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とある戦士の憂鬱

 それはまるで終わりのない荒野のような道だった。

 終着点の見えない道を、歩いて、歩いて、ただ歩き続けて。

 だけど、歩き続けたその先には、何もないと宣告された。

 あの日から、自分は何処を歩いているのか、それさえも分からなくなった。

 

 お前は何のために戦っている?

 そう問われても、答えは未だに見つからない。

 

 何もなかったから、戦うことしかできなかったのだ。

 それだけが、男の逃避だった。


 男はまだ、当てのない旅の途中。

 それは、そんな旅路での出来事だった。


 悲鳴と共に響いてきた破砕音に引かれ、視線を向けたその先に、砕けた車輪が乱雑に飛び散っていた。

 見れば、抉れた地面にぐったりと倒れる馬車が土煙を上げている。

 

 少し近づくだけで分かるほど、辺りには血の匂いが漂っていた。

 魔物の仕業か、それとも人の仕業か。

 どちらにせよ、進行方向で何らかのトラブルが起こっていることに間違いはない。関わる義理は何もないが、見過ごすという選択肢は何故だか頭に浮かばなかった。

 気配を消して、様子を伺う。

 足取り早く、それでいて誰に気取られることもなく、男は現場に駆け出していた。

 

 水場があり、平坦な土地。旅の休息地には丁度よい場所であろう。

 そんな場所で見た惨状は、吐き気を齎すその惨劇は、男にとっては見慣れた光景でしかなかった。

 

 強さこそが正義な世界で、弱者が淘汰されていた。

 ただ、それだけなのだ。

 

 だけど、それでも苛立ちが湧く。

 それは正義感を刺激されて、などと言った可愛げのある理由ではない。

 もっともっと個人的で、暗く淀んだ私的な感情でしかない。

 あの日、お前たちのような者が現れなければ――そんな過去の妄執にとりつかれた、極々個人的な私怨でしかなかった。

 

 行商人に雇われた護衛に実力が足りていなかったせいなのか。

 それとも、単に人数の差が響いたのか。

 人と馬の肉塊があちらこちらに散らばっていた。

 

「遅かったか……」


 男が辿り着いた時には全てがもう、手遅れだった。

 血まみれの池に、足音が響く。

 身を寄せ合いながら、死んでいった者達がいた。

 それを笑う、ゴミ共もだ。


「んだぁー、まだ生き残りがいたのか」

 ようやく男の存在に気づけたのか、暢気に声を上げる盗賊がいた。


「随分とみすぼらしいおっさんだなー、剥ぎ取るもんもなさそうだ」


「むさ苦しいおっさんはもういいっすよ! 肝心の女がいないじゃないですか! つまんないっす! つまんないっす!」

 男を取り囲むように立ちはだかった声が、酷く耳障りに届いた。

 鬱陶しくて、苛立ちと共に反射的に剣を抜いていた。

 刃のない、一本の剣を。


「ひゃははははは、んだそれ! 錆びてやがる! 剣のつもりかよ、ぎゃはははははははは」

 それを剣と呼称していいものか、当人でさえ疑問なのだ。

 だから、そんな笑いが巻き起こるのも無理はない。

 ボロボロに崩れた刃の部分は、折れ曲がっているかのように歪み、亀裂がいたる所に走り抜け、武器の様相をなしていない。

 代わりにその握り手だけは、まともな大剣のそれだ。

 ボロボロになった刀身を、何故か頑強な柄が支える。

 現状では、これ以上ないほどのガラクタに違いない。


「あははははははははは、ガラクタにもほどがある、ぜっ!?」 

 だけど、十分だった。

 強者を気取る愚か者を屠る上で、得物など何でも構わないのだ。


「――え?」

 呆然とした声が零れ、首が曲った。

 それもこの上なくあり得ない角度で。それが、高笑いを上げていた盗賊の最後の言葉だった。

 武器の良し悪しなどを問う以前に、男にとってただの盗賊など相手になるはずもないのだ。


「おい、てんめぇ! 何しやがった!?」


 取り囲んでいたはずの男が、いつの間に剣を振るったのかまるで理解できていないようだった。

 苛立ちを発散するかのように振りぬかれた剣は、彼らがそうしたように、あっさりと命の灯火を消した。


「これでは剣というより鈍器だな…………」

 ため息混じりにそう零す。

 人を殺したあととは思えぬほど落ち着いた声色だった。


「それと、俺はまだ二十代だ」

 威圧と共に男はそう言う。

 ボロボロの剣に一切の攻撃力は存在しない。

 だがそれでも、頚椎がへし折れ捻れた首が、倒れ伏した盗賊の胴体に辛うじてぶら下がっていた。


「うぉいっ! 何やってんだ、お前ら!」

 騒ぎを聞きつけてか、盗賊の頭領らしき男が部下を伴って馬車の陰からゾロゾロと出てきた。

 だがそれも、八つ当たりに近いストレス発散の対象が増えたに過ぎない。


「い、いや――あの、お頭……生き残りが……それに、ジロウの奴が殺されて……」


「あんっ!? どこのどいつだそいつ……は…………」

 言葉は最後まで発声できていなかった。

 頭領が、男の姿を見た瞬間。異常なまでに震え、恐怖し、今にも逃げ出しそうに脅えていたのだ。

 まるで幻でも見ているかのように呆然とし、嘘だと言いたげに首を振っていた。


「お頭? どうしたんっすか?」

 そんな異常に声を上げる部下の言葉にも、答える余裕が頭領にはないようだった。

 

「な、何で……お前が……こんな場所にいるんだよ! 剣鬼、デュラン!」

 悲鳴に近しい絶叫が上がる。


「はぁ? このおっさんがぁ? お頭、そいつは何の冗談で……?」

 デュランの眉間に皺が寄った。


「冗談だぁ!? んな分けあるか! その老け顔、間違いねぇ! 俺は傭兵時代にこいつを目の前で見てんだよ! 忘れもしねぇ、シドニスのクーデターで単身敵軍に突っ込んで何十人もの近衛騎士を斬り伏せたのはこいつだ!」

 動揺が走る。

 デュランを取り囲んでいた者達が慌てて抜刀しようと剣に手を伸ばそうとしているが、欠伸が出るほど遅い。

 敵対行動を取ろうとした盗賊の下っ端をデュランは容赦なく斬り捨てた。


「ま、待ってくれ! か、金なら払う! お前には手をださねぇ! だから、な? 助けてく……」

 言葉はまたも続かなかった。

 返答とばかりに振られた一閃が盗賊の首領を吹き飛ばしたからだ。

 ぐったりと倒れ伏した首領は微動だにしない。


「生憎だが気分が悪い……八つ当たりに付き合ってくれ。まあ、拒否権はないがな」 


「がべっ……!」

 焦りが冷静な判断を鈍らせ、恐怖が盗賊たちの体を硬直させていた。デュランは一切の容赦なく斬り伏せる。


「この野郎がっ!」

 やけくそに襲い掛かる者。


「あぁ……あああああっ!」

 恐怖のあまり、得物を取り落としてしまう者。


「止めっ! たすけ……がっ……」

 背を向けて逃げる者。

 皆等しく、死に絶えていった。頭を失った盗賊集団などこの程度だろう。ちっとも心は高揚しない。

 血に染まった錆だらけの剣が、ただ空しく雫をこぼしていた。


 辺りには一面、血と肉だけが黒々しく存在していた。

 立ちはだかる者全てを薙ぎ払って、そうして初めてデュランは剣を構えた。

 

 呼気を整え、剣先が揺れた。

 闘気と魔力が混在した剣撃は、容赦なく地を切裂いた。

 いや、抉り取ったというべきだろうか。

 吹き飛ばした土塊が塵にまで切裂かれ、大きな穴がそこにあいた。


 デュランは静かに剣を納め、獣に食われる前に、せめてもの弔いとばかりに死体を埋めた。

 そうしてようやく一息つき、背に置いた剣に触れた。

 

「……お前はまだ、俺に姿を見せてくれないのだな…………」

 剣は何も答えない。

 鞘に収まった剣を手に、デュランは再び歩を進めようとしたその時だ。

 

「――む?」

 茂みが揺れた。

 と同時に、身を潜めていた何者かの気配がしたのだ。

 それなりに優れた隠密ではあったが、一度視線を向けられればデュランが気がつけないはずもない。


「生き残りか?」

 遠く離れたその場所に、警告を込めて視線を向けた。

 すると、観念したのか、ごそごそと揺れた緑の奥からそいつは現われた。


「子供……?」

 驚いたことに、茂みから出てきたのは酷く薄汚れた少女だった。

 襤褸切れのような布が衣服の代わりなのだろうか、その身には服とは到底言い難い布を巻いているだけで、他に衣類と呼べるものは存在せず、靴さえ履いてはいなかった。髪はどこか草臥れていて、乾いているのか毛並みもさほど良くはない。かなり秀でているであろうその容姿もこれではただの薄汚い浮浪者のそれだ。

 

 見れば、頭の上にちょこんと猫のような耳が生えていた。

 臀部には毛並みの崩れた尻尾が見える。

 それでデュランは先ほどの隠密に納得した。


 獣人の少女であれば、それもまた可能だろう。

 人よりも優れた五感を持つ彼らならば――子供といえど気配の消し方など学ぶまでもなく遺伝子に組み込まれていると言ってもいい。


 きっと、死体荒らしか何かなのだろうと、デュランは当たりをつけた。

 七国に近づいていることもあって、この辺りの治安は王国ほどよくはない。こういった、社会からのはぐれ者も数多くいて、別段珍しいものではなかった。

 襲われた荷馬車の食料や荷物が欲しいから、隠れ潜んで様子を伺っていたのだろう。


 そんな子供が、テクテクと歩いて近づいてきた。

 まるで敵意を見せないまま。

 それどころか、好意すら感じる無邪気な笑みを浮かべて近づいてきた少女は――


「っ――!」

 

 ――笑顔のまま、隠し持っていた短剣を振り抜いた。


「なっ――!」

 完全に不意を打たれた。

 超一流といっていいデュランの警戒を超えて刃が迫ったという事実は、まさに驚嘆と言っていい。

 それは、今日――いや、久しく感じていなかった脅威だった。


 足の腱を狙ったのか、地を滑空するような一撃は吸い込まれるようにデュランに迫り――そこで止まった。

 鞘に収められたままの剣で、デュランが迫りくる短剣を受け止めたのだ。

 鈍い音が響き渡った。


 不意の一撃も、未熟なままでは意味をなさない。

 相手がデュランでなければ通用していたであろうが、凡そ人間の枠をはみ出した反応速度を持つデュランならば、鍛えあげた肉体能力で無理やり対応することが可能だったのだ。

 鞘に納めたままの剣で短剣を受け止め、力と技量の差を持って刃を滑らし、ぶつかり合う力を流して少女の持つ短剣を弾き飛ばした。


「っ――!」

 今度は少女の顔に、動揺が走った。

 確かに不意を打たれたことに間違いはない。きっと、これまではそれでうまくいっていたのだろう。

 だが、デュランに通用するには些か鍛錬が足りない。

 

 それまでだ。

 少女の手にはもう、得物がなかった。

 デュランはそのまま、押し倒すように少女を組み伏せ、細い手を押さえつけながら言う。


「見事な一撃ではあるな……だが、何故俺を襲った?」

 浮浪者で、居場所のない子供が一人。正当防衛であるし、そうでないとしても殺してしまって何ら問題ない。それがこの世界の認識する少女の命の価値なのだ。

 

 発する言葉を間違えれば、命はない、そんな状況だった。

 だけれど、少女はまるで恐怖を感じているようには思えなかった。


「……なんで? 生きることは、奪うこと……でないと、みんな死んじゃうんだよ?」

 きょとん、と。

 心底意味が分からないと言いたげに少女が言った。


 刃を向けてくる相手にしては酷く緊張感の薄い言葉。

 緊迫した状況にはあまりにも似つかわしくない自然体なしぐさ。

 友達と遊んでいるかのような態度のまま、当然のように死地に立つ少女は、デュランと似た異常性を持っていることは間違いなかった。

 そんなただでさえ薄い緊張感をぶち破るかのように、ぐぅーっと。少女の腹の虫が盛大になった。


「……お腹、空いた…………」


「お前な……」

 刃を向けた相手に組み伏せられ、力の差が歴然なこの状況。細い喉を締め上げるだけで、少女の命は容易く絶えることだろう。

 なのに、この緊張感の無さだ。

 案外大物なのではないかとデュランは本気で思いそうになった。


「おじさん、お腹空いた……いいことしてあげるから、ご飯、ちょうだい――」

 それどころか、攻撃を加えた相手にそんなことまで言いだした。

 一瞬、命乞いなのか、と思ったが少女の顔が違うと言っている。

 お腹を押さえ、馬車の残骸から食料を探そうと忙しなく動く瞳は、明らかに食欲に支配されている人間のそれだ。

 

「……何処で憶えたんだ、その言葉……俺が悪人だったらどうするつもりだったんだ、お前――?」

 すっかり毒気を抜かれたデュランは警戒を解き、呆れと共にそう言って、少女を解放した。

 目の前の少女には、最初から敵意も、悪意も、殺意も、何も感じない。だから、真面目に相手をしている自分が馬鹿らしくなってくる。


「……悪人? おじさんも悪い人……?」


「そうかもな――それと、おじさんは止めろ。俺はまだ二十代だ」

 デュランは少女の言動の中で唯一重要な部分を指摘する。


「……? おっさん……?」


「悪化しとるわ!」

 デュランは大きくため息を零して言葉を続けた。


「お兄さんと呼べ、お兄さんと」


「――ん、お兄さん――で、ご飯くれるの? くれないの?」


「ほんと、清清しいまでに図々しいな、お前……」

 だが、食事をする前に、少女にはまずやるべきことがあるだろう。

 デュランはいい加減耐えかねたとばかりに口を開いた。


「お前、とりあえず身嗜みを何とかしろ。食事の前にまずは水浴びでもしてこい。匂うぞ?」


「…………水は嫌い……」

 露骨に顔を顰める少女だったが、デュランは薄汚れた少女をこのままにして、食事を共にする気はなかった。


「その間に飯を用意しておいてやる――さっさと体を洗って来い」

 子供を躾けるなら飴と鞭だと思い、デュランは目の前に褒美を置いてみせる。

 その言葉を聞いて、少女の瞳が不安と期待の狭間で面白いほど揺れていた。


「…………ちゃんと言うこと聞いたら、ご褒美、くれる?」


「――ああ」


「ん、じゃあ行くー」

 とてとてと水辺に向かって歩く少女をみて、そう言えば名前を聞いてなかったとデュランは思った。


「お前、名は?」


「ネロの名前はネロって言うんだよ? おじさんは?」


「おじさんじゃない。お兄さんだ――」


「どっちでもいいじゃん――細かいなー、でお兄さんは?」


「デュランだ。今は旅人をやっている」


「んー、ネロはネロ――盗賊さんだよ」


 それが、デュランと盗賊の少女、ネロの出会いだった。

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