緑の軌跡(1)
辺り一面が、鉄の香り。
血だまりの中、ぐったりと倒れ伏すフローリアは薄れ行く意識の境界で、無力感だけを感じていた。
歴代最高の使い手。
風と水の大精霊と心を通じさせるフローリアを里の皆はそう称えた。
フローリアの人生は、守り人としての鍛錬こそがその全てだ。溢れんばかりの才能を磨き、誰よりも最前線で里を守り抜いてきた。
強くなったのはいいが、そのせいで里の男共には恐れられるか、憧れを抱かれるかで、まともな恋愛対象にすらならず、四百を超えても未だ独身。
だが、それも、平穏な日々の代償なのだと思えば、不思議と悪くないと思えた。
長い時を生きる耳長族の戦士たちは皆一騎当千の猛者である。
その中に、自分と数千の時間を生きた族長様がいるのだ。どのような敵を相手にしても撃退できる、と。
どこかでそう思って、慢心していたのかもしれない。
その代償を求めるかのように、エルフの里が一夜にして血に染まった。
たった一人。
フローリアの前に立つ鬼は、鮮血の中で立っていた。
大精霊の力を込めたフローリアの矢はガイルザークの眉間を割いたが脳を貫き通すには至らず、ユリスが決死の覚悟で放った火は巨体の肉を焼き尽くすには至らなかった。
正面からエルフの戦士と守人を相手に立ち回り、重傷と呼べる傷を負いながらも悠然と立つその姿は、畏怖すべき怪物のそれである。
「見事」
一言。
戦いを称賛するように呟いたガイルザークは、倒れ伏すフローリアに背を向ける。
「…………止めは……ささないのかい……?」
「例え戦士といえど、女子供との戦は好まん。状況が状況故に、吾輩が決着をつけたが、これ以上の手出しは無用。扉は貰い受けるが、これ以上、あの女に手出しはさせぬ故、安心するがよい」
「……はは……そうかい…………」
実際に戦ったフローリアは理解している。
ガイルザークは生粋の武人で、口にした言葉は真実なのだろう、と。
どの道、最早指一本とて動かせそうにない。
血も流しすぎで、そう長くはもたないだろう。
『――処女のまま、死んでしまったらつまらぬぞ――』
族長様の声が、走馬燈のように頭に響く。
「…………すまないねぇ、族長様……悪いが先に逝っちまうようだ……」
目が霞んで、もう瞳を開けていることさえ億劫だった。
「――――ぉい――おまえ――――てんのか――――ああ、もう、なんだってんだよ、この惨状は――――」
消え行く意識のどこかで、そんな声を聞いた気がした。
◆
酷い息苦しさと、身を侵す熱に耐えきれずに、ふっと意識が現実に引き戻された。
薄っすらと、開いた瞳に入り込んだのは見知らぬ天井だった。
鉛のように体は重く、全身が焼けるように熱い。
「っ……はぁ……はぁ……」
起き上がることもままならず、荒い息を吐き出すことしかできない。
「――ん、あ、意識戻ったのか! って、おい、無理すんな。死にかけてた、つうか今も死にかけなんだからな」
熱と苦しさで、まともな思考もおぼつかない。
何故か、森で朽ちていたはずの自分の前には少年のような青年がいて、心配そうにこちらを見ていた。
「飲めるか?」
そう言って、背を支えられ、口元に水を注がれるが、うまく飲むことさえできずシーツを濡らす。
まるで赤子のような状態の自分を恥じる余裕さえなく、盛大にむせ込む。
「っ――! あ、わりぃな、あんま看病とかやったことなくてよ――」
薄っすらとぼやける視界に映る男の瞳は、赤く充血していて、黒い隈がある。
「飲めるか?」
微かに水を嚥下した自分に、今度は別の瓶を差し出してくる。
正直、もう目を瞑ってしまいたいぐらいで、うまく声もだせなかった。
「うおい、ちょいまち――しっかりしろって――あー、くそっ! こういうのは、ほんとならベリンダの奴にやってもらうつもりだったんだが、拗ねちまってな…………こればっかりは零しちまったじゃマジ洒落になんねーし――」
何か、一人でぶつぶつと呟く男の声が子守唄のように聞こえて。
「――いや、まじ、すまん――医療行為だから、見逃してな、マジで――」
温かな何かが唇に触れ、喉の奥に酷く苦い液体が流し込まれた。
じんわりと。
熱が和らげられる感覚と共に、フローリアは再び、意識を失った。
◆
目を覚ましては、また眠る。
そんな日々が三日三晩繰り返され、ようやく、フローリアはまともな意識を取り戻した。
血と汗の匂いが微かに充満した小さな部屋は、どこか宿の一室なのだろう。
目を開くたび、
「お、目が覚めたのか。大丈夫か、水飲むか?」
なんて男がフローリアに言う。
「…………ああ、すまないね。いただくよ……」
「おう、ちょっと待ってな――」
そう言って、背を支え、水を口元に運んでくれる。
いったい、何時眠っているのか。
そう思えるほど、毎回男はフローリアに声をかけてくれるのだ。
「…………どうして、助けてくれたんだい……?」
一息ついて、全身の痛みに抗うようにフローリアは口を開いた。
「目の前で傷ついた人がいる。まして、それが美人のエルフ様ときたもんだ。助けるには十分な理由だろ?」
なんて、笑いながら男は言う。
そんな笑みがいかにも真面目で、本心だと言わんがばかりで、フローリアは思わず笑みがこぼれてしまった。
「ははっ、お人よしだね」
「…………よく言われるが、俺は普通だ」
普通の人間は、見ず知らずの、種族の違う赤の他人、それも厄介ごとが起こっている現場で、貴重な回復薬を使用してまで、誰かを助けたりなどしないだろう。
「…………私の傍に若い男がいなかったかい……?」
「…………すまん。一応辺りは見回ったが、息があったのはあんただけだ。あまりにやばそうな空気ですぐに離れちまったから、絶対とは言えないが…………」
「…………そうかい……すまんね……言いづらいことを聞いて……」
俯くフローリアを心配気に男は言う。
「…………恋人さんのことは残念だけど、とにかく今は、前を向いて傷を治すことにだけ専念してくれ。峠は越えたみたいだけど、医者の話じゃ生きてるのが奇跡って言ってたくらいだ」
「っ! ああ、すまんね。余計な心配、というよりも勘違いをさせてしまったようで。若い男ってのは私の弟子で、ただの悪ガキだよ――まあ、私なんかより、あいつが生きていてくれたらとは思っちまうけどね…………」
里、どころか、弟子一人守れずに、生き恥を晒す。
無様で、無念で、何故私が、と。
心の奥に痛みが走った。
狂おしいまでの感情が、涙となって溢れる寸前。
「ぃたっ」
でこを優しく叩かれた。
「バカなこと考えてんじゃねーぞ――何があったのかは知んねーが、全員死んじまうより、あんたが生きてたほうがいいに決まってる――」
「っ――だが――」
「――それでも、あんたが死んじまいたいって思っちまったとしても――少なくとも一人、今目の前にいる俺があんたに生きていて欲しいって思ってるんだ――だから、まずは怪我を治せ――後のことはそれから考えようぜ」
思わずこぼれる一滴の涙。
何かを言おうとしても口は動かず、体はそれ以上に動いてはくれない。
「――すまない――世話をかけるね――えっと――」
「ローランド、あんたは?」
「フローリア」
「そっか、じゃあフローリア。ま、美人の世話なんざただの役得だ、気にすんな」
それが、二人の出会いだったのだ。
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