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195枚目 「聖樹の枝にパテを添えて」


 鳥の声と、頬を撫でる柔らかな明かり。


 板張りの天井。細い梁が均等に並んでいるのをぼんやりと視界に入れる。


 時計を確認してみれば、どうやら普段起きる時間とそう大差ないようだった――それにしては、やけにぐっすりと眠れたような気もする。


 紫目の少女、ラエル・イゥルポテーは欠伸混じりに伸びをした。


 隣に赤魔術士の姿はないが、棚の上に置手紙がされている。どうやら下階にいるらしい。


「……」


 無言で支度をして、壁にかけられた服を目にする。昨夜着ていた服は諦めてこれでも着ていろとでもいわんばかりであった。


(ストレンの私服かしら……それにしては、色が落ち着いているようにも思うけれど)


 疑問に思いながらも袖を通し、鏡を見て顔をぐにぐにとする。


 無理に笑わないで、と。

 昨日のストレンの言葉を思い出した。


 顔から手を離す。なんともつまらなそうな顔をした自分がそこにいる。

 成程、笑う気が起きないとはこういうことか。


 日課なので口角を押し上げることはしてみたが、やはり鏡の中の自分は上手く笑えていないらしかった。







 蔦囲いの宿、一階。

 赤いワンピースに身を包んだ女性が一人、足を組んで二人席をとっている。


 テーブルに乗っているのはドリンクが一つだけ。

 待ち人でもいるのか、彼女は黙々とそれを飲んでいた。


 薄い茶髪に赤い瞳に童顔で小柄で――その姿は本人が自覚するより目立つようで、事実何名かの勇気ある男性が彼女に声をかけ、玉砕していった。


 果実水を飲みこみ、物憂げな顔をした赤魔術士は息を吐く。


 店員には人を待っていると伝えてあった。その人が何時起きて来るか分からないということも、待ち人が誰なのかということも、である。


 一時間は経っただろうか。店の扉がベルを鳴らし、店員が女性を一人こちらへ誘導した。


 うねる黒髪を白黒のリリアンで束ね、脛まで届くロングワンピースの灰色、内側に袖の長い黒のブラウス。手首と首元をささやかなフリルが飾っている。


「相席、いいかしら」

「どうぞ。あぁ、自分で注文してくださいねぇ。奢るので」

「……」

「なんですかぁ」

「いやぁ、貴女がこう優しいと裏があるように勘ぐってしまうというか」

「はっ。こちとら貴女より稼いでんですよぅ」

「ふふっ、そういうことなら遠慮なく」


 赤魔術士の向かいに腰を下ろした黒魔術士は微笑んで、店員に差し出されたメニューを開く。カムメ肉と牙魚と白いパン。香草や油をふんだんに使った料理が殆どだった。


「……万スカーロ単位のコース料理でも頼むつもりですかぁ?」

「そうして欲しい?」

「いえ、食べたいものを食べるのが一番ですけどぅ。え、まさかそれだけ? 足ります?」

「足りるわよ」


 店員を呼び止めて注文を入れる。ストレンも何杯目かになる果実水を追加で頼んだ。


 暫くの間、各々話をするわけでもなく水分をとる。ラエルの食事が運ばれてくるまでそう時間はかからなかった。聖樹の枝と呼ばれる白パンと、四色のパテがテーブルに並ぶ。


「ストレンこそ、朝食は?」

「食べましたよぅ。牙魚とコールスローをパン包んだやつを」

「……彼もそうだったけれど、浮島の人ってパン包みが好きね?」

「あー、書類作業の邪魔になりませんからねぇ。早く食べられる上にお手軽ですしぃ」

「ふぅん」

「さては話題に飽きましたね貴女」

「あ、分かった?」

「分かりやすすぎますぅ」


 パンはバスケット一杯に盛られている。ラエルはそれを千切って豆と肉のパテを絡めた。

 咀嚼するたび、口の中にほどよい塩味と旨味が広がる。かなり美味しい。


「(もっしゃもっしゃ)」

「……」


(昨日の今日で、食欲が減退していたらどうしようと思っていたんですが)


 杞憂だったらしい。ストレンは不貞腐れたような顔をしながらも内心ほっとしていた。


「あぁ、そういえば。この服、今日一日借りてもいいかしら」

「構わないですよぅ、というか差し上げます。私、そんな辛気臭い色した服は着ませんしぃ」

「辛気臭い? 袖のところとか、肌が透ける程に薄いのに肩から肘にかけて濃い刺繍が入ってたりして……寧ろ派手なんじゃないかと思うのだけど」

「へぇー、そうなんですかぁー。まぁ、貴女が気にいったならよかったですよぅ」


 満足そうに口角を上げ、果実水を口に含むストレン。

 ラエルは何かを言おうとしたが、野暮だと思ったのか口にはしなかった。


 赤魔術士は、対面する黒髪の少女の身なりにそれなりに満足している……が、彼女がした事と言えば上着を変えさせただけであり、所詮は気休めでしかないことも知っていた。これでは大満足とはいかない。


「まぁ……強いて言うならぁ、靴ですかねぇ」

「?」

「独り言ですよぅ。ともかく、食事が済んだら靴屋に行くので付き合っていただけますぅ?」

「構わないけれど、その前にスカルペッロ邸にいかなくちゃならないわ。昨日の今日で心配させているだろうし、魔力暴走の後だから仕事を休みたいって伝えなくちゃだし」


 ラエルはパンの欠片を嚥下する。パテは既に半分無くなっていて、パンが減る速度も比例していた。聖樹の枝は、彼女の顎を疲れさせるには力不足らしい。


 今すぐにでも休むべきなのに全くその気がない当人を前にして、ストレンは頭を抱える。


「連絡なら、昨夜の時点で入れてありますぅ。元々臨時で入ったお仕事なんですから、あちらにもデメリットはないようでしたしぃ。深く気にしなくていいと思いますよぅ」

「そ、そう」


 ストレンはどうしてもラエルをあの区域に近寄らせたくないようだ。昨日のごたごたを踏まえて、町長宅の裏にポフに針鼠の少年が居ることを考えれば、ラエルでも察しはつく。


 が、ラエルだって蚤の市の前から答え合わせを保留されている身だ。


 両親が今、何処でどのような状況下に置かれているかも分からない――既に、手遅れかもしれないが。それでも諦めたくないという気持ちが勝っている。


(魔力暴走したとはいえ快調だし、本当ならすぐにでも「蟲」の件について話を聞きに行きたいところだけど。この調子だと……)


 ストレンの懸念は尤もで、散々無茶をしてきた黒髪の少女に反論の余地はない。


 ラエルはパンを食べ終え、空になったパテの皿を寄せた。


「貴方こそ、今日はお休みなの?」

「午後は仕事ですよぅ、心配せずともポフまで送りますって。針鼠はともかく、仏頂面の白魔導士を不機嫌にしつづけるのは同業者として悪手ですからねぇ」


 果実水を飲み干すタイミングを見計らって、ストレンが席を立つ。


「それじゃあ、行きましょうかぁ」







 ――踵が低いブーツを探すあまり、あっという間に四軒目である。


 足に合わせて靴職人が魔術で調整してくれるので履き心地は申し分ないのだが、ストレンが頑なに頷こうとしないのである。


 因みに、探しているのは彼女の靴ではなくラエルの靴だったりする。


 ストレン曰く、見栄えが良く術式付与がいくつかできる靴が良いとのこと。

 「それなら後日改めて浮島の工房に頼むから今はいい」というラエルを、彼女は「そうはいかない」と引き摺りまわした。


「確かに、一昨日の騒ぎで多少汚れちゃったかもしれないけれど、これでも拭いたのよ?」

「拭いた拭いてないじゃないんですよぅ。一足ぐらい違う色の靴があってもいいじゃあないですかぁ」

「えぇ……」

「靴に妥協は要りません。それなりのものを手に入れますよぅ、次!」


 店員に頭を下げて店を出る。職人が集まる西地区の端まで来て五軒目。


「ラエル。この右上と真ん中だったら、どっちが良いですか」

「値札がないわよ?」

「どっちがいいですか」

「……右上も好きだけれど、履くとしたら真ん中かしらね」

「分かりました。店員さん、試着と調整お願いできますかぁ」

「す、ストレン……?」


 そうして、あれよあれよと話が進み。

 ラエル・イゥルポテーは新しい革靴を抱えて店を出ることになった。


 支払いはストレンが行っていたが、果たしてどれだけのスカーロが取引されたのか分からない。分からない方が身の為なのだろうか。


 新しい靴が入った紙袋を戸惑いながらウエストポーチに収納していると、ストレンは満足したのか赤い瞳を歪めた。


「一応、履き慣らしておくことをオススメしますよぅ。靴裏は削れにくくなるように術式付与してもらいましたがぁ、貴女が履くと簡単にすり減るみたいですしねぇ」

「えっ」


 店から離れ陸橋の階段を下りきって後に言われた言葉に、慌てて靴の裏を確認する。


 ラエルが今履いている革靴は浮島から持ってきたものだ。手袋と同じ色をした水色のブーツ。その裏は、凹凸の見る影もないほどにすり減ってしまっていた。湿った草を踏めば簡単に転べるだろう。


「いつの間に」

「貴女、イシクブールに来てから大分走ったんじゃあないですか? この町は石畳ですしぃ、戦闘の為に全力疾走なんてしようものなら靴は簡単に壊れますからねぇ」

「これって、どうにかなるもの?」

「修理に出せば、ベリシードさんがどうにかしてくれますよぅ。その靴が好きなら今日買った靴はスペアとして使ってくださいな。……思えば再就職のお祝いもしていませんでしたし。私とエルメからのプレゼント、ということで」

「え!? あ、ありがとう」

「全くですよぅ。午前が全部潰れちゃいましたぁ」


 口は尖らせているが、満足げにストレンは言って赤いスカートを翻す。西地区を北に行けば、いずれは邸宅前の石畳に合流する。二人は土を踏みながらゆっくりと歩を進めた。


「で。どうなんですか、貴女自身は」

「私?」

「昨日の今日で、異常はないかって聞いてるんですよぅ」


 剣呑とした瞳が向けられて、ラエルは肩を竦めた。


「……立って歩けているし、朝の支度をした時は生活魔術も使えたわ。心の整理はまだついていないけれど昨日よりは全然ぐるぐるしていないし。至って健康そのものよ」

「そんなこと言って、また腕から何か生えるとかないですよねぇ」

「な、無いと思うわよ。多分」

「だといいですねぇ。ああ、そうだ。魔力暴走についてはカルツェに説明してありますが、右腕の件については伏せてありますぅ。特に、あの針鼠には貴女から説明してくださいね」

「え? 構わないけれど……あんまり憶えてないわよ?」

「それでいいんですぅ。貴女が知っていることをあの人に教えてあげれば十分ですから」

「……?」


 ストレンは疑問の視線に答えることなく歩を進める。

 ラエルはその背中を追いかけた。


 時折、東から蚤の市の騒がしさが響いて来る。呼び込みと、値段交渉と、世間話に花が咲く。つい二日前、静まり返っていた町と同じ場所とは信じがたいほどだ。


「……」


 灰髪の少年は、静かに骨守としての信仰を守ってきたのだと言っていた。


(信仰を隠してきた理由は、「聖樹信仰」をしていない事実が国益に影響したから……でしょうね)


 イシクブールが独立した国家だった頃から、ずっと。


(だけど。もし、私が知っている「アダンソン」と同じなら)


 ラエルが知っている様な悪徳宗教とこの町の信仰が全く同じものなら、この町から女性と子どもは消えるはずなのだ。


 けれどこの町はそうではない。町中で子どもたちが走って遊んでいるし、調べた限り行方不明者がでているわけでもない。それは、船都市サンドクォーツクでも同じだった。


 供物の為にと他大陸から取り寄せでもしない限り「アダンソン」が望むような捧げものは手に入らない。それに、そのような闇取引が実在したとして。第三大陸を管理している魔導王国が黙認しているとも思えないのだ。


 していたとしても。針鼠あたりがさっさと潰してしまいそうな販路である。


 足を止めて考え込むラエルに気づいて足を止め、ストレンは長い溜め息を吐いた。


「というかぁ、そんなに気になるなら聞けばいいじゃないですか。本人に」

「?」

「貴女は灰髪の彼に話を聞いたんでしょう? でも、聞く限りそれは概要ですぅ。貴女が恨みを向ける宗教団体と彼の認識の間に相違があれば、それらは近くとも系統が違う『祈り』ということになりますぅ。第二大陸と第四大陸では、同じ月華教を信仰していても内容が違うでしょう。それと同じですよぅ」


 同じでも、違うことがある。

 赤魔術士の言葉を、黒魔術士は反芻する。


 ストレンは「にたり」と笑んだ。


「人間が他者と関わる理由は、お互いに持つ認識の齟齬を減らして必要な事物をすりあわせ、少しでも自分を生きやすくするためですよぅ。口でも文字でも、使えるものは全部使って、聞くべきです――確かめるべきです」

「……それもそうね。めげずにやってみるわ」


 ラエルは手袋越しに、頬を挟んでぐにぐにと揉み解す。

 次に目を開けると、物憂げな表情を浮かべる少女はいなくなっていた。


 ストレンはクリーム色の茶毛を指でくるくると巻いては払って、伸ばした指先をラエルへ向けた。


「ええ。ほら、丁度そこの曲がり角にストーカーが二人居ますから、聞いてきたらいいですよぅ。ついでにスカルペッロ邸まで一緒に行けばいいじゃないですかぁ。私は蚤の市を物色して後に仕事に戻りますのでぇ」

「…………」


 黒魔術士が徐に振り向けば、言われた通り物陰から見覚えのある男性二人が顔を出した。


 片や涙目で震えの止まらない身体を抑えるツノつきの獣人、片や引き攣った笑みを浮かべる灰髪の少年である。


 赤魔術士はわざとらしく口元に指を添えてみせる。


「あっれれぇ、もしかして気づかなかったんですかぁ? なぁにが本調子ですかぁ、注意散漫にもほどがありますよぅ?」

「ストレン、『点火(アンツ)』と『霹靂(フルミネート)』だったらどっちがいい?」

「はぁー? どっちもお断りですよぅ!」


 放たれた黒魔術をじゃれ合いのように躱したストレンを見て、ラエルは心の底から「負け」を突きつけられた気分になったのだった。





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