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紫色のクラベル~傾国の悪役令嬢、その貴種流離譚~  作者: 星見だいふく
第四部01 春を待つ雪解け
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新しい闇 (2)


おじの助手として、オルディスの屋敷の執務室で仕事をするのも久しぶりだ。久しぶりに行う書類整理を、マリアは絶好調で片付けていた。


おじも仕事中は真面目である。

事務仕事の合間に何気ないお喋りはしていたが、領主として有能なおじは、マリアの三倍ぐらいの量を平然とこなしていた。

マリアとてかなり優秀な部類に入るはずなのに、経験の差もあってやはり仕事の能力では敵わない。


エンジェリク王都での生活をあれやこれやと話していたが、ガーランド商会の話題が出て、商会の会長であるホールデン伯爵はまだ王都に残っている、ということをマリアは思い出したように言った。


「マリアと一緒に来るものかと思っていたのに。オルディス支店も本格的に開店させるみたいだったから……」

「本店を急にお休みさせてしまったので、その対応のため、しばらくは王都に残らなくてはいけないそうなのです」


すぐに片付けてオルディスに追いかけると言っていたが……。会えないのは寂しいのだが、別れる直前のやり取りを思い出すと再会するのが恐ろしい気もする。

……絶対、おじとの浮気に怒るだろうし。


「そうか……。メレディス君も、いまはガーランド商会を離れているんだっけ?」

「オルディスに来てはいるのですが、絵を描くために広い領内を放浪しているそうです」


おじが嬉しそうな顔を堪えようと曖昧な笑顔を浮かべるので、マリアは苦笑した。

愛人関係にある伯爵もメレディスも不在のいま、おじはマリアを遠慮なく独占できる。特に、おじとは長い間会えていなかったので、その分まで一緒にいたがっているのはマリアにもよく分かっていた。


午前中はおじを手伝い、昼からはガーランド商会の事務所に出向く。それがマリアの日課だった。去年オルディスにいた時も、こんな風に過ごしていた……。


事務所には、事務長のデイビッド・リースと、眼鏡をかけた真面目な従業員テッドがいた。


「こんにちは、クリス君。もしかして、手伝いに来てくれたんですか?」


男物の服を着ているマリアを見て、リースが目を輝かせながら言った。

ドレスよりも動きやすい男物の服を好むマリアは、時々男装をしてガーランド商会に働きに来ていた。男装と言っても、かなり女性らしい体つきをしているマリアが男に見えることはないが。


マリア・オルディス公爵として働くのは何かと不都合なので、この時はクリスと呼ばれている。


「メレディスもいないし、結構深刻な人手不足だと聞きまして」

「そうなんですよ!いよいよオルディス支店の開店も間近になって来ましたから、本当に忙しくて。開店直前にはメレディス君も休暇を終わらせて帰ってくるとは言ってくれているのですが、彼、絵に夢中になると、他のことは目に入らなくなる性格ですからねえ。約束をちゃんと覚えていてくれるか不安です」


マリアが苦笑し、リースの後ろにいるテッドも呆れたように首を振っていた。

――仕事に夢中になると他のことはすぐ忘れてしまうリースが言えたことではない。


「本店からもう少し人を寄越して欲しいのですが、あっちもいま忙しいみたいで」

「人手が必要なら、ドレイク警視総監にお願いしてマスターズ様を派遣してもらいましょうか?ガーランド商会には恩がありますから、きっと快く承諾してくださりますよ」


マリアが言えば、ぎょっとしたリースが慌てて首を降る。

ガーランド商会は以前、商売人絡みの事件で役人に捜査協力している。マスターズはガーランド商会に一時的に働きに来ていた役人だ。

リースの大切な恋人――ナタリアを巡る恋のライバルでもある。


「いえ、それは結構です!一応、こっちでも新しい人を雇ったばかりですから!」


新しい人、とマリアが聞けば、テッドが頷いた。


「そろそろ彼も出勤してくる時間だ。初日の昨日からリースさんが仕事押し付けすぎて、日付けが変わるまで仕事をさせる羽目になってな。今日は昼からの出勤でいいってことになったんだ」

「とっても優秀なんですよ。メレディス君よりはちょっと若いですかね」


上機嫌に話すリースに対し、このリースさんにけろっとついてくるのは三人目だ、とテッドが小さく呟いた。

仕事大好き人間のリースにいままで平然とついてこれたのはマリアとメレディスだけ。他は、異常な仕事量に泣いて逃げ出している。


事務所の扉が開き、件の新人君がやって来た。


「おはようございます」

「おはようございます。丁度良かった、いま君のことを話していたところなんですよ」


入ってきた青年を見てマリアはドキッとした。

青年は外国人――しかも、フランシーヌ人ではないのか。


「クリス君、彼が新人のマルセル君です。マルセル君、こちらはクリス君――男性服を着てここへ来ている間は、そう呼んであげてください」


リースに紹介された青年は、愛想の良い笑顔で応じた。マリアも笑顔で返し、内心の動揺は表に出さなかった。


ヒューバート王子の母親は、フランシーヌの王女。しかし祖国で革命が起き、王女の一族はことごとく処刑されてしまった。

フランシーヌの新しい政権は、エンジェリクに王女の引き渡しを要求したそうだ。


すでに子を身ごもっていた王妃を引き渡すことは、人道のためにも国のためにもエンジェリク王が拒否した。

そうして生まれた王子は、エンジェリク王室が守ってきた。


そんな事情を抱えるヒューバート王子が城を離れてオルディス領へ来たタイミングで、フランシーヌ人が現れる……。

あまり、良い予感はしない。

ホールデン伯爵は不在。堪らなく不安であった。


何気なさを装いながら、マリアはマルセルと共に仕事に取りかかる。

マルセルがフランシーヌ人なのは間違いなかった。彼に書いてもらった書類には、時々フランシーヌ語が混ざっている。

指摘すれば、フランシーヌで暮らしていた時の癖が抜けなくて、と本人もあっさり認めていた。


ガーランド商会は訳ありの人間も多く、詮索はしないのが暗黙の了解だ。マリアも、下手に詮索してかえって彼の注意を引くことになってしまうのは避けたい。

ただ、ヒューバート王子とは会わせないようにしたほうがいいだろう。


そう考えながら普段通りに仕事をしていると、窓からマサパンを連れたオフェリア、ベルダ、そしてヒューバート王子の姿が見えた。


「リースさん、妹が戻ってきたみたいなので、私もこれで帰ります」


引き留めようとするリースを聞こえなかったふりでやり過ごし、マリアは急いで事務所を出た。


オフェリアが可愛がっている犬のマサパンは、ガーランド商会で飼われている。

オルディスにいる間は事務所からマサパンを連れ出して領内を一緒に探索し、日が暮れる前に事務所に帰しにくる――それがオフェリアの日課だ。

今日も必ず来ることはわかっていたのにすっかり忘れていた。そしてヒューバート王子も、確実に一緒についてくるということも……。


ヒューバート王子をフランシーヌ人のマルセルに会わせないためにも、事務所に入る前にオフェリアたちを止めなくては。

しかしマリアが声をかけるより先に、ガーランド商会の従業員の一人、頭頂部がちょっと寂しいのが特徴的なポールがヒューバート王子たちを呼び止めた。


「やあ、大変でしたでしょう。やんちゃで、人を振り回してばっかりな犬なので」


ポールがマサパンを指して言えば、王子はいいえ、と答えた。


「賢くて聞き分けの良い素直な子でした。僕のほうがはしゃいで連れ回してしまったぐらいで」


王子の笑顔に、ポールが険しい顔をした。そしてマサパンをじとっと睨む。


「……前から思ってたんだが、おまえ、力がある相手には媚びるタイプだろう。この権力の犬めっ!」


怒るポールに対し、マサパンは犬だよー、と見当違いなつっこみをオフェリアは入れていた。


「オフェリア」


ポールが引き止めてくれたことにホッとしながら、マリアはオフェリアたちに声をかけた。

オフェリアより先にマサパンがマリアに飛びついてくる。少し遅れてオフェリアも抱きついてきた。


「お姉様だ!迎えに来てくれたの?」

「そんなところよ。今日はマサパンを屋敷に連れ帰りたいって、リースさんにお願いしてきたわ」

「マサパンも一緒に?わーい!」


マリアの嘘を信じ、オフェリアはぴょんぴょんと跳ねて喜ぶ。マサパンもオフェリアにつられて嬉しそうに跳ね回っていた。

オフェリアに気付かれないよう、マリアはベルダにさりげなく近づいて小声で言った。


「ベルダ、事務所へ行って、リースさんにマサパンをうちで泊まらせたいってお願いして来てくれる?」

「はい、分かりました」


ベルダは詮索することなく、事務所へ向かった。

オフェリアは不思議そうな顔をしてベルダを見ていたが、ナタリアのことだから秘密ね、とマリアが言い聞かせれば、ちょっと顔を赤らめながらにんまりと笑っていた。

何を想像したのかは聞かないでおこう。


帰り道、オフェリアがマサパンとじゃれ合っているのを確認しながら、マリアはヒューバート王子に、マルセルという知り合いはいないか尋ねた。


「フランシーヌ人のようなのですが、お母様からそのような名を聞いたことはありませんか?」


ヒューバート王子は首を振る。


「僕も、母とはあまり話をしなかったから。母は、自分の世界に閉じこもっている人だった。祖国フランシーヌのことすら、ほとんど語らなかった。僕の記憶にある母との会話は、陛下がいかに冷淡で、自分がいかに憐れな王妃かということについてだけだ」


芳しくない答えではあったが、王子に期待していなかったので落胆することもなかった。

マルセルは、マリアやヒューバート王子と年が近いように見えた。ヒューバート王子の母親と、直接の面識があったとは考えにくい。

……ただの杞憂で終わってくれればいいのだが。


屋敷に着くと、門の手前でナタリアと出くわした。マリアの姿を見て、慌てて駆け寄って来る。


「マリア様!マリア様に、お客様が……!」

「客?」

「シルビオ様です!あの無礼な黒服の男!」


苦々しく話すナタリアに、マリアは目を丸くした。

シルビオ――キシリアにいるはずの彼が、なぜエンジェリクに。しかも、マリアを訪ねて。


シルビオは応接室に通され、領主であるおじから一応もてなしを受けていた。おじも突然の訪問者の対応に困っていたようで、マリアを見てホッとしている。


「本当にシルビオが……。でもどうして?キシリアで何かあったの?」


シルビオは、マリアの故郷キシリア――そのキシリアの王に仕える臣下の一人。


マリアはごく最近、キシリアから帰ってきたばかりだった。王位継承を巡ってキシリアの王とその伯父が争い、キシリアは一年に渡って内戦状態にあった。

父親を始めマリアの一族の多くが犠牲となったあの争いが、ようやく終焉したばかりだというのに。


「フェルナンドとの戦いが終わっても、それでロランド王の治世が安泰なわけじゃない。敵の一人が片付いただけ。奪われた領土を取り返すため、すでにオレゴンとの戦争に向けて準備を進めている」


キシリアの隣国オレゴン。キシリアは王位を巡る内戦の最中に、その領土をオレゴンにいくつも奪われていた。

シルビオの言うように、内戦が終わっても王の戦いが終わったわけではない。次の敵との戦いが始まるだけ……。


しかし、それならなおのこと、シルビオは王のそばを離れて外国に来ている場合ではないはずなのだが。


「すぐ戦を始めるわけじゃない。まだキシリア国内も混乱が続いている。オレゴンとの戦が始まるのは、春も少し過ぎた頃。オレゴンの油断を突く。それで、だ。オレゴンとの戦が始まる前に、危険の芽は摘んでおこうと考えた」

「危険の芽?」

「ああ。キシリア国内で不審な武器の流れがある。国のどこかで、王に隠れて武器のやり取りをしている連中がいるということだが……生憎、まだどこへ流れていっているのはつかめていない。そっちは国内の話だからまだいい。問題は、出どころかエンジェリクということだ」


王に隠れて武器のやり取り。

その目的は多くの場合、王への反乱。良からぬことなのは間違いない。

それにエンジェリクが関わっているだなんて。


「キシリアは、エンジェリクにとって友好国だ。キシリア王への反乱を手助けするだなんて、そんなことが許されるはずがない。国際問題じゃないか」


同席していたおじが口を挟んだ。シルビオが頷く。


「まさにそれが一番の問題だ。この一件、真実がどうであれ、キシリアとエンジェリクの友情が崩壊しかねない。そういうわけで大っぴらに調査するわけにもいかず、俺が内密に調べに来たというわけだ。ところが俺は、エンジェリクのことはよくわからん」

「それで私を頼りに来たということ?」


マリアが説明を引き継げば、シルビオがもう一度頷いた。


「エンジェリクで、お前以上に信頼できる人間はいないからな。それともうひとつ。その武器のでどころ、どうやらこの付近らしい」

「オルディス領は絶対に違う」


おじが即座に答えた。


「実はオルディス領も候補に入っていた。だからマリアの存在が重要なんだ。マリアがいるのなら、候補から確実にオルディス領は除外できる。そこを拠点にできるのなら調べやすい」


シルビオは懐から紙を取り出し、マリアやおじに向かって見せた。

紙には人の名前らしきものが書き連ねられている。しかしファーストネームばかり――どれもありがちな愛称だ。


「武器の流通に関わっている人間の名前だ。分かっているのは名前だけ。おそらくが偽名だが……偽名を使うにしても、どこかに本名との関わりがあるかもしれないと思ってな。心当たりはないか?」


マリアは首を振った。

同名の人間ならば知らないこともないが、この名前だけで果たしてそれを指しているのかは分からない。


おじは名前のリストを見て考え込んでいた。


「この、サミーって名前なんだけど……。ローズマリーと交流があった男に、サミュエル・プラントという人間がいた」


おじが挙げた名前に、マリアも考え込んだ。

その名前はマリアも知っている。オルディス領に甚大な被害をもたらした大火災――あれに関わっていた貴族の一人だ。


悩んでいるようなおじを見て、シルビオも何かを察したようだった。


「その男、何か疑わしい点があるのか?」

「プラント侯爵の甥だ。プラント領は、オルディスに隣接している」


そしてプラント領は、オルディスにも流れている大きな川の下流域にあたる。つまり、海に出やすい地域。

共通点のある名前、疑わしい地域の人間……。単なる偶然とは片付けにくい。


「悩む余地もなく、そいつを調べるべきだな。どうせ他に有力な手がかりもないんだ」


しばらくシルビオが滞在することになったが、マリアはホールデン伯爵の不在がさらに惜しくなった。


オルディス領の大火災の一件で、プラント侯爵は確実にマリアたちを警戒している。あの火災の真実を知られていることは、プラント侯爵にとってかなり都合の悪いことなのだから。

そうなると、マリアが動くわけにはいかない。いまこそ、ホールデン伯爵の情報網に頼りたいのに……。


休養も兼ねてオルディス領へ来たが、どうやらゆっくりしているわけにもいかなくなった。

マリアの行く手には、常に何かしらの闇がつきまとうらしい。


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