賑やかなお客 (4)
「マリア。俺、自分で思ってたよりずっと強いみたいだぜ」
城の廊下を歩きながら、ララが目を輝かせて言った。
最初こそ不安がっていたが、ララはあれから王国騎士団にすっかり入り浸りになっていた。
マリアがドレイク卿の秘書として執務室で働いている間は、自分は騎士団の詰所へ行って剣の相手をしてもらっているらしい。
誰それに勝った、とマリアに嬉しそうに報告してくる。子供みたいに喜んでいるララに、マリアは苦笑した。
「今日は十人抜きしたんだ。若手の連中ばっかりだけど。それでも十人連続勝ち抜きはなかなかのもんだろ!」
「そうね。カイル様も褒めていらっしゃったし、それなりにすごいんじゃない?」
今日も、マリアはドレイク警視総監の秘書として働いた帰りだった。
大捕物の取り調べと捜査が一通り終わり、書類の山も落ち着いてきている。明日はオフェリアも城へ連れて来て、ヒューバート王子に会わせてあげよう。そんなことを考えながら廊下を歩くマリアは、遠くに見える大柄な男性に目を留めた。
迫力あるあの姿は、ブレイクリー海軍提督だ。簡略なものだが礼服も着ている。
ということは、ブレイクリー提督は王に謁見しに来ていたに違いない。
「ご機嫌よう、オーウェン様。そのお姿でお城にいらしているということは、もしや……?」
「ああ。陛下に会うてきた。今日で晴れて謹慎も終わりや。また船に乗れる」
おめでとうございます、とマリアは笑顔で言った。海軍提督が海に戻れる。これ以上喜ばしいことはない。
「海に出てしまうとしばらくあんたに会えんようになるから、ちいとばかし寂しいけどな」
「私もそれは寂しいです。出港と帰港の予定は、私にも教えてくださいませね。お見送りも出迎えも、是非させて頂きたいです」
ララがじとーっとマリアを見ていたが、マリアは気付かないふりをしてとぼける。
ララが来てから、すでにマリアの屋敷に何度か男性が通ってきている――それも複数。この男もか、と言いたいララの心情を、マリアは察していた。
「ところで、初めて見る顔やな。チャコ人とは珍しい」
提督が、ララを見て言った。
「私の新しい従者です。そう言えば、チャコ帝国も海軍は強いのよね」
島国のエンジェリク。半島のキシリア。海を挟んでキシリアと睨み合うチャコ帝国。
軍事面に置いて海軍が強大な力を持っているのが、この三国の共通点だ。
「まあな。生憎、親父……いまのスルタンは、自分がカナヅチなこともあって船戦に重きを置いていないが、先代スルタンの時代なんかはめちゃくちゃ強かったらしいぜ」
「チャコ帝国の海軍とは一度戦ってみたいもんや。キシリア海軍とは、バサンが死んで決着がつけられんようになってしもたし」
「バサン提督が死んだって、本当だったのか」
提督の言葉に、ララが反応した。
「おまえもバサンを知っとんのか?」
「ガキの頃はキシリアに遊びに行って、海軍の船にもよく乗せてもらったんだ。バサン提督は気の良いおっさんで。そっか。最強って言われて、チャコ帝国にもその勇名が轟くぐらいすげー提督だったのに……」
意外なところでララとブレイクリー提督に共通の話題が見つかり、何やら話に花が咲いている。
置いてけぼりを食らったような気分で盛り上がる二人を見ていたマリアは、廊下の向こうから歩いてくる一団に気付いた。
複数の近衛騎士を引き連れ、偉そうに歩く少年。
――こんなかたちで、彼を見ることになるとは思わなかった。
「邪魔だぞ、どけ」
騎士の一人が、海軍提督に向かって短く命令する。廊下の端にさがる提督を、少年は一瞥もしなかった。
……仮にもエンジェリクの王子が。エンジェリクの海軍提督に一切の敬意を払わず。
「なんかすげー派手な集団だな」
呆れたように見送るララに、提督は気を害した様子もなく、あれがエンジェリクの王子や、と言った。
「王子……はあ!?王子のくせに、自国の海軍提督とすれ違って挨拶もなしかよ。エンジェリクって島国だろ。海軍がどれほど重要なのか……まさか分かってねーのか」
同じ王子として、臣下を蔑ろにする姿が、ララには異様なものに映ったらしい。ララのほうがよほどエンジェリクという国の在り方をよく理解しているのだから、マリアもブレイクリー提督も苦笑するしかなかった。
「分かっとらんのやろうな。海軍なんぞ平民の集まり。提督のワシも爵位は高くない、しかも外国人。王子や、王子のお付きの騎士様からすれば、声をかけるのも煩わしい卑しい存在や」
「はあー……。あれが王子じゃ、あんたも気の毒だな」
「別に気にせえへん。国王からは高く買うてもろてるし、あんな若造に褒められるより、マリアにちやほやしてもうたほうがワシも気分がええ」
マリアがクスクスと笑う。
「ではチャールズ殿下の分まで、私がオーウェン様をしっかり褒め称えさせて頂きますわ」
エンジェリク第三王子チャールズ。
その姿は肖像画で見たことがある。
果たして向こうはマリアの存在に気付いたか――男装しているこの女が、自分の婚約者だなんて思いもしなかったかもしれない。いや、女がいることすら気付いていなかったかも。
「なあ。あの王子が、おまえのいまの婚約者なんだろ?」
ブレイクリー提督と別れると、ララが言った。一応、提督の前では婚約の話を控えていたようだ。
「そうよ。直接会うのは今日これが初めてだったけど」
「なんか面倒そうな相手だな。俺が良い婚約者だったとは言わねーが、あんなのと結婚させられるなんて可哀想に」
「……真剣に同情されるのも初めてだわ。なんか複雑な気分」
でも、同じ王子との結婚ならばララのほうがずっとよかったのは確かだ。気が合わないだろうなと思っていたが、実物を見た後だと余計にそれを感じる。
――あの少年との結婚は無理だ。
「オフェリアのほうも王子と結婚したいとか言ってなかったか。あれの兄貴なんだよな。大丈夫なのか?」
オフェリアの兄にでもなったような気分でマリアに聞いてくるものだから、マリアはまた笑ってしまった。
「ならヒューバート殿下のことも、自分の目で確かめるといいわ。ついていらっしゃい」
先触れの手紙なく離宮を訪ねたマリアたちを、ヒューバート王子は歓迎した。王子の従者となったマルセルが、ララを見てうさんくさそうにジロジロと眺めて来る。
「殿下、彼はチャコ帝国第七皇子ララ=ルスラン。諸事情によりエンジェリクに亡命して参りました」
ヒューバート王子はよろしく、と友好的に手を差し出す。その手を握り返しながら、ララは、ふーん、と頷いた。
「オフェリアが惚れた理由、よくわかった。マリアたちの親父さんそっくりじゃん」
「え」
マリアもヒューバート王子も、目を丸くして驚く。マルセルがマリアとヒューバート王子の顔を見比べた。
マリアは父親似だ。目元のみ母方の祖父に似たが、それ以外はそっくりと言われるほど父親に似ている。だからマリアの父親に似ていると言われて、その父親とそっくりなマリアと王子を見比べたのだろう。
……あまり、容姿の面で自分に似ていると感じたことはないが。
「顔の造詣じゃなくて、笑顔の雰囲気が親父さんそのもの。そりゃオフェリアも惚れるに決まってる」
「そうなのか……。そんなところでオフェリアの父上に似ているとは、思ってもいなかったよ」
ヒューバート王子がはにかむ。
王子の笑顔が……父クリスティアンに。考えてもみなかった。
「お父様は、こんなにへらへらしてなかったわ」
マリアの辛辣な言葉にヒューバート王子は苦笑するが、またそんな憎まれ口叩いて、とララはからかう。マリアが睨んでも、明るく笑い飛ばしていた。
「幼馴染みというのも羨ましいね」
「小さい頃の余計なことも知られているので、愉快なことばかりではありませんよ」
王子にまで笑われてしまい、マリアは少し拗ねたように反論した。
異国の皇子に、ヒューバート王子は強く関心を持ったらしい。
ララを王子の見本にしていいのかどうかマリアはいささか悩んだが……遠慮なくお喋りができる相手ができて嬉しいという気持ちは分からなくもない。シルビオがキシリアへ帰ってしまって、ヒューバート王子には、気楽に接することのできる相手がいなくなってしまった。
マルセルは礼儀のなっていない態度が気になったようだが、一応皇子ということでララに敬意を払っているようだった。
「マルセルってフランシーヌ人なのか。んー……俺には、フランシーヌ人とエンジェリク人の見分けがつかねーな」
「見た目に関して大きな違いはないわよ。でも城の中で生きていくには、外国人というのは大きな問題になるわ。マルセルにも身分をつけないと。いずれヒューバート王子の従者を続けられなくなるわ」
「身分ねぇ。ならまずは、近衛騎士ってやつになればいいんじゃねーの?今度、近衛騎士隊の選定試験があるらしいぜ。伯爵以上の爵位持ちが基本だが、侯爵以上の貴族の推薦があれば平民でも参加できるってさ」
王国騎士団のやつらが話してた、とララが続ける。
「選定試験?そんなものがあるの?」
マリアも初めて聞く話だ。近衛騎士隊には親しい人間がいないので、内情に疎いというのもあるだろうが。
「不定期な上に縁故採用みたいなもんだから、大っぴらには知らされないって。退職者が出ると、その人員補充に行われるそうだ」
「選定試験の内容は?」
マルセルが食いついた。
「現役騎士との実践試験――要するに試合だな。試験の合格に勝敗は直接関係しないって言ってた。力量を計るための試合だから。あ、でも、あっさり受験者のほうが勝者した場合は、別の騎士と試合をやり直すこともあるらしいぜ」
マルセルがマリアを見た。
公爵のマリアなら、当然マルセルを推薦することができる。縁故採用だから、どこまでマルセルの実力が公平に評価されるかは分からないが。
マリアにはひとつ、考えがあった。
マルセルの採用については、この際考えないでおこう。それよりも、ある男を引きずり下ろせるかもしれない――チャールズ王子の力を削ぐ、重要な一手。
スティーブ・ガードナー。
ガードナー近衛騎士隊長の息子。ジュリエット王女に付き従う未熟な騎士。
あの未熟さは、必ずつけ入る隙になる。




