怒り狂う
「この不埒者!」
顔を真っ赤にして叫び、ナタリアは手に持った箒をシルビオに向かって振り下ろす。それをかわすシルビオに、まったく悪びれた様子はなかった。
「その女がヤらせないのが悪い」
「言い訳にもなっておりません!このような場所で無理やり襲うなど、獣ですか!?」
「男など所詮その程度の生き物だろう。お前、もしかして生娘か」
シルビオの言葉にさらにナタリアが怒り狂い、箒での攻撃は激化する。二人の攻防に、ヒューバート王子はちょっと感心しているような表情だった。
マリアは苦笑し、王子から借りた上着のボタンを留めていた。シルビオに無理やり引き裂かれた服はボロボロで、いくらマリアでもこの恰好で屋敷内をうろつく勇気はなかった。
シルビオは屋敷に滞在しているのだが、部屋を決める段階からすでに一悶着起きていた。
「部屋を用意する必要もないだろう。お前のところに泊めろ」
当たり前のようにマリアの部屋を指名してきたので、いいわよ、とマリアは返事をしていた。
「私、自分の部屋で休むことはほとんどないから。今夜もおじ様の部屋だと思うし」
隠すこともなくおじとの関係をさらりと暴露すれば、おじのほうが動揺する。シルビオもムッとしたような顔をしたが、マリアとおじの関係は割りとどうでもいいらしい。
不機嫌丸出しの声で、なぜ俺じゃないと言った。
「わざわざキシリアからやってきた俺を労おうとは思わないのか」
「歓迎はするわ。でもあなた、簡単にヤらせたらすぐ飽きる性格でしょ。多少もったいつけないと。興味を持ってもらえなくなったら困るもの」
マリアの指摘に、それは一理あるかもしれないと納得しているような表情をするのだから始末が悪い。
「面倒になって他の女で済ませるようになるかもしれんぞ」
「それはいや。他の女なんか抱かないで。私にそれを言う権利がないのはわかってるけど」
嫉妬心や独占欲をにじませてマリアがワガママを言えば、シルビオも満更ではないようだ。
その時は大人しく引き下がり、部屋も別途客室を用意することで話がついた。
でもたぶん、女を連れ込むことを容認せざるを得ないのだろうな――とマリアが覚悟していたところ、シルビオは予想の斜め上の行動に出た。
マリアは、庭でシルビオに襲われてしまった。
ガーランド商会の事務所から帰ってきたところ――治安の良いオルディス領ではマリアも一人で行動することが多く。シルビオによって茂みに引きずり込まれ、大変美味しく食べられてしまうことになり。そこをナタリアに見つかった。
そしてシルビオは、マリアへの狼藉を咎められることになったのである。
「キシリアでマリア様を辱しめたことといい、マリア様をなんだと思っていらっしゃるのですか!」
「尻軽のあばずれに遠慮する必要などない。最初に誘ってきたのもあっちだ。それ相応の扱いをしただけで、何が悪い」
ナタリアはブンブン箒を振り回しているが、シルビオの言うことはもっともだ――と、マリアも思っていた。
ただ、マリアを襲ったことについては暇だったのも原因にあるだろう。
きなくさいプラント侯爵領。しかしいまは調べる手段がない。ホールデン伯爵が来てくれるまで待機することとなり、暇をもて余したシルビオは、暇潰しに庭でマリアを襲った……。
改めて考えてみると、箒を持ったナタリアに追いかけ回されるぐらいのお仕置きは受けるべきかもしれない。
「シルビオ、あの……」
ナタリアとの攻防を繰り広げるシルビオに、ヒューバート王子がおずおずと声をかける。
「君の気が向いたらでいいのだけれど、もしよければ、僕の剣の稽古の相手になってほしい」
「おまえの?」
シルビオはヒューバート王子をじろじろと見た。
シルビオには王子の正体を説明してある。正体を怪しんでいるわけではなく、明らかに剣を振るには向かない体格をしていることを考えているのだろう。
「どれぐらいできる?」
「初級の基礎程度……。それも独学でやってみただけだから、シルビオにはトレーニングにもならないかもしれないけれど……」
ヒューバート王子の言葉は、謙遜ですらなかった。かなり控えめに言っても、王子の剣は本当に大したことがない。剣に振り回されている。
シルビオはマリアの腕よりもずっと細い木の枝で対峙しているというのに、枝が折れることすらない。
二人の稽古を目撃したオフェリアが、ユベルをいじめないで、とすっ飛んできた。いじめてない稽古だ、とシルビオは反論し、マリアも同意した。
面倒くさそうに了承したシルビオだったが、意外と真面目にヒューバート王子の相手をしている。ときおり容赦ない反撃を食らわしてはいるが、王子に剣の振り方や防御の仕方などをきちんと教えていた。
ヒューバート王子に稽古をつける――これでシルビオも有用な時間の使い道を見つけたのなら一安心だ。
と、思っていたのに、翌日ガーランド商会の事務所を出た途端シルビオと出くわし、条件反射で身構えてしまった。
「王子の稽古に付き合うのはもう終わり?」
「まだ続けるさ。昨日、かなり容赦なくボコボコにしたからな。今日は休みにしてやっただけだ」
そう言えば、今朝の王子は遅れて朝食へ来ていたし、体を動かすたび痛そうに顔をしかめていた。筋肉痛と殴られた箇所が痛むのとで、王子はかなり疲れていたのだろう。
「それでも稽古は続けると本人は言っている。実力は話にもならんぐらいへなちょこだが、根性は認めてやってもいい。俺からの奇襲を避けれるぐらいには鍛えてやるさ」
それは結構、難易度が高くないか。
そう思いつつも、王子やシルビオのやる気に水を差すような発言は控えることにした。
「……今日は稽古休みだから、暇潰しに私を襲いに来たということ?」
「機会があればそのつもりだ」
しれっと答えるものだから頭が痛い。
「心配しなくてもいますぐここで襲ったりはしない。せっかくエンジェリクに来たのだから、俺も少しぐらいは観光でもしようかと思っただけだ。以前来たときは、そんなことをやっている余裕もなかったからな」
「それで私の仕事が終わるのを待っていたの?」
素直に頷くシルビオに、マリアは苦笑した。
「中に入ってきて私を呼べばよかったのに。それぐらいはあなたを優先したわよ」
「そう……なのか。仕事の邪魔をするのは、さすがにどうかと思って……」
決まりが悪そうにシルビオが言った。マリアはさらに笑う。
傍若無人なくせに、そんなところは気を遣って遠慮するだから。もしかして、ずっとマリアを待ってくれていたのだろうか。
「待っていてくれてありがとう」
別に待っていたわけじゃない、と答えつつも、シルビオは目を逸らしていた。
「さすがにいまからオルディスを案内するのは時間がちょっと。明日……は、また剣の稽古があるわね。なら、それが終わったら一緒に見て回りましょうか」
事務所の扉が開く音が聞こえ、マリアは振り返る。
マルセルも今日はもう帰るらしい。マリアに気付くと、お疲れ様ですとマルセルが挨拶をした。
「今日はあなたも、もうあがり?」
「はい。私用があるので、少し早めに切り上げさせてもらいました。クリスさん、また明日」
お疲れ様、と見送ったマリアは、シルビオが自分たちに背を向けていることに気付いた。マリアがどうしたのと声をかければ、シルビオは遠くなっていくマルセルの後ろ姿に視線を送る。
「あいつ、フランシーヌ人だぞ」
「知ってるわ」
「デュナン将軍のもとに出入りしていたこともか?」
マリアは凍りついた。
デュナン将軍――それは、ラプラス王家を滅ぼした軍人の名だ。いまのフランシーヌの皇帝でもある。将軍時代の印象が強いことから、皇帝になったいまも将軍というあだ名で呼ばれることが多い。
フランシーヌよりエンジェリクに嫁いだ二番目の王妃ジゼル――彼女の一族。つまり、ヒューバート王子の母方の親族をことごとく処刑した男。
そんな男と交流のあったフランシーヌ人が、いまオルディスに……。
「……間違いないの?」
「俺の父親は、一時フランシーヌにいた。キシリア王になるために、フランシーヌからの支援を漕ぎつけようと。俺もフランシーヌに出入りして……その時に、あいつにも会ったことがある。あいつの親父もフランシーヌ軍人だった」
シルビオとの面識。それをなぜ確かめようと思わなかったのか。マリアは自分のうかつさを呪った。
彼はフランシーヌという国にいたことがある。心当たりがあるかもしれないと、考えるべきだった。
「あいつはどこで寝泊まりしている」
「従業員用の宿舎……ではないはずよ。この近隣に住んでいると言っていたもの」
ガーランド商会は、出張なども多いことから従業員のために宿舎を手配してくれている。当然、地元で雇われた人間には無用の施設だ。
「今日は俺も用事ができた。観光はまた今度な」
そう言って、シルビオはマルセルのあとを追う。たぶん、彼がどこに行くのか突き止めるつもりなのだろう。
ヒューバート王子を匿うマリアにとっても重要なことだ。
シルビオの無事と尾行の結果を気にかけながらマリアが屋敷に戻ると、また新しい客が訪ねて来ていた。
役人のアレン・マスターズ――ジェラルド・ドレイク警視総監の部下だ。
「休暇を取って来ました!その、ナタリアさんにお会いしたくて」
照れ臭そうに言ったマスターズは、客人をもてなすナタリアに視線をやる。
ナタリアは困ったように笑った。マスターズは悪い人間ではないが、デイビッド・リースという恋人がいるナタリアにとっては対応に困る相手だ。
「そうですか……。でも、お役人様がいらしてくださったのは心強いです。あまり公にはできない問題が起きておりまして」
エンジェリクからキシリアへ武器が流れていること。ジェラルド・ドレイク警視総監にも相談しようと思っていたところだ。役人が、私人として訪ねてきてくれたのは助かる。
サミュエル・プラントという男のこと、そしてその伯父プラント侯爵。マリアは手短にマスターズに話した。マスターズは考え込んでいる。
「キシリアへ武器を……と、なると、私個人でどうにかできる問題ではありませんね。しかし公にできないという事情も理解できます。やはりドレイク様に相談して、知恵を借りるしかないでしょう」
「何か適当な罪をでっち上げて、しょっ引くことはできない?プラント侯爵の甥のほうは、どうにでもなりそうだけれど」
「そうですね。甥のサミュエルはかなり素行が悪く浅はかで、伯父の侯爵もほとんど見捨てている状態です。自分の体面を保つために一応庇ってはいるようですが」
ならば甥のほうを突くべきか。
それにしてもプラント侯爵の問題でも十分悩ましいというのに、マルセルという胡散臭い男が出てくるとは。
「マルセルのことはシルビオに任せた方がいいのかしら。一度に問題が起き過ぎて、私も何を優先すべきなのか決めかねるわ」
帰って来ないのではないか、という不安がマリアの頭をちらりと横切った。それが杞憂で終わった時は、心の底から安心した。
屋敷に戻ってきたシルビオは、マリアたちに結果を報告した――なぜか、メレディスと一緒に。
「寝床を完全に突き止めることはできなかった。分かったことは、マルセルは男と会っていた」
シルビオがちらりと横に立つメレディスを見た。メレディスはにこにこと笑い、久しぶりに会えたマリアを抱きしめる。
「途中でシルビオと会ったんだ。それで、僕も尾行を一緒に手伝うことになって」
「俺の尾行は完ぺきだった。こいつのせいで気付かれそうになって、撤退するしかなかったんだ」
シルビオがメレディスを指差して忌々しそうに言った。
「僕だってちゃんと役に立つさ。マルセル……だっけ?彼と会っていた男は僕が似顔絵を描いておいたよ」
スケッチをマリアに手渡し、メレディスが言った。
縮れ毛の茶髪に、軽率そうな顔立ち――見た瞬間、マリアは怒りのあまり紙を破りそうになった。
「この男、伯母様の浮気相手の一人じゃない!ナタリアを口説いて、自分の浮気相手すら見捨てたあのゴキブリ……!踏みつぶしてやればよかったわ!」
絵に描かれているのは、以前、伯母ローズマリーがこの屋敷に連れ込んだ男だ。
あの男のせいでナタリアは鞭打たれるところだった――別の女が一人、怒り狂った伯母の折檻で酷い目に遭っていたような気がするが、そっちはどうでもいい。
おじもマリアが持つスケッチを見て、慌てて口を挟んだ。
「ちょっと待って。そいつだ――サミュエル・プラント。間違いない。私の記憶にあるものより年を取ってはいるけど、ほとんど変わってない」
今度こそマリアは紙を破り捨てた。
……そうだった。伯母とあの軽薄男がやり取りをした手紙の中に、サムという愛称があった。ありふれた愛称だったから、いままでずっと忘れていた。
どうして忘れていたのか。同じ名前だということを、もっと疑うべきであった。
怒り狂うマリアに、おじやメレディスもわずかに距離を取っている。シルビオですらさりげなく後ろに下がっていた。
十五年前、オルディス領は大火災によって甚大な被害を受けた。
マリアの祖父も犠牲となり、大火災の傷跡によって生き残った領民たちも苦しい生活を強いられている。
その原因を作った一人のくせに、のうのうとオルディスへ来て、伯母と浮気を……。吐き気がする。いや、そんな上品な言葉では誤魔化せない。
――反吐が出る。
「……もっと悪い知らせがあるぞ」
シルビオが静かに切り出した。マリアは怒りを隠しもせず、思わずシルビオを睨みつける。
「マルセルが会っていた男は一人じゃない。ガスパルも一緒だった」
ガスパル――マリアの腹違いの弟を、死に追いやった男。弟はまだ三歳だった。
「……そう。そうなの。なんて都合が良いのかしら。私が憎むべき敵が、全員集まってくれるだなんて」
マリアは笑った。怒りの炎を鎮めることなく。
これは全て滅ぼせという、運命の導きに違いない。マルセルが何者かなんてどうでもいい。彼が敵を集めてくれるのなら、敵ごと不穏分子も消せばいいのだから。




