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紫色のクラベル~傾国の悪役令嬢、その貴種流離譚~  作者: 星見だいふく
第四部02 ガードナーの反乱
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戦場は城の中


王都へ戻り久しぶりの登城となったマリアは、さっそく宰相ニコラス・フォレスターの執務室を訪ねることになった。

今日は、婚約者であるチャールズ王子と対面する予定であった――が、王子はまたもやすっぽかした。その報告と抗議も兼ねて宰相に挨拶へ赴いたのだ。


「今回は延期だ。一応、貴女と会うつもりはあるらしい」


王子と会うことなどまったく期待していません、という表情のマリアに向かって、宰相が言った。


「言い方を変えても、あちらが一方的に反故にしたことは同じです。ちなみに延期の理由は」

「……王子の寝坊だ」


マリアは絶句した。呆れ果てて言葉も出ない。


「日々の勉学と鍛練に疲れ、オルディス公爵と対面する緊張からつい寝過ごしてしまった、というのがあちらの言い分だ」


宰相はその言い分を信じていないのだな、とマリアは察した。もしかしたら、寝坊すら嘘かもしれない。


「陛下が、無駄足を踏ませてしまったことを詫びておられた」

「私に申し訳なく思うのでしたら、言葉より態度で示して頂きたいものです」

「……何が言いたい」


遠回しに要求がある、と言ったマリアに、宰相は鋭い眼差しを送ってきた。


「オルディスより、人を連れて参りました。マルセルという青年ですが、ヒューバート王子にお仕えしたいと。閣下のお力で、彼を殿下の従者にしていただけませんか」


宰相は、真意の読めないポーカーフェイスのまま、マリアを見つめる。


「信頼できる男なのか」

「恐らく。残念ながら、私の希望的観測込みではありますが。下手なエンジェリク人よりはよほど」


短い沈黙の後、宰相は、いいだろうと頷いた。




チャールズ王子との対面がなくなった以上、今日はさっさと城から出るつもりだった。


オルディス領から帰ってきたばかりなので屋敷の片付けも残っているし、フォレスター邸に滞在しているヒューバート王子にも会わないといけない。

寝坊なんかで悠長に時間を無駄にしているゆとりは、いまのマリアにはなかった。


……ゆとりはないと言っているのに、厄介事は向こうからやって来るものだ。

なんとなく見覚えのある令嬢集団から一人、廊下を歩くマリアを待ち構えていたように近付いてくる。


「失礼。オルディス公爵様とお見受けいたします」


声をかけてきた女性には見覚えがない。凛とした佇まい、意思の強い眼差し……年はマリアと変わらないだろうに、なかなかの迫力と貫禄を持った美人だ。

浅はかなこの国の王女よりも、彼女のほうがよほど王女らしい威厳がある。


「私、キャロライン・エヴェリーと申します。幼少より、チャールズ殿下やジュリエット様とは親しくさせて頂いておりました」


そう言って、彼女は頭を下げた。

キャロラインと名乗る彼女の声には、マリアへの敵意が込められている。しかし、仮にも公爵であるマリアへの礼儀と敬意は欠かさない心積りらしい。


それを遠巻きに眺める令嬢集団は、クスクスと笑うばかりでマリアと対峙するだけの根性なしばかり。王女の取り巻きをやっている時と同じ、主体性を持たない連中だ。


「ご機嫌よう、キャロライン様。私に何のご用でしょう」

「用というのであれば、すでに済みました。殿下のご婚約者に選ばれた御方を、自分の目で確かめておきたかったのです」


真っ直ぐにマリアを見据え、キャロラインが言った。


「私は王妃様より殿下の婚約者候補に推薦していただき、殿下の妃になるべく今日まで努力して参りました。それを突然現れた方に――陛下のお言葉ひとつで奪われてしまったこと。やはり悔しいという想いは抑えきれません。実際にお会いしてみて、がっかりした、というのが正直な感想です。私、あなたにさほど劣っているとは感じませんもの」


不遜な彼女の言葉に、マリアもクスリと笑う。


「そうでしょうとも。お見受けした限り、私とキャロライン様にさほど差があるようには思えません」


キャロラインの父エヴェリー侯爵といえば、財務大臣だ。有力者の父親を持ち、格の高い貴族の令嬢――本人も、王子の妃になるべく努力を続けてきたというのなら、方向性は違えどマリアと同じ。


むしろ異常なのは、マリアやキャロラインほどの女性を婚約者候補にしていた男のほうだ。

王子というだけで、それを与えられた男……。


「キャロライン様、せっかくお会いできたのですから、ぜひ教えてくださいな。チャールズ殿下とは、どのような御方なのですか?」

「どのような……とは」

「私、いまだに殿下とはお会いできておりませんの。本日もお会いする予定だったのですが、殿下から延期の申し出がございまして」


令嬢集団は笑い出し、殿下にお会いすることすら拒まれてるんですって、とわざとらしくヒソヒソと囁き始めたが、キャロラインは眉をひそめた。


「……殿下は、本日も公爵とお会いにならなかったと?陛下からの命であるというのに?」


それがどれほど王子の立場を危うくしているのか、彼女はそれを理解しているらしい。賢明なことだ。

王子の愚かさを理解しようともせず、ただマリアが蔑ろにされていることだけを嘲笑う頭の悪い小娘たちとは違う。


以前チャールズ王子の同母妹である王女から、王妃がすでに王子に相応しい相手を選んであると言っていた。キャロラインという同一の名前……間違いなく彼女のことだ。家柄、美貌、知性――どれをとっても、王子の妃として不足はない。


「チャールズ様は……誇り高く、自分の信念を曲げることのない意思の強い御方ですわ。それでいて、無邪気な可愛らしい一面もあって……」


キャロラインの言葉そのままの意味であるのなら、チャールズ王子は素晴らしい人物だろう。

しかしその褒め言葉――高慢ちきな頑固者、そのくせ浅はかな思い込みをする幼稚さを裏返したものではないかと疑ってしまうのは……マリアの性格がひねくれているからかもしれない。


内心の嘲りは堪え、マリアはにっこりと微笑む。


「殿下と親しいキャロライン様がそのように評されるのでしたら、私としても殿下にお会いするのが楽しみになりました――お会いすることがあれば、ですが。私は本日、城に用はなくなりましたので、これにて失礼いたします……ご機嫌よう」


チャールズ王子がキャロライン・エヴェリーという聡明な令嬢と並び立って遜色のない男であるなら、ヒューバート王子にはなかなか厳しい争いとなる。

しかしなぜか、マリアには確信があった。


チャールズ王子自身は大した男ではない。厄介なのは、彼の地位を後押しするその周囲……。

その囲いをいかに崩していくかが、王位争いの最大の焦点となるだろう。




ヒューバート王子は王都に帰ってきていたが、城へはまだ戻っていなかった。いまは宰相の屋敷に一時的に滞在している。


マリアが領地から帰ってきたその日に王子が離宮に戻っては、無用な注目を浴びることになるかもしれない――そういった理由から、王子は日をずらして城に入ることになっていた。


王城での付き添いのため行動を共にしていたナタリアを先に屋敷に帰し、マリアは王子の下を訪ねた。

王子のいる客室では、先に来ていたメレディスが彼の絵を描いていた。


「王子の寝坊は本当かもね。最近チャールズ王子は、モニカという少女にご執心らしい。彼女に請われるまま、あちこちに連れて出かけ、遊び回っているとか――寵愛ぶりが目に余ると、ちょっとした噂になってる」


メレディスのゴシップ情報に、マリアは目を丸くする。どこでそんな話を、と尋ねる前に、メレディスが話を続けた。


「また絵描きの仕事を受けるようになったんだ。父が亡くなったことで、いままで遠慮してた貴族たちからも依頼が来るようになって。絵を描いている間は世間話なんかで間持たせするから、自然とそういう話は耳に入ってくるようになるんだ」


強大な力を持つ父親の影響で、メレディスは絵描きとしての才能に恵まれながらも日の目を見ることができなかった。その父親が亡くなったことで、キシリアの王からも高い評価を得ている画家に絵を描いて欲しいと望む貴族が激増したようだ。

メレディスの夢がついに現実になったことは、マリアにとっても嬉しいことであった。


メレディスの絵のモデルとなっているヒューバート王子は、ゆったりと長椅子に腰かけたまま、モニカというのは、と問いかける。


「アップルトン男爵が、つい最近養女に迎えたご令嬢です。母親は平民で亡くなっておりまして、それで父親の男爵が引き取ることになったとか。男爵は奥方との間に子がおりませんし」


メレディスが答えた。


「私も初めて聞く名前だわ。チャールズ王子がそんな女を寵愛……キャロライン・エヴェリーではなく?」

「エヴェリー候のご令嬢だね。面識はないけど、僕も彼女のことは知ってる。なにせ父が、僕との婚約を打診したぐらいだし」

「メレディスと?」


マリアが目を丸くする。


「向こうから断られたけどね。王妃の外戚が……というか、その周りの人間が父と縁を持とうと何かとうるさかったから、それを拒むための提案だったんだよ。キャロライン嬢と僕を結婚させるのなら――最初から断られることを見越しての提案だった。レミントン侯爵はエヴェリー侯爵家との縁を切りたくないはずだ。ご令嬢キャロラインは、チャールズ王子と結婚させたがっていた」

「エヴェリー侯爵家は、いまのエンジェリク王妃の一族……なのですよね?」


エンジェリクの貴族社会には疎いマルセルが、確認するように尋ねた。マルセルの問いに、メレディスが答える。


「マルセルは最近までフランシーヌにいたから、エンジェリク貴族のことは詳しくないんだったね。エヴェリー家は、パトリシア王妃の前夫の一族だ」

「前夫……既婚者なのですか?王妃が?」

「パトリシア王妃は未亡人だ。おかしなことじゃない。もとは陛下の愛妾だったんだ。彼女と陛下の関係は、僕の母が存命だった時からだ」


ヒューバート王子が事もなげに言った。


エンジェリク国王は、王妃を三人迎えている。


最初の王妃は、第一王子を生んですぐに亡くなった。

それはまだ王が王太子だった頃の妃で、即位と同時に新たな妃を――フランシーヌとの友好のため、フランシーヌ王女ジゼルと再婚。祖国で革命が起き、王妃ジゼルと生まれた王子は、その価値を失ってしまう。


そして王と険悪な関係になってしまった王妃に代わり、王の寵愛を得て男児と女児を立て続けに生んだのが現在の王妃――当時は愛妾であったパトリシアだ。


第一王子エドガーが十三歳の若さで亡くなり、その後、王妃ジゼルも儚くなった。

愛妾が王妃となり、パトリシアの子も王子と王女になる幸運を得たのだ。


「パトリシア王妃の生家レミントンは、マクファーレン家よりも格下の伯爵家だった。前夫が亡くなったことで婚家の領地や財産をパトリシアが受け継ぎ、レミントン一族が勢いづき始めた。その後、パトリシアは王子を生んだ王妃に大出世だ」


メレディスの説明に、マルセルが眉をひそめる。極めてうさんくさいと思っているのだろう。

マリアも同感だ。初めてパトリシア王妃の人間関係を知った時、彼女の陰謀を疑った。


「なんというか、話を聞く限りだと、邪推したくなる状況ですね。夫に、第一王子に、ジゼル様……。いまの王妃にとって、都合よく邪魔な人間が亡くなっているように感じられます」

「前夫のことは分からないが、少なくとも母の死には関わっていないはずだ。母は病死。エドガー王子が亡くなった後、母と僕は離宮に隔離されている。母は陛下が王子の死に自分の関与を疑って監禁していると嘆き、自らも人を遠ざけるようになった。離宮に出入りできたのはごく一部の人間……陛下か宰相が信頼した者だけ。あれで王妃派が母を殺したというのは無理がある。まだ母の言っていたように、陛下が死を願ったと考えたほうが自然だ」


ヒューバート王子は、王も現王妃も母親の死に関わっていないという確信があるようだ。

他ならぬ彼が言うのであれば、恐らくそれが真実なのだろう。マルセルも、ジゼル王妃のことは追及しなかった。


「エドガー王子の死因は?」

「こちらも何ともうさんくさい話なのだが……転落死だ。階段から足を踏み外して」

「転落死……」


訝しむマルセルに、メレディスが、でも、と言葉を続ける。


「王子が一人だったと、複数の目撃証言があるんだ。その日は激しい雷雨で、落雷もあった。そのうちのひとつが城のすぐそばに落ち、それに驚いた王子が足を踏み外したと。入念な捜査が行われたが、王子を突き落とせるような距離には、間違いなく誰もいなかったという結果が出た」

「唯一疑わしい点があるとしたら、それはパトリシア王妃の前夫の死でしょうね。早々に捜査が打ち切られ、曖昧なうちに事故と片付いてしまったから」


いつか必ず詳細を調べてやると、警視総監ジェラルド・ドレイクが話していたことがある一件だ。もしかしたら、叩けば埃が出てくるかもしれない。


「不審だというのなら、そもそも陛下がパトリシアのような女を愛妾にしたのがおかしい。派手好きな浪費家で、どう考えても陛下が好むような女じゃない。僕の母のように、国益のためという相手でもない」


それはマリアも気になっていたことがある。

陛下は人を見る目はがあるようなことを、以前宰相が口にしていた。その割には、女を見る目がないように思える――まだ直接の面識はない王妃ではあるが。


周囲への相談なく陛下の独断で選んだ愛妾だったのだろうか。マリアをチャールズ王子の婚約者にしたように。

陛下が独断を押し通すほどの何かを、いまの王妃は持っていたのか……。


「何にせよ、王妃派も結束の固い一枚岩というわけじゃない。それなのに肝心のチャールズ王子がエヴェリー侯爵令嬢と結婚できないどころか、母親を平民に持つ男爵令嬢を寵愛しているなんて、とんでもない愚行だ」


ヒューバート王子の肖像画に色を塗りながら、メレディスが言った。


「王子の愚行は私にとっては有難い隙だわ。エヴェリー侯爵家との不和になる要素は歓迎しましょう。ところでマルセル。宰相閣下から正式に、あなたをヒューバート王子の従者にする許可を頂いたわ。これで王子と共に城へ入れるはずよ」

「ありがとうございます」


頭を下げるマルセルの笑顔は、儀礼的なものではなく心からのものだった。

しかしこれはあくまで一時的な措置。

ヒューバート王子が力をつける腹積もりである以上、マルセルもいまの立場のままではいられない。マルセル自身にもそれに相応しい身分が必要だ。


――とりあえず、いまは待とう。

まだマリアたちの戦いは始まってもいないのだ。いまは焦らず、胸の内を隠して好機を待つ。

チャールズ王子はつけいる隙が多そうな男だ。自ら仕掛けるより、相手の自滅を誘ったほうがいい。

きっと、王城がいずれ戦場と化すことだろう。


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