賑やかなお客 (1)
マリアがオルディス邸へ戻ると、お客様が来てます、とベルダからすぐに声をかけられた。
まだ領地から戻ったばかりの自分にいったい誰が、と思いつつ応接室へ向かう。扉の前で、オフェリアがちらちらと中を覗き込んでいた。
「とっても大きい男の人だよ。それに、時々キシリア語を話してるの」
姉の姿を見るなり、オフェリアが駆け寄ってきてそう言った。
大柄で、キシリア語を話す男性。まさか、とマリアが応接室に入ってみれば、そこにはマリアが予想した通り、海軍提督オーウェン・ブレイクリーがいた。
マリアが知っている人間の中で最も大柄で、訛りの強いキシリア語を話す男性だ。
「お待たせしました、ブレイクリー提督。ご無沙汰しております」
「おお、久しぶりやな。すまんかったな。領地から帰って来たばかりなのに訪ねてしもうて」
「いえ。私が不在の間も提督が訪ねていらっしゃっていたと、留守役から聞きました。無駄足を踏ませてしまって、こちらが申し訳ないぐらいです」
ブレイクリー提督はいま、先のキシリア内戦で勝手に船を動かしたことを咎められ、謹慎処分を受けて船を降りていた。
提督自ら内戦に参加することを決意したとはいえ、そこに至るまでの経緯はマリアが原因で謀られたも同然。マリアにも大いに責任はあった。
そんな事情で王都に滞在することとなった提督のため、マリアも話し相手等をして提督の暇つぶしに付き合う約束であった。それなのに、マリアはすぐに領地に引っ込んでしまっていた。
「気にせんでええ。ワシの用なんて、暇つぶしの大したことない――て、言うたら、さすがに無礼にもほどがあるな。そんな軽いノリで頼んでええことちゃうし……」
「私に何か頼みごとですか?」
マリアが問えば、提督がハッとする。どうやら独り言のつもりだった提督の本音を、マリアはばっちり聞き取ってしまったらしい。
提督はしばらく目を泳がせ、何やら考え込んだ後……やおら、床に座り込んだ。驚いたマリアが椅子に座るよう声をかける前に、提督が口を開く。
「ええか。これからする頼みは、不愉快やと思ったら遠慮なく罵倒してくれたらええ。あんたが嫌がったからって、無体な真似はせえへん。絶対に」
「はあ……。提督が無体な真似をするとは思ってもおりませんが……」
提督の気迫に圧されていたが、マリアもそれは信じていた。
大柄で迫力のある見た目に粗野な口調だが、提督は非常に紳士的で、思いやりに溢れた性格だ。か弱い女性に暴力をふるうなど、考えられない。
「ワシを……あんたの一晩の相手にしてくれ!」
一瞬、決闘でも挑まれているのかと思った。というか、そういう勢いで出た言葉だった。
内容を正しく把握した時、マリアは思わず目が点な状態であった。
「解釈を間違えていたらすみません。つまり、私と褥を共にしたいと?」
「……そういうことや。さあ、罵倒したいならせえ!覚悟はできとる!」
え、罵ったほうがいいの?
マリアは困惑した。
目の前の真剣そのものの表情をした提督は、顔を真っ赤にしている。冗談やからかいではなく、彼は本気だ。
「まず順を追って説明してください。なぜ私と?」
床に座り込んだままの提督は、自分の膝に置いた手をきつく握りしめ、うつむく。並々ならぬ事情があるようなその姿に、マリアは話し出してくれるのを待った。
「ワシは、女性とその……そういう関係になったことがない」
「まあ」
意外……というほどのことでもなかった。
真面目で誠実そうな提督が、経験豊富だったほうがショックかもしれない。ゼロだとは思わなかったが。
「それで、私で経験してみたかったと。でも、私などで良いのですか?」
「あんたがええ。あんたやったら、笑わんとちゃんと真面目に聞いてくれると思ったんや。実際、いまも笑うことなく、ちゃんとワシの話聞いてくれてるやないか」
「そう評価していただけるのは嬉しいのですが、やはり私などではなく、提督が心から選んだ相手のために大切にすべきかと。提督は、私のような女が適当に遊んでいい相手ではありませんわ」
提督の相手が嫌なわけではない。
誤解を与えないよう言葉に気をつけながら、マリアはやんわりと断った。
提督はマリアにとっても恩人だ。そして提督が、もっと適当な理由でマリアを選んだのなら、自分も気楽に相手を務められたかもしれない。
それこそ、男性関係がただれている女だから丁度良かった――それぐらいマリアを低く見てくれるのなら、いっそ割り切って受け入れたかも。
提督は何やら悩み込み、そして追い詰められた罪人のように白状した。
「ワシはあんたに惚れとんや!最初に会った時からずっと……みなまで言わすな!」
いっそ殺せ!と言わんばかりに提督が叫んだ。マリアは再び目が点、の状態になった。
「身の程知らずやと、罵りたければ好きなように罵れ!」
やはり罵ったほうがいいのだろうか。
いや、やめておこう。目の前の提督はかなり思いつめている。罵ったら海に飛び込んでしまいそうだ――提督の場合、軽々泳いでキシリアにまで辿り着きそうな逞しさがあるが。
「私、すでに複数の男性と愛人関係にあります――」
「知っとる。だからワシなんかがこんなこと言い出すのもおこがましいって、重々承知や。死ねボケカスとでもなんとでも言え!」
「――そのお一人に加えるという、なんとも不誠実な対応になりますが。それでよろしいのでしたら」
ほとんどヤケクソになっている提督に向かってマリアが言えば、提督が目を瞬く。
「まだ日が明るいので、今夜改めていらしてください。お待ちしております」
そう言って、マリアは微笑んだ。
わかった、と頷いて提督は屋敷を出ていったのだが……魂が抜けたような顔で屋敷を出ていく彼の姿には、不安しかなかった。屋敷を出るまでもあちこちの壁や柱に頭をぶつけており、屋敷を出てすぐに転んでいるのもマリアは目撃してしまった。
夜が来るまでに、どこかで大怪我をして動けなくなるのではないかとハラハラしながら再訪を待っていたが――次に屋敷を訪ねた提督は礼装で、船で会った時とはまた違う凛々しさがあった。
「とてもお似合いです」
マリアが素直な気持ちで褒めれば、顔を赤くしながら、そうか、と提督が気まずげに呟く。
「慣れへん格好やから、なんや動きにくいわ」
「私がすぐ脱がして差し上げますから、ご安心ください。ところで提督、お風呂はお好きでして?」
「風呂か。ワシは好きやで。浴室がない船にも風呂桶持ち込むぐらいや。エンジェリクの連中は好かんみたいやな」
それはよかった、とマリアが言った。
キシリア人は風呂好きも多い。キシリアで生まれ育った提督なら好んでいるのではないかと思っていただけに、彼の答えは嬉しい。
「私、お風呂にはちょっとしたこだわりがありますの。提督にもぜひ入って頂こうと思っておりまして。もし良ければ、一緒に入ってお背中を洗うのを手伝います」
「一緒に……ちょ、ちょお待て!それはあかん!ただでさえ緊張でひっくり返りそうなんや!一緒に風呂とか、ぶっ倒れる自信しかないで!」
「まあ」
ちょっぴり残念だ。
以前、提督の逞しい身体を見たことがある。それを今回の風呂でじっくり堪能させてもらおうという下心が、実はマリアにもあった。
いままで風呂の誘いを男性に断られたことがなく。まさか提督に断られるとは思ってもいなかった。
「残念ですが……仕方ありませんね。嫌がるものを無理強いすることはできません」
「嫌なわけやない!むしろ、めっちゃ入りたいぐらいで……」
頭を抱え込み、提督が苦悩する。
「ええい!やっぱり一緒に入るわ!ぶっ倒れたら、水かけてでも起こしてくれ!」
本当にぶっ倒れてしまいそうな心配があったので、一応冷水の用意はしておいた。
それは杞憂に終わり、マリアは十二分に提督の逞しい身体を堪能させてもらった。
やはり筋骨逞しい男性の身体というのは、羨ましいものだ。自分もあれぐらい鍛えられたら、毒を使って姑息に立ち回らずとも、気に入らない相手をぶん殴って片付けられるだろうか。
翌朝、礼装を着込むのに戸惑っている提督の着替えを、マリアは喜んで手伝っていた。
マリアが甲斐甲斐しく世話をすれば、なんや王様にでもなった気分やな、と照れる提督が可愛らしくて。
行ってらっしゃいのキスをしてもらうのが夢だったと話す提督の頬に口付けて彼を見送り、マリアもその日は上機嫌でスタートを切った。
男物の服を着て城へ行く。今日は久しぶりに、ジェラルド・ドレイク警視総監の秘書として働きに向かった。
「ドレイク卿は、なんだかんだ言って部下に少々甘過ぎです」
山積みにされた書類を崩す作業を手伝いながら、マリアが言った。
「これでもずいぶん進歩した。以前は私とマスターズが揃って休暇を取ろうものなら、部屋の外まで書類が乱雑に並べられていたものだ。貴女が戻って来ると聞いて、少しははりきったらしい」
たしかに役人たちは、マリアが秘書として働きに来ているのを見て歓迎してくれていた。
――オルディス公が戻ってきてくださったのなら、これでまた書類仕事を頑張る励みになります!
……マリアがいなくても、事務仕事も頑張ってほしいのだが。
「サミュエル・プラントは始末した。侯爵の反応も概ね予想通り……甥御の死は事故か事件か捜査したいと申し出たが、拒否された」
「あとは侯爵がどのように動くか、しばらくは静観するしかないということですね」
「そういうことになる。キシリアからの報告のほうが早いかもしれぬ」
「それはどうでしょう……」
キシリアへは全て証言すると言ってシルビオと共にムスタファが渡っているが……あの男が、あっさり話すとは思えない。
最終的には話すだろう、キシリア王から有利な条件をギリギリ引き出して。
ムスタファという男をよく知る伯爵も、そのように話していた。
「マルセルも、これからもセドリックとは連絡を取り合うが、武器流出については知る機会があればのついでと考え、期待しないでほしいと」
プラント侯爵を打倒するため、彼の庶子が中心となって動いているらしく。水面下で進めてきた準備を台無しにしたくないと、役人の介入は拒まれていた。
「おー、その光景も久しぶりだなあ!うんうん。やはり君がいると、この味気ない部屋も一気に華やかになる」
冷やかしにやってきたウォルトン副団長に、帰れ、と間髪入れずドレイク卿が言ったが、副団長はまったく気にしない。
相変わらずな二人のやりとりに、マリアもクスクス笑った。
「ところでマリア。君のもとに、あのブレイクリー海軍提督が通っているとの噂を小耳に挟んだんだが」
「よくご存知ですね。今朝泊まっていかれたところです」
マリアが頷けば、嘘だろ、と副団長が本気でショックを受けていた。
「あの真面目な堅物を……。君の魔性も、ここまでくると恐ろしいものだ。提督すら籠絡する君の魅力を、ぜひ僕も体験しておかないと」
マリアの手を取り、悪戯っぽく副団長が口付ける。
「さっそく今夜にでも……と、言いたいところだが、生憎いまから大捕物がある。明日、労いも兼ねて君にもてなしてもらうことにしよう」
「今日が予定日だったか」
ドレイク卿が口を挟んだ。公人としての態度を崩さぬまま副団長に声をかけるのは、珍しいことだ。
「そう。だから牢屋はめいっぱい空けておいてくれよ」
二人のやり取りを見ていたマリアに、密入国者の取り締まりだ、とドレイク卿が説明する。
「最近チャコ帝国から渡ってくる不法入国者が多くてね。ここらで一度、一斉摘発することになってるんだ。不認可の奴隷商人なんかも王都に多く入ってきてる」
「チャコ帝国から……」
チャコ人のムスタファが、祖国で色々起きていると言っていた。遠い異国の話に留まらず、エンジェリクにもその影響があるのだろうか。
「そういうわけだから、君も今日は町をあまりうろつかないように。厄介なことに巻き込まれるかもしれんぞ」
マリアの頬にキスをして、副団長は執務室を出ていった。
副団長が出ていくと、ドレイク卿が重苦しいため息をつく。
「……逮捕者の調書を取った書類で、明日にはこの部屋が埋め尽くされるだろうな」
「全力で、いまある分を片付けてしまいましょう」




