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紫色のクラベル~傾国の悪役令嬢、その貴種流離譚~  作者: 星見だいふく
第二部04 運命の王子様
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憧れへの第一歩


翌日のヒューバート王子は、人間らしい動揺と感情を隠し切れないでいた。

憧れと好意を包み隠すことなく自分に向けて来る目の前の少女に戸惑い、人形の仮面が剥がれかけている。


美しい王子様に、美しい花々。

おとぎ話の世界のような一室に、オフェリアの顔はいままでにないほど輝いている。

部屋に入るなりソワソワと落ち着きをなくし、挨拶もそこそこに部屋の探索に行ってしまった。


「あらあら、オフェリアったら。申し訳ありません。落ち着きのない子で」

「いや……」


口先では謝罪しつつも妹を止める気のないマリアにも、ヒューバート王子は戸惑っているようだ。もちろんマリアには、オフェリアを止めるつもりはない。

いつも通りに振る舞えばいいとオフェリアにアドバイスしたのは、マリアだ。姉の言いつけを守っているだけの妹をたしなめる必要などない。


オフェリアは花の並ぶ棚を忙しなく見て回っている。

ちょこちょこと動き回るオフェリアに戸惑いつつも見守っていたヒューバート王子が、表情を変えた。


「それはだめだ!」


王子の大きな声に、オフェリアがびくっと身を竦ませ、花に伸ばしていた手を慌てて引っ込める。


「ご、ごめんなさい……」


しゅんとうなだれるオフェリアに、ヒューバート王子の仮面は完全に剥がれ落ちた。


「いや……僕のほうこそ、大きな声を出してごめん。怒ったわけじゃないんだ。そのあたりの花には毒があるから、触っちゃだめだ。近くで見たいのなら、僕に言ってくれればいい。どれでも好きなものを持ってくるよ」


そう言った王子は、優しい笑顔を浮かべていた。それは儀礼的な笑みではなく、本物のヒューバート王子の感情だ。


「あのね。あの赤いクラベルと、あの白いバラと……うーんと、うーんと……あのピンクの花が見たいの」

「ピンクの花……牡丹のことかな」

「ボタン?あっ、それだよ!その花。可愛くてきれい」


オフェリアの示す花の植木鉢を、王子は手ずから取り、テーブルに並べていく。

植木鉢の棚の奥には白く小さなテーブルがあり、三つも植木鉢を並べたらそれでいっぱいになってしまっている。


椅子に座って植木鉢と向き合い、オフェリアは、持ってきたスケッチブックに花の絵を描き始めた。


「絵を描くのが好きなのかい?」

「うん。でもね、これはただの絵じゃないの。お姉様に作るドレスのための、ラフ画なのよ」


ヒューバート王子は、オフェリアが描く花の絵に興味があるようだ。花は、純粋な彼の趣味なのだろうか。

趣味らしい趣味がないマリアとしては、花という共通点をもとに、あっさりとオフェリアと打ち解けてしまう彼がちょっと妬ましい。


「可愛い絵だね。そうか……君の目には、花たちがそんな風に映るんだね。面白いな」


オフェリアが描いたスケッチブックを眺めながら、王子が言った。

ページをめくり、オフェリアの絵を見ている。


「これは猫かな」

「えっ。豚じゃなくて?」


緑色の葉っぱのようなものの間に描かれた、ピンクの動物を指して言った王子に、マリアは思わず反応してしまった。オフェリアが、ぷくっと頬を膨らませる。


「猫だもん!」

「だって、猫なのにピンク?それにこれって、豚の鼻でしょう?」

「違うもん!猫ちゃんのおヒゲだもん!お花のおヒゲなの!」

「あなたが描く動物は、ファンタジー要素が強過ぎて分からないわ」


マリアとオフェリアのやり取りを微笑ましく眺めながら、王子はスケッチブックのページをめくっていた――時だった。

きゅるぅ……と間の抜けた音が鳴り響く。


「……オフェリアのお腹は、限界みたいね。持ってきたケーキを食べましょうか」


ナタリアとベルダが、お茶の準備をする。

当たり前のように並べられた三人分のケーキとお茶――幸せそうな笑顔を浮かべるオフェリアに対し、王子は再び戸惑い始めた。


「大丈夫だよ、ヒューバート様。このケーキを作るときは、ちゃんと私も一緒だったから!」

「え……」


王子の戸惑いを、オフェリアは完全に誤解しているようだ。

警戒すべき立場にあるヒューバート王子が、出会ったばかりの人間からもらった食べ物など口にできるはずがない。提供するマリアたちのほうが図々しいぐらいなのだ。


だがマリアはあえて訂正せず、自分は紅茶を飲んで、妹の好きなようにやらせていた。


「お姉様はお料理上手なんだよ。でもね、変なアレンジをして、毒料理作っちゃうんだ」

「毒なんか作ってないわ。至って真面目な創作料理よ」

「ジェラルド様まで引っくり返したのに、全然反省してないでしょー!もー!」


王子はクスクスと笑い、ケーキを一口食べる。美味しいよ、と笑いかけるヒューバート王子に、オフェリアもニコニコしながらケーキを食べた。


やはり、ヒューバート王子はマリアが思った通りの人間だった。

警戒心が強く、自分の命を狙う人間以上に、自分を利用しようとする人間を拒絶している。だから、野心が強いマリアには心を許さないと思っていた。


一方で王子は、冷酷には徹しきれない。誰かにすがりたい甘さと弱さを持っている。

洞察力が高い彼ならば、オフェリアの幼さと無邪気さをすぐに見抜いてしまうだろう。そして、裏表を持つことのできないオフェリアには、必ず隙を見せる。マリアの読みは当たった。


一度心を許した相手には無防備になる――なるほど、こういうことか。すでにオフェリアに激甘になっている王子を見て、マリアは、普段の自分が第三者からどのように見られているのか察した。


ケーキを食べ終わると、オフェリアはまた部屋の探索に行ってしまった。

植木鉢の隙間から、金色の髪がちょろちょろ動き回っているのが見える。そのそばで、ベルダもオフェリアについて回っていた。


「オルディス公爵、これを……」


そう言って、王子は、先ほどオフェリアが選んでいたピンクの花を渡す――牡丹、という名前だったか。


「東方の国に咲く花で、その美しさから、百花王という別名を持っている。ジュリエット王女に、これを取って来るよう言われたんじゃないか?」


少し皮肉気味に、王子は笑う。


「昔、彼女にねだられた。譲って当然という態度で言われて、僕もつい、大人げなく腹を立てて断ったんだ。それ以来、彼女のほうも意地になって僕から取り上げようと。それなりに貴重ではあるが、ここでしか手に入らないほどの花じゃない」

「それを、なぜ私にお渡しになるのです?」

「君は陛下の指名を受けた、チャールズ王子の婚約者候補。陛下から特別扱いをされる君のことを、ジュリエット王女は疎ましく感じているはずだ。陛下は……王であることを優先し、肉親に対して情に動かされる人ではないから」


それはマリアも感じていた。

我が子に対してよそよそしいのは、あくまで公私の区別をつけているからなのか、それとも……と。王として冷徹を貫いている……それは、国王の生き方としては正しいものかもしれないが、親の情を求める子にとっては冷酷な仕打ち。


ヒューバート王子の話が信頼できるというより、やはり、と納得できるところのほうが大きい。


「そんな君が、いままで誰も持って来れなかったこの花を持ってきたら、彼女はさぞ不愉快な思いをするだろう。ここの花は、僕が大切に育ててきた。それを、本心ではさして欲しくもないと思っている人間に渡すんだ。これぐらいの意趣返しは許されるんじゃないかな」

「それをお聞きしたら、ますますジュリエット様にお渡ししたくなくなりました」


マリアの言葉に、王子が目を瞬かせる。マリアは、棚の向こうのオフェリアを呼んだ。

姉に呼ばれ、オフェリアがマリアたちのもとへ戻って来る。


「なあに?」

「ヒューバート殿下から、おみやげをいただいたわ。あなたにこの花をプレゼントしてくださるそうよ」

「この花を?」


目を輝かせ、オフェリアは花を見つめる。


「ありがとう、ヒューバート様!私、大切にするね」

「……あ、ああ。僕も、喜んでくれる人に受け取ってもらえて嬉しいよ」


牡丹の植木鉢を手に無邪気にはしゃぐオフェリアのことを、王子は見つめていた。


「オフェリア」


ヒューバート王子が、オフェリアの名前を呼ぶ。


「僕のことは、ユベルと呼んでほしい。それに呼び捨てでいい。僕は君たちと、友達でいたいんだ」

「ゆ、べる?」

「ヒューバートの、フランシーヌ語読みよ」


首を傾げるオフェリアに、マリアが説明した。


「母が、ずっと僕のことをそう呼んでいた。母が亡くなり、もう誰にもその名を呼ばれなくなってしまったから」

「そっか。ユベル……うん。ユベル、お花、ありがとう!」


笑顔で返すオフェリアは、ピンク色の牡丹の花よりも華やかで美しく輝いていた。花の王様も、オフェリアの前では霞んでしまう。


「殿下が丹精込めて育ててきたものをお渡しするのなら、意地を張って取り上げようとしているだけの女性より、殿下を心から慕う者に差し上げてくださいな」

「……そうだね」


マリアに同意した王子は、とても素直に自分の気持ちをあらわしていたと思う。

花を誰かに贈るのは初めてだ、と呟くその言葉は、王子自身気付くことなくこぼれ出た、彼の本心だったのだろう。


「今日はありがとうございました。とっても楽しかったです」


帰る間際、笑顔で挨拶をするオフェリアに、僕もだよ、と王子が答える。


「またいつでも遊びにおいで。歓迎するよ」




馬車の中、オフェリアは貰った鉢植えを大事に抱えていた。ピンクの花を見つめる目には、まだ夢から醒めきっていないような熱があった。


「お姉様は、ユベルと結婚するの?」

「違うわ。彼の弟のほう」


正確にはただの候補なので、結婚が決まっているわけではない。それはオフェリアにはどうでもいいことだろう。重要なのは、マリアの相手がヒューバート王子ではないということだけ。


姉の言葉を聞き、オフェリアがホッとしたように笑う。


「そっか。えへへ……。ユベルって、かっこよくて、すごく優しい王子様だったね」


ヒューバート王子は、たしかに美しい。おとぎ話に出て来る妖精の王子様のように。幼いオフェリアの憧れをそのまま体現したような男だ。

――妹が、淡い想いを抱くのも当然の流れなのかもしれない。


「またユベルに会えるかな」

「時々は、お城へ連れて行ってあげるわ。私がジェラルド様のところへ働きに行く時とか。他の用事でお城にあがる機会もできちゃったから、いつもとはいかないけれど」


妹の想いを否定するつもりはなかった。憧れの君がいても構わないだろう。

その憧れを、現実にすることはできないが――夢を見るぐらいは許されるはずだ。


第二部・終


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