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紫色のクラベル~傾国の悪役令嬢、その貴種流離譚~  作者: 星見だいふく
第三部02 仇敵
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戦が終わった夜


勝者と敗者の対面。やはりそれは、険悪な雰囲気をはらんでいた。

四肢の自由を失い、自分で身体を支えることもできないフェルナンドは、椅子にもたれかかったまま視線だけをロランド王に向けてた。惨めで憐れな敗者を見つめるロランド王の眼差しは、氷のように冷たい。


「ロランドよ……このように、憐れな年寄りに追い討ちをかけるつもりか……私はおまえの伯父だぞ」

「そして我が父の敵であり、余の忠臣たちを手にかけた仇でもある。立場が逆であったら、貴様は余に慈悲をかけたか?かけぬであろう。余も同意見だ」


命乞いをするフェルナンドの姿にキシリア王族の誇りはなく、ロランド王の憐れみを誘うよりも、その怒りに火をつけている――マリアはそう感じた。

せめて、敵であっても、その血筋に相応しい高潔な散り際であってほしかったものだ。


「誰が私を処刑する?こんな……ただ死を待つだけの、気の毒な老人を……」

「処刑人はそこにおる。自ら名乗り出てくれた」


この場で、国王以外に唯一武器を持つことが許された処刑人。剣を抜くシルビオに、フェルナンドの顔にはっきりと恐怖の色が浮かび上がった。


「この親不孝者め……!実の父を手にかけるか!」

「俺ほどの孝行息子はいないさ。惨めな姿をこれ以上晒すことなく、苦しまぬようにあの世へ送ってやる」


淡々と話すシルビオには、微塵のためらいもない。

マリアはそれを、目を逸らすことなく見ていた。黒いドレスを身に纏ったマリアに、フェルナンドが縋るような視線を送る。


「クリスティアンの娘よ。あやつは慈悲深い男であった。気性の激しいトリスタンをなだめ、奴の行き過ぎた裁きも止められる男であった。クリスティアンが生きていたら、この状況を何と言っておったか――」

「さあ。あなたが殺してしまったので、父がこのような場で何を言ったか、永遠に私には分かりません」


冷静なマリアの声に、フェルナンドが押し黙る。目の前の男に、復讐心を抱くことすらない。


――復讐など考えるな。

私はあなたの言いつけを守ったわ、お父様。フェルナンドに復讐したいと思ったことなんか一度もなかった。ただ自分の言った言葉を、忠実に守り続けただけ。


「クリスティアンはあなたに負けたけれど、セレーナは勝ったのよ。あなたは死に、私は生き残るのだから」


断罪の剣が振り下ろされる。


刎ねられた首を所望する者はいなかった。

最期に醜態を晒してくれたおかげで、その価値もない男になり下がってしまった――二代に渡り、王を苦しめてきた男だったというのに。


「皆の者大義であった。長年に渡る忠義に、余は深く感謝しておる。特にマリア。余のために、そなたは一族の大半を喪うことになってしまった。感謝などという言葉ではおさまるものではない」

「ならばどうか、王としての矜持を失うことなく、その務めを全うしてくださいませ。ロランド様が偉大なるキシリアの王であられることこそが、父や兄たちの忠義に報いるただひとつの道でございます」


マリアの言葉に、ロランド王が頷く。


「クリスティアンの墓前に誓ったこと、忘れるつもりはない。マリア、クリスティアンは、そなたの母が眠る尼僧院に葬った。兄、弟、叔父も同じ場所に。セレーナの先祖が眠る僧院に移してやりたかったのだが、フェルナンドとの戦が続いていては近づくこともできなくてな。改めて、そなたのほうから手厚く葬ってやってくれ」

「勿体ないお言葉です」


内戦で命を落としたのはマリアの父親だけではない。父方の叔父、義理の兄、腹違いの弟――彼らはセレーナ一族が眠る僧院に移し、父だけは母の眠る尼僧院にそのまま……。

いずれマリアがキシリアに帰ってきたときに、改めて彼らを悼もう。オフェリアと共に。


「王よ。実は私からも、王に申し上げなければならないことがあります」


王妃アルフォンソのこと。

王妃の侍女たちは、王の怒りを恐れて打ち明けることができない。かといって、王妃自ら告げるのも、あまりにもむごいことだ。

そういった事情から、マリアが王に話すことになっていた。


「お人払いをお願いします」


ロランド王が臣下に目配せし、男たちは退出する。事情を知っているナタリアも、彼らと共に部屋を出た。


「内戦より避難しておりましたアルフォンソ様は、流産なさいました。続く体調不良は、その影響です」


驚愕に、王が目を見開く。絶句し、開いた口からは呻き声すら漏れなかった。


「……なぜ、すぐに知らせなかった。妊娠したことすら私は知らなかったぞ!」

「戦に赴く王の足枷になるまいと、王妃様より固く口止めされていたのです。現に、そのように動揺なさっているではありませんか。その状態でフェルナンドと戦っていたら、結果は違っていたかもしれません」


震えるように溜息をこぼし、王がよろめく。壁にもたれかかったロランド王は、拳を握りしめ壁を殴りつけた。


「これが王になるということか。守りたいものを何一つ守れず、この手からこぼれ落ちるばかりだ……!」


愛する女性との子。親の代から仕え、親も同然に支えてくれた宰相。王のため、国のために命を散らした忠実なる臣下。巻き込まれた罪なきキシリアの民。


それらの命と引き換えに得た王冠を頭上に戴くことが、王の務め。

ロランド王だけではない。歴代の王が犠牲にしてきた命――それに、さらなる重みが加わっただけ……。


「救われる者もいます」

「何が救いだ!そもそも、私が絶望に叩きこんだのではないか!それを一時のまやかしで、救ったように見せかけたに過ぎぬ!」

「それでも希望は残ります。私は、その希望に縋って今日まで生きて参りました」


ロランド王が振り返り、マリアを見る。


父を喪い絶望の淵にあっても、キシリア王が勝利してくれるという希望は失わなかった。その希望は、間違いなくマリアの支えであった。


「そしていま、アルフォンソ様は希望を必要としております。王よ、どうか王妃様をお救いください。アルフォンソ様をお救いできるのは、ロランド様だけですわ」


もう一度溜息をついたロランド王は、いくぶんか落ち着いた様子に見えた。


「……アルフォンソのもとへ行ってくる」


そう言って部屋を出て行く王を、マリアは静かに見送った。

悲しみの淵にいる王妃にとって、王の無事な姿は何よりの励ましになるはずだ。いくらマリアが慰めようと、王の言葉に勝るものはない。


「マリア」


王を見送ったマリアが部屋を出ると、王の家臣サンチョに呼び止められた。

サンチョはマリアの父クリスティアンの古くからの友人でもあり、先王トリスタンの時代からキシリア王に仕えるキシリア貴族であった。


「王はアルフォンソ様のもとへ行ったのか。いや、何も言わずともよい。お前が人払いをしてまで王に話すとなれば、アルフォンソ様のこと以外有り得ぬ。気丈なアルフォンソ様が、ご自身で話せず人に頼る内容――おおよそ想像はつく」


サンチョは深く詮索せず、咳払いをして話題を変えた。


「実は、わしからも頼みがある。シルビオのことだ。いまさらシルビオの忠誠を疑うつもりはない。だが、血の繋がった親兄弟をその手にかけたのだ。思うことがないわけではないだろう。お前のほうから声をかけてはくれぬか」


とうに見限った親兄弟であっても、それでも血は繋がっている相手。サンチョの心配はもっともだ。


「本当は王にお出ましいただくのが一番良いのだがな。王妃様が関わるのであれば、そちらが優先であろう。シルビオのことは、マリア、任せてもよいか」


サンチョに促され、マリアはシルビオのいる部屋を訪ねた。


部屋の前には、父親のところにいたときからシルビオにつき従っていた従者が立っている。マリアを見るとわずかに頭を下げ、中に入ることを許した。


シルビオは、長椅子に腰かけぼんやりとしている。テーブルの上に酒瓶と杯が置いてあるが、それに手をつける様子もない。


「飲むか?」


気配に敏いシルビオは、部屋に入ってきたマリアにすぐに気付き、振り返ることもせずテーブルを指して言った。


「お酒は嫌いなの。しょっちゅう引っかけられて。臭いが嫌いよ」

「何があったら、そんな経験を何度もするんだ」


シルビオが笑う。だがどこか虚ろだった。

足置きにしていた椅子から足を降ろし、自分のそばに引き寄せる。そこに座れということだろうか。マリアは大人しく座った。


しばらく沈黙が続く。先に口を開いたのは、シルビオだった。


「……マリア、結婚しないか」


マリアは鼻先で笑い飛ばした。


「妻が欲しければ他の女に頼みなさい。私は結婚には向かないわよ、あなたと同じぐらい」


シルビオも同調し、また笑った。


「そうだな」

「どうせ今夜だけの気持ちよ、そんなもの。あなたが女に望むものは一夜の相手。その時の自分の気持ちがおさまれば、あなたはそれでいい男だわ」


シルビオもマリアと同じだ。

この内戦で一族を全て喪った。ベラルダ家の生き残りは彼一人。さすがに父親を手にかけたことで、家族というものについて感傷的な想いを抱いているのだろう。だから、マリアに結婚など持ちかけた……。


「俺も所詮、つまらん感傷に浸るような男だったということだ。下らんことを言った。聞き流せ」


マリアは立ち上がり、シルビオにのしかかるように座る。


「一晩の相手になら、なってあげてもいいわよ」

「普通、女が望むのは逆じゃないか」

「私に普通を求めるほうがどうかしてると思わない?」

「……違いない」


シルビオはマリアの腰を抱き寄せた。マリアは自ら黒のドレスを脱ぐ。


「今夜は跪いて懇願しなくてもいいのか」

「そういう趣向がお望みなら、付き合ってあげてもいいけど」


そんなことをさせてくれる相手、私だけだものね。

マリアが不敵に笑ってそう言えば、シルビオもニヤリと笑った。シルビオが、マリアの着ているドレスに手をかける。


「ちょっと、自分で脱ぐからやめて。王妃様から頂いたドレスなのよ。もっと丁寧に取り扱って」


嵐でドレスを失ったマリアは、王妃から譲ってもらったドレスを着ていた。

大切なドレスだからこそ自分で脱いでいるのに。普段マリアが着ているものは、大半が男から贈られた物――脱がしやすさが重視されている。

脱がせにくいこのドレス。シルビオが適当に脱がせにかかることを、マリアは抗議した。


「その手のドレスは、むしろ引き裂いてやりたい衝動に駆られるものだ」

「本当にやめて」


顔は笑っているが、シルビオの目が真剣そのものだ。本当に破かれかねない。

男はなぜ、こうも脱がすことにこだわりたがるのか。どうせすぐ脱がすのにやたらと服を贈りたがる誰かさんたちといい、手間がかかるだけだというのに。


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