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紫色のクラベル~傾国の悪役令嬢、その貴種流離譚~  作者: 星見だいふく
第三部01 格上との対峙
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それは私と雀が言った


警視総監の執務室の前には、役人たちがたむろしていた。室内をちらちらと気にしているが、誰も中に入る勇気がわかないらしい。

マリアの姿を見つけるなり、わっと集まって来る。


「オルディス公!」

「ドレイク様に早くお姿を見せてあげてください」

「てか、あのドレイク様をなんとかしてください!」

「怖すぎて入れませんー!」


どうやらドレイク卿の機嫌が最悪なので、マリアになだめてきて欲しいようだ。

役人たちに見守られながらマリアは執務室をノックし、返事を待たずに入室した。


「お久しぶりです、ジェラルド様。お元気そうで安心しました」


挨拶するマリアの顔を見て、ドレイク卿の眉間の皺がわずかに深くなる。青アザが残るこの顔では、当然かもしれない。

ドレイク卿は立ち上がり、マリアの顔にそっと触れる。青アザの部分に触れられると、マリアも思わず反応してしまった。


「触られると、まだ痛むもので」

「……すまない」


アザに触れないよう、ドレイク卿は丁寧にマリアの髪を払う。マリアを見つめるドレイク卿の眼差し――ガラス玉のように透き通った瞳は、珍しく動揺していた。


「私の甘さが、貴女をそんな目に遭わせた」

「こんなやり方しかできない、私の未熟さが原因です。ジェラルド様は私の不始末に巻き込まれただけなのですから、気に病む必要など……」


マリアは言葉を切った。ドレイク卿に抱きしめられ、それ以上は喋らないほうがいいような気がしたのだ。下手な慰めは、むしろ彼を傷つけてしまうように感じて。


「ジョージ・マクファーレン……いつか、私がこの手で片をつけるつもりだった。結局、父に頼るしかなかったか」


自分を通して父親を敵視する男を、自分の手で倒す。ドレイク卿にとっては、重要な目標だったに違いない。

父親を頼ることなく倒すことが、彼の大きな達成になるはずだった。それを成し遂げられなかった悔しさが、マリアを抱きしめる腕から伝わって来る。


「……ジョージ・マクファーレンと片をつけたかった人物が、他にいたのです。今回は、彼に譲ることになっただけですよ」


マリアの言葉に、ドレイク卿はマリアの顔を見た。そんな彼の頬に、目一杯背伸びをして口付ける。

目を丸くするドレイク卿に、マリアも満足そうに笑った。


「次は私も、もっとうまく立ち回って見せます。ジェラルド様も私に負けず、頼れる男になっていてくださいませ」


ドレイク卿もわずかに皮肉っぽく笑う。

彼の唇がマリアの顔のアザに触れた時、少しだけまた痛みを感じた。いずれアザは消えるが、この痛みの記憶は胸に深く刻んでおくことにしよう。


ジョージ・マクファーレンは、いまのマリアにはまだ手の届かなかった相手。

彼との対決によって傷つけたもの、犠牲にした人、すがるしかなかった他人の力――全てを忘れないために。


「ところで、私、また秘書として、こちらに働きに来ても構わないでしょうか」

「貴女さえよければ、いますぐ頼みたい」


ドレイク卿が、自分のデスクの上に積み上げられた書類を見て言った。


「私が不在にしている間、部下たちが事務仕事を疎かにしていた。早急に、あれを片付けてしまう必要がある」




書類整理に追われる執務室に、静かなノック音が響く。やって来たのは、黒い衣装を着たアルフレッド・マクファーレンだった。

ドレイク卿が立ち上がり、新しいマクファーレン伯にお悔やみの言葉を述べる。


「ありがとうございます。父は生前、貴方に対して非常に辛辣でした。息子として、父の横暴を止められなかったこと、恥じ入っております」


アルフレッド・マクファーレン伯は、ジェラルド・ドレイク卿と比べれば年もキャリアも下だ。

殊勝に頭を下げる青年に、ドレイク卿も丁寧に接する。


「父上の責を、貴殿が背負う必要はない。確かに私的な面では問題もあったが、同じ司法官としては敬意を払うべき御方でもあった。ジョージ殿なくしていまの私はなかっただろう」


単なる世辞ではなく、ドレイク卿の本心も含んだ言葉だっただろう。ジョージ・マクファーレン判事は、良くも悪くもドレイク卿に大きな影響を与えた男だった。


「オルディス公。貴女とも、お話をさせていただきたいのですが」


マクファーレン伯がマリアを見る。

ドレイク卿の許可を貰い、執務室の奥にある部屋――休憩用の控え室で、マリアはアルフレッド・マクファーレン伯と二人、話をすることになった。


「貴女とは一度、直接顔を合わせて礼を言いたいと思っていました。メレディスのこと……」


マクファーレン伯の笑顔は、弟のメレディスにどこか似ている。メレディスに比べると少しぎこちなく、はにかんでいるようだった。


「メレディスの絵を見ました。昔から才能のある子だと思っていましたが、貴女と出会えたことであの子の才能は開花したようです。狭いマクファーレンなどという檻の中よりも、広い世界に羽ばたいていくほうがメレディスのためだという私の考えは正しかった」


誇らしげに弟のことを語るマクファーレン伯に、マリアがクスリと笑う。


「失礼いたしました。メレディスのことを話すアルフレッド様のお顔が、お兄様のことを話すときのメレディスにそっくりだったものですから。やはりご兄弟ですね」

「私は弟と違い、退屈でつまらない人間ですよ。それでも父より多少ましなのは、あの子のおかげです。父は、メレディスが示してくれる新しい世界や価値観を全て否定した。そして、あの子の可能性を潰してきた……」


言葉が途切れ、マクファーレン伯は黙り込む。父親のことを思い出す彼の表情は、弟のことを語るときのものと対照的だ――そんなところまで、兄弟そっくり。


「ジョージ・マクファーレン様のことなのですが、私も、アルフレッド様にお話ししたいことがございます」

「……なんでしょう」


マクファーレン伯がさりげなく身構えるのを、マリアは見逃さなかった。それに気づかなかったふりで、マリアは話を続ける。


「お父様のご葬儀に、メレディスを出席させては頂けませんか」


マリアの言葉に、マクファーレン伯は目を丸くした。


「私の手前メレディスは言い出しませんが、血の繋がった親子です。心の整理をつけるためにも、本心では葬儀に出たいと思っているはず」


安堵したように、マクファーレン伯が頭を下げた。


「それは、願ってもいない申し出です。本来なら、私のほうからメレディスを説得してもらえないかと頭を下げること。有り難く了承させて頂きます」


きっとマクファーレン伯は、あの夜のことをマリアが尋ねてくると思ったのだろう。

ジョージ・マクファーレンを、あなたは突き落としたのか。そして、なぜ突き落としたのか、と。


でも、マリアにとってはどうでもいいことなのだ。

マリアはマクファーレン判事が邪魔だった。そして邪魔者のマクファーレン判事は死んだ。

それだけが重要な事実。誰が彼を殺したのか。その問いかけは必要ない――。




何もかもが元通り、とはいかなかった。

ガーランド商会では、奇妙な三角関係が発生していた。


それは、マリアがクリスとしてガーランド商会に出勤していた日のこと。

燃やされた絵を描き直す、という執念に燃えるメレディスは商会の仕事を休み、アレン・マスターズの潜入捜査は終了。優秀な人材を一気に失い悲嘆に暮れるリースのため、マリアは仕事を手伝いに行っていた。


「こんにちは、オルディス公――じゃなかった。ここではクリス様、でしたね」

「こんにちは、マスターズ様。今日はどのようなご用事でしょうか」


すかさずリースが「正式に転職しにきてくれたんですか!?」と目を輝かせたが、何やら挙動不審なマスターズの耳には届いていないようだった。


「きょ、今日は……あの……ナタリアさんは?」

「ナタリアなら……」


マリアが答えるよりも先に、事務所に新しい客がやって来る。

昼食の差し入れを持って、ちょうどナタリアが訪ねてきたところだった。


「クリス様、デイビッド様、お昼の差し入れを……。あら、マスターズ様。ご機嫌よう。またお役人様としてのお仕事ですか?」


顔を真っ赤にし、ぎこちない動きでマスターズがナタリアに近づく。


「ああああああああああの!もし。もし!もしよければ!今夜、一緒にお食事など!!」


デイビッド・リースが机の上の書類をぶちまける音が聞こえた。ポールとテッドが顔を青くして悲鳴を上げたが、マリアも振り返っている余裕はなかった。


……それで、ベルダが意味ありげにニヤニヤしていたのか。

王女と揉めている最中にマスターズが運良く通りがかってくれたのも、単なる偶然ではなく、ナタリアに声をかけたくて、うろうろとタイミングを見計らっていたからで……。


「えっと……」


返答に困るナタリアは、マリア――というよりも、マリアの背後にいるリースに視線をやる。それを勘違いしたマスターズはマリアを見て、あっと声を上げた。


「すみません!こういうのは、まず主人であるオルディス公――じゃなかった――クリス様に許可をいただくべきですよね!クリス様、どうかナタリアさんを連れ出すことをお許し頂けませんか!?」

「それは構いませんけど……」


マリアが断ることを期待していたリースは、ゴン!と盛大に机に頭をぶつける。


「ナタリアは、すでにお付き合いしてる人がいますよ」

「えっ」


マスターズが、絶望的な表情でナタリアに視線を戻す。顔を赤くしながらも、ナタリアははっきり頷いた。


「オルディス公――クリス様は、お二人の仲を認めていらっしゃるんですか……?」

「認めているというか……まだ主人が口出しする段階でもないといったほうが正しいというか……」

「つまり、まだ将来的な約束をしている仲ではないということですね!?」


マスターズは、それぐらいでめげないようだ。やはりあのドレイク卿を部下として働いていくのなら、その程度でくじける精神力ではやっていけないということだろうか。

今度はリースが、絶望的な表情で口をぱくぱくさせている。


「なら、自分にもまだチャンスはあるということですね!どうか、ナタリアさんと外出する許可を!なにとぞ!お願いいたします!」

「外食ぐらいなら……。許可すべき、よね?別にリースさんに貞操を捧げなければいけない誓約があるわけじゃないし」

「私に聞かれましても」


マリアが困ったようにナタリアを見れば、ナタリアも困ったような顔をするばかり。リースが抗議の声を上げた。


「大問題です!お断りしてくださいよ!」

「でも恋人の一人や二人ぐらいは、いてもいいんじゃないでしょうか。百人や二百人はちょっと問題だと思いますが」

「クリス君基準で考えないでください!」


リースが嘆いたが、テッドやポールが気の毒そうに肩を叩くばかりだった。


マリアとしては、いまの段階でマスターズのアピールを妨害するつもりはない。

マスターズは結婚相手としては非常に良い相手だし、これで危機感を持ったリースがもう少し積極的に動いてくれれば、ナタリアにとっても悪くない結果になるはず。


ナタリアから仕掛けて、ようやくキスまで進んだ二人の関係――マスターズには、大いに引っかき回してもらっても構わないと思う。


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