググリズリーの毛皮を染めた焦げ茶色が毛羽立った。硝子の目玉は親指の腹で擦られようが痛みを感じることがない。閉じない瞼と開かない口に指を這わせ、針の生え際をなぞって。
見えない物を理解しようと徹底的に手で触れる。触覚で視界を形成する。
されるがままに少年が撫でまわされているのはまさにそれだった。
「この部屋とその周囲に、わたくしたち以外の人はいますか?」
「……居ないと思いますが」
「そうですか。では、失礼」
かぽ、と。
少年が止める間もなく鼠顔が外された。金糸の髪に細い指が通る。
左耳のカフスをなぞられる。白い、血の引いた肌を冷たい両手が包み込む。
ただでさえ確信に近かった疑いが、いっそう現実味を帯びていく。
目鼻立ちと、髪の長さとを、全て知られた――これ以上、謀ることはできない。
「……」
「……」
アステルは神妙な顔つきで、それから細い髪を二、三度なぞって整えると、宝箱に蓋をするように鼠顔を元の位置に被せ直した。
「はぁ。まあ、そうだとは思っていましたが、こうもあっさり確信になるとは」
黙した少年の心情を知ってか知らずか、栗色のストレートを撫でた女性がふと笑う。
「――やはり貴方も大馬鹿者の一員ですわ。かすり傷だからと顔の傷を放置するなど。痛みに対して鈍感になっているのでは? 身を削るのは程々にして下さいね」
「……」
「何ですか。わたくし、貴方が危惧するほど頭の悪いお嬢様でいたつもりはありませんが」
そう必死になるのにも理由がありそうですし、下手なことは口にしませんわ。
アステルはそう言って杖を手に立ち上がる。かつんかつんと足元を確認しつつ少年に背を向けて、一人でフレンチドアを開放した。
「四天王さまの手を煩わすのは憚られますが、階段を上る補助をお願いしても?」
「……構いませんが、その。どちらへ?」
「自室に忘れ物があるのです」
「忘れ物、ですか」
ひょこひょことついてきた針鼠は、女性が持つ杖とは反対の方へ身体を寄せる。
振り向いた彼女は先程見せたあどけなさを捨て去っていて、少女らしさの欠片もない。
ちゃりん。と、杖に繋げた晶砂岩のチャームが揺れる。
「お渡ししたいものがありますの。きっと、今後の助けになるでしょう――そうですわね。以前、我が家からお盗みになられた地下道の鍵と物々交換ということで、どうですか?」




