膿んだ傷跡 (1)
ガードナー伯爵には、十代の時に結婚した妻がおり、彼女との間に娘が三人いた。
三人の娘の内長女ジョゼフィーンはウィリアムの妻で、息子が二人いる。次女のベスは王国騎士団の騎士である夫がおり、お腹が大きい。次女の夫は王国騎士団を辞め、彼女と共にキシリアへ渡ることを決めていた。
キシリアに渡る船へ乗る彼女たちを見送りに行った時、マリアは三女エイミーから睨まれてしまった。
「申し訳ありません。夫が選んだことだと言い聞かせたのですが、あの子はどうしても、あなたがたへのわだかまりを消すことができず……」
ガードナー夫人がマリアに頭を下げようとするのを、マリアが制止した。恨まれるのは当然だ。
彼女たちから父親と夫を奪い、息子や弟を死に追いやった。マリアはそれを悔いるつもりがない。彼女たちからの憎悪を向けられることぐらい、自分は耐えるべきだ。
「あの子は夫に似て頑固なもので……。あの人の頑固さには、私も散々振り回されました。本当に、最後まで頑固なんですから……」
笑いながらも、夫人の目尻に涙が浮かんでいる。さりげなく顔をそむけて涙を拭う母親に代わり、次女のベスがマリアに向かって言った。
「姉が挨拶に来れぬこと、どうぞお許しください。弟に父親……そして夫まで……。騎士の娘です。そういったことも覚悟はしておりましたが、いざ現実になると、やはり辛く……塞ぎ込んでおりまして」
「私のことなど、どうぞお気になさらず。皆様、幼い子を抱えていらっしゃるのですから、ご自分たちのことだけをお考えになってください。これを……」
マリアは手紙を差し出した。
「キシリアの王妃アルフォンソ様へ宛てた手紙です。王妃様は慈悲深く寛大な御方。きっと皆様のお力になってくださるはずです」
「何から何までご配慮いただき、ありがとうございます」
船に乗り込むガードナー家の人たちを見送る。
途中、小さな男の子が「父上はいつ来るの?」と無邪気に祖母に話しかけ、男の子の兄らしき少年が「すぐに来る。それまで僕たちが母上をお守りするんだ」と答えていた。
それを唇を噛んで見過ごし、マリアはブレイクリー提督に向き合う。
「どうか皆様方のこと、よろしくお願い致します。すっかり提督のご厚意に甘えてしまって」
「気にせんでええ。ガードナーのことはワシも嫌いやなかった。こんな結末になったんは残念や。せめて妻子だけでも、無事に生き延びてもらわんとな。キシリアにしっかり送り届けてくる」
ガードナー家の人たちは、ブレイクリー提督の船に乗る。キシリア海軍との合同演習――という名目でキシリアと合流し、キシリアへ送り渡すことになっていた。
シルビオに、あらかじめ手紙を送ってある。キシリア側も了承済みであった。
ブレイクリー提督の頬に口付け、行ってらっしゃいのキスをしてマリアは彼らを見送った。
港を出ていく船――ガードナー領では、すでに王子の軍隊とガードナー伯爵の私兵軍団との戦いが始まっている頃だった。
終息の知らせを、マリアたちは王都で待ち続けた。
オフェリアは着飾ることをやめて、毎日王子の無事を祈り続けていた。泣き出すのではないかと思っていたが、意外にもオフェリアは涙を見せず、弱々しいながらも笑顔で振る舞っていた。
そんなオフェリアの姿に、マリアのほうが励まされていたぐらいだ。
マリアは城へ行かず、ララが城から持ち帰ってきた書類を屋敷で片付けていた。
気を紛らわすためにも働いていたいのだが、城へは行きたくない。うっかりチャールズ王子と出くわして、あの男の戯れ言を聞こうものなら、ぶん殴ってしまう自信がある。
ガーランド商会も、王都にある本店は依然休業中のままだった。
「ガードナー領での反乱の影響で交通規制が敷いられて、伯爵たちも王都から閉め出されてるんだ。王都を自由に出入りできるのは、特権階級にある高位の貴族のみ――流通も制限かかってるし、伯爵なしに営業再開は難しいだろうね」
仕事がなくてリースさんもすっかり萎れてるよ、と絵を描きに来たメレディスが話す。
手紙も配達が遅れており、地方の戦況は分からないままだ。
直接の指揮を執るのはウォルトン副団長。フェザーストン団長は王子の護衛に回るため、王子とともに本陣にて待機するそうだ。ヒューバート王子は直接戦場に出ることはないと聞かされている。
それでも、王子側の勝利とヒューバート王子の無事を知らされるまでオフェリアの表情は晴れず、マリアも重苦しい緊張感を抱いたままだった。
王子の凱旋は、王都で大きな注目を浴びることになった。
ずっと公の場に姿を現さなかった王子――その姿を一目見ようと、町中の人間が集まっていた。
オフェリアもヒューバート王子の無事を確かめたくて凱旋を見に行ったが、人混みに阻まれていた。何とか掻き分けて最前へ行こうとするオフェリアを、マリアが止めた。
城へ行って王子に直接会ったほうが早い。初陣を終えたばかりのヒューバート王子も、オフェリアに会いたくて堪らないはずなのだから。
城へ戻って来たヒューバート王子は、相変わらず離宮にいた。疲れたような表情をしている。ヒューバート王子も、マルセルも。
「ユベル、無事でよかった!」
オフェリアがヒューバート王子に抱きつく。王子を見上げるオフェリアの目に、大粒の涙が浮かんでいた。王子の無事を確認できた安心感から、涙を堪えられなくなったらしい。
ヒューバート王子は優しく微笑み、オフェリアの頭を撫でてから彼女を抱き返した。
「ウィリアム・ガードナーの首は、間違いなく僕が獲りました」
マルセルがマリアに向かって言った。マリアは顔色を変えることなく、そう、と呟く。
その話題について、いま論じる気にはなれなかった。
「マクシミリアン・ガードナーは捕えられ、その日のうちに裁判にかけられた。処刑は、僕が城に戻り次第行われることになっている」
少し血の気を失った表情で話す王子に対し、一瞬視線をさまよわせたマルセルをマリアは鋭く見つめる。
何か隠しているわね、とマリアが言えば、グッと言葉を呑みこみ、マルセルが口を開いた。
「……マクシミリアン・ガードナーの処刑は、殿下が王都へ帰還を始めたその日に行われました。ウォルトン副団長から口止めされていまして……」
ヒューバート王子が目を見開き、衝撃によろめく。長椅子に座り込んだヒューバート王子を、気遣うようにオフェリアが寄り添った。
「ウォルトン副団長は、僕たちから遅れて出発していた……。そうか……マクシミリアン殿の処刑を行っていて……」
「はい。今回、団長であるフェザーストン子爵は殿下の護衛に就いていたため、実働はウォルトン副団長が引き受けておりました。首謀者の処刑も副団長殿が……。申し訳ありません。処刑の立ち会いを、殿下は希望しておられたというのに……」
「……謝罪の必要はない。マルセル、嫌な役目を押し付けてすまなかった」
そう言ったきり手で顔を押さえ、王子は黙り込む。マルセルもそれ以上言葉を発することができず、俯いたまま沈黙していた。
マリアは、オフェリアの背中をそっと押した。姉に背を押されたオフェリアはマリアをちらりと振り返り、おずおずとヒューバート王子の頭を撫でる。王子は顔を上げ、オフェリアと目が合うと少女の身体を抱き寄せた。
オフェリアの胸に顔を埋めた王子から、かすかに嗚咽の声が聞こえてきた。
マリアは、ララとナタリアに視線をやる。二人はマリアについて部屋を退出した。
ベルダはオフェリアを置いて部屋を出ることはできない。ただ、席を外すマルセルと共に別室に移動していた。
「ララ、あなたはここに留まって、オフェリアが帰る時に同行して屋敷に戻って頂戴。私は行かなくてはならないところがあるから、先に城を出るわ。留守番してるアレクには、事情を説明してあげてね」
護衛のララではなく、侍女のナタリアを連れて行く。
それでマリアの行き先がどこなのか、だいたい察してくれたらしい。何も聞かず頷くララに見送られ、マリアは城を出た。
行き先は――ライオネル・ウォルトンの屋敷だ。
ウォルトン副団長の屋敷では、幼少から彼に仕えている老いた侍女に出迎えられた。主人からソフィーと親しげに呼ばれている彼女は、マリアを見て安堵したような表情をする。
「マリア様、ちょうど良いところに来てくださいました。坊ちゃまは酷く荒れているご様子で、私では声をかけることもできず……」
ソフィーに案内されて副団長の寝室へ行ったが、ノックをしても返事はない。ドアノブを回しても、中で鍵がかかっているようだ。
隣にある女主人用の寝室へ回り、内扉から副団長の寝室にマリアは足を踏み入れた。
寝室には、乱雑に脱ぎ捨てられた服と、ぞんざいに放り出された剣が床に落ちている。いつも自分の手の届く場所に武器を置く彼にしては、不用心なことだ。
大きなマスターベッドに、ウォルトン副団長は横になっていた。目元を腕で覆った彼の表情は見えない。マリアの姿を視界にも入れていないはずだが、副団長は気配で察しているようだった。
「……今日の僕に、優しさを期待しないでくれ。手荒なことになるぞ」
マリアはクスリと笑い、構いません、と答えた。
「私も、今日は手酷く扱われたい気分です」
ベッドに腰掛け、仰向けに横たわる副団長に自ら静かに覆いかぶさる。そんなマリアの身体を、副団長は抱きしめた。
あんな宣言をしたくせに、マリアを抱きしめる手は優しい。
「勝手に処刑したことを叱りに来たのか?」
ガードナー伯の処刑には、マリアも立ち会わせてほしいと懇願していた。
スティーブ・ガードナーが破滅するきっかけを作り、ガードナー家を崩壊させた。その責任者として、マクシミリアン・ガードナーの処刑から目を逸らしてはいけないと思っていた。
それを知っているはずの副団長が、あえてマリアが立ち会えないようにしたのなら……。
「勝手に処刑した理由が、私に配慮したからだというのならば叱ります」
「僕が君に見られたくなかった。ガードナー隊長の首を切り落とす姿を」
副団長が言った。
「近衛騎士は同士を討つ責務も負っている。それが嫌で王国騎士団を選んだというのもあったんだ。それなのに……結局は、共に国を守るはずの仲間を斬ることになった……」
マリアは手を伸ばし、喋るのを制止するように副団長の口もとに指をあてる。身体を起こし、慈しむように彼の髪を撫でて副団長の額に口付けた。
副団長も体を起こし、マリアと体勢を入れ替える。
やはりその日の副団長はいつもの余裕を失い、少しばかりマリアに対する扱いも手荒だった。
マクシミリアン・ガードナーの死は多くの人間に深い傷跡を残した。
そしてその傷は、マリアを思いもかけぬ立場に追いやることになるのだった。




