火蓋を切る (2)
ヒューバート王子の肖像画を、オフェリアはうっとりとした表情で見つめていた。
「実物より三割増しな美男子だものね。その絵の王子は」
「そんな。殿下は十分、美しい御方だよ」
マリアの嫌みにメレディスが苦笑する。
メレディスが描き上げた肖像画を持ってきてから、オフェリアはあの調子だ。恋する姿は可愛らしいが、まだ王子に嫁入りさせるつもりはない。
「オフェリア、もうベッドに行く時間よ」
えー、と不満の声をあげながらも、オフェリアは渋々マリアと一緒に寝室に向かう。
帰る様子のないメレディスを、アレクがじーっと見つめていた。
『この人、帰らないの?』
ぱぱっと手を動かし、アレクがマリアに話しかける。声が出ないアレクは手話を覚え、最近それでよく話しかけてくれるようになった。
手話が分からないメレディスは、首を傾げている。
「今夜は泊まっていく予定なの。私の寝室へ案内してあげて」
マリアの言葉に、アレクが顔をしかめた。
『こんなヒョロヒョロした男のどこがいいの』
「大人の話に、ガキが首を突っ込むな」
軽くアレクの頭を小突き、ララが叱った。
『たった四つ差で大人ぶられても』
「うるせー。せめてオフェリアよりでかくなってから言え」
『身長は負けてない。髪の毛の差だもん』
会話ができるようになったアレクは、初対面の大人しさが嘘のようにお喋りで毒舌な少年になった。憎まれ口を叩くアレクをララはしょっちゅう叱っていたが、どこか楽しそうだ。
アレクと以前のようなやり取りができるようになったことが、嬉しいらしい。
「なんだか賑やかな人が増えたね」
オフェリアを寝かしつけてから自分の寝室に戻ると、マリアの絵を描く準備をしていたメレディスに笑われてしまった。
「伯爵にはまだ知らせてないんだって?」
「隠すつもりはないのだけれど、手紙で知らせるのは反応が恐ろしくて」
ホールデン伯爵は、王都へ戻ってきていない。
もともと、オルディス支店が開店したばかりなのでしばらくはそちらに滞在する予定であった。
支店の繁盛を知ったプラント侯爵がオルディス領の偵察を行っていることに伯爵が気付き、逆に侯爵の動向を探るべく滞在を伸ばすことにした――といった旨が、昨日届いた手紙に書かれていた。
伯爵が王都へ帰って来るのはまだ先になりそうだ。彼の顔を見て、護衛を選んだことを伝えようと思っている。決して先延ばしにしているわけではない。伝える意思はある。
と、誰が聞いているわけでもないのに、マリアは自分に言い訳をしていた。
「マルセルは、選定試験で良い結果を残せたみたいだね。ガードナー隊長の息子が飛び入りの外国人に負けたって、噂が広まってる」
マリアをスケッチしながら、メレディスが言った。今回も耳が早い。いや、むしろ噂が広まるのが早いのか。
「スティーブ・ガードナーは、チャールズ王子の寵愛を失ったようだ。王子に見捨てられ、必死に縋りつこうとする姿をあちこちで目撃されたとか」
「チャールズ王子というのは、ずいぶん容赦がないのね。ちょっと試合で負けた程度で見捨てるだなんて」
「そのあたり、チャールズ王子は父親より祖父に似たのかもね。先王陛下も実力主義な反面、失敗には容赦がない御方だったそうだし。それで諸侯の反発を招いて、多くの貴族が宮廷から離れた――もっとも、先王陛下はエンジェリク国民から強い支持があったから、諸侯の離反にもあまり動じなかったが。先王陛下ほど強い求心力を持たなかったいまの陛下は、即位当時大変苦労されたそうだ」
偉大な父親を持つと息子は苦労するもの、ということか。
「他人事と傍観できないのが辛いわね。明日こそ、あの傲慢王子と顔合わせよ」
「ちゃんと会えるといいね」
「さすがの王子も明日は逃げられないわ。何せ、陛下が立ち会うもの」
王子の人となりを、いまさら知りたいとも思わない。あれで十分だ。敬意を払うに値しない男――すでにマリアの中で、その評価が下されている。
もしかしたら、彼にも何か良い点があるのかもしれない。
しかし、いずれはヒューバート王子とオフェリアのために滅んでもらう相手。下手に情が湧いても困るだけ。気に食わない男という印象を変えたいとは思わない。だから、最悪の評価のままでいい。
「明日のことを思うと、私が逃げ出したい気分よ。労って、メレディス」
ベッドに腰掛けたマリアが隣をポンポンと叩けば、メレディスは苦笑しながらも手にしていたスケッチブックを置く。
隣に座るメレディスに、マリアは自分から抱きついた。
あらかじめメレディスに労ってもらっておいてよかった、とマリアは心底思った。チャールズ王子との対面は、予想以上に後味の悪い結果になった。
城に出かける前。
マリアは供にララを選び、彼をチャコ風衣装でしっかりと着飾らせた。従者が着るには相応しくない上等な衣装に、他ならぬララ本人が困惑したほどだ。
「なあ、こんなもん着て行ったら、どっちが主役か分からなくないか?俺、もうちょっと大人しい格好にすべきじゃね?」
「いいのよ。地味なもの着たってあなたは目立つから。生まれながらの皇子の品格は消せないわよ」
大げさな世辞ではなく、事実だった。
気取ったところのないララだが、やはり皇子として育った彼には強い存在感がある。ならいっそ、その存在感を際立たせる服を着せたほうがいい。マリアはそう判断した。
『見た目だけはいいんだし、阿呆なエンジェリクの王子になんか負けちゃだめだよ』
アレクも、褒めているのかどうか微妙な激励を飛ばした。
「俺もさすがにあれに劣ってると思われるのは嫌だけどさぁ……変に目をつけられるのも御免だぜ」
むしろチャールズ王子の反感を買うための衣装だ。ララには気の毒だが、マリアは彼を餌にする気であった。
そしてマリアの予想通り、王子はララの存在に食いついた。顔の良い男を着飾らせ、そばに侍らせる女――チャールズ王子にとって、マリアの印象は最悪であったことだろう。
謁見の間で顔を合わせた王子は、マリアを見るなり侮蔑を隠すことなく睨みつけてきた。
「貴様がオルディス公爵だったのか。淫蕩な女というのは本当だったようだな。常に男をそばに侍らせ、いつもその相手が違う」
一応、マリアと顔を合わせたことがあったのは覚えていたらしい。
しかし、マリアの淫蕩ぶりを正しく把握しているのかはいささか疑問がある。実際その通りではあるのだが、マリアは男性との関係を吹聴したことはなかったし、知られるような相手も少ない――高位の貴族とは、限られた相手としか親しくしてこなかったから。
未婚の女が、男に混じって仕事をしている姿を見て淫蕩な女と罵っている可能性もある。もしその思い込みでマリアを判断しているのなら……。
こちらも偏見だが、いままでの姿を見る限りチャールズ王子の場合は後者だろうなとマリアは思った。
「父上、なぜこのような女と結婚せねばならないのですか。王妃には、もっと他に相応しい女がいます!」
チャールズ王子の言葉に、エンジェリク王が不快そうに眉をひそめるのをマリアは見逃さなかった。わずかな変化ではあったが、王子の思い上がりに反応したようだ。
「あくまで王子の妃だ。そなたはいつ、王になったのだ」
エンジェリク王の冷たい声に、チャールズ王子はハッとなった。不遜な失言であったことには気付いたようだ。
王の前で、自身が王になったかのような発言は王子であっても不敬罪にあたる。
冷や汗を浮かべながら、しかし、とチャールズ王子が続けた。
「私が次の王にもっとも近い位置にいるのは事実です。いずれ王太子となり、王となる私の結婚相手なのですから、その相手には、王妃になるに相応しい覚悟と資質が要求されます」
「……それは確かに、一理ある言い分だな」
王が賛同したことで王子はホッとしている。
「そうです。いずれ王妃にもなる私の結婚相手に、このような女は相応しくありません!父上はこの女の正体をご存知ないのですか!?」
「エンジェリク王室の血を引くオルディス公爵家の娘。彼女の大伯母は余の最初の妃であった。いまも亡き妃と第一王子を慕う者は多い。その血を引く娘がそなたと結婚するのであれば、諸侯も納得するであろう」
「諸侯!またそれですか。父上はいつも諸侯の顔色を伺ってばかり――僕……私の結婚まで、諸侯のご機嫌とりに利用しないでください!」
エンジェリク王の顔色が変わった。
今度はチャールズ王子もはっきりと気付いただろうに、自分の発言を撤回するつもりはないらしい。きつく王を睨んでいる。
謁見の間には、宰相や近衛騎士隊長を始め大臣が並んでいる。
単なる顔合わせに大仰なことではあったが、王子が何度も約束をすっぽかしてついに王自ら動くまでに発展したために、このような状況になったのだ。
居並ぶ諸侯を前にして、よくそんな発言ができるものだ。
――無謀と勇敢を履き違えている。
王が王子をいさめる前に、部屋の外が何やら騒がしくなった。不穏な会話が飛び交い、謁見の間にいた一同が出入り口に振り返る。
部屋の外を守る騎士の悲鳴が聞こえ、剣を抜いたスティーブ・ガードナーが入ってきた。
手にした剣は血で汚れ、不穏な形相をしている。王を庇うように進み出たガードナー隊長が、何をしておるのだ、と怒鳴った。
「殿下にお目通りを……お取りつぎを願い出たのに、誰もが私の邪魔をする……」
「僕はお前に用などない。一介の騎士の分際で王子を呼びつけるなど、何様のつもりだ!親衛隊、こいつをつまみ出せ!」
王子の命令に親衛隊が剣を抜く。それが、最悪の事態を招いた。
親衛隊の剣を見たスティーブの目に、危険な光が宿った。マルセルに無様に負けた印象が強く残っていたことで、彼らはスティーブの本来の実力を忘れていたのだろう。
お飾りの親衛隊など、スティーブ・ガードナーに傷一つつけることもできなかった。
「うわっ、うわわわ……」
斬り落とされた親衛隊の腕が足下に転がり、チャールズ王子は間抜けな悲鳴を上げて腰を抜かす。
親衛隊という壁がなくなり、正面からスティーブに睨まれた王子は、四つん這いになってマリアのもとまで這い、ドレスの後ろに隠れた。
ドレスの持ち主をとらえたスティーブが、憤怒の炎を燃やす。
「貴様は……あのフランシーヌ人を推薦した……王女にも無礼な真似をして、私に恥をかかせた女……!」
いっそう危険な目つきとなるスティーブに向かい、マリアは嘲笑ってみせた。
「逆恨みもいいところだわ。あなたがその程度の器の小さい男だったから、恥をかいただけでしょう。恨むのなら、己の実力を見誤った自分自身を恨みなさい」
怒りにカッと目を見開き、スティーブが剣を振り下ろしてくる――その腕を、ララが両手で押さえていた。
「おまえなぁ!殺意みなぎらせてる相手を煽るんじゃねーよ!」
「護衛がいるんだからいいじゃない。十人抜きした腕前を披露するチャンスよ!」
「それは武器を持ってる時の話だ!いまの俺は丸腰なんだぞ!」
謁見の間に武器を持ちこめるのは、許可を得た近衛騎士のみ。マリアの護衛であってもララは帯刀を許されていない。
剣を持つスティーブの腕を押さえつけてはいるが、あの戒めが解かれた時、素手のララはリーチの差で圧倒的に不利だ。
ララの拘束をはねのけようと、スティーブがララに体当たりを食らわせる。それをいなすため、ララは手を離すしかなかった。
崩れた体勢を素早く立て直し、スティーブが再び剣を振りかぶった。
「いい加減にせぬか!」
彼の剣を封じたのは、他ならぬガードナー隊長であった。
ガードナー隊長に剣を受け止められたまま、スティーブは父親を睨む。実の息子と対峙しても、隊長が動じた様子はなかった。
「王の御前で剣を抜くなど、騎士でありながら何を考えておるのだ!わしに斬られたいのか!?」
「ならば斬ればよかろう!」
スティーブ・ガードナーが吠えた。
「二言目には騎士が!騎士とは!騎士ならば!父上が大事なのは、騎士としてのご自分の面子と体裁だ!親としての情など、父上は持っておられぬのだろう!誇り高き騎士だというのならば、その矜持のために私のことも斬り捨てればいい!」
ほんの刹那、ガードナー隊長が怯んだように見えた。つばぜり合いとなっていた双方の剣が動いた。
そして次の瞬間。
――マクシミリアン・ガードナーは斬った。実の息子を。
容赦のない近衛騎士隊隊長の裁きを受け、スティーブ・ガードナーの身体は真っ赤に染まり、身動きもせず彼は地に伏せていた。
マリアとチャールズ王子の対面は、ガードナー父子の殺し合いという凄惨な結末で終わったのだった。




