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紫色のクラベル~傾国の悪役令嬢、その貴種流離譚~  作者: 星見だいふく
第二部04 運命の王子様
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巻き込まれる (2)


待ちぼうけを食らってから二時間が過ぎ、マリアはナタリアに振り返った。


「そろそろ私、帰ってしまっても怒られないわよね」

「そういうわけには……王より指示された対面ですし……」


マリアを諌めながらも、ナタリアも不愉快な内心がにじみ出ている。

待ちぼうけは腹立だしいが、チャールズ王子を嫌う理由ができることは歓迎しよう。なりたくもなかった婚約者候補だ。相手はいけ好かない男のほうが、いっそ潔いというもの。




時間は遡り二時間前。マリアはエンジェリク王に謁見することになった。


エンジェリク王は間もなく五十を迎える。二十歳にもならないキシリア王とは、何もかもが対照的だ。


たくましくも凛々しいロランド王に対し、エンジェリクの王は、少し線の細い紳士が年老いた風貌で、優しげな顔立ちをしている――この手の顔を信頼する気になれないのは、マリアがひねくれ過ぎているのだろうか。


「そなたがオルディス公爵か。なるほど、目もとが先代のオルディス公によく似ておる」


マリアの目は母方の祖父譲り。 エンジェリクに来てから、祖父に似ていると、よく人から言われた。


「そなたをチャールズ王子の婚約者に指名した経緯、すでに宰相より聞き及んでいることだろう。余は王妃も王子も蔑ろにするつもりはないが、王妃派の増長は目に余り出した。そなたが抑止力となり、彼らが本来仕えるべき主君は誰であるのか、己が立位置を忘れぬよう知らしめることを期待する」

「陛下より賜りましたお役目、精一杯務めさせていただきます」


面倒なことになってしまったと辟易する気持ちは押し隠し、マリアは礼を執った。


「これより、そなたにはチャールズ王子と顔合わせを行ってもらう。分かっている。まだそなたは候補の一人。本来ならば、あえて顔合わせの機会をもうけるような立場にはない」


パッとマリアが顔を上げたのを見て、王が付け加えた。


「しかし、余が指名したという意味。それを理解するように。そなたも――チャールズ王子も」


王は、自分の息子に対して余所余所しい言い方をする男だ。王としての分別なのか、それとも、エンジェリク王室にも複雑な家族関係があるのか。

――いまのマリアには、そこまで立ち入る必要もないことだ。




国王から指定された部屋で王子を待ち続け、マリアは帰るタイミングを見計らっていた。


宰相には声をかけなくてはならないか。そう思い、マリアがナタリアに帰ることを告げようとした時だった。


部屋の外が騒がしくなり、マリアと年の変わらぬ女たちを引き連れた少女が現れた。姿は肖像画で見たことがある。

エンジェリク王女ジュリエットだ。


「あらぁ、あれは何かしら。ずいぶんみすぼらしい方がいらっしゃること」


マリアを見るなり、鼻につく声で王女が言った。

彼女の言葉を聞いたマリアは思った――また面倒くさそうなのが来た。すんなり帰してほしい。


「ジュリエット様、あれが、噂の新しい婚約者候補ですわ」

「嫌ですわねえ。あんな田舎者が、格調高いこの城に足を踏み入れるだなんて」

「私たちの品位まで落ちてしまいますわ」


王女の取り巻きが好き放題話すのも無視し、マリアは沈黙を守って頭を下げる。

――悪口なら自分のいないところでやってくれ。こっちは帰りたくてたまらないのだから。


「……お父様は何故、こんな女をお兄様の婚約者になど選んだのかしら」


まったく同意である。

王女はマリアに近づき、侮蔑の色を隠すことなくマリアを見下す。


「お兄様には、すでにキャロラインという恋人がいますの。お母様がお選びになった、貴女のような田舎者とは違う優れた女性よ。せいぜい分を弁えることね」


王女の言葉を聞き、なるほど、とマリアは納得した。

王妃派は、すでに王子の妃候補に自分たちの息がかかった相手を選んでいるということか。


マリアの役目は王妃の牽制と、その女と王子の婚姻の妨害――後半は聞いてない。

あの宰相め。協力させたいのなら、情報は気前よく渡しておくべきだろう。


「お兄様は、こちらへはお越しにならないわ。貴女に割く時間がもったいないもの。でも……そうね。ずっと待っていたご褒美に、私からひとつ、頼み事をしてあげる。王女から直々にお願いされるなんて、光栄なことでしょう」


ジュリエット王女は可愛らしい容貌をしているのだが、意地悪く笑う姿は、亡くなったマリアのいとこを思い起こさせた。

……さすがに、王女の横幅はあのいとこの半分ぐらいしかないが。


「ヒューバート王子のところへ行って、私のために、百花王をもらってきなさい」

「百花王、ですか」

「そうよ。それを持ってくることができたら、私から、少しはお兄様にとりなしてあげてもいいわよ」


それはいらない。

しかし、できるわけがないと言いたげな顔でニヤニヤと笑う彼女たちは不愉快だし、何より、退出するよい口実ができた。


「かしこまりました。これより、ヒューバート殿下のもとへうかがわせていただきます」


了承するマリアに、王女の取り巻きがクスクスと笑い出した。恐らくヒューバート王子というのは、なかなかの曲者なのだろう。

マリアの失敗を疑わず、嘲笑っているのだ。


退出したマリアは、真っ直ぐに宰相の執務室に向かった。結果がどうであれ、報告は必要だ。




「チャールズ殿下は、お越しにならなかったか。陛下からの言いつけだというのに。相変わらず、思い違いをしているようだな。だから私は彼らが嫌いなのだ」


隠す必要がないとは言え、宰相もずいぶんはっきりと言い切ってしまうものだ。


「仲良くなれそうもなくて安心いたしました。私も、牽制役に専念できそうです」

「それは何より。無駄な手間をかけてすまなかった。王子が陛下の意向に従わなかったことは、私のほうから陛下に奏上しておこう。王子の愚行は頭の痛い問題でもあるが、王妃派につけいる隙でもある。貴女の二時間を徒労に終わらせぬためにも、せいぜい利用させてもらおう」

「そうしていただけると、私もいくぶんか救われます。ところで閣下。二つほどお聞きしたいことがございます。ヒューバート王子にお会いしたいのですが、閣下にお取り継ぎをお願いできるでしょうか」

「……もしや、百花王を取って来るように言われたのか」


宰相に言い当てられ、その通りです、とマリアは頷いた。


「相手はジュリエット王女であろう。王女は新参者を見かけると、その難題を押し付けて相手を試そうとするのだ。上手くいかずとも落ち込むことはない。いままでクリアできた者はいないのだからな。殿下に取り継ぎはするが、百花王については私も力になれぬぞ。期待はするな」

「そんなことだろうと思いました。それより、もう一つの質問についてなのですが……閣下には、娘御もいらっしゃるのですか?」

「私の子は、ジェラルド一人だけだ」


じゃあ、やっぱりか。


今日の宰相のデスクの上には、以前とは違う肖像画が置かれている。

描かれているのは以前と同じ、銀髪が美しい女性と、女性と同じく銀髪が美しい子ども……ただし、その子はドレスを着ている。

心なしか子どもの表情が憮然としているように見えるのは、マリアの思い違いではないだろう。

着たくもないドレスを着せられて、絵に描かれたジェラルド少年はご機嫌ナナメだったのだ……お気の毒に。




ヒューバート王子の住居は、城の中でも奥深く、中心から離れたところにあった。

まさに離れと呼ぶに相応しい離宮――その小さなエリアが、ヒューバート王子に許された場所だった。


「ヒューバート殿下。失礼いたします」


扉越しに宰相が声をかけるが返事はない。それが日常なのか、宰相も、意に介することなく扉を開いた。


開けた部屋から、土と緑の匂いがただよってくる。

部屋というよりも、温室のようだった。部屋の中は背の高い棚と、所狭しとぎっしりに並ぶ鉢植え。マリアには見覚えのない花も多い。


人の気配はなかったが、宰相は慣れた足取りで部屋の中に入っていく。

三つほど棚を通りすぎたとき、日に照らされ白く光るものが見えた。


白金の髪、空のように澄んだ青い瞳――線の細さは、父親に似通ったものがある。この美しい青年が、エンジェリクの第二王子ヒューバート殿下。

彼の姿を見るのは、正真正銘これが初めてだった。


チャールズ王子やジュリエット王女と違い、ヒューバート王子には肖像画の一枚すら、この城には飾られていない。母親同様、彼もまた、存在を感じさせることなく生きる人間だ。


「殿下におかれましては、ご機嫌麗しくお過ごしであらせられましょうか。本日は、新参者の紹介に参りました。これなるはマリア・オルディス公爵。チャールズ王子の婚約者候補として、先日、陛下より直々のご指名を賜りました。どうぞお見知り置きを」


ヒューバート王子はマリアをじっと見つめているが、その視線はマリアのことも、宰相のことも捉えてはいない。

何の関心も示さず、王子はただ儀礼的に微笑んだ。


「初めまして、ヒューバート様。本日はご挨拶にうかがいましたが……見事なお部屋ですね。妹が見たら喜びそうです」


生憎、マリアは花にさして興味はない。

オフェリアなら違う感想を持っただろうが、マリアにとって、花は花。特に気のきいた褒め言葉も思いつかない。そんな上辺だけの言葉は彼には通じなさそうだ。


だから、余計な美辞麗句は控えておくことにした。


「ヒューバート様、もしよろしければ、明日また、伺ってもよろしいでしょうか。今度は妹と共に」


王子は再び微笑む。その笑顔は自嘲的で、どこか諦めたようなものだった。


マリアの申し出を、彼が断われるはずがない。

エンジェリクの王子であっても、後ろ盾を持たないヒューバート王子より、宰相を供につけているマリアのほうが格上だ。


ヒューバート王子はそれきり、花の世話に行ってしまった。

マリアも、今日はこれでいいだろうと、大人しく帰ることにした。


「何を企んでいる」


離宮を出る道すがら、宰相に声をかけられた。


「ヒューバート王子を公に引きずり出すのは無理だ。生家を持たず、有力な後ろ盾のない殿下は、あの離宮で生きるしかない。何より、ご本人にその意思がない」

「そのようですね。幽霊のように、生きているかどうかも分からぬ存在であることに徹しているご様子。宰相閣下にとって、格好の旗印と成り得る御方だというのに」


マリアがからかうように言えば、宰相は黙り込んだ。

息子以上のポーカーフェイスで、何を考えているのかは読み取れない。だが否定しないところを見ると、本心に近いものはあるのだろう。

マリアはクスリと笑った。


「ジュリエット王女には感謝します。彼女が言いだしてくれなければ、私がヒューバート王子にお会いすることもなかったでしょうから」

「――丁度いい身代わりが見つかった、という顔だな」

「気のせいではありませんわ。マリア妃擁立など、認めませんからね」


ジェラルドめ、と宰相が舌打ちするのが聞こえたような気がしたが、マリアはころころと笑い飛ばす。


「色仕掛けでもするつもりか」

「それよりもっと良い手がございます。ですが、閣下にはお教えしません。私だけの切り札です」


宰相に頭を下げ、立ち去るマリアのあとを、静かに、急いでナタリアが追いかけて来る。

上機嫌のマリアに、ナタリアが不思議そうな表情をした。


「マリア様、何をお考えなのですか?良い手、というのはいったい……」


帰りの馬車の中、ナタリアが尋ねた。


「ヒューバート王子は、私みたいな人間とは非常に相性が悪いわ。野心というものがなく、望みを捨て、ただ無為に生きるだけ……。まさに、命があるだけで、幽霊となんら変わらぬ存在だわ。彼自身が、そんな状況を変えるつもりもない」


第二王子ヒューバートは、第三王子チャールズの対抗馬となり得る男だ。本来なら、マリアよりもずっと。

だからこそ、彼は幽霊に徹するしかなかった。感情を出さず、野心を見せず、従順に、存在感のない人間として生きなければ命がない。


王妃派が強い力を持ついまの王宮で、助けてくれる後ろ盾がないヒューバート王子には、それが唯一の身を守る手段だ。

そんな男の警戒心を解くには――強引に破るしかない。


「私はね、利用されたがる相手じゃないと苦手なのよ。私のことも利用する気満々な、野心が強い人間とは、抜群の相性だと思うわ。でもヒューバート王子は、私が好む相手とは真逆……たぶん、彼には、私の魅力は一切通用しないでしょうね。ヒューバート王子を懐柔するのなら……野心や打算とは、絶対に無縁の人間でないと。そもそも、彼は視野にも入れないわ」


話している間に馬車が屋敷へ着き、姉の帰りを察したオフェリアが、馬車から降りるなりマリアに向かって飛びついてきた。


「お帰りなさい、お姉様!王子様には会えた?素敵な方だった?」

「……どうしたの、その姿」


泥まみれになっているオフェリアに、マリアは苦笑する。


「お花のお世話をしてたんだよ」

「それだけじゃないでしょう!マサパンと一緒に草むらに寝転がって、お昼寝して!すぐお風呂に直行ですよ!」


ベルダがオフェリアを引っ張る。お姉様と一緒じゃなきゃいや、と抵抗するオフェリアのため、マリアも浴室についていった。


「しっかり汚れを落として、綺麗に磨き上げておいて。明日は、オフェリアもお城へ行くのだから」

「私も?お城に!?」

「そう。お城に行って、王子様に会うのよ」


マリアの言葉に、オフェリアが目を輝かせる。

野心や打算とは、絶対に無縁の人間――それは、マリアのすぐそばにいた。妹のオフェリアには、そんな感情を持つことができない。無防備で、無邪気で、自分の心に素直な少女。 純粋なまでに感情を剥き出しにして生きるオフェリアを相手にして、ヒューバート王子が、果たして幽霊で徹していられるか。


オフェリアこそが切り札。マリアには確信があった。

――その判断が、自分たちの運命を大きく変えてしまうことも知らずに。


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