動向 (2)
決して納得したわけではないだろうが、ジュリエット王女は思慮分別を弁えたような態度で、その場を後にした。
「そんな花、貴女に譲ってあげるわ。よく見たら、貧相で冴えない花ね。私はお母様にもっと良い花を取り寄せてもらうから!」
という捨て台詞を残して。
実際に、ジュリエット王女の立場なら、もっと稀少で高価な花を手に入れられるだろう。この百花王には、格下と見なしているヒューバート王子やオフェリアから取り上げるという付加価値があっただけで。
そっぽを向き、ツンケンと王女は立ち去った。王女はマリアたちに振り返ることはしなかったが、取り巻きの女子や、器の小さい騎士からは、未練がましいほどに睨まれた。
マリアの後ろで、オフェリアが怯えている。
「助けてくださってありがとうございました。お二人が偶然通りがかってくださった幸運にも、感謝しなくてはいけませんね」
マリアが言えば、カイルが笑った。
「いやあ、それが偶然じゃないんですよ。お姿を見かけて、マスターズのやつ、声をかけれないかとうろうろとあとを――」
「カイル殿!まだ我々は職務中です!のんびり世間話をしている場合ではありません!大事なくて良かったです。オルディス公。では、これにて。失礼致します!」
カイルの言葉を遮り、明らかに下手くそな言い訳を並べてマスターズが逃げるように去っていく。
おーい、と抵抗するカイルを引きずって。
「はっはーん。なるほどー、そういうわけですか」
ベルダだけは、したり顔でなにやら一人頷いていた。
「いえ、いいんです。私のことはお気になさらず」
注目されたベルダは、ニヤニヤと笑っていた。
「せっかく楽しい日だったのに。とんだことになったわね」
まだ怯えるオフェリアと手を繋ぐ。もう片方の手で、オフェリアはぎゅっと茶葉の瓶を握りしめていた。
「帰ったら、殿下から頂いたお茶を飲みましょう。気持ちを落ち着かせる効果があると、おっしゃってたわね」
「……うん!」
ヒューバート王子のことを思い出して、少しオフェリアの気分も浮上したようだ。
マリアもナタリアもベルダも、王女のことは一切話題に出さず、今日の王子とのお茶会の話をした。
オフェリアが王女のことを忘れ始めた時、小さなポーチがマリアの足元で爆発した。中身が床に散乱する様に、思わず足を止める。
「大変、失礼を……!私ったら……そそっかしいもので……」
ナタリアより年上の女性が、ぺこぺこと頭を下げ、慌ててマリアの足元に落ちた荷物をかき集める。
お手伝いします、とオフェリアも床に落ちた彼女のハンカチを拾い、ナタリアとベルダも転がっていく化粧瓶を追いかけた。
マリアも、仕方なしに足元に転がる口紅を拾う。
なんとなく、嫌な予感がしていた。
彼女がマリアのほうにさりげなくポーチを投げていたのを見逃してはいなかったし、この女性は、先ほど王女の取り巻きをしていた。
王女と年の近い少女がほとんどだったので、あの中では年配にあたる彼女は、印象に残っていた。
そんな女が自分たちに近づいてくるのだから、マリアの警戒も当然だ。
「ありがとうございます。ご親切に……」
マリアから口紅を受け取ろうと手を伸ばした彼女の目付きが、一変した。
「……すぐドレイク警視総監のもとへ行き、先ほどのお役人様に処罰を言い渡すよう進言してください。マクファーレン判事が、彼の処罰に口出しする前に。早く」
聞き取れるかどうかの小声で、早口に捲し立てる。彼女に、さっきまでのオドオドした雰囲気はなかった。
「マクファーレン判事は、グレアム伯と手を組みました」
口紅を受取り、立ち上がる彼女は、またぺこぺこと頭を下げながら立ち去っていく。
オフェリアには、彼女との会話が聞こえなかったようだ。
帰宅の予定を変更し、マリアはドレイク卿の執務室を訪ねた。
仕事中の警視総監は冷徹な威厳に包まれていたが、マリアがオフェリアに視線をやれば、それで納得してくれた――オフェリアのために、ドレイク卿はお茶菓子を用意した。
「オフェリア。ジェラルド様とお仕事の話をしてくるから、ちょっと待っていてね」
奥の部屋でお菓子と共にオフェリアを待機させ、マリアは執務室に戻る。
王女とのいざこざを説明している間に、呼び出されたマスターズが執務室に入ってきた。
「マスターズ。貴公を、一週間の謹慎処分にする」
「は――えっ、どういうことですか?なぜ私が」
「説明の前に、こちらの質問に答えるように。先ほどオルディス公がジュリエット王女と揉めていた現場に、グレアム伯爵がいたのだろうか」
「グレアム伯爵ですか?いいえ……いえ、グレアム伯のご令嬢はいました。ほら、黒い髪に巻き毛の、濃いめのピンク色のドレスを着ていた方ですよ」
グレアム伯の娘が、王女の取り巻きのどれだったのか分からなかったマリアに向かって、マスターズが説明を付け加えた。
「娘が父親に言い付け、グレアム伯を通じてマクファーレン判事が口出ししてくるということか」
マクファーレン判事が口出ししてくる前にドレイク卿がマスターズに処罰を下しておけば、判事はもう彼を罰することはできない。
恐らくマリアに忠告してきた女性も、そういうつもりで伝えてきたのだろう。
なぜ彼女が自分にそんな忠告をしてきたのか、彼女がいったい誰なのかは気になるが、それより気になる人物がもう一人。
「……グレアム伯爵というのは、ゴーイング商会の会長と同一人物ですか?」
考え込んでいたマリアが尋ねた。
どこかでその名前を聞いたと思い、記憶を掘り返していたのだが……ようやく思い出した。
ホールデン伯爵との会話で、その名が出たのだ。
キシリアより伯爵が帰ってきたその日、評議会赴くためにマリアが男物の服に着替えていると、伯爵から、わざわざ購入したのか、と問われた。
普段から仕事に赴くときは男物を着ているのだが、ノアからもらったお下がりよりも格段に上等な服を見て、疑問に感じたらしい。
「いいえ、ジェラルド・ドレイク様よりの頂き物です。私が着ている男物の服を見て、いまのヴィクトール様のように、わざわざ購入しているのかと聞かれまして。人からのお下がりだと答えたら、ドレイク卿からもお下がりを頂くことになったのです」
もっとも、これらの上等な服はほとんど袖を通すこともなかったらしく。新品同様の高価な服に、サイズ直しのためとはいえハサミや針を通していいのか、ナタリアたちを悩ませた。
「ジェラルド・ドレイク卿とは、いまも交流があるのか?」
「商会が不在の間、警視総監殿の秘書として働きに行かせてもらっております。ドレイク卿に、何か気になることでも?」
何やら含みのある伯爵の口ぶりに、マリアが問いかける。
「キシリアから戻ってすぐ、ギルドより要請があった。悪質な新興商会を取り締まるよう、私のほうから役人に訴えてくれと」
「ギルドが、ヴィクトール様に要請したのですか?個人で役人に訴えよとは。普通、逆ではありませんか」
商売人ギルドは、公的な組織ではなく、私的に創設された組合である。
その目的は、エンジェリクにおける自由商売の保護と統制。
悪質な商会を役人に訴え出る、というのも、もちろんギルドの役割だ。
法的権威を持っているわけではないが、個人がバラバラに訴えるより、ギルドが意見をまとめて訴えたほうが役人を動かしやすいし、役人側も動きやすい。
ギルドのほうから個別に訴えるよう要請するのは、本来の在り方とは真逆である。
「ギルドから再三訴えたにも関わらず、取り締まる様子がないそうだ。商会の会長が貴族と聞いて、そちらからの圧力かとも考えたのだが、ゴーイング商会のグレアム伯爵、大した男ではない。成り上がり者の弱小貴族に、それほどの配慮が働くとは思えん。そこで、訴えそのものがどこかで握り潰されているのではないかと考えた」
「だからギルドは、ヴィクトール様のコネを使って、直接力のある方に訴えることにしたわけですね」
「そういうことだ」
ふむ、とマリアは考え込む。
全てではないが、ドレイク卿への報告書にはマリアも目を通している。しかし、そんな訴えがあったことすら知らない。
「そのようなこと、初耳でした。恐らく、ドレイク卿も同様の反応をされるかと思います」
「だろうな。君からも改めて訴えておいてくれ。ゴーイング商会は強引な客の勧誘を行い、脅迫紛いに他店の従業員を引き抜いている。商店における不審火が三件、在庫泥棒が十七件も発生し、その全てにグレアム伯爵の関与の疑いあり。役人のほうでも正式に捜査するように、と」
マリアの話を聞き終えた警視総監は、眉間に深い皺を寄せて黙り込んでいた。
「そのような話、ドレイク様どころか我々も初耳ですよ!」
マスターズが言った。
「そうでしょうね。ドレイク卿に訴える前に私も改めて報告書を確認していたのですが、訴えそのものが届いていないようで。どこかで何者かが訴えを取り下げていたのでしょう、こちらに報告が挙がる前に」
「グレアム伯爵と手を組んだということは、マクファーレン判事が握り潰したと考えるのが妥当か」
沈黙していたドレイク卿が口を開いた。
「しかし解せぬ。私の部下を罰することについては、頼まれずともやりたがるだろう。だがゴーイング商会を擁護して、マクファーレン判事に何の利がある。金は嫌いではないだろうが、マクファーレン判事の矜持は決して安くはない」
「グレアム伯爵に、個人的に何か恩があるとか?」
「恩義などという単語が、あの男に存在するのだろうか。それぐらいしか、他に考えられるものがないのは事実だが……」
不意に、マリアはメレディスのことを思い出した。
彼の父親のことが話題に上っていたからだろうか。マクファーレン判事と商人、それに共通する人間だったからかもしれない。
「マスターズ。貴公の処分を、二週間に変更する」
「はい?なんでもっと重くなってるんですか!」
部下の抗議を無視し、ドレイク卿が続ける。
「二週間の謹慎の間、社会奉仕に務め我が身を改めるように。オルディス公、彼にどこか良い労働先を紹介して頂けないだろうか」
ドレイク卿の真意を察し、マリアはにっこり笑う。
「マスターズ様、ガーランド商会などいかがでしょう。事務長のデイビッド・リースさんは、いつも優秀な人手を求めておりますの。厳格な上司に鍛えられ、事務仕事に長けたマスターズ様なら歓迎されますよ」
「あ……はい。よろしくお願いします」
マスターズもドレイク卿の思惑を理解したようで、マリアに頭を下げた。
ガーランド商会の従業員となって、ゴーイング商会の動向を探って来いということだろう。役人という立場では、踏み込むことが難しい領域もあるのだから。
「マスターズ。仔細については、あとで私のほうから説明する。オフェリア嬢をこれ以上待たせるのは気の毒だ」
後ろを見れば、待ちきれなくなったオフェリアが奥の部屋からちらりと覗き込んでいる。
マリアが振り返って近づくと、パッと飛び付いてきた。
「お姉様、お話終わった?」
「終わったわ。明日からしばらく、マスターズ様と一緒にガーランド商会に働きに行くことになったの。彼は不慣れだから、私が色々と教えてあげないと」
「ガーランド商会なら、私も一緒に行っていいよね?」
マリアが頷けば、オフェリアは喜ぶ。
奥の部屋に引っ込んでしまった妹に首をかしげていると、ナタリアがマスターズに声をかけていた。
「もしかして、伯爵がお話になっていたゴーイング商会とやらを探るための、潜入捜査ということですか?」
「はい。そういうことです」
「お役人様というのは、大変なお仕事なのですね。私でお役に立てることがあれば、遠慮なくおっしゃってください」
ガーランド商会は、ナタリアにとっても大切な存在だ。商会のためにも、自分も役に立ちたいのだろう。
……しかし、マスターズが赤くなってぎこちなく笑っていたり、ベルダがニヤニヤしていたりするのは、何故なのか。
「はい!ちゃんとお姉様の分も残してあるよ」
ドレイク卿から貰ったお菓子の残りを見せながら、戻ってきたオフェリアが言った。
「菓子ならばまだある。遠慮せず持って帰るといい」
そう言って、ドレイク卿は奥の部屋にある食器棚――の一部を埋め尽くす箱から適当に四つ取り、オフェリアに渡す。
ガーランド商会でも取り扱ったから知っているのだが、全部お菓子だ。複数の店の商品の。
「前から気になっていたのですが、ドレイク卿は、甘いものがお好きなのですか?」
休憩のたびに律儀にもお茶菓子を提供してくれていたことを思い出しながら、マリアが尋ねた。
「お嫌いではありませんが、ほとんど召し上がりません。たまーに疲れた時に欲しがるのですが、少しにしておけばいいものを、どれが美味しいのか分からないからと大量に買い込んで。でも結局ほとんど食べないんです。それを繰り返すものですから、ああやって菓子のストックが大量に」
マスターズが笑う。
「余ったものは部下に好きなように持ち帰らせるので、実は楽しみにしている者もいるんですけどね。ドレイク様が買い求められる物は、我々では気軽に買えないような高級なものばかりですから」
お土産が増えてしまったことに、マリアは苦笑する。
とうぶん、アフタヌーンティーには困らなさそうだ。




