表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
紫色のクラベル~傾国の悪役令嬢、その貴種流離譚~  作者: 星見だいふく
第四部02 ガードナーの反乱
91/252

賑やかなお客 (2)


夕暮れに染まった道を進む馬車に揺られ、マリアはぼんやりと町を眺めていた。


警視総監の執務室にあった書類――かなり片付けてきたが、明日はあの倍以上の量が押し寄せて来る。

ガーランド商会は、開店したばかりのオルディス支店のために王都にある本店を休業している状態だし、しばらくはドレイク卿の秘書業に専念しよう……。


そんなことを考えていたマリアは、街角に見覚えのある姿を見つけ、御者に声をかけた。

馬車を止め、彼らを追う。


デイビッド・リースと、ナタリアだ。

マスターズに出し抜かれた一件で反省したリースは、断腸の思いで仕事を休み、ナタリアをデートに誘っていた。マリアもナタリアに休みを言いつけ、二人は今日、デートを楽しんでいたのだ。


手を繋ぎ、寄り添って歩く二人のあとを、マリアはこっそり追いかける。

女性好みの小物が並べられた雑貨店で、二人は足を止めた。髪をおろしているナタリアに、リースが髪飾りをいくつか選んでいる。リースの隣で、ナタリアは幸せそうに微笑んでいた。


リースにしか引き出せない彼女の笑顔に、少しだけ寂しさを感じつつマリアも笑う。やっぱり、リースはナタリアにとって特別な相手だ。


次の店へ行こうとするナタリアたちのあとを、マリアも追いかけようとした。

しかし人で混み合う路地に、異様な騒がしさが響き始めた。エンジェリク語ではない言葉で、怒鳴り声のようなものが聞こえる。それが、マリアのいるところへ徐々に近づいてきた。


「待て……おい、そっちへ行ったぞ……」

「回りこめ……!」


チャコ語だ。

マリアも立ち止まり、喧騒のもとを見つけようと周囲を見回す。

人混みを掻き分け、小柄な少年が走って来る。ボロボロの、服とも呼べないような衣服をまとった少年――明らかに奴隷と分かる見た目の彼は、チャコ人だ。

少年を追いかけ、複数の男たちも必死で人混みを掻き分けていた。追いかけているほうの男たちも、どうやらチャコ人のようで。


人混みの中を移動するのなら、小柄な体格の少年のほうが有利だった。

逃走劇の野次馬に加わっていたマリアと、少年の目が合う。少年の目が、マリアを捕えて大きく見開いたような気がした。


少年がマリアに駆け寄り、マリアの腕を掴む。縋りつくように、少年がマリアを見上げた。


「捕まえたぞ!」


少年に手を伸ばそうとする男の腕を、マリアが振り払う。少年を自分の背後にかばい、マリアはにっこり笑った。


「私の弟に、何か?」

「はあ?弟ぉ?」


他の男たちも追いつき、マリアを取り囲む。マリアは笑顔を崩さず、うそぶいた。


「はい。私の弟です。違うという証拠でも?」


嘘にすらなっていない虚言であったが、ここはエンジェリク。エンジェリク貴族と異国の商人。どちらの言葉に重きをおかれるかは分かり切っていた。


今日のマリアは、ジェラルド・ドレイク警視総監からもらったお下がりを着ている。

お下がりとはいえ、上等な衣服――どう見ても、平民が着るようなものではない。

恐らく奴隷の少年がマリアにすがりついてきたのも、そういったところに目をつけたからだろう。


庇い立てする義理はないのだが……。

マリアの腕を必死に掴むその手は、痛々しくも傷だらけで。オフェリアと同じぐらいの背丈しかない、あどけない顔をした少年を見過ごせるほど、マリアも冷酷にはなれなかった。


「この女、ふざけやがって!」


さらに詰め寄る男たちに、まあまあ、とリースが口を挟んだ。ナタリアが、青白い顔でマリアに駆け寄ってくる。


「そうお怒りにならず。事を荒立てると、お互いのためになりませんよ。ね。ここは穏便に」


そう言って男の手を取り、リースはさりげなく賄賂を握らせる。渡された金貨を見て、男たちはニヤっと顔を見合わせた。


「……どうやら俺たちの人違いだったようだ。失礼、お嬢さん」


男たちが立ち去ると、ナタリアがホッと胸を撫で下ろしていた。


「マリア様!なんて危ないことをなさっているのですか!一人で町を出歩くなど……」


ナタリアがマリアにお説教するのを、マリアの腕をつかむ少年が止めた。

マリアの腕をぐいぐいと引っ張り、マリアをどこかへ連れて行こうとしている。見かけからは想像しにくい力強さが、少年にはあった。その表情は必死だ。


「どうしたの?私をどこへ連れていきたいの?」


少年は腕を引っ張るばかりで、答えようとしない。エンジェリク語が分からないのではなく、声が出ないのではないか。身ぶり手ぶりでなんとか伝えようとする少年の必死さから、マリアはそう思った。


自分を引っ張る少年に、マリアはついていった。少年は人混みを抜け、大通りを離れ、怪しい店が並ぶ裏通りを進んでいく。

ナタリアやリースが不安そうに声をかけることもあったが、マリアはなんとなく、少年についていったほうがいいという予感がしていた。


またチャコ語が聞こえてくる。誰かを怒鳴る声……いや、殴っているような物音に、少年がマリアから手を放した。

走る少年を、マリアも走って追いかける。先ほど少年を追いかけ回していた男たちと同じような服装をした連中が、一人の人間を殴っていた。恐らく殴られている青年も奴隷だろう。

少年が、殴られて地面に倒れ込む奴隷の青年に飛びつき、彼をかばうように抱きしめた。


「……馬鹿野郎、なんで戻ってきた……!」


殴られていたほうの奴隷は話せるようだ。チャコ語だが、言語に長けているマリアには彼の言葉が理解できた。


燃えるように真っ赤な髪を持つ、チャコ人の男……。

マリアも青年のほうの奴隷に駆け寄る。無造作に伸ばされた赤毛の髪を払い、男の顔を覗き込んだ。


「ララ?あなた、ララなの?どうしてここに……というか、なんでそんな姿に!?」


長い赤毛の間から、男の目がマリアの姿をとらえた。マリアを見て、彼は安心したように笑う。その笑顔は、マリアの記憶にあるものだった。


「おい、そいつは俺たちの商品だ!勝手に触るんじゃねえ!」


チャコ人の商人が、下品なエンジェリク語で怒鳴りつけてくる。マリアもチャコ語で吠え返した。


「なら私が買い取るわ!商品だというのなら、金を払えば私のものにできるはずでしょう!?」


マリアの迫力とチャコ語にわずかにたじろいたようだが、後ろのほうからやってきた男がニヤっと笑った。先ほど少年を追いかけ回していた男だ。


「そいつも買い取るってか?ならそいつは、金貨十枚にまけてやってもいいぞ」


マリアは内心舌打ちをした。

とんでもない暴利だ。少なくとも、ここまでボロボロになった奴隷につく値段ではない。マリアがどうしても必要としていることを見抜いて、わざとふっかけてきているのだ。


「……いいわ。ナタリア、屋敷へ戻ってお金を持ってきて」

「その必要はない」


ナタリアへ指示を出すマリアを、ウォルトン副団長の声が遮った。


「全員しょっ引け!」


副団長の合図と共に、王国騎士団の騎士が一斉に商人たちを捕え始める。

奴隷の少年まで騎士が捕えようとするのを見て、赤毛の奴隷が慌てた。


「マリア、頼む。あいつは連れて行かせないでくれ」

「レオン様。その子と、この赤毛の青年はどうか見逃していただけませんか」


ウォルトン副団長が言っていた大捕物とは、これのことだろう。

マリアが懇願すれば、職務中の副団長は厳格な雰囲気をまとったまま、少し戸惑ったようにマリアを見る。


「奴隷と言えど、不法入国者には変わりないからあまり気は進まないが……。知り合いか」

「はい」


副団長の質問に、マリアは頷いた。


「私の、かつての婚約者です」




赤毛の青年と小柄な少年を屋敷へ連れ帰ると、マリアはすぐ、彼らに食事を提供した。


青年はマリアとひとつしか年が違わないのに、マリアよりずっと身長も高く、体格がいい。それなのに頬はこけ、危ういやつれ方をしている――恐らく、まともな食事をできていないはずだ。


マリアが思った通り、二人は食事にがっついていた。

それを見ていたオフェリアが、呆気に取られながら「本当にララなの?」と尋ねた。


「ララって、お姉様より背が低かったよ。それにこんな声じゃなかったもん」

「最後に会ったの二年前だぜ。背だって伸びるし、声変わりもしたんだよ」


肉を噛みちぎりながら、ララが答える。喋り方は昔のままだ。


「その赤毛がなければ、私もララだって気付けなかったわ。成長もあるけど、その姿が何より驚きよ」

「お前はあんま変わってないな。いや、親父さんにいっそうよく似てきたか?」


美貌の宰相ってあだ名がつくぐらいの美人だったもんな、とララが笑った。

傷だらけのやつれた身体には、いっそ不釣り合いな明るい笑顔だった。見た目は大きく変わったが、中身はそのまま……というか、見た目しか変わっていない印象だ。


「そっちの男の子は?」

「ララの義弟なんですって。妻の弟」

「結婚したの?」


目を丸くするオフェリアに、一瞬だけな、とララが答える。結婚について話す時だけ、わずかに声のトーンが下がるのをマリアは聞き分けていた。

その話をしたくないのだろう――隣に少年がいる間は。


二人が食事を終えた頃、風呂の準備ができたとベルダが声をかけてきた。ナタリアも、薬や包帯を準備してマリアに声をかける。


「お風呂に入って来なさい。薬も渡しておくから、ちゃんと手当てしておくのよ」

「おー。何から何まで悪いな」


ララは気楽そうに椅子から立ち上がり、浴室に案内するベルダたちについていった。一方、少年は怯えたような、警戒するような表情のまま、ララの腕をすがるように掴み、身を縮こませてついていく。

あの子の手当ては、ララにしかできないだろう。だから薬を用意させ、あえてララに渡したのだ。


「さて。それじゃあ話を聞かせてもらおうかな」


ララたちが風呂へ行くと、ウォルトン副団長が空いた椅子に座り、マリアに向かって言った。


「あの赤毛の青年は、ララ=ルスラン。チャコ帝国第七皇子……の、はずです。なぜ奴隷になどなっているのかはわかりませんが」

「チャコの皇子……。皇子だったのか、彼は」


チャコ帝国では、皇帝になれなかった皇子は殺される。そういった風習があった。

いまのスルタンで、その風習が廃れたが。


「ご存知かもしれませんが、先代スルタンの寵愛深い愛妾ロクサーナが様々な風習を有名無実化し、現スルタンのご兄弟は存命です。ララも、兄の誰かが王位を継いでも殺されることはないだろうと。それで私のもとへ婿入りする予定になっていたのです。やはり皇位継承権を持った男が国内に残っていては、争いの種になりかねませんから。外国へ出されることは幼少より決定しておりまして。セレーナ家も、女の私が当主となることが決定しておりましたから、婿に入る男性を必要としていましたし」


キシリアとチャコ帝国の友好の役割を果たせるララ皇子に、白羽の矢が立ったというわけだ。


「セレーナとキシリアのための婚約でしたから、先の内戦でこの婚約は白紙になっています」


セレーナ家はほぼ滅亡状態にあり、キシリア王も代替わりしてしまった。

マリアとララの婚約は、事実上の解消状態にある。実際、ララも他の女性と結婚していた。


「チャコ帝国の皇子様が、奴隷となってエンジェリクに来るとはな。世の中、何が起こるか分からんもんだ」

「まったくです。私も、まさかこんなかたちで彼と再会することになるなんて、夢にも思っていませんでした」


マリアのかつての婚約者。

幼い頃から交流があり、父が捕えられ、一族が滅ぶまで、マリアはララと結婚するのだと当たり前のように考えていた。

故郷を去る時、二度と会うことはないと……ララのことも、思い出として頭の片隅に追いやっていたが……。


ウォルトン副団長の言う通り、何が起きるのか予想もつかないものだ。


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ