賑やかなお客 (3)
風呂から出たララたちに、マリアは部屋を与え、休みに行かせた。少年が眠った頃を見計らって小さくノックをすれば、ララが返事をする。
「何から何まで世話になって悪いな。ここまでもてなしてもらえるとは思ってなかった」
少年のほうはすでに眠っていた。
少年が眠るベッドにララは腰掛けており、もう一つのベッドにマリアが座って、ララと対面する。
「それなら、そろそろ事情を話してもらいましょうか」
「事情……つっても、実を言うと長くなるような話でもない――親父が乱心した」
ララが短く言った。
ララの父親はチャコ帝国の皇帝――スルタンと呼ばれる王。先代スルタンの愛妾であった皇太后の支えもあって、偉大な為政者と崇められる立派なスルタンのはずだが……。
そんな男が、乱心。
「皇太后だったばーさんと、賢妃と名高い第一夫人が立て続けに亡くなってな。そのショックを第六夫人につけこまれたらしい。親父は新しい寵姫の傀儡になり下がった。もうお前の知ってるスルタンはどこにもいない」
話すララの表情は暗い。記憶にあるララはいつも明るく笑っているような男の子で、そんな顔ができたことにマリアは驚いた。
「親父はまず、自分の兄弟を処刑し始めた。そして次に殺されたのが五番目の皇子――叔父とは実の親子みたいに仲が良かったからな。叔父を処刑した親父に反発したんだよ。そしたら兄貴のことも親父が処刑した。それから一番目の皇子に、二番目の皇子――二人揃って親父の暴挙に意見した。で、処刑された」
「その流れから察するに、あなたが奴隷になったのも、お父様の乱心が原因ね?」
「その通り。俺が結婚したって言っただろ。妻となった女は勇名で名高い戦士を父親に持っててな。親父の命令で彼女と結婚することになって、式を挙げた途端、義父がスルタンへの反逆罪で逮捕。連座して一族も逮捕された――婿の俺も一緒に。俺は義弟のアレクと共になんとか逃げ出して……奴隷としてチャコ帝国を出る奴隷船に乗り込み、エンジェリクへ向かったってわけだ」
「あの奴隷商人、エンジェリクでは不認可の連中だったわ」
「だろうな。そういうヤバい連中の船じゃなきゃ、チャコ帝国を出る時に親父に見つかっちまう――正規の船に、俺は乗れない。だから選ばれたのさ」
スルタンの乱心。
それでムスタファは、祖国を離れようとしたというわけか。
自身の兄弟、息子を次々と処刑し、臣下すらそれに巻き込むような有様では、国の未来が危うい。マリアでも逃げ出すかもしれない。
「アレクという少年。喋れないの?」
「たぶん、心理的なものが原因だ。あいつは親父に連れられて宮殿によく遊びに来てたから、俺も赤ん坊のころからよく知ってる。皮肉屋な悪戯小僧だったのに……声が出ないどころか、表情すらほとんど変わらなくなった……。俺の義父を反逆罪で逮捕したって言っただろ?義父は、拷問によって自白を強要された。勇猛な戦士だった義父本人に、拷問は効かない。だから、義父が大切にしている家族を目の前で拷問にかけて、自白させて……アレクも、姉がなぶり殺しにされるのを見せつけられた。それ以来、まともに話すことができない」
眠る少年を見下ろし、苦々しくララが吐き出す。大きな手で、起こさないように静かにアレクの頭を撫でた。
「エンジェリクへ来たのは、私が目的ね?」
「ああ。おまえがエンジェリクに渡ったことは知ってた。婚約者だったからな。おまえの絵を持ってたし、アレクも顔を知ってたんだ。それでこの町に着いた時、一緒に逃げ出して……捕まりそうになったから、アレクのほうを逃がした。なんとかマリアを探し出してこいって言って。本当にうまく見つかるとは思ってなかったが」
そう言って、ララが笑う。それはいつもの明るい笑顔ではなく、皮肉めいた自嘲の笑みであった。
「都合のいい考えだろ。おまえたちが親父さん亡くして困ってた時は無視してたくせに、自分たちが困った途端、おまえに頼ろうなんて」
「そうね。とんだ恥知らずだと思うわ」
マリアも容赦なく言った。
「プライドをかなぐり捨ててでも、その子を守りたかったんでしょう。アレクに感謝するのね。その子がいなかったら、私、あなたのことを見捨ててたわよ」
震えるように溜息をつき、ララがぎこちなく笑う。一瞬、ララが泣き出すのではないかと思った。
「感謝してる。本当に。感謝なんて言葉じゃ済まないぐらいに。門前払いされても当然だったんだ。助けてもらった上に、まともな扱いを受けるなんて思ってもいなかった。それに、ごめん……おまえたちのこと、助けなくて」
「別にいいわ。助けるって、あなたに何ができたと言うのよ。当時はあなたも甘ったれの皇子で……できることなんて何もなかった」
ただ父親に守られていたマリアと同じように。
だからララのことを、恨んだことなんかない。あの時の苦しみは、すべて自分が無力だったゆえだ。
そしてララもいま、同じ苦しみを抱えて必死に生き抜いてきた――アレクという少年を守りながら。
同じ立場にある人間に、マリアが手を差し伸べても構わないと思う。マリアはいま、助けられるだけの力を持っているのだから。
「ほら、後ろ向いて。どうせその子に心配かけたくなくて、自分の手当てはちゃんとしてないんでしょ」
「相変わらず鋭いよなー、おまえ」
「あなたが分かりやす過ぎるのよ。まったく、お人好しなんだから。そんなんだから、小さい頃から私に振り回されてばっかりなのよ」
「いや、おまえの気と我が強過ぎるんだって。おっとりした見かけのくせにすげー頑固で。逆らう勇気も出ねーよ」
マリアが座っているベッドに座りなおしたララの背中の傷に薬を塗り、包帯を巻く。マリアは、ララとのやり取りに自然と笑みがこぼれた。
「……昔話をするの、久しぶり」
「そっか……」
そうなの、と頷き、マリアは黙り込む。ララも黙り、部屋は静かになった。
キシリアにいた頃の話なんて、エンジェリクに来てからほとんどしなくなった――思い出話をできる相手がいなかったから。
「また会えて嬉しいわ、ララ」
「……そう言ってもらえると、命辛々逃げ出してきた甲斐があったってもんだ」
ララが笑う。明るく笑うララは、昔のまま――キシリアで一緒に遊んでいた時のまま。
懐かしい人に会えたことに、思いの外マリアは幸せを感じていた。
翌朝目を覚ましたアレク少年は、ララにべったりではあったがマリアやオフェリアのこともちらちらと気にしているようだった。
――見知らぬ国に来たばかりで不安なのよ。優しくしてあげましょうね。
マリアの言いつけに素直に頷き、オフェリアは押しつけがましくならないよう気をつけながら、アレクと接していた。
親しい人たちを殺され、奴隷船という過酷な環境で過ごして異国へ渡って来たのだ。少年とすぐ打ち解けることなんて無理だろう。マリアにもそれぐらいの理解はある。ゆっくり時間をかけるしかない。
「ずいぶん落ち着いてるし、おまえらのこともちゃんと信頼してるよ。まだおっかなびっくりなところはあるけど、嫌ってるわけじゃないと思うぜ」
ララからはそうフォローされた。
ララとアレクは、次の日から屋敷で召使い同然に働き始めた。
もう少しゆっくり休んでいてもいいとマリアは言ったのだが、何もしないのは落ち着かないとララから断られた。奴隷船での暮らしに比べれば天国みたいなところだ、とララが笑い飛ばす。
ナタリアやベルダは有難がっていた。やはり力仕事を男に任せられるのは嬉しいらしい。
「ねえ、ララ。あなたって、武芸の稽古をしてたわよね。剣の腕前はどれぐらい?」
庭で薪割りをしているララに向かって、マリアは尋ねた。
「んー……稽古はしてたけど、所詮、俺、皇子だからなぁ。どこまで相手も本気でやってくれてたのか。実際どれぐらい強いのかは俺にもよくわかんねー。奴隷船みたいな荒っぽい場所でも生き残れる程度には、腕があるんじゃないか。アレクはかなり強いぞ。戦士の親父さんにしごかれて育ったからな」
ノアが王都へ戻って来てみたら、腕試しもかねてララに稽古をつけてもらおうかな、とマリアは思った。
「私、護衛役をやってくれる従者を探してたの。見たらわかると思うけど、侍女を二人しか雇っていないから、男手が不足してるのよ」
「それで俺に護衛をやれないかと。やるのは構わないけど、俺にその実力があるかどうか」
それでもナタリアやベルダよりは強いだろう。間違いなく。
男物の服に着替え、ララにもお下がりの服を貸す。似合わないこともないが、正直いまいちだと思う。
アレクの分も含め、チャコ風の衣装を彼らのために発注しておこう。
と、マリアが言えば、たかが召使いにそこまでしなくても、とララからは遠慮された。無視。
「アレク、俺はマリアの護衛として、一緒にエンジェリクの城へ行ってくる。おまえは屋敷に残って、ナタリアたちの仕事を手伝えるか?」
ララが聞けば、少し間を置いてアレクがコクンと頷く。行ってらっしゃいと言わんばかりに手を振るアレクに、マリアのほうが驚いてしまった。
アレクをララから引き離してもいいのかと、あれこれ心配していたのに。
「だから言っただろ。あいつもおまえらのこと、ちゃんと信頼してはいるんだよ」
城へ向かう馬車の中で、ララはそう言って笑った。
警視総監の執務室は、ドレイク卿の予想した有り様となっていた。マリアも書類整理を手伝い、ララは別に用意された椅子に座ってその様子を眺めている。
時々ララは、ドレイク卿から尋問……もとい質問をされていた。
「チャコ帝国からの不審船が増えているのは、スルタンの乱心と関係あると思うか」
「関係ない……ってことはねーだろうな。自分の代に廃れた風習をいまさら持ち出して、忠実だった兄弟も息子も臣下も殺し始めたスルタンだ。国を見限りたくもなる。特にそういう奴等は、自己保身が最優先だろ。一番最初に国から逃げ出す連中だ」
「逃げ込む先が、なぜエンジェリクなのだと思う」
「言われてみりゃ奇妙な話だな。俺はマリアっていう明確な伝手があったからエンジェリクを目指したが、普通はキシリアだよな。同じエルゾ教徒が住む国もあるんだし。キシリアでなんかあったか、エンジェリク側に手引きしてるやつがいるかのどっちかだな」
ララはドレイク卿の問いかけにも、臆することなく答えていた。
やはりマリアの父親が娘婿に選ぶだけあって、ララは頭の回転も良いし度胸もある。だからこそ、父王の乱心があっても生き抜いてこれたのだろう。気取ったところのない性格も、昔から好ましく感じていた。
「お邪魔しまーす。新しい書類のお届けですよー」
同じく騎士の仲間を連れ、王国騎士団のカイルが書類を持って執務室へやって来る。
次の取り調べが終わったらしい。今回は逮捕者が多いので、王国騎士団との共同作業で取り調べを行っている。
カイルが、マリアを見て笑顔で挨拶した。
「お久しぶりです、オルディス公爵。公爵が戻ってきたので、うちの騎士たちも張り切ってますよー。一番張り切ってるのは副団長殿ですけどね。絶対今夜は公爵のところへ行くから仕事きっちり終わらせろと宣言して、自分たちのことを馬車馬のようにこき使ってくれてます」
マリアは愛想笑いを返しておいた。
「お忙しいところ恐縮なのですが、カイル様。もしよければ、そこにいるララと剣の練習試合をしてやってくれませんか」
名指しされたララが目を丸くして、マリアとカイルを交互に見る。
「剣の腕に自信はあるのですが、実戦経験に乏しく。王国騎士団の皆さんで揉んでくださると助かるのですが」
カイルは笑顔で頷く。
「いいですよ。みんなデスクワークに飽き飽きしてますから、喜んで、鬱憤晴らしの血祭りにしたがると思います」
「いまなんか不穏なエンジェリク語がなかったか?」
「さ、行きましょうか。ララ様……でしたっけ。血の気の多い連中ばっかりですから、挑戦者はいつでもウェルカムです」
ちょっと血の気の引いた顔をしているララを、引きずるようにしてカイルは連れていってしまった。
「さあ、ドレイク卿。尋問はそこまでにして、諦めて書類に集中いたしましょう。今夜レオン様も私の部屋に来ると張り切っていらっしゃるようなので、本気で片付けてしまわないと危険です。明日の執務室、立ち入ることもできないほどになってしまうのではありませんか」
ドレイク卿が眉間にしわを寄せる。
――ライオネルめ、あとで覚えていろ。
そんな彼の内心が、マリアには手に取るように分かった。この書類の山が片付いたら、ドレイク卿のこともマリアが労う羽目になるのだろう。
チャコ帝国スルタンの乱心は、マリアに思いもかけぬ影響を与えていた。




