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紫色のクラベル~傾国の悪役令嬢、その貴種流離譚~  作者: 星見だいふく
第二部04 運命の王子様
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巻き込まれる (1)


城の一室に、マリアはいた。男装ではなく、ドレスを着て。


ホールデン伯爵がキシリアから帰って来た時、出迎えるために用意しておいたドレスを着る羽目になったマリアは、かなり機嫌が悪かった。

――待ちぼうけを食らって一時間は経っているので、このドレスとは関係なく機嫌は最悪であったが。




遡ること一週間前。

その日もドレイク警視総監の個人秘書として登城していたマリアは、フォレスター宰相の部下を名乗る貴族に呼び出された。

一瞬訝しんだが、息子であるドレイク卿が父親の部下で間違いないと頷いたので、マリアは大人しく彼らについていった。

案内された場所は当然、宰相フォレスターのもと。


「お初にお目にかかる。オルディス公爵。貴女のことは、ジェラルドから聞いている」


宰相ニコラス・フォレスターは、一目見てジェラルド・ドレイクの父親だとわかる男性だった。

見た目は似ていない。ドレイク卿は母親似だと聞いていたし、髪の色も目の色も違う。


だが冷徹な雰囲気やほとんど表情が変わることのないポーカーフェイスぶりは息子のドレイク卿そっくりで、親子だと納得するしかなかった。


「急な呼び立てに驚いていることだろう。どうしても、直接話しておく必要があった。公爵、まずは貴女が、チャールズ王子の婚約者候補に選ばれたことについて、おめでとうと祝辞を送っておこう」

「……ありがとうございます。私、いつの間にそのようなものに選ばれたのでしょう」

「つい先ほどだ。ペンバートン公爵夫人の推薦を受け、王が貴女を指名した」


なんと迷惑な。

その言葉は呑みこみ、マリアは頭を下げる。

ポーカーフェイスに変化はないが、宰相もマリアのそんな心情を察しているような気がした。


「あくまで候補だ。王都にいる有力な貴族の娘で、チャールズ王子と年の近い者は、ほとんどが候補に選ばれている。貴女はその一人に加わったに過ぎない――もっとも、王直々の指名は貴女一人だけだ。それが何を意味するのか……少しは考えたまえ。あからさまに、興味がないという顔をせず」

「申し訳ありません。正直王子の婚約者候補の話より、閣下の机に置かれた物のほうが気になりますもので」


宰相の執務室――仕事のための書類や書物が積み重ねられた重厚なデスクの上に、ひとつ、明らかに宰相の私物と思われる異質な物がある。


小さな肖像画に描かれた銀髪の美しい女性と、その女性によく似た少年……。宰相のデスクにあるのだから、そういうことだろう。

幼い頃のドレイク警視総監は、女の子に見間違えそうなほど可愛らしかったようだ。


そんなことを考えていると、宰相は肖像画をデスクに伏せてしまった。


「……エンジェリク貴族はいま、王妃派と宰相派、そのどちらにも属さぬ中立に分かれている」

「存じ上げております。オルディス公爵家は、宰相派に近い中立を保っておりました」


エンジェリク王は、三度結婚している。現在の王妃は三人目の妻。ただし、前の二人は死別である。


一人目の王妃はオルディス公爵家の姫であった。

母親が先王の又従兄弟、マリアたちの大伯母でもある。息子を出産した際に亡くなっている。

一人目の王妃は、正確には、王太子妃である。現国王が、王太子時代に結婚した妃であり、王が即位する以前に亡くなっているため、王妃の称号は彼女の死後に与えられたものだった。


二人目の王妃は、フランシーヌから嫁いできた王女。現国王が即位する際に、新たに迎えた妃である。彼女との間にも息子が一人。


二番目の王妃が亡くなり、現在の王妃と結婚。彼女との間には息子が一人、娘が一人。


ここでひとつ、大きな問題が生じた。

最初の王妃との間に生まれた息子の死である。


王太子と目されていた長男は優秀で、血筋も含め、誰もが彼が後継ぎだと認めていた。長男が亡くなったのはわずか十年前。御年十三歳であった。

突然の王太子の死により、二番目の息子と、三番目の息子のどちらかが王位を継ぐことになっているのだが……このあたりに、ややこしい事情がある。


二番目の息子――第二王子は、フランシーヌ王女の母親を持つ由緒正しい血筋ではあった。

しかし王女が嫁いでほどなく、彼女の祖国フランシーヌで革命が起き、フランシーヌ王族はエンジェリクに嫁いでいた王女を除く全員が処刑されてしまった。


新しい政権は、前政権がエンジェリクとの間に結んだ友好条約を一方的に破棄してしまい、後ろ盾を失ったフランシーヌの王女は何の力も価値も持たない存在となってしまった。

そんな王妃が生んだ第二王子では、王位を継ぐことはできない。


そこで第三王子の登場である。

二番目の王妃が力を失ったことで台頭した王の愛妾が、王妃の死と共に新しい王妃となった。

しかも長男が突然死し、本来なら得ることのない王位継承の可能性が、我が息子のもとに転がり込んできたのだ。三番目の王妃と、その一派は歓喜した。


以来、王妃の外戚や王妃派は第三王子を王位に就けようと躍起になり、自分たちの力を拡げている。最初の王妃と第一王子に仕えていた宰相一派は目の敵にされ、第三王子を推す王妃派とは険悪な関係だ。


外国人のマリアにはあまり関係のないものであったが、宰相の息子と親しくしていてはその諍いを素通りすることもできない。

いつかこんな日が来るだろうと、覚悟はしていたが……。


「私のような女が王子の婚約者候補ですか。あまり良い采配だとは思えません。自慢にもなりませんが、私、男性関係は爛れております」

「それで構わん。チャールズ王子に入れ込んでもらっては困るのだからな。オルディス公爵を婚約者候補に指名したのは、王妃たちへの牽制だ。王妃派の驕りも、少々目に余るようになってきた」

「王妃を牽制をする役目を王が指名してきたということは、陛下も、外戚や王妃派の出しゃばりを快く思ってはいないということですか?」

「多少の増長は致し方ないものと思い、目を瞑っていらっしゃる。だが彼らによる独占は好ましくはない」


先日話題になった法務長官の人事などが、その例というわけか。

司法に関する部署は、フォレスター宰相が絶大な影響力を持っている。

宰相が法務長官を務めていた過去もあり、いまは息子が警視総監。そういった役職に就いている人間も宰相の友人だったり、元・部下だったりと、「お仲間」だらけの人事である。


その是非を問うのは別にして、そういった分野にまで王妃派が介入してきたということは、宰相派の弱体化を図ってきたということ。

はっきり言ってしまえば、喧嘩を売って来たわけだ。

――巻き込まれるマリアにはいい迷惑である。


「あくまで牽制ですね。私、王子の妃になどなりたくありません」

「断言するのか。エンジェリク貴族の子女ならば、誰もが憧れる地位を」

「……チャールズ殿下は、ジェラルド様よりも素晴らしい御方ですの」


マリアの問いに、宰相が黙り込む――返答できないのは、単なる親バカの可能性もあるが。


「男など、エンジェリクだけでも大勢います。私は、王子妃などという肩書にこだわる女ではありませんから……そのような地位は無用ですわ。寵愛は歓迎しますが、そのために何もかもを取り上げられるのは御免です」


ようやく自分の力を手に入れ始めたところなのだ。王妃になどなってしまったら、全て取り上げられてしまう。


両親もおらず、自分で公爵位を継いだマリアには後ろ盾がない。

その状態で妃になどなってしまえば、男の寵愛だけにすがって生きることになる。それこそ、祖国を失い、幽霊のようになって生きることを強いられたこの国の二番目の王妃――ジゼル王女の二の舞を演じることになるかもしれないのだ。


――冗談ではない。

男にすがることしかできない生き方は、もういやだ。父親を喪った時、それがどれほど恐ろしいことか、思い知ったのだから……。


「私としては心強い発言だ。王子妃の座に目が眩んで、チャールズ王子に心動かされる心配がないのは有難い」

「ならば私にも、心強い保証をくださいませ。牽制のための婚約者候補。それ以上の立場にはならぬと」

「あい分かった。あくまで婚約者候補。それは動かぬ。その代わりに貴女にも、牽制の役割はしっかりと果たしてもらおう」


友好的とは言い難いやり取りを終えドレイク卿の執務室に戻ったマリアは、今日も冷やかしにやってきたウォルトン副団長と、彼とチェス勝負をするドレイク警視総監に注目された。


「君をチャールズ王子の婚約者候補にか。そんなことじゃないかと思ってはいたが……お前の親父さんも、本格的に動くつもりか」

「父がというよりも、王妃派が本格化してきたため、父の対応も本格的なものになってきたのだろう。チャールズ王子は今年で十三歳。亡くなられたエドガー王子と年も並んだ。ひとつの契機にはなる」

「言っておくが、僕は宰相派じゃないぞ」


黒いナイトで白のポーンを潰しながら、ウォルトン副団長が言った。


「私とて、父が宰相だからといって宰相派に与したつもりはない。だが自身がどう思っていようと、相手も同様に考えるとは限らないだろう。フェザーストン子爵夫人の夜会帰りに襲われたのは、王妃派による指示だ。軍部は、貴公とブレイクリー提督が、中立派の二大双璧だからな」


白のルークを動かし、ドレイク卿が言った。


「ブレイクリー提督というのは?」

「海軍提督だ。エンジェリクは、海軍も強大な力を持っている」


マリアの質問に、副団長が答える。

ついでにマリアは黒のビショップを動かし、黒のクイーンを狙う白のナイトを妨害しておいた。

ドレイク卿のこめかみがわずかに反応するのを、マリアは見逃がさなかった。


「僕を襲った人間の正体が、判明したのか」

「確証はない。普段ならば、一人ぐらいは生け捕りにするものを。腕が鈍ったか」


副団長は陽気に笑ったが、マリアには生け捕りに出来なかった理由がわかった。


マリアとナタリアがいたからだ。

マリアたちを確実に守るため、ウォルトン副団長は、生け捕りではなく容赦なく敵を仕留めにかかったのだ。生き残りをあえて作らなかったことで、襲撃してきた人間の正体を突きとめるのに難航してしまった……。


「軍部は、中立派が多いということですか?」

「いや。ブレイクリー提督も身分は高くないし、王国騎士団同様、海軍も大半が平民だ。一方、身分の高い貴族で構成された近衛騎士隊は、隊長のガードナー伯爵を筆頭に王妃派。軍部は、中立派と王妃派の半々と言ったところか」


報復に出たドレイク卿によって黒のナイトを潰されたウォルトン副団長は、眉をひそめた。


「司法官とて一枚岩とは言えぬ。こちらには、マクファーレン判事という最大の障壁が存在しているのだからな。マクファーレン伯は中立派だ。もとは自分より格下であったレミントン侯爵に下るとは思わぬが、宰相派になることは絶対にあり得ない。むしろ宰相憎しの余り、王妃派に転がる可能性すらある」


マクファーレン判事――メレディスの父親だ。

若い頃は宰相の座をフォレスター宰相と争い、息子のドレイク卿にも嫌がらせをしてきたぐらいの人間が、宰相派になるはずがない。

中立派ではあるが、宰相には否定的というのも厄介だ。


「しかし、擁立する者がいない宰相派には、いささか不利な争いですね」


マリアが黒のキングを動かし、さりげなく白のナイトの射程から逃げ出す。


「だから貴女が選ばれたのだろう。父の言葉は信頼しないほうがいい。貴女が妃になれば、マリア妃という旗印を宰相派は得られる。婚約者候補のままでいい、などとは思っていないはずだ」

「迷惑にもほどがあります」


間髪入れずにマリアが言い返せば、ウォルトン副団長にもドレイク警視総監にも笑われた。

白のルークによって黒のキングを倒されるのを眺めながら、マリアは頬を膨らませる。


二人には笑い話だろうが、マリアには本当に死活問題となって来た。

いっそチャールズ王子がどうしようもない盆暗で、マリアのことを手ひどくはね退けてくれればいい。そう願うほどに。


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