祭りの夜に (3)
館から少し離れた宿を貸し切り、今夜はそこで休むことになっていた。ガスパルは用意してあった厳重な鉄檻の馬車に放り込まれ、マリアは伯爵に出迎えられた。
ムスタファもその宿に逃げ込んでいた。本当は先に自分だけ安全な場所へ逃げる予定だったが、プラント侯爵の間者がいたことで逃げ損ない、同じ宿に泊まることにしたようだ。
伯爵に結果の報告をした後、改めてマルセルから話を聞くことになった。
マルセルはヒューバート王子の前に再び跪き、頭を垂れる。
「父は、王家を裏切りデュナンを助けたと世間では言われておりますが、それは誤解です。確かに父はデュナンに目をかけ、結果的に革命を手助けしてしまいました。事実だけ見れば王家への裏切りという点において弁明の仕様がありません。父は、デュナンがいずれラプラス王家を守る重要な担い手となると信じてあの男を育てたのです。革命を起こす未来を知っていれば、出会ったその時にあの男を斬り捨てておりました」
「革命後もフランシーヌに残り、デュナンの下にいたのは」
腕を組んだまま、シルビオが聞いた。
「奴を暗殺する機会をうかがっていたのです。そしてついに決行となり、父は私に国を出てエンジェリクへ行けと。私も命運を共にしたいと父の命令を拒否したのですが、父からは、王家最後の生き残りであるヒューバート殿下のもとへ行き、王子に真実と謝罪を伝え、もしお許しが頂けるのなら身命を賭して殿下をお守りせよ、と」
そこまで話すとマルセルは黙り込んだ。
デュナンが倒れたという話は聞かない。後継者のいない成り上がりの皇帝だ。それが暗殺されていたら、フランシーヌだけではなく近隣諸国が大騒ぎするはず――敵対しているエンジェリクとて、フランシーヌの動向は絶えず細やかに監視している。ならばマルセルの父親は、暗殺に失敗したと考えるのが自然だろう。
皇帝暗殺計画が失敗に終わったのなら、実行犯の生存は絶望的だ……。
聞いていたマリアたちも黙り込み、それぞれ考え込んでいるようだった。
最初に口を開いたのは、ヒューバート王子だった。
「事情は分かった。マルセル。僕はその申し出を有難く了承させてもらおうと思う」
マルセルが顔を上げて王子を見る。その目は喜びと興奮に輝いており、王子を欺くための演技には見えない――これが演技だとしたら、マリアには絶対に見抜くことができないだろう。
ならば、あれこれ考えても仕方ない。
「殿下がそうお決めになったのでしたら、私たちが口を挟む必要はありませんね。一応警戒は致しますが」
マリアの言葉に、王子が笑顔で頷く。マルセルが眉をひそめた。
「お前、殿下に対してずいぶん偉そうじゃないか」
「……マルセル。僕に仕えたいと言うのなら、マリアと彼女の妹のオフェリアには敬意を払ってほしい。彼女たちがいなければ僕はいない。恩人なんて生温い言葉では言い表せない相手だ」
王子が咎めれば、マルセルは神妙な面持ちで申し訳ありませんでした、と再び頭を下げる。そしてマリアにも頭を下げ、無礼な真似をお許しくださいと一転してしおらしく謝罪した。
「私に敬意を払う必要はないわ。忌憚のない意見を聞かせてもらったほうが有難いぐらいよ。でもオフェリアには敬意と愛想を忘れないでね。あの子に不愉快な思いをさせたら許さないから」
オフェリアには気に入られるよう振る舞え、という点ではマリアとヒューバート王子の意見は完全に一致していた。
それぞれの報告が終わったあとは、各自に与えられた部屋で休むことになった。
マリアは窓の外を眺める。領の中心から離れているので祭りの様子は見えないが、賑やかな音はかすかにここにも伝わっていた。
窓に映り込む姿にマリアは苦笑する。一応ノックぐらいはすべきだろうに。
「話し合いの結果、今夜はあなたで決まったのね?」
マリアは振り返り、無断で部屋に入ってきた黒衣の男に向かって言った。
「極めて紳士的な話し合いだったぞ」
皮肉げに笑うシルビオに、マリアも声を上げて笑う。
羽織っていたガウンを脱ぎ、マリアは約束通り露出の多い踊り子の衣装のままシルビオの腕に収まった。
「……この格好、いまの季節にするには少し寒すぎるわ」
「まだ春先だからな。特にこの国は暖かくなるのが遅い」
「そうね。キシリアの夏が恋しい……」
マリアはシルビオの胸に顔を埋め、自らすがり付くようにシルビオを抱き締める。彼の身体で、暖を取るように。
「シルビオ。キシリアへ戻ったら、ロランド王とアルフォンソ王妃に謝っておいて欲しいの。私はキシリアへ帰れなくなってしまったから。私と妹が帰ってきた時のために色々と準備をしてくださっていたお二人のご厚意を、無駄にしてしまったわ」
オフェリアがヒューバート王子の妃になるのなら。
もうマリアたちはキシリアへは帰れない。エンジェリク王子の妃が外国に帰るなど有り得ないし、妹を残してマリアだけ帰るなんてことも無理だ。
帰れなくなってしまった愛する故郷。海ひとつ隔てただけの距離なのに、なんて遠くなってしまったのだろう……。
「たかだか海ひとつだ。いつでも遊びに来い。辛くなったら俺に言え。さらいに来てやる。お前の妹と、あのへなちょこも一緒に」
へなちょこが誰を指すのか察してマリアはまた笑った。
笑うマリアの頬を、シルビオが優しく撫でる。そのまま顎を持ち上げられ、シルビオの顔が近付いてくるのを、マリアは静かに目を閉じて受け入れた。
まぶたの裏には、キシリアの風景がくっきりと焼き付いていた。
翌日、シルビオとノア――もとい伯爵との間でどのような話し合いがなされたのか、なんとなくマリアは察した。屋敷へ帰る馬車の中、あからさまなぐらい不穏な空気をまといながら笑顔で伯爵に渡された物を受け取り、マリアは言葉を失う。
「……布がありません。果たしてこれは服と呼べるのですか」
昨日マリアが着ていた伝統的な踊りの衣装……に、形状こそ似ているが、布がない。布の代わりに宝石でびっしりと飾られている。昨日の衣装、胸元はたしかによく見えていたが、それでもここまで胸が露わになるものではなかった。
それになにより……すぐ脱がせるものにどれだけお金をかけるのだ。
「いったいいくら支払ったのですか。着たところで脱いでしまうものなのでしょう。そんなものに……正気の沙汰とは思えません」
「たしかに一度きりというのは勿体ないと私も思う。だからメレディスにその衣装を着た君の姿を描いてもらうことにしよう。これならば有用だろう」
「有用とは」
――自分はエンジェリク語を誤って覚えているのだろうか。
伯爵の提案のどこに有用さがあるのか、だれか解説してほしい。同乗しているヒューバート王子にまで苦笑されてしまった。
屋敷の前ではメレディスが待ち構えていた。そんなところまですでに手を回していたのかとマリアが呆れていると、メレディスに手を引っ張られマリアは自分の部屋へ向かう羽目になった。
屋敷内を通り過ぎる時、オフェリアやベルダだけでなく屋敷の人間が忙しなく行き来するのを頻繁に目にした。部屋の中にもナタリアが待ち構えており、伯爵からもらった服と呼ぶには抵抗のある衣装に着替えさせられる。
有無を言わさぬ強引さに、マリアはピンと来た。
「オフェリアが何か企んでるわね。私に隠れてこそこそと……」
なんのことでしょう、とマリアの着替えを手伝いながらナタリアがとぼける。普段はオフェリアの隠しごとを報告する彼女も、今回は隠すほうに徹しているらしい。
「……そう言えば、私の誕生日パーティーを考えていると話していたわね。キシリアでの戦に巻き込まれてお流れになってしまったけど」
「鋭すぎやしないか」
絵を描く準備をしながらメレディスが苦笑する。
マリアは納得した。
マリアの誕生日パーティーを準備したいオフェリアのために、メレディスや伯爵が部屋に閉じ込める流れを作ったというわけか。
……もっとも、この衣装は伯爵の不埒な発想込みだとは思うが。
「本当にすごい衣装だね。いっそ裸のほうが健全なんじゃないかって思えてきたよ」
そう言ってメレディスは、着替え終えたマリアをまじまじと見つめた。
「脱がせるのは禁止だ。私の楽しみを奪うと報酬が減るぞ」
いつの間にかマリアの部屋に入ってきていた伯爵が言った。
「一応僕にも絵描きとしてのプライドはありますから、仕事は真面目にやりますよ。描き終えたあとのことはお約束できませんが」
「やはり見張りにきたのは正解だった。勝手に脱がせて次の絵を描こうとするのではないかという杞憂は、大当たりになりそうだ」
長椅子に横たわるように座るマリアの姿を、メレディスは真剣そのものの表情で描いていた。
伯爵も、絵を描き始めたあとはメレディスに無用な声かけをしなかった。別の椅子に座って絵を描く様子を静観している。
伯爵も一緒に描きましょうか、とメレディスのほうが話しかけ、今回はマリアだけでいい余計なものはいらん、と伯爵が答えていた。
「ドレイク警視総監はプラントへ行っているそうだよ。先に屋敷に着いたウォルトン副団長がそう話してた」
世間話のついでのように、メレディスが言った。
「ジェラルド様がプラント領に?」
「うん。十中八九サミュエル・プラントの件で、だろうね」
ガスパルを捕えたことで、プラント侯爵も異変に気付くだろう。セドリックという男が侯爵に気付かれるのを遅らせると言っていたが……。
不安な気持ちが表に出てしまったマリアに対し、伯爵は気楽そうに笑っていた。
「ドレイク警視総監の腕を侮り過ぎだ。恐らく今夜中には片をつけて来るぞ」
伯爵の予想はまさにその通りであった。
日が沈み始めた頃に屋敷を訪ねてきたドレイク卿から、今夜には片が付く、と短い報告を受けた。
「大した手間はかかっていない。もともと隙だらけで、いつ自滅してもおかしくない男だった。いままで無事に生きてきたことこそ、幸運だったと言える」
メレディスが描き上げた絵を鑑賞しながら、ドレイク卿がサミュエルを追い詰めるまでの経緯を説明した。
まずマスターズが男を連れ、プラント侯爵を訪ねる。
「この男性が、甥のサミュエル氏によって妹を殺されたと訴えております。妹はサミュエルに弄ばれ、捨てられ、口封じのために死に追いやられたと」
サミュエルは、知らない、でたらめだ、と反論するが、普段から素行の悪い甥のことをよく知っていた侯爵はサミュエルの言葉を信じなかった――サミュエルには昔からこの手のトラブルが尽きない。
侯爵は考えた。
恐らく、知らないと言っている甥の言葉は嘘ではない。本気で覚えてないのだろう。いままで問題を起こし過ぎて、いったいどれの話をしているのか分からなくなっているに違いない。おまけに甥は頭も悪くて記憶力も悪い。女のことも忘れて、本心から知らないと言っている可能性もある。
マスターズには侯爵のその考えが手に取るように分かった。
事実、妹を殺されたと訴えるこの男はサミュエルと面識がある――マスターズの指示通りに芝居をするダニエル・バンクだ。ダニエルのほうはサミュエルの顔をはっきりと覚えているのに対し、サミュエルは気付く素振りすらない。
侯爵は不審な男の訴えを信じるだろう。下手に反論して、では詳しく調べてみましょう、と役人が言い出すほうが危険だ。ならば侯爵が取る方法はひとつ。
――警視総監殿、役人の一人がプラント侯爵家の周りをうろついて迷惑している。痛くもない腹を探られるのは不愉快だ。彼を黙らせろ。
役人を引き下がらせるよう、ドレイク警視総監に命じること。
ちょうど警視総監は、オルディス復興の寄付を募りにプラント侯爵を訪ねてきていた。気前よく金を払いながらそう言えば、ドレイク警視総監は了承した。
「不審にならぬ程度に部下を引き下がらせよう。少し時間をいただきたい。その間、サミュエル氏はプラントを離れ、どこかで謹慎させることを推奨する。彼が余計なことを仕出かすと、興味を持った部下が独断で動く恐れがある」
それもそうだな、と侯爵は頷く。
そしてサミュエルは侯爵邸を追い出されることになった。サミュエルに金を持たせ、しばらく大人しくしていろと、と。
「プラントの地理を考えれば、船で移動するだろう。人目を避けるため、夜の間に。今夜一隻の船から火の手が上がる。その不審火に、正義感の強い役人が再び侯爵の下を訪ね、昨日訴えをした男が怪しいと話す。捜査をしたいという申し出を、侯爵が断り、真相は闇の中だ――侯爵が独自で不審火を調べるかもしれぬが、素人の捜査でこちらが尻尾をつかまれるような真似はせん」
ドレイク卿の説明を聞き、マリアは頷いた。
サミュエル・プラントのことはこれで悩む必要もなくなった。大した男ではなかったが、少しぐらいは祖父やオルディス領の敵討ちになった……。
「しかし肝心の武器流出の件は……」
「それに関しては一朝一夕に片付く問題ではない。サミュエルという手駒を失った侯爵がどう動くか、これからの監視が重要になる」
「そうですね……。今回は個人的に憎い男が二人、どちらも始末できることを喜んでおきます」
こんなことでもなければ永遠に見過ごすことになっていたかもしれない相手だ。それが無事片付いただけでも十分だろう……。
「お姉様!」
部屋にひょこりとオフェリアが顔を覗かせてくる。にまにまと、明らかに何か企んでいる顔だ。
それには気付かないふりをして、なあに、とマリアは返事をする。
「お姉様、下に降りてきて!お姉様のお誕生日パーティーよ!」




