祭りの夜に (1)
日が沈む頃、オルディス領は賑やかな空気に包まれ始めた。
音楽が奏でられ、ちょっとした露店も設けられ、領民たちは陽気に夜を楽しむ。踊り出した領民に混ざってオフェリアもはしゃぎ、屋敷に帰りついた時には寝ぼけ眼であった。
そんな状態でも、もうちょっと遊びたかった、とオフェリアはわがままを言った。
「お祭りは三日も続くのだから。明日また楽しめばいいじゃない」
マリアに説得されてベッドに入れば、一分も経たないうちに夢の世界へ落ちていく。今夜は寝かしつけの本を読む暇もなかった。
オフェリアが眠ったのを確認してマリアが部屋を出れば、すぐにナタリアがやって来て、マスターズが報告のために屋敷へ戻ってきた、と声をかけてきた。
「遅くなりました。ドレイク様からの返事も頂いたので、それも併せてご報告させていただきます」
マリアの他にシルビオ、おじ、それからダニエル・バンクもマスターズの報告を聞くことになった。
ダニエルは領主であるおじの仕事を少し手伝っていたので、そのついででの同席となった――かつて屋敷で働いていたダニエルは、オルディス領に詳しい。それらについておじに引き継ぎを行っていたのだ。
「サミュエル・プラントとキシリアへの武器流出の一件、残念ながら確たる証拠を得ることができませんでした。恐らく、この一件は裏で伯父のプラント侯爵が絡んでいるものと思われます。そうなれば、やはりそう簡単に尻尾は掴ませないでしょう」
サミュエルにそんな知恵があるとは思えない――暗に、マスターズはそう言いたいのだろう。
それはマリアも同意だ。あの軽薄男とは面識があるが、そんな知恵が回るようには見えなかった。本名そのままの愛称を使って武器流出に絡むなど、浅はかさはすでに証明済みだ。
「それで……ドレイク様より、サミュエル・プラント自身を利用して、プラント侯爵に揺さぶりをかけてみてはどうかとの提案がありました。奴を始末するのは簡単です」
「もし手が必要なら、私に手伝わせてもらえませんか!?」
ダニエルが慌てたように口を挟んだ。
「サミュエル・プラントは隣の領の人間ということもあり、ローズマリー様とは昔からの知り合いでした。お嬢様ご自身に非がなかったとは言いません。しかしお嬢様の素行の悪さに拍車をかけたのはあいつだ。あの十五年前の大火災にも居合わせたあの男……!旦那様や、オルディス領にとっての仇も同然です!」
ダニエルは、十五年前の大火災が原因で命を狙われ、亡霊のように生きる羽目になった。直接手を下したのは当時のオルディス家の執事であったが、執事をそのような狂気に走らせたのは、大火災――そして、それを作り出した連中のせいだ。
「オルディス公、サミュエルの始末を私たちに一任させて頂けませんか。公爵とご領主殿に協力頂けるのであれば、オルディス領の迷惑になるような結果にはしません」
「……そうだね。私も、実を言えばサミュエル・プラントのことは見過ごせないと思ってはいたんだ」
おじが暗い声で言った。善良なおじにしては珍しく、敵意をにじませている。
「マリア、マーガレットの本当の父親が誰か聞いてきたことがあっただろう。私はあの時、ローズマリー自身もそれが分からないのではないかと答えた」
マリアのいとこマーガレットは、おじの実の娘ではない。伯母が、誰とも分からない男との間に生んだ子供。すでにどちらも故人であるため気にしていなかったが、父親の正体はいまだ分かっていない。
「いまもそれが正解だと思っている。たぶん、本当の父親が誰かなんてどうでもいいことなんだ。問題は、誰が父親だと名乗り出て来るかだ」
「おじ様は……もしやそれがサミュエル・プラントだとお考えで?」
「可能性はある。そしてその可能性をプラント侯爵が申し出てオルディスを乗っ取ろうとする危険を、常に考えてきた。皮肉にも大火災によりオルディスは破滅的な状況にあったおかげで、プラント侯爵は放置してくれていたが……」
苦しい状況にあったオルディス領のままであれば無視していたが、復興が進むいま、改めてプラント侯爵が権利を主張してくる恐れが出てきたということか。
「私は入り婿だ。生家もすでにない私では、プラント侯爵が主張してきた場合どうしても不利な立場になりやすい」
「公爵位を継いだとはいえ、外国人の私も厳しい状況には追いやられるでしょうね」
おじとマリアの思惑は一致した。
オルディスのためにも、サミュエル・プラントは邪魔だ。いとこの父親としての権利を主張できる人間は、消えてもらったほうが助かる。
「キシリア側としては賛同しかねる。サミュエル・プラントを下手に消せば、ガスパルを取り逃すことになる。逃げることに関しては一流だからな、奴は。ガスパルに関しては武器流出の証拠も何も必要ない。キシリア王を裏切った逆臣だ。その事実だけで十分死刑に値する。大罪人を取り逃したくない」
シルビオが言った。マスターズも頷きながら、苦い顔をしている。
「そこが悩みどころです。かといってガスパル捕縛を先にすれば、プラント侯爵も危険を察知して甥をどこかへ隠してしまうかもしれません」
「つまり、二手に分かれてそれぞれの敵を確実に始末しなくてはいけないということね。それもなるべく、双方に気付かれることなく穏便に」
当然、マリアはガスパル捕縛のほうにつく。
サミュエルはすでにドレイク卿が包囲網を敷いているのだ、そちらは任せきりでいい。
しかしガスパルを捕えると言っても簡単な話ではない。あちらはキシリアからの逃亡者。警戒もサミュエル側の比ではない。キシリア人のマリアやシルビオなど、無条件で警戒されるだろう。
特に、父親にそっくりなマリアはすぐに正体に気付かれる。あの男は憎いが、絶対に捕まえるためにも、今回は大人しくしているしかないのか……。
マリアが歯がゆく悩んでいると、ナタリアが執務室にかけ込んできた。
「マリア様。ノア様がお戻りです。伯爵とご一緒に!」
ナタリアの言葉に、マリアは心が躍った。
ホールデン伯爵が来てくれた――それは、何より心強い応援であった。
ヴィクトール・ホールデン伯爵はすでに応接室に案内されていた。上座に座る彼の背後には従者のノアが。そして伯爵の隣には、なにやら見覚えのある小柄な男が座っている。
「覚えているか。ムスタファだ」
マリアの視線を受け、伯爵が紹介する。ムスタファは愛想の良い笑顔を浮かべ、女の子だったなんて残念です、と話す。
思い出した。
マリアが男の子のふりをしていた際、それを信じたままマリアを襲った少年愛好家のチャコ人の富豪だ。彼とはキシリアで会っていたのだが、いまはエンジェリクへ来ていたのか。
「どうしてそんな男がここに、という顔をしている君たちのために簡潔に説明しよう。シルビオ、君が渡してくれた武器流出に関わった人間のリスト――あれにあったアブーというのは彼のことだ」
シルビオが帯刀していた剣に手をかけるのを見て、落ち着きたまえと伯爵が続ける。
「そう事を荒立てようとするな。オルディス公爵のことを説明したら、彼は自ら我々に協力したいと申し出てくれたのだ。武器流出も好きで関わったわけではない。断り切れぬしがらみがあって不本意な交流を持ってしまっただけのこと。その証拠に、君やキシリア王に全て証言すると話してくれた」
シルビオがムスタファに視線を向ける。ムスタファは、伯爵のおっしゃるとおりですよ、と相変わらずニコニコしている。
「ただし、それは私の条件にキシリア王が応じてくれれば、のお話です」
「ロランド王?エンジェリクの王ではなく?」
マリアが言った。
わざわざエンジェリクにまで来て、キシリアのほうの王に頼るとはなんとも不思議な話だ。
「あまり詳細は話せぬのですが……チャコ帝国で色々ありましてね。私も身の危険を感じ、外国へと逃げていたわけです。それで王に、住みつくための許可と保証をいただきたいのですよ。そうなると異教徒にも寛容なキシリア王のほうが都合がいい」
いまのエンジェリク王は保守的だ。異教徒を排除こそしないが、歓迎もしない。
それに対しキシリアの王ロランドは、父王トリスタンが異教徒に寛容だった……どころか、彼らの文化を好んでいた。その影響で異教徒にもおおらかだ。異教徒のムスタファが定住先として選ぶのは当然か。
「証言する、というだけでは信頼できんな。その証言も、大した中身ではないかもしれん」
シルビオが鼻先で笑う。
ムスタファはシルビオのそんな反応も想定済みだったようだ。ホールデン伯爵の交渉すらのらりくらりとかわすつわものだ。他にも交渉材料となるものを持っているに違いない。
「ガスパルという男の首……。キシリア王はご所望ではありませんか。聞けば、かつて王を裏切ったキシリア貴族だというではありませんか。私があの男に近づくお膳立てをしても構いませんよ」
マリアとシルビオが同時に反応するのを見て、ムスタファがわずかに笑みを深める――自身の勝利を確信して。
「キシリア人のあなたがたの手であの男を捕えたいでしょう?ですが、迂闊に近づけばあの男には勘付かれてしまう。私なら疑われませんよ。いかがです?」
翌日のオルディス領は朝から賑やかだった。
早くから露店も開き、領民たちは昨夜からの陽気さな雰囲気を保っている。オフェリアはそんな様子にワクワクしながらも、ヒューバート王子とシルビオの剣の稽古を見守っていた。
短期間の間に、ヒューバート王子はずいぶんと剣の腕を上げたと思う。果たして実戦で生き残れるほどなのかと言われると剣に詳しくないマリアには分からないが、シルビオと稽古をする姿はなかなか様になっている。初日の無様さは微塵も感じさせない――相変わらずシルビオの手に握られているのは木の棒ではあるが、それでもあれで殴られたら結構痛いのではないか。
「夜遅くまで素振りを続けていた甲斐があったな」
休憩中、シルビオに隠れて練習していたことをあっさり見破られ、王子は苦笑した。
「それは、見て見ぬふりをしてほしかった……」
「したさ。だから声はかけなかっただろう」
「いまここで全部話してしまったら意味がないと思うのだが」
ユベル頑張ってるんだねー、とオフェリアは笑顔だったが、たぶんオフェリアに気付かれたくなかったのだろうな、とマリアは思った。
ヒューバート王子とて、大好きなオフェリアの前では憧れの王子様でいたいはず。あまり格好悪いところを見せたくはないだろう。隠したかったことをオフェリアの前であっさり暴露してしまうシルビオはデリカシーがないのか、確信犯なのか……どっちもかな。
「あっ、伯爵だ。お姉様、私、伯爵とお話があるから、代わりにユベルがいじめられないか見張っててね!」
屋敷にホールデン伯爵がやって来る姿を見たオフェリアは、マリアの返事も待たずに、それだけ言って駆け出してしまった。
いじめてない、というシルビオの反論も、オフェリアの耳には届かないようだ。
「今日はお祭りに行かなくてもいいのかしら」
「準備が忙しいから、今日は屋敷にいるそうだよ」
ぽつりと疑問を漏らしたマリアに、なぜかヒューバート王子が訳知り顔で答える。準備?と問いかけても、秘密だよ、と王子は笑顔で誤魔化すばかり。
マリアはイラッとした。
「殿下。ご自分がオフェリアの特別だからと思って調子に乗っていませんか。また私の創作料理を食べさせますよ。最近傑作を思いついたんですから」
「それは……遠慮しておこうかな。いっそ直接毒を飲めと言われるほうがましだ……」
なんとも失礼な。
シルビオまで、たしかに毒のほうがましだな、と頷くのだから本当に失礼である。
……もっとも、昨日騙し打ちで食べさせて二人を引っくり返したのは悪かったと思う。
一応あれは、美味しくなるんじゃないかと思ってやったアレンジだったのが、自分で試す勇気がなくて二人を実験体にしてしまったのはやり過ぎだった……かもしれない。オフェリアにものすごく怒られてしまったし。




