グリモワール公爵家
「…………言い訳を聞こうかしら?」
ナハトたちを迎えたのは、仁王立ちで蟀谷に青筋を立て激怒するフィルネリアであった。
「私言ったわよね、大人しくしてって……お願いしたわよね? その耳は飾りなの? ナハト様は世話を焼いてる私の言うことなんて耳を貸す必要さえないって思ってるの? 貴方が一つ問題を起こすと、私の仕事は十増えるんだけど? ねぇ、聞いてる、それとも聞こえてないふりかしら?」
そのあまりの剣幕に、
「その、すみませんでした…………」
ナハトはあっさりと非を認めた。
実際、ナハトが今日一日で起こした事件はフィルネリアが激怒をして余りあるほどである。
発端は、遊戯エリアのレース会場で支配人にフィルネリアの名前を使って、出場選手に組み込めと脅迫、もとい交渉を持ちかけたことにある。
無論、普通ならグリモワール公爵家が運営する施設に、フィルネリアの威は通じない。しかし、こういった飛び入りで魔女の競走に参加する者は珍しくもないのが災いした。貴族の紹介によってと言うこともあれば、他のレースで実績を上げた者に本場の厳しさを教えるために、という側面もある。なにより、賭けの大穴になり、かつ飛び入りという告知しない選手の存在が会場を沸かすのだ。故に、ナハトたちはレースに参加し、盛大に暴れることができた。
「すみません、アイシャがついていながら…………」
そして、問題はそれだけでは終わらなかった。
「まあ、そうカリカリするな。ナハトちゃんが苦労をするお前にボーナスを持ってきてやったのだ、それで水に流すが良い」
「はぁ……誰のせいだと思ってるのよ…………」
フィルネリアに差し出した一枚の紙。
それはクロリス家が莫大な配当金の権利を所有することを保証したものである。
そしてフィルネリアが激怒した事件の要因となったものでもある。
ナハトがレースで優勝することは最早確定された未来であった。故に、アイシャに頼んで勝利のご祝儀を用意して貰うことにしたのだ。
それはフィルネリアに差し出した通り、好き勝手をしたナハトがせめてものご機嫌伺いに用意したものである。
が、それが予想以上にトラブルを呼び込んだ。
ナハトたちがか弱い女に見えたのだろう愚かな魔族たちが取り囲み、脅し、金銭を巻き上げようとやってきたのだ。
最初はチンピラだった。それが、暴力団を経て、賭博場の裏組織に代わり、ナハトたちへと迫ったのだ。
無論、街の魔族如きが脅威になるはずもないのだが、彼らが最終的に狙った相手がまずかった。
子供で、一番人質に使えそうなシュテルを標的に選んでしまったことが、最悪の事態を招いたのである。
シュテルが軽く撃退しようとしたその時。アイシャがキレてしまった。
ナハトが好き勝手をした鬱憤もあったのだろうが、シュテルを狙い、シュテルに危害を加えようとしたことで、本来はストッパーの役目を担うはずだったアイシャの枷が外れてしまったのである。
その後の彼らの末路については、語るまでもないだろう。
「…………どうすればたった一日遊ぶだけで、ザギエル一家が壊滅することになるのよ…………これ、突き返したら私を解放してくれる……?」
ナハトたちが潰した組織は、かなり大きなものだったらしい。
心底疲れた顔で言うフィルネリア。
「そうつれないことを言うな。私たちの仲ではないか」
「…………一方的に脅されたり、使われた記憶しかないんだけど……」
項垂れるフィルネリアには、いつか気が向けば優しくしてやろうとナハトは思った。
袖の下の効力もあったのか、小一時間ほど説教をされた後、フィルネリアとは和解と相成った。
一日中トラブルと戯れた疲れのせいか、眠ってしまったアイシャとシュテルを寝室に寝かせて、ナハトはフィルネリアと向かい合う。
「しかし、あれだな――魔族の国である以上、種族は混沌としているが、この街はやけに人間味があるな。かつて立ち寄った王国の交易都市と大差ないように思える」
「……まあ、グリモワールは魔族にとって変わり者の集まりみたいなものだから……魔族が集った街なのに、闘争よりも好きなことがある集団。それが、アイシス様を祖とするグリモワールの本質よ」
ナハトの率直な感想に、フィルネリアが答えた。
アイシス・グリモワールは近代における魔法の祖となったと言われる人物である。乱雑に魔力の行使として魔法が扱われていた時代、それを一早く体系化し、技術として運用したのだ。
今もなお使用されている『サルでもできる魔法指南書』の著者であり、歴代最高の使い手として魔王を支えた女傑。だが、その本質は早々に娘婿に実権を渡して、自領に引き籠って魔法の研究を続けたと言われる、誰もが知る魔法バカなのである。
故に、グリモワール領には変わり者が多い。異性を求める夢魔、良きパートナを見つけようとする吸血鬼、美食を求めた豚鬼族、レースに情熱を燃やす魔女、そして何より、魔法を志した魔族たち。
セフィリアは言っていた。
『少なくとも、これだけは言える。あの魔導師がいなければ、神聖国を含む大陸への宣戦布告は起こらなかったかもしれない』
グリモワール公爵家は非戦派だったのだ、と。
魔大陸は豊かなのだ。
魔王の御業によって作られた誰からの干渉も受けぬ大陸は、数百万の魔族を抱えてなお大きな争いを生まないほどに豊かだった。
魔族の本質は闘争だ。
故に強者に逆らうような真似はしない。
根強い恨みを懸命に堪え、現魔王が戦を拒み続けた二千年を超える時間。それが、あっさりと打ち破られたのは魔王に比肩するほどの存在が人類の打倒を叫んだからに他ならない。
「……ま、明日……は無理になったから明後日向かうクリムゾンはいかにも魔族らしい闘争の場所よ……だから、今日みたいなことはほんと勘弁して…………」
「うむ、努めて善処しよう」
「…………はぁ」
重く響き渡るため息は、一かけらの希望さえ、吐き捨てているように響くのだった。
◇
「すごーい、おっきぃー!!」
予想外のトラブルのせいで、一日を挟んでから、ナハトたちは魔導都市アイシスの西端にある魔物空港へと足を運んでいた。
牧場の何倍も広さのある整地されたその場所には、鎖で繋がれた飛竜をはじめ、空を飛ぶ多くの魔物が集っていた。空港を行き来する美しいセイレーンやハーピーなどの翼人族もそうだが、なによりも目立つのは、やはり巨大なグリフォンが背負う駕籠だろう。
全長十メートルはありそうなグリフォンは、最早小さな飛行機と言っても過言ではない。
それは契約魔法や調教によって使役した魔物を足とする魔国の代表的な交通手段だった。グリフォンやマンティコアなど高位の魔物はほぼすべて、グリモワール現当主であるノアが使役しているものだと言う。
「いいのか、貴重な戦力を戦争に使わなくて」
「…………ノア様、変り者だから……それにいざという時に街を守る戦力も必要だし……」
「ママ、シュテルあれに乗りたい!」
そう言って、ナハトたちが向かった先にいた一番巨大なグリフォンを指さすシュテル。
多額の賄賂を渡したこともあり、あらかじめフィルネリアが予約していてくれたのか、そんなシュテルの希望はあっさりと叶えらた。
「そうか――だが、あんなものに乗らずとも、このナハトちゃんがいつでも背に乗せ飛んでやるのだぞ、シュテル?」
「むむぅー、どうぶつさんのせなかがいい!」
「ぐふぅ……」
無邪気なシュテルの言葉に、膝を着くナハト。
まさか、ナハトの背よりも、あんな獣の背が良いと言われることになるとは予想外である。
「…………まあ、あれだ、私にはアイシャを抱きかかえるという使命があるしな――」
そう言って、アイシャを見るナハト。
だが、
「――ナハト様は悪戯してきそうなのでアイシャもシュテルと一緒で良いです」
拒絶の言葉が響き渡る。
愛する家族を獣畜生に奪われた気分である。
あまりの苛立ちにナハトの威が外へと漏れる。
すると、魔物空港にいた魔物は一匹の例外もなく震えあがった。
「ちょ、落ち着きなさいよ!」
「ふふふ…………お前が私の愛しい家族を奪うと言うなら、仕方がない――」
そう言って、ゆらりとグリフォンに向かうナハト。
巨大なグリフォンは空気を巻き添えにして、その巨体を震わせていた。
「まま、どうぶつさんいじめちゃめっ!!」
「いや、しかし――」
「めっ!」
「はい…………」
ナハトは酷く落ち込みながら、威圧を解く。
「はぁ……ナハト様も一緒に乗ればいいじゃないですか」
「まあ、それはそうなのだが……皆を運ぶのは私の役目ではないかと思うわけで……」
酷く落ち込むナハトに、アイシャはため息を重ねた。
「もう、仕方ないですねナハト様は――――じゃあちょっとだけなら、いいですよ」
「本当かっ!?」
「はい、でも悪戯しちゃダメですからね?」
「うむ、無論だ――快適な空の旅を約束しようじゃないか!」
底の底まで落ち込んでいたテンションを、一瞬で回復させるナハト。
アイシャはそんなナハトを手のかかる子供を見るような優し気な笑みで見つめ、そっと体を預けるように寄り掛かってくるのだった。




