火蓋を切る (3)
謁見の間は静寂に包まれ、誰もが言葉を失っていた。マリアですら、驚愕に呆然とするばかり。
息子の亡骸を見下ろすガードナー隊長の背には、近寄りがたい恐ろしさがあった。
しかしチャールズ王子の厚顔さは、それ以上に恐ろしいものなのかもしれない。ただ一人、満面の笑みで口を開いた。
「見事だ、ガードナー。さすがは近衛騎士隊長。老いても腕は確かだな」
うつけも、ここまで来ればひとつの才能かもしれない。マリアは嘲笑った。
信じられないものを見るような目で大臣たちは王子を見る。むしろマリアからすれば、予想通りとしか思えない反応だった。
自身が父子の殺し合いを招いたことに、チャールズ王子は何の感情も抱いていないに違いない。彼にとって臣下など、王のために尽くすのが当然の、捨て駒としか思っていないのだから。
「スティーブめ。僕がさんざん目をかけてやったというのに。恩知らずの恥知らずとはこのことだ。こんな男に一時とはいえ期待していたのかと思うと、自分が情けなく――」
チャールズ王子が息を呑み、言葉を切った。マクシミリアン・ガードナーに鋭く睨まれ、恐怖した王子は口を閉ざす。
息子の血で穢れた剣を持つガードナー隊長の手は、かすかに震えている。
彼の動揺に気付きもせず、よくそんな態度ができたものだ。チャールズ王子の鈍感さに、いっそ感心してしまった。
「……お見苦しい姿を晒してしまいました。お許しください、陛下。気分が優れませぬゆえ、私はこれにて下がらせて頂きます」
マクシミリアン――エンジェリク王は、思わず彼の名を呟いていた。彼を呼び止めたかったのだろう。しかし、王という立場がそれを許さなかった。
私的に彼を呼び止めることができない王に代わり、宰相がガードナー隊長を追いかける。マリアも二人のあとを追った。
きっと良くない展開になる。それを仕掛けた人間として、最後まで見届ける義務がマリアにはあるような気がして。
足早に廊下を歩く隊長を、宰相が引き止めていた。
「ガードナー!マクシミリアン――落ち着け!」
「落ち着けだと?自分の子を斬ったというのに、冷静でいられないことを責められるのか!?」
怒り狂うガードナー隊長に、さすがの宰相もかける言葉が思いつかないようだ。
「息子をこの手で殺す羽目になったのだぞ……!あんな王子のために……!」
「その王子を選んだのはお前だ。仕えるべき主君を見誤れば命を落とす。そのような世界に息子を関わらせるのであれば、判断を誤った時どのようなことになるか、覚悟は決めていただろう」
「そのようなこと分かっておるわ!これはただの逆恨みだとな!選んだのはわし自身だ……恨むのなら、他ならぬ己を恨むしかないと……」
ガードナー隊長は、帯刀していた剣を宰相に差し出す。息子スティーブを斬った剣だ。細かな装飾が施された剣。差し出された剣に、宰相が顔をしかめる。彫像のように表情の変わらない宰相が、はっきりと感情を出していた。
「どういうつもりだ。その剣は……」
「陛下より賜ったものだ。息子を斬るためにな」
「そのようなことを……!」
「現実はそうなった。王家を守るために、わしは我が子すら斬ってみせた。もう忠義は十分に果たしただろう。この剣も、わしも」
何も言い返すことができない宰相に剣を押し付け、隊長は去って行った。この城から――王の下から。
それから二週間後、謀反を起こしたマクシミリアン・ガードナーの討伐が決定された。そして討伐部隊の隊長に、ヒューバート王子が選ばれた。
その日、マリアはオフェリアを連れてヒューバート王子の離宮を訪ねていた。
オフェリアに会えて喜ぶヒューバート王子のもとに、ウォルトン副団長がやってくる――その表情は非常に険しく、オフェリアは怯える様子を見せた。
「ヒューバート殿下、突然の訪問お許しください。陛下より、殿下への命を伝えに参りました。王国騎士団を率いて、謀反人マクシミリアン・ガードナーを討伐せよ」
ヒューバート王子の視線を受け、マリアは副団長に向かって言った。
「色々伺いたいことがございます。まず、なぜ王国騎士団が謀反人の討伐を?それは近衛騎士隊の仕事でしょう」
王国騎士団と近衛騎士隊は、戦うべき敵が違う。
国を脅かす外敵と戦うのが王国騎士団。王家を脅かす内敵と戦うのが近衛騎士隊。王への謀反は、近衛騎士隊が担当すべき一件だ。
ウォルトン副団長は厳格な態度を変えぬまま、マリアの質問に答えた。
「近衛騎士隊が機能しないからです。謀反人マクシミリアン・ガードナーは近衛騎士隊長。副隊長はその娘婿ウィリアム・ガードナー。この両名が突然辞職し、ガードナー領に立てこもっております。また近衛騎士隊の半数も両名に追随するように辞職し、一部はガードナー領に入りました――恐らくは、マクシミリアン・ガードナーの私兵と化しているものかと」
謀反としては最悪のケースだろう。
反乱を治めるはずの騎士が、反乱を起こす側に回った。残った近衛騎士も、かつての上司や同僚に刃を向けることになるのだ。
副団長の話す通り、まともに戦えるはずがない。だから王国騎士団にその役目が回って来たのだろう。
「マクシミリアン・ガードナーの討伐――その決定は、もう変わることはないのですか?」
副団長は、これまでの経緯を説明した。
ガードナー父子の殺し合いがあったあの後。
王はすぐにチャールズ王子に命じた――マクシミリアン・ガードナーに謝罪し、スティーブ・ガードナーの死を悼むように。
しかしチャールズ王子はガードナー伯爵を訪ねることはなく、スティーブの葬儀には代理人を寄越しただけだった。
チャールズ王子に代わって居丈高にお悔やみの言葉を述べる代理人は、ガードナー伯爵によって斬り落とされた首だけとなってチャールズ王子のもとへ帰された。
その代理人は高位の貴族。
殺人の釈明のためにも、ガードナー伯爵は城へ呼び出されたのだが、ガードナー伯はそれを拒否し、ガードナー領に立てこもっていた。
再三の呼びかけにも応じず、王の命にも従わず、訪れた役人も脅して帰す始末。ついにマクシミリアン・ガードナーは、謀反人の烙印を押されることになった。
「なぜ、ヒューバート王子がその役目に選ばれたのでしょう。いままで忘れ去られた王子だったというのに」
「ガードナー伯が謀反に至った経緯を考えれば、王ご自身が忠臣を討つことに諸侯が反発する恐れもあります。そういった体裁を慮った部分もあるでしょう。が、それ以上に。陛下とガードナー伯は旧知の仲。いかに王として強いお心を持つ陛下であっても、今回ばかりは冷徹を貫けぬと。かといって、謀反の原因にもなったチャールズ王子に任せるわけにも参りません」
副団長はヒューバート王子を見た。彼の目には、縋るような必死さがあった。
「……ありえないことだとは分かっておりますが、ガードナー伯を説得できる可能性を潰してしまいたくはないのです。ヒューバート王子ならばあるいは――と」
ヒューバート王子の指名に、ウォルトン副団長とフォレスター宰相が絡んでいるのだろうな、とマリアは思った。
まったく面識のないヒューバート王子ならば、ガードナー伯爵はかえって話し合いに応じるかもしれない。そしてマリアなら、説得できるのではないかと。
ガードナー伯を殺さずにすむ一縷の望み。
――無理だということは分かっているだろうに。
「……マリア。マクシミリアン・ガードナーを説得するのは不可能だろうか」
沈黙を守って話を聞いていたヒューバート王子が言った。
不可能だ。
オフェリアの前でそれを言い切るのはためらいがあった。だが事実は変わらない。
誇り高く公正な騎士であったマクシミリアン・ガードナーが、主君に謀反を起こした。生半可な決意ではあるまい。
宰相の言葉にすら耳を傾けなかったあの男を、人生の半分も生きていないような小娘が説得できるとは思えなかった。
「戦いを避けたいわけじゃないんだ。でも話し合いができるのなら、可能性を捨てたくはない――そう思うのは、甘いだろうか」
甘い。
だが、今回ばかりは、マリアもそう言い捨てることはできなかった。
マクシミリアン・ガードナーは、いままでマリアが対峙した敵のように、容赦なく切り捨てられる相手ではない。
戦を始める前に話がしたいという申し出にガードナー伯爵が応じた時、マリアはヒューバート王子に同行した。
最後に会った時から一ヶ月も経っていなかったが、形相の変わったガードナー伯爵にマリアは我が目を疑った。
怒りは、貫禄ある騎士を狂戦士へと変化させていた。
「お久しぶりですガードナー伯爵。こちらの申し出に応じてくださったこと、感謝しております」
「やはり貴女が出てきたか。ヒューバート王子の名で送られた手紙、興味本位で手に取ったが……送り主は貴女ではないかと思うておった」
恐れ入ります、とマリアは頭を下げる。
ガードナー領の境界線に位置する屋敷にて、ヒューバート王子とガードナー伯爵は対面を果たした。
ガードナー伯爵は娘婿であったウィリアム・ガードナーを、ヒューバート王子はマリア、そして護衛としてマルセルを伴い、それぞれの席に着く。
自分の正面に座った若き王子を見たガードナー伯爵は、わずかにその表情を緩めた。
「ヒューバート殿下。成長したあなたにお会いするのは初めてだ。最後にお姿を拝見したのは、あなたがまだ六歳の時……。母君に似て美しい少年でしたが、こうして見ると、やはり陛下にもよく似ておられる……。若い時の陛下が、思い起こされまする」
思い出に浸るガードナー伯爵には、マリアがよく知る彼の面影が現れていた。
「……ガードナー伯。どうか此度のこと、穏便に収めては頂けないだろうか。僕はあなたの討伐を命じられた。だが陛下とて不本意な命令であるはずだ。僕も陛下も、あなたを斬りたくはない。今回のあなたの謀反は、長年に渡る伯の忠義や誠意を僕たちが踏みにじってしまったことがそもそもの原因。自分が取るに足らぬ存在であることは理解しているが、あなたの罪が少しでも軽くなるよう、僕もできる限りのことはする。だから……」
「殿下や陛下に責任はございません。わしは少しばかり、騎士としての在り方にこだわり過ぎた。それが息子を追い詰め、このような結末をたどることになったのです。自分の感情のままに生きてみることも必要だったのでしょう。意地を張った挙句、陛下を苦しめる存在に成り下がるとは。何とも愚かしいことだ……」
自嘲するガードナー伯爵の口調は穏やかだったが、揺らぐことのない断固とした彼の意思の強さを感じさせた。
やはり、彼を説得することは無理だ。
「ガードナー伯爵、せめて、奥方たちはこちらに引き渡して頂けないでしょうか。伯爵の固い決心に水を差すつもりはございません。しかし、奥方やご息女、幼子まで、あなたの道連れにすべきではありません」
マリアが言えば、ガードナー伯爵が再び怒りに形相をゆがめた。
「そして妻たちを、王妃に利用させろと?謀反人を身内に持った女がどのような末路を辿るか、近衛騎士を務めてきたわしは嫌というほど思い知っておる。妻や娘、孫までもが、チャールズ王子の犠牲になるのは御免だ!」
当主を亡くした貴族の妻女。しかもその当主が謀反人とあっては、王妃派の格好の餌になる。ガードナー伯爵の懸念は当然だ。
「では外国へ逃がすというのはいかがでしょう。キシリアなら私も伝手がございます。キシリアの王妃アルフォンソ様は心優しく慈悲深い御方――きっと悪いようには致しませんわ」
考え込むガードナー伯爵に、後ろで控えていたウィリアムが口を開いた。
「義父上。私は義父上と命運を共にする覚悟を決めております。しかし息子はまだ七つと三つ……。私は……息子の命が惜しい」
懇願する娘婿に、さすがのガードナー伯爵も動揺していた。返事をためらう様子を見せた後、諦めたように言った。
「……たしかに。わしの身勝手に巻き込むには孫たちは幼すぎる。オルディス公爵。あなたのご好意に縋らせて頂こう。どうか、妻と娘たちをよろしく頼む」
そして、ガードナー伯爵は部屋を出て行った。それ以上の話し合いは拒否する、と言わんばかりに。
ヒューバート王子が苦しい表情で椅子から立ち上がり、溜息をつく。
……次にガードナー伯爵と会う時は、戦場だ。
「マルセル。ウィリアム・ガードナーの首は、あなたが取りなさい」
マリアの命令に、ヒューバート王子が目を見開く。マルセルは一瞬ためらうような様子を見せたが、御意に、と返事をした。
「戦が避けられないというのなら、それを最大限に利用するしかないわ。マクシミリアン・ガードナーは、王国騎士団団長フェザーストンもしくは副団長ウォルトンのどちらかが対峙することになる。なら副官となるウィリアムは、あなたが仕留めて手柄にすべきよ」
ガードナー伯爵を犠牲にすること――ためらっても仕方がない。もう道は変わらないのだ。ガードナー伯爵も。マリアも。
マリアは冷酷に、ヒューバート王子を見た。
「いまさら嫌だとは言わせませんよ。王になるのにその手を汚さずに済むと思ったら、大間違いです」
そして自分ではなく、むしろ周りの誰かにそれを強いることになるのだと。
マルセルは王子のために覚悟を決めている。そして王子も。
覚悟は決めていたはずだ。
「……分かっている。ガードナー伯爵は討つ。彼らを踏み台にして、僕は王子としての地位を固めるべきだ」
震える声でヒューバート王子は言った。だがその眼差しには、ガードナー伯爵以上の固い決意の色が浮かんでいた。




