動向 (1)
評議会にはジェラルド・ドレイク警視総監の秘書としてマリアは出席していた。
今回の集まりは正確には定例評議会と呼ばれ、個々の部署が集まって業務内容の相互確認と監査を行う――といった表現で語られているが、要は親睦会だ。
夏の間は領地に下がって夏休みを取っていた貴族もいるので、彼らに状況説明を行うといった側面もある。一応遊びではなく、真面目な集まりだ。実際、酒などは振る舞われていない。いまはまだ。たいてい終盤になると、仕事始めを祝って飲み出すが。
本来は男性の集まりなのだが、夫の代理で出席する女性も少なくはなく、ドレイク卿からは次のように言われていた。
「ご夫人方の相手は貴女に任せる。私では、口先三寸で丸め込まれる恐れがある」
ドレイク卿を口先三寸で丸め込むことが可能なのかと、その時は目を丸くしたものだが、ほどなくして言葉の意味がわかった。
「お待ちなさいっ!私はまだ話し足りなくてよ。何の権限があって私の発言を遮りますの!?」
「その議題については、先週さんざん議論し尽くしたではありませんか。そんなことより私の提案のほうが重要ですわっ」
「先日の肌着泥棒について、役人は何をしておりますの!?召使いのものは盗んで行ったくせに私のものは一切手つかずだなんて、なんたる侮辱!」
「夫の残業というのは事実なんですの?どうせ、またどこぞの娘に入れ込んで遊びに行っているだけでしょう!?」
「まああ、本当ですの奥様。私のところも、残業だなんだと帰りが遅い日が続いておりまして疑っておりましたの」
……書記ができない。
同性のマリアですら圧倒される怒濤の口撃に、男たちは沈黙するしかなかった。
勇気ある殿方が口を挟もうと試みる場面もあったが、夫人軍団の返り討ちに遭い……項垂れる青年を、周囲が気の毒そうな視線を送っていた。
「皆様の意見は、大変参考になります。ドレイク警視総監が、あとでお一人ずつじっくり聞かせて頂きたいと仰せです。ですから、治安報告などさっさと終わらせてしまいましょう。お話を伺う時間がなくなってしまったら、それこそ取り返しのつかない損失ですから」
おばさま――もとい、ご夫人軍団に突撃するには、かなりの根性が必要だ。だから上司を生け贄に差し出すぐらいのことは致し方ないことだと思う。
ドレイク卿が、私を餌にするんじゃないという目をしていたが、そんなものは見なかったふりだ。周囲からは、ドレイク卿よ生け贄になってくれてありがとう、という表情を向けられているのだから、それでいいじゃないか。
その後は、滞りなく評議会は進んだ。
今日は司法官のみの集まりで、ドレイク警視総監率いる役人たちからは、治安と検挙率の報告、今後予想される犯罪事件の増加や動向についての注意喚起が主に行われた。
ドレイク卿が検挙率の報告をしている際やけに突っかかってくる男が、マリアには非常に印象に残った。
判官からは、退職者とそれに伴う人事異動についての報告がなされ、評議会は新シーズンの仕事始めを祝って親睦を深める会へと移行した――途端、ドレイク卿は逃げ出した。
「ドレイク様、お待ちになって。私たちの話を聞きたいと、仰せではありませんでしたか」
即行ご夫人軍団に捕まっていたが。
「……私一人で伺って、聞き漏らし等があっては困る。聞き役の部下を要請させていただきたい――マスターズ、私に代わって、先にご夫人方から詳細を伺っておくように」
「ちょっ、えっ……ドレイク様!?」
以前おじが襲われた事件で顔馴染みになった、人の好さそうなドレイク卿の部下マスターズが、突然の指名に目を丸くする。
自分を身代わりにしないでください、という彼の訴えるような視線を無視して、ドレイク卿は足早にその場を立ち去った。
あとには、夫人軍団に取り囲まれるマスターズの姿が――その様はまるで、狼の群れに放り込まれた子羊のようであった。
「なんとお可哀想なマスターズ様……」
「元を正せば、貴女が原因だろう」
「責任を痛感しております。ですから、遠くからあの御方の無事をお祈りしておきます」
にぎやかな宴を離れるのは、ドレイク卿とマリアだけではなかった。
先ほどドレイク卿が報告書を読み上げているときに、やけに突っかかってきた男――尊大が服を着たような態度で歩く彼が誰か、マリアには分かっていた。
「本日はご出席くださり、ありがとうございました。私は、これにてお先に失礼いたします」
頭を下げ、丁寧に挨拶の言葉をかけるドレイク卿を一瞥することもなく、男は無視し、通り過ぎていった。
あれがドレイク警視総監の天敵、ジョージ・マクファーレン主席判事だ。
「あの方は、賑やかな場が苦手なのですか?」
「宴そのものは嫌っていない。若い頃に酒で失敗したらしく、極端に弱いそうだ。以来一滴たりとも口にせず、今日のように酒が中心となる集まりを嫌っている。今日出席したのも、私に嫌味を言うためだろう。私が警視総監となってからは、初めてのことだ」
特にマクファーレン判事の態度を意に介した様子もなく、淡々とドレイク卿は説明する。
「私生活がどうであれ、公人としては隙がない男だ。息子のことが、よほど我慢ならなかったのだろう」
マクファーレン判事の息子メレディスは、父親の反対を押し切って画家となった。特にそれを大きく後押ししたのがドレイク卿。判事にさらなる敵意を植え付けることになってしまったのは、ごく自然なことであった。
「しかし、今日の言動にはいささか驚いている。私の記憶にあるマクファーレン判事は陰湿で狡猾な男だった。あのように、中身のない野次を繰り返すような浅はかな振る舞いはしなかった。もうろく、というものなのかもしれん」
ドレイク卿の言うように、議会中の判事は、ただ意味のない難癖をつけて警視総監の発言を妨害しているだけであった。
とてもドレイク卿や、ましてや彼の父親であるフォレスター宰相と対等以上に渡り合える男には見えなかった。
ドレイク卿の言を信じるのであれば、狡猾な実力者も、老いには勝てなかったということだろうか……。
しかし、その日のマリアがマクファーレン判事について考えたのは、そこまでだった。
その時は、まさか判事とここまで大きな因縁を持つことになるとは、思ってもいなかった。
評議会の翌日、マリアはオフェリアを連れて城へ来ていた。目的はもちろん、ヒューバート第二王子に会うこと。
相変わらず美しい花々が咲き乱れる離宮で、王子はマリアたちを出迎えた。
「ようこそ。来てくれて嬉しいよ。オフェリア、それは僕がプレゼントした花だね」
オフェリアの髪に飾られたピンク色の花を見て、王子が微笑む。
「頂いた花の蕾がひとつ、無事に開花しまして。殿下に見せたいと言って聞かなかったんです。さすがに鉢ごと持ってくるわけにも参りませんから、髪飾りにしてお見せしようと。オフェリアの手作りなんですよ」
「そうなんだ。とても素晴らしい出来栄えだね」
「オフェリアは手先が器用で感性が優れているので、こういったものを作らせたら職人顔負けですわ」
一番褒めてほしかった人に褒められ、オフェリアは嬉しそうに笑う。優しくて美しい王子は、妹の憧れの君だ。
「髪はお姉様にしてもらったの」
「とても可愛いよ。マリアは、オフェリアの魅力を引き出す髪型をよく理解している」
持ってきたお菓子を出せば、お茶の準備は自分にやらせてほしいと王子が言った。
王子が用意してくれたお茶からは、花の香りがした。オフェリアが目を丸くしてカップの中を覗き込む。
「これ、なあに?お花の香りがするよ」
「茉莉花という花を使ったお茶だよ。気持ちを落ち着かせ、肌の調子を整える効果もあるらしい。ここの花を最初に育てていたのは母で、育てた花を美容や健康に利用していたんだ。僕にはあまり関心のない研究分野だけど、花を育てるのは好きで……。せっかく育てたのなら、何か役に立つように使ってあげたいものだね」
甘い香りだが、さっぱりしていて飲みやすい。苦味が少なく、ほんのり甘く感じるお茶を、オフェリアも気に入ったようだ。
「今日はお城が賑やかだったよ。お客様がいっぱい来てた」
華やかなドレスで着飾った人たちとすれ違ったことを思い出し、オフェリアが話した。
「王妃様のお茶会があるのよ。あれはお茶会に呼ばれた人たちでしょうね」
マリアは呼ばれていない。当然である。
単なる婚約者候補の一人なのだから、王妃側から認識すらされていないだろう。王妃の娘であるジュリエット王女とは出会っていたが。
もともと、王女とも気軽に会えるような立場でも関係でもない。最初に顔を合わせて以来会うこともなかったし、マリアのほうもすっかり忘れていた。
「なら、いまこのお城ではお茶会がふたつあるんだね。王妃様のお茶会と、私たちだけの秘密のお茶会」
「そうだね」
無邪気なオフェリアの言葉に、王子も笑った。
ヒューバート王子という憧れの王子様と一緒で幸せなオフェリアは王妃の茶会に関心はないし、オフェリアが楽しんでいるのならそれでいいマリアも興味はなかった。
「ごちそうさま。ユベル、美味しいお茶をありがとう!」
「気に入ってもらえたなら良かった。人に振る舞うのは初めてだから、本当はすごく緊張していたんだ。口に合ったみたいで安心したよ」
そう言って、王子は茶葉の入った瓶を渡す。
「茉莉花の香りをつけた茶葉だよ。今日振る舞ったものと、同じもの……。少しなのは許して欲しい。時間がかかるものだから、すぐにたくさん作るというのができなくて」
「ううん。ありがとう。すっごく嬉しい!」
手の中の瓶を見つめ、オフェリアが言った。
「良かったわね。それなら、あなたでも自分で持って帰れそう」
「……前のは、持って帰るには向かない物だったね」
王子が苦笑した。
すぐジュリエット王女に渡しに行くものだと思っていたのだから仕方がないのだが、細腕の女に渡すには、牡丹の苗が植えられた鉢は重すぎる。
オフェリアは自分で持っていたがったが、結局、力の強い侍女のベルダにほとんど運んでもらうことになってしまった。
「次はまた違う花茶をごちそうするよ」
「うん。今日は本当にありがとう。またね!」
にこやかに手を振ってヒューバート王子と別れたオフェリアは、貰った茶葉の瓶を大事そうに抱えていた。
……オフェリアに貢ぐ人間がまた増えた。
「大切に飲みましょうね」
「うん!でも、私にこのお茶を淹れられるかな?」
「そう言えばそうね。花茶と言うのは、紅茶を淹れるのと同じように扱ってもいいのかしら。今度お会いした時は、それを尋ねてみればいいんじゃない?」
「そうだね。そうする!」
また次に会った時――それは、いまのオフェリアにとって一番嬉しい言葉だろう。次も連れて行ってくれるという約束なのだから。
マリアがドレイク警視総監の秘書として城へ行っている間、オフェリアは屋敷でいつも留守番だ。
ヒューバート王子に会えるのも嬉しいが、マリアと一緒にいられることや、マリアのように城へ行けることにも喜んでいるのだと、ベルダがこっそり教えてくれた。
時間を持て余すあまり、つい妹を放ったらかしにしてしまったことを、マリアは反省した。
ヒューバート王子のおかげで妹と楽しい時間が過ごせたマリアは、正面からやってくる少女の存在に顔をしかめたくなった。
取り巻きを連れて楽しくおしゃべりしているようだし、無視してくれないかなと、いう希望を込めて廊下の端に寄る。
頭を下げてやり過ごそうとしたが、ジュリエット王女は、マリアの後ろにいる金髪の少女に目を留めてしまった。その視線は、オフェリアの髪にあるピンク色の花をとらえている。
「……ちょっと貴女。その髪につけているのは、私の百花王じゃないの!?」
――百花王をヒューバート王子から貰って来るように。
そんなことをジュリエット王女から言いつけられていたこともあった。マリアは王女が好きになれないし、ヒューバート王子も花を自分から取り上げたいだけの王女には否定的。二人の気持ちが一致したことで、百花王はオフェリアのものになっていた。
「御機嫌よう、ジュリエット様。ジュリエット様の百花王とは、何のことでしょう。これはヒューバート王子から頂いた、牡丹と言う花ですが」
オフェリアに詰め寄ろうとする王女の前に、マリアが立ち塞がる。不穏な気配を察し、ベルダとナタリアも、オフェリアをさりげなく後ろにかばった。
「それが百花王よ!ヒューバートから貰ったですって!?そんな……インチキよ!二人揃って私のこと馬鹿にして、笑いものにしてるのね!」
その通りだ、とマリアは鼻先で笑う――のは堪え、ゆったりと微笑む。
「そのようなことは。これがジュリエット様ご所望の花だとは、気付かなかっただけですわ」
「なら寄越しなさいよ。いますぐ!その花は、私にこそ相応しいんだから。貴女みたいな女には似合わないわ!」
オフェリアに掴みかかろうとする王女に、さらに強引にマリアが割って入る。
背も低ければ、横幅もマリアより細い。重量級だったいとこのことを思えば、こんな少女の体当たりなど怖くもなかった。
「貴様!王女殿下に何をしている!」
王女のそばに控えていた男に、乱暴に腕をつかまれる。服装から見るに、近衛騎士隊……。年はマリアより少し上ぐらいだろうか。
マリアは腕が痛むのをおくびにも出さず、男を睨みつけた。
「お離しなさい。分を弁えるのはそちらだわ。何の落ち度もない女に手を上げるとは、騎士の風上にも置けない男だこと」
嘲笑すれば、男の顔が怒りに歪む。マリアの腕をつかむ手に力が入り、いっそう痛んだ。
マリアも負けじと睨み続け、かけらほども痛がるそぶりを見せてなるものかと虚勢を張った。
「オルディス公のおっしゃる通りだ。その手を離せ、ガードナー!騎士の名を汚すのであれば、王国騎士団が容赦はせんぞ!」
廊下に、別の男の声が響く。
王国騎士団の制服を着た彼は、ライオネル・ウォルトン副団長の部下だ。以前見かけたとき、副団長からカイルと呼ばれていた。
カイルの隣には、ドレイク警視総監の部下マスターズの姿もあった。
「オルディス公、これは何の騒ぎです?」
マスターズが、役人の顔でマリアに尋ねる。
「ジュリエット王女が妹の髪飾りをむしり取ろうとしたので、それに抗議しただけです」
「その花は私の物よ!私に差し出しなさいよ!」
「いいえ、これはヒューバート王子がオフェリアにくださったもの。いくら王女殿下のお言葉でも、王子からの頂き物を、私たちの一存で差し出すわけには参りません」
ジュリエット王女は敬意を忘れ去っているようだが、ヒューバート殿下はれっきとした王子。実質的な力は持たずとも、表面上はジュリエット王女と同等以上の立場にある人間だ。
彼の決定を、王女が勝手に無効にすることなどできるはずがない――もちろん、それはあくまで建前の話だが。
「ガードナー殿。主人が誤った振る舞いを行えば、それを諌めるのも騎士の務め。増長させた挙句、女性に暴行を働くなどもってのほかではないか!?」
カイルが厳しく近衛騎士を追及する。その怒り方は、彼の上司であるウォルトン副団長を思い起こさせた。
「平民風情が……!」
「ならばウォルトン様より、近衛騎士隊に注意していただくことにしよう。騎士でありながら自分に都合が悪くなれば身分を持ち出すなど、どこまでも恥ずかしい御方だ。身分がものを言うのであれば、オルディス公には敬意を払うべきだろう!」
ガードナーと呼ばれた近衛騎士、かなりの小物のようだ。カイルの良い引き立て役ではないか。これが王宮を守る騎士とは……。
「ジュリエット王女殿下。双方の言い分をうかがいますに、オルディス公の主張に同意せざるを得ません。あまりお騒ぎになりますと、御身のためにもならぬかと存じます」
丁寧に引き下がるよう説得するマスターズに、ガードナーが眉を吊り上げ、王女を脅迫するとは何事だと怒鳴った。
「脅迫ではありません。本日は王妃様主催のお茶会が行われております。そのような日に王女殿下が騒ぎを起こしたとあれば、殿下や王妃様とて無傷ではいられますまい」
ましてやそれが、自分と同じ年の女の子に難癖をつけて物を取り上げようとしたとあっては。そんなことにも思い至らずわめき散らすなど、無知の無恥というのは始末に負えないものだ。




