幻覚
お茶を飲みカップを一度テーブルに置いた時、通りからエリアスのことを見る人物が視界に映った。
エリアスはその人物へ視線を移す。距離はそれなりにあるが、明らかに視線を向けられている。
だがエリアスは反応せず、一度カップを手に取ってお茶を飲む。そこで、相手は動き出した。
――その姿は少年と呼ぶべき存在。十五くらいで、翡翠のような色合いをした髪を持つ。
目の色も同様に翡翠のようでありながら、服装は周囲に溶け込むように地味なもの。エリアスとしては見覚えがあった。初めて目の前の存在と出会った時、目の前の格好をしていた。
少年はテーブルを挟んでエリアスと向かい合う。足音もなければ、周囲の人が見咎めるようなこともない。しかしそれは当然だった。
なぜなら少年は――エリアスの幻覚なのだから。
『こんなところで一人お茶なんて、ずいぶんと寂しいねえ』
少年は語り出す。エリアスとしてはそれが自身の生み出したものでありつつも、まるで自分の人格とは異なる何かが喋っているように感じられる。
そして、この幻覚を取り払う術をエリアスは持たないため、話を聞くしかない。
『聖騎士になったんだから、パートナーの一人くらい作ったらどうだい?』
「……その答えは、言わなくともわかるだろ」
エリアスが応じる。それに少年はニコリを笑みを浮かべ、
『四十の騎士に嫁ぐ人間なんていない、だろう? そもそも、平民である以上は年齢も合わさって来る人間なんていないと思っている』
「必要もないからな」
『ああ、それは君の本心ではあるね。でも、聖騎士だ。いつかそういう話だって舞い込んでくるかもしれないよ?』
笑いながら話す少年。それにエリアスは目を細め、
「……そんな話をするために俺の目の前に現れたわけじゃないだろう、ロージス」
その言葉で少年――ロージスは笑みを止めた。
『ああ、さっさと本題に入って欲しいのかい? もったいないなあ。僕がこうやって姿を現すのはそう多くない。再会を喜ぶとか、ないのかい?』
「ないな。邪魔にしかなっていないし、今すぐ消えてくれ」
「ひどいなあ……ま、仕方がないか。僕は君の想像する幻覚でしかない……君からしたら、こうやって不快な話をするのが自分の頭によるものだ、なんて認めたくはないだろうし」
エリアスは目をつむる。さっさと幻覚が消えろと意識を集中させようとするが、
『ああ、ダメだよ。まずは本題からだ』
目を開ける。ロージスはエリアスの横にいた。
『地竜……次なる脅威、だっけ? こいつを倒すことができれば、君の目標に大きく近づく。でも、率先して動かないのかい?』
「それは政治的に大きな軋轢を生む。そもそも現状で手に入った情報だけでも単独で戦うのは難しく、ならば今砦にある戦力で……というのは、犠牲が出る」
『あくまで犠牲なく、か』
「人的な資源が有限であることもその理由だ。北部へ多数の騎士がやってくるとはいえ、犠牲が積み重なれば大きな影響が出てくる……後方支援の砦であっても、それは同じ事だ」
『それに、訓練を施した騎士が倒れられたら、今までの苦労が水の泡だからねえ』
エリアスはロージスをにらむ。それに相手は両手を小さく挙げつつ、
『おやおや、さすがに騎士を駒とは思っていないから、この言い方は良くなかったかな? でも、言及はしないんだね』
「……お前に指摘しても改める気はないだろう」
「まあね……さて、僕がこうして出てきた理由が何か理解はしているかい? そう、地竜との戦いの話だ』
ロージスはエリアスの周囲を歩く。その姿は幻覚なので、当然周囲の人々は誰もロージスのことを見えていないし、もし誰かがロージスに当たっても幽霊のようにただ通り抜けるだけだ。
『地竜という存在と戦うかもしれないと懸念し、君は他の騎士に訓練を施している』
話し始めるロージスの言葉を、エリアスはただ淡々と聞き続ける。
『君の判断が正しいのか、それとも地竜が後方支援の砦に現れるわけがないという、常識が勝つのか……そこは見物だね。僕は結末がどう転ぶのか、楽しみながら観戦させてもらうよ』
「……それを言いに来たのか?」
『まさか、もう一つあるよ……北部に存在する名が付けられた脅威……魔獣オルダーと戦った時、君は何かしら思うことがあったはずだ』
エリアスは語らない。それはロージスの言う通りだったが――
『そこについては、君は調べようと思えば調べることができるはずだ。でも、やっていない。それは何故か? 君は、真実を恐れているのか? それとも、過去の戦い……凄惨な光景を思い出すから嫌なのか?』
「どちらでもない。ただ単純に、それを暴いたところで何も意味がないと思っただけだ」
『本当に、かい? 君が考えている通りだとしたら……今後の戦いの鍵は、君の過去にある、という話になるだろう?』
エリアスはロージスを見返す。沈黙が生じ、双方が視線を重ね――先に口を開いたのは、エリアスだった。




