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紫色のクラベル~傾国の悪役令嬢、その貴種流離譚~  作者: 星見だいふく
第三部02 仇敵
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キシリアの王は (1)


町はとても静かだった。

海に面した港の町――本来なら、住人や商人、旅人たちがにぎやかに行き交っているだろうに、いまは武装した男たちが占拠している。もとの住人たちは家の中に立てこもって隠れているのか、もしくは追い出されたか。


侍女のナタリア、従者のノア、海軍提督ブレイクリーと提督の部下である水夫二名。彼らを供に、マリアは船を降りた。

マリアを出迎える若い男……の背後に控える黒衣の男に、マリアは密かに息を呑んだ。


「なかなか良い女じゃないか。クリスティアンに似た娘と聞いてたから、期待はしてたが。これをすぐに殺してしまうなんて、父上ももったいないことをするなあ。お前もそう思うだろ、シルビオ」


傭兵たちの先頭に立つ若い男が、後ろにいるシルビオに向かって気軽に言った。シルビオが、同調するようにかすかに頭を下げる。


マリアとキシリア王ロランドの共通の敵フェルナンド――その息子シルビオ。

マリアの父親との出会いを経て、彼は自分の父でもあり主人でもあったフェルナンドを見限り、ロランドに忠誠を誓ったはず。

なのにいまここにいて、どうやらこの場の総大将を務める男に従っている……。


しかし総大将を務めている男。主人の息子にこんな気軽な口を聞けるということは……彼がフェルナンドのもう一人の息子、そしてシルビオの兄フリオだ。


精悍なシルビオに比べると、兄のほうは大したことのない面構えで、軟弱な印象を受ける。

痩身というのであればノアやシルビオも細いほうではあるが、兄フリオは、戦士に相応しい鍛錬をしていないのではないかと感じた。


「父上がその手で殺せればいいのだろう。なら、少しぐらい僕が味見をしたって構わんと思わないか」


フリオはニヤニヤと、下卑た笑みを浮かべてマリアを品定めする。

従者のノア、行く末を見守るためについてきてくれた提督や水夫たちが、フリオに敵意を飛ばす。


マリアは寝衣にマントを羽織っただけの、男の欲望を煽りやすい格好をしていた。

ドレスは嵐の一件ですべて失っている。せめて男物の服に着替えてほしいとナタリアに懇願されたが、敵の油断を少しでも誘えたらとマリアはこの恰好を選んだ。


効果はあった。マリアが白い目をフリオに向けるが、その生意気さも相手の征服心を煽っているようだ。


「父上はいつも自分のことしか考えない。僕らも、自分の分の報酬は自分で確保しておかないとなあ。そうだろ?」


弟に振り返ることなくフリオが言った。しかし、マリアは見た。帯刀した剣に、シルビオが手をかけている。

目の前の女に視線を奪われている兄にさりげなく近づき、剣を抜いた。


マリアの目の前で、フリオの首が飛ぶ。一瞬の出来事に呆気に取られる者……は、半数もいなかった。

シルビオの動きに合わせるように傭兵の半数も剣を抜き、仲間を斬り捨てていく。ノアがすぐにマリアを下がらせ、提督たちもマリアとナタリアを庇った。


「黒いスカーフを付けているのは俺の部下だ、それ以外は全員殺せ!生き残りを出すと、フェルナンドのもとに逃げ込まれるぞ!」


シルビオの言葉に、ノアも剣を抜く。敵の何人かは、マリアを狙っていた。ノアの護衛と提督の強烈な拳に、近づくことすらできていないが。


提督の部下の二人はノリノリで乱戦の中に飛び込んでいく。彼らは暴れたいだけだろう。嵐を乗り切り、長い航海の疲れも感じさせずはっちゃけている。

船に残って成り行きを見守っていた水夫たちが、応援なのか野次なのか分からない声援を飛ばしていた。


奇襲を受け、敵は呆気なく全滅していく。ノアと提督の背後で、マリアはただそれを見ているだけだった。

ノアが強いことは知っていたが、提督も圧倒的な強さだ。武器を持った相手に、ほとんど素手で勝っていた。


「加勢に感謝する。だが俺の裏切りが発覚するのも、時間の問題だ」


剣を収めると、シルビオがマリアたちのほうに詰め寄って来た。


「マリア、俺たちを乗せて船を出すよう、そっちのエンジェリク提督を説得しろ」

「何の事情も説明されないまま、説得だけしろと言われても」


マリアが提督を見れば、了承しかねるという表情をしている。当然だと思う。マリアも説得のしようがない。


チッと舌打ちし、シルビオがマリアの服に手をかける。

ビリッと豪快に破られると、ナタリアが真っ青になって悲鳴を上げた。


「さっさと俺たちを船に乗せろ。さもないとこの女、この場で犯すぞ」

「その脅迫をするのに、マリア様の服をわざわざ破く必要があるのですか!?」

「俺の個人的士気が上がる」

「マリア様の肌は、あなたのやる気を上げるための道具ではありませんっ!!」


激怒するナタリアと、悪びれる様子のないシルビオ。マリアの格好を覗きこもうとする部下を拳骨で吹き飛ばし、船から身を乗り出している水夫たちを「後ろ向け、見るなド阿呆がーっ」と叱り飛ばす提督。


当人のはずなのに置き去りにされたマリアは、目が点な状態だった。 そんなマリアにマントをしっかり着こませ、肌が見えないよう、ノアが配慮していた。




何が何だか分からないままシルビオとその部下たちは乗船することになり、船は再び出港した。

行き先はシルビオが指示を出している。説明をする前に着替えて来いと言われたので、マリアはいったん部屋に戻って男物の服に着替えた。


着替えて甲板に出ると、東の空は暗くなっていた。


「ロランド王は、この先の入江の洞窟に身を隠している。フェルナンドの陣営は目と鼻の先――恐らくこれが、最後の戦いになる。勝つために、マリア、お前をどうしてもキシリアに呼ぶ必要があった」


シルビオが説明を始めた。


「厳密にはお前じゃなく、お前が連れて来るエンジェリク海軍。公爵にまでなったお前をキシリアに送るなら、エンジェリク海軍の護送がつくと思っていた。まさかそれが、エンジェリク最強の海軍提督だったのは予想外だったが」


相変わらず読めん女だ、とシルビオが笑う。


「俺はロランド王を裏切ってはいない。ロランド王も負けたわけじゃない。フェルナンドが勝っているように見せかけるため、俺とロランド王で謀っただけだ」

「フェルナンドがキシリア王となって、エンジェリク王に私の身柄引き渡し要求をさせるために?どうしてそこまで私を――というより、エンジェリク海軍を呼び寄せたかったの?」

「キシリア海軍が裏切ったからだ。海軍提督イシドロ。奴がフェルナンドについた」

「ちょお待て」


シルビオの話を黙って聞いていたブレイクリー提督が、堪りかねたように口を挟んだ。


「キシリアの海軍提督言うたらバサンやろ。誰やイシドロって」

「バサンの副官だった男だ。上官を謀殺して、自ら海軍提督を名乗っている」

「なんやと!?」


ブレイクリー提督が激高する。


「バサンはワシが、あいつの船ごと沈めたるはずやったんや!そんなどこの馬の骨とも分からん男が、ワシの獲物を横取りしたってか!?」

「イシドロへのリベンジなら、すぐに果たせるぞ。軍艦はある。だがそれを指揮できる人間がいない。俺も王も、海戦に関してはドがつくほどの素人だからな。エンジェリク最強と言われる海軍提督が指揮官になってくれるなら、これほど心強いことはない」

「当たり前や!バサンを騙し打ちで倒した程度で、最強になれたと思わせてたまるか!」


どうやらバサンというキシリアの海軍提督は、ブレイクリー提督にとって宿命の好敵手だったようだ。

ライバルを騙し打ちで殺されたことに怒る提督に、部下の水夫たちもやれやれと首を振る。


「提督。外国の戦争に勝手に関わったりしたら、エンジェリク帰ったとき、どえらいことになりますよ」


一応説得を試みてはいるが、知るか、と提督は一蹴する。


「ワシは、船乗りとして好きなようにやらせてくれる言うたから海軍に入ったんや。別に提督の地位なんか、いつ捨てたってええ。軍法会議にでもなんでもかければええわ!」


無茶苦茶ですね、とノアが同情するように言えば、いつものことっスよ、と水夫が返した。

ひとつのことに夢中になると周りが見えなくなるのは、誰かさんそっくりだ。エンジェリクには、こういう男しかいないのだろうか。




空が完全に闇の色に包まれた頃、シルビオに先導され船は入江の洞窟に着いた。 大きなエンジェリク軍艦が、狭い洞窟内を易々と侵入していく。どこかにぶつかってしまうのではないかとハラハラするマリアに、この程度心配いらん、と提督が声をかけた。


「マリア、来てくれたか!」


船を着けると、ロランド王がマリアを出迎える。マリアの記憶にたがわぬ勇敢で凛々しい姿に、心から安堵した。


「ご無事なお姿を拝見できて安心いたしました。フェルナンドがドラードに入ったと聞き、心配しておりましたの」

「不安な思いをさせてすまなかった。それに、とても恐ろしい思いもさせた。勝つためとはいえ。許せ」


王の力強さは健在だ。それを確認できたことで、マリアを覆っていた闇はすっかり消え去ったような気分になった。

やはりキシリアの王は、マリアにとって、永遠に沈むことのない太陽のような存在だ。


「ブレイクリー提督、よくぞキシリアへ参られた。騙し打ちのようなかたちで貴方ほどの人間を戦に巻き込んでしまったこと、どうか許してくれ」


ロランド王はブレイクリー提督を歓迎し、男たちはそのまま戦に向けての作戦会議を始めてしまった。


こうなると、女のマリアにできることはない。ナタリア、ノアと共に隅っこで大人しく座っていると、シルビオがやって来た。


「マリア、頼みがある。ノアをこの戦に貸してくれないか」


マリアはノアを見た。ノアも、相変わらずのポーカーフェイスでマリアに視線を返す。


「手短に説明すると、今回の戦は海と陸、二方向から攻めることになる。必然的に戦力は分散されることになり、頼れる兵士は一人でも多いほうがいい。海戦のほうはエンジェリク海軍という大きな追加戦力を得られたが、陸戦は――」


シルビオが言葉を切った。


頼りになる兵士。その意味を、マリアも理解していた。

内戦における最大の脅威は、敵の強さではない。味方の裏切り。現にキシリア海軍は、味方の裏切りによって敵に回ってしまった。


皮肉なものだ。真意の分からぬ忠誠を誓うキシリア人よりも、単純な利害の一致で手を組んだ外国人のほうが信頼できるのだから。


「……私の主人はマリア様です。マリア様の命令を遵守いたします」


ノアが静かに言い切った。

表情は動かないが、その眼差しが語っている。どのような命令であっても、マリアの意思を尊重する、と。

彼の誠意や好意を利用するのは気が引ける――が、マリアとて、譲れないものがあった。


「ノア様。主人として二つ、ノア様に命じます。一つ。私のため、どうかキシリア王と共にその剣を振るってください。そしてもう一つ。伯爵の命令を必ず守ってください。エンジェリクに戻って、あの方に全てを報告するという命令です」


ロランド王には勝ってほしい。彼を守ってほしい。けれど必ず、ノアは生きてホールデン伯爵に返さなければならない。


相反する命令だが、ノアは反論することなくマリアの右手に口付けた。


「マリア、私からもそなたに頼みがある」


ロランド王もマリアに声をかけてきた。


「ここから東、馬を飛ばして約半日の距離にある尼僧院。そこにアルフォンソがいる」

「王妃様が、ですか」


ロランド王の妃アルフォンソ。

マリアがまだ幼く、キシリアにいた頃に会ったことがある。当時は、彼女もまだ王太子の妃候補であった。


「もっと遠くへ避難させる予定だったのだが、体調を崩し動けずにいる。戦場からさほど距離もない場所だ。そなたがアルフォンソのそばについていてくれれば、余も安心して戦に集中できる」


愛する王妃への気遣いもあるのだろうが、恐らくマリアへの配慮もあるのだろう。

アルフォンソ王妃を守るという使命のために、安全な場所にマリアも移動してほしいという王の配慮……。


「承知いたしました。身命に代えましても、王妃様をお守りいたします」


マリアはお辞儀をし、王の頼みを引き受けた。

夜が明け始めた頃、王たちは決戦の地へ向けて出発する。マリアもまた、ナタリアだけを連れて尼僧院へ出発した。


日が登る時間になっても雲に覆われた空は薄暗く、白い雪がちらついている。うっすらと積もり始めた白い道を、蹄の跡を残して馬が走る。

キシリアはすでに冬。決着をつける季節であった。


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