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紫色のクラベル~傾国の悪役令嬢、その貴種流離譚~  作者: 星見だいふく
第二部03 綺麗な花園はトゲだらけ
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暇つぶし (1)


屋敷に、チェンバロの美しい旋律が鳴り響く。

王都に戻ってから毎日のように練習をしていたオフェリアの腕は、なかなかのものだ。


演奏を終え、オフェリアがちょこんとお辞儀をすれば、ドレイク卿は彼女に拍手を送った。昨夜屋敷に泊まっていき、ちゃっかり聴衆に混ざっているウォルトン副団長と共に。


「見事なものだ。素質はあると思っていたが、期待以上だった」

「ありがとうございます。姉の欲目を抜きにしても、オフェリアの上達は素晴らしく思っておりましたの。毎日練習した甲斐があったわね、オフェリア」


ドレイク卿に褒められて、オフェリアはニコニコ笑っている。


「君は弾かないのかい?」

「譜面通りに弾くだけならばできますが、心打つ演奏というのは、私には才能がないようで」


ウォルトン副団長の問いに、謙遜ではなく事実を答えた。

いまオフェリアが演奏したものより高難度の曲も引けるが、オフェリアほどの評価は得られないだろう。


「オフェリア嬢は、音楽家を目指すべきかもしれないな」


ドレイク卿に言われ、オフェリアは困ったように眉を八の字にする。


「でも私、デザイナーにもなりたいの。それに、ケーキ屋さんにもなりたいし」

「夢は大きいほうがいい。ドレスを作りながらケーキを焼いて、ピアノを弾く。いっそ全部目指そう」


ウォルトン副団長が豪快に笑い飛ばした。


「オフェリア様、ケーキが焼き上がりましたよー」

「待って、飾りつけは私がやるの!」


ベルダに呼ばれ、オフェリアは厨房へ行ってしまった。


「オフェリアの一番の夢は、お姫様になることです。妖精の王子様と結婚した、おとぎ話のお姫様のように」

「それで君は、精力的に社交界に参加しているのか。妹の婿探しのために。我が騎士団から、何人か推薦しようか?」


フェザーストン子爵夫人の招待を受けて以来、マリアは他の招待も受けていた。ウォルトン副団長の提案に、マリアは頷く。


「レオン様の紹介というのがやや不安ですが、誠実な方でしたら身分は問いませんわ」


地位や財産などなくても、オフェリアを真摯に愛してくれるのならそれでいい。経済的なものはマリアが補えばいいのだから。

いっそ、貴族ではないほうがオフェリアには良いかもしれない――そこまで身分差があると、上手くはいかないだろうが。


「王子様か……。我が国の王子は、彼女には最悪の相手だな」


ドレイク卿が、眉間にしわを寄せて言った。


「エンジェリクも、王位継承に揉めているようですものね。オフェリアには、とても生き抜ける世界ではありません」

「だろうなぁ。マリアならともかく、オフェリアでは無理だ。身分や容姿、素質は問題ないが……人を疑わないあの気質で王室に足を踏み入れるなど、危険極まりない」


ウォルトン副団長もドレイク卿も、オフェリアとの付き合いはそれほど長くはない。その二人にもあっさりと見抜かれるほど、オフェリアの思考能力は年齢に対して幼い。


オフェリアは、言葉の裏にあるものを察することができない。相手の言葉を額面通りに受け取り、本音と建前があるということが理解できないようなのだ。

マリアも、亡くなった父も、オフェリアの思考能力の成長の遅さはずっと気にしていた。

年とともに改善されるだろうと様子を見てきたが、恐らくいまの状態が限界だろう。マリアが甘やかしていること、発達の個人差を考慮に入れても、オフェリアは幼さが過ぎた。


ケーキと紅茶を載せたカートを押し、オフェリアが戻って来た。

使われている食器に、ウォルトン副団長が上機嫌で笑う。


「僕がプレゼントした食器だな。使ってくれているようで、なによりだ」

「オフェリアがすっかり気に入ってしまって。こっちの屋敷に持って行くと言って聞かなかったんです」


マリアと一緒に作ったケーキを取り分け、ドレイク卿が手土産に持ってきてくれた紅茶を淹れる。

ケーキを一番食べていたのはオフェリアだが、ウォルトン副団長もドレイク卿もそれを指摘するようなことはせず、彼女が満面の笑みで食べるのを眺めていた。


ケーキのほかにもお菓子が用意されている。

白いクッキーを手に取ったウォルトン副団長は、不思議な顔をして手に持ったクッキーを見つめ、しばらく考え込むような様子を見せた後にクッキーをかじった。


あ、とマリアが声を上げた。それと同時に副団長が咳き込む。


「ダメじゃない、オフェリア。それは別の場所に置いてたでしょ。人に食べさせていいものじゃないわ」

「え?あーっ!まさか、お姉様、また実験してたの!?食べ物で遊んじゃだめでしょ!」

「遊んでないわ。真面目に研究してるのよ」


紅茶を喉に流し込む副団長に、品がないぞ、とドレイク卿が注意した。

ナタリアやベルダが心配そうに付き添っていると言うのに、ドレイク卿は親友に対して無情だ。


「ごめんなさい、レオン様。それは、私が実験的に作ったクッキーなんです」

「クッキーなのか?塩の塊だったぞ!」

「小麦粉の代わりに、塩を使って作ったものですから。固めるのに苦労したんですよ」

「塩は、そういった用途で使用しませんからね……」


ナタリアが溜息をつく。


「マリア様は最近、時間を持て余していらっしゃいまして……。暇つぶしに料理をしているのですが、独自のアレンジを始め、それが何やらおかしな方向に行ってしまったのです……」


マリアは、料理下手というわけではない。レシピ通りに作ればたいていのものは美味しく作れる……のだが、おかしなアレンジに目覚めてしまい、異様な創作料理に凝り始めてしまった。


「ちゃんと、自分で食べるつもりで作っているのよ。なのに、あなたたちが取り上げて食べちゃうんだから」

「マリア様はその気でも、食べさせるわけにはいかないじゃないですかー!私は丈夫なだけが取り柄だからいいですけど、ナタリア様はお腹の調子がずっと悪いんです!お嫁に行けない身体になっちゃったら、どうするんですか!」

「……だって、暇なのよ」


マリアも溜息をついた。


「ちょっと前まで忙しく働いていたのに、急にやることがなくなってしまって。思い返すと、私、趣味らしい趣味がないのかもしれません。キシリアにいた頃も勉強漬けでした。嗜みとして色んなものを身に着けてはきましたが、私的な時間にも自発的にやっていたのは乗馬ぐらいで」


ガーランド商会が休業となり、以前のように働きに行くことはできなくなってしまった。

オルディス領ならまだしも、護衛もなしに一人で馬に乗るような無謀なことは出来ないし、マリアは、時間を有用に使う方法が思いつかないでいた。


「なら今度、僕と一緒に遠乗りに行くか」

「レオン様が一緒なら、私も馬に乗っていいよね?」


オフェリアが喜んだ。

副団長の申し出は非常にありがたい。しかし……。


「レオン様も、実はそれほど時間があるわけではないのでしょう?」

「うーん……まあ、それは。一応、僕も偉い地位にあるわけだし」


休暇を取ってオルディス領に遊びに来ていた頃とは違い、ウォルトン副団長は忙しく働いている。

昨夜の逢瀬も、実は一週間ぶりだった。先触れの手紙にすら、時間が取れそうなのでできるだけ会いに行く、という曖昧なものしか書けないほど。彼も時間にゆとりがあるわけではない。


「……ならば、私の秘書でもやるか?」


ドレイク卿が言った。


「正式な雇用ではなく、個人的なものになるが。給料は出そう。それに、警視総監の個人秘書であれば捜査資料の閲覧も可能だぞ」

「どういう賞与だ。それに目を輝かせる君も、どうかと思うが」


ドレイク卿の提案にも、その提案に喜ぶマリアにも、ウォルトン副団長は呆れ果てた。




翌日には、マリアはドレイク警視総監の執務室を訪ね、個人秘書として忙しく働き始めた。

相変わらず職務中は厳格で冷徹な態度で、マリアは容赦なくこき使われた――優秀な上司に振り回される久しぶりの感覚を、マリアは大いに楽しんでいた。


「大丈夫か、マリア。いじめられていないか」


昼頃、ウォルトン副団長が冷やかしにやって来た。


「仕事は問題ないのですが、騎士の方がよくお見えなので対応に困っているところです」

「貴公で三十人目だ。暇なのか、王国騎士団は」


大した用でもないのに王国騎士団の騎士がやたらと出入りし、マリアに会いに来る。美人が来たら張り切るものさ、と副団長は笑った。


「とんだ効果だ。おかげで部下たちも、書類仕事に励むようになったが」


役人たちも、マリアに会う口実を作ろうと率先して書類仕事に従事している。

実務は問題ないが書類仕事は逃げたがる人間が多いため、これにはドレイク卿も喜んでいた。


「ちゃんと休憩は取らせているか。お前自身、放っておくと休憩しないだろう」

「……いま、しようと思っていた」


忘れていたな、とマリアは心の中で呟いた。ウォルトン副団長も、まったく同じことを考えているに違いない。


「マリア、君から言い出して、こいつを無理にでも休ませないとだめだぞ。それから残業もやめさせろ。放っておくと、どこまでも仕事をし続けるぞ、この男は」

「そういう上司には慣れっこですから、ご心配なく」


デイビッド・リースで慣れているマリアにとって、激務は苦ではなかった。


書類整理に、警視総監の指示や部下たちからの報告の口頭書記、領収書の計算――ここまでは純粋な秘書の仕事だが、マリアには他にもやるべきことがあった。

マリアに会いたがる騎士や部下を邪険にせず、彼らのやる気を鼓舞する。マリアに会うために書類仕事に励んでくれるのはいいことだ。

放置されていた量を知って、マリアはドレイク警視総監の苦労を察した。秘書も必要になるはずだ、これだけの書類仕事をまともにやるのが警視総監一人では。


休めそうなタイミングを見逃さず、ドレイク卿にもしっかり休みを取らせる――いつの間にか、仕事の区切りを見計らって終業の合図を出すのも、マリアの役割になっていた。


「ドレイク卿の趣味は、やはりオペラ鑑賞ですか?」

「好んではいるが、時間がないとどうしても難しい。私も貴女方と行った公演が、久しぶりの観劇だった。次の休みには、ぜひまた招待させてもらいたい」

「嬉しいです。オフェリアもとても気に入ったみたいで、また観たいとよく話しています」

「気分転換という意味では、私の趣味はオペラよりチェスだ。チェスの経験は?」

「父から教わって……ホールデン伯爵とも、何度か対戦したことがあります」


あまり役に立たない経験だったが、という言葉をマリアは呑みこんだ。


「腕前のほうは」

「自信がないというか、自分でもよく分かりません。父には負けっ放しでした」


教えてくれた相手なのだから、父に勝てないのは当然だと思う。

ホールデン伯爵は……よくわからない。


伯爵との勝負は、ほとんどマリアが勝利した。 ノア曰く、賞品のかかっていない勝負にはまったくやる気を出さない人間なので、勝つのはそう難しいことではないらしい。ならばと思い、負けたら一晩自分を好きにしていいという条件を出して勝負を挑んでみたところ……とんでもない目に遭った。それはもう、二度とやるまいと心に固く誓うほどに。

そんな経験ばかりなので、マリアにも自分の強さが分析ができないでいた。


「では、私とやってみるか」


こうして、マリアはドレイク卿とチェスで勝負することになった。


駒を動かしながら、マリアはふと考える。

――私、本気を出していいのかしら。


ドレイク卿に勝てるとまでは思っていないが、全力を出して彼に応えていいのかどうか、つい悩んでしまった。

ウォルトン副団長のことがあったせいだ。彼に気に入られて関係を受け入れたが、またナタリアを悩ませる羽目になってしまって。


「浮気はほどほどにするように」

「野心が強い男には注意してください」


別れ際、伯爵やノアにかけられた言葉がマリアの頭に響き渡る。

全力を出して、変に気に入られるような真似は控えたほうがいいだろうか……。


「あっ……負けてしまいました」


余計なことを考えていたら、あっさりとドレイク卿に敗北してしまった。

どうやら彼はかなり強いようだ。全力だとかそんなこと考えるまでもなく、マリアでは手も足も出ないような相手だった。


「お強いのですね」


チェス盤から顔を上げてドレイク卿を見たマリアは、ぎくりと身をすくませた。

いままでにないほど、ドレイク卿の眉間のしわが深く刻まれている。そしてなぜか……激怒している。


「……なぜ手を抜いた」

「手は抜いていません。いらぬことを考えて、集中できなかったことは事実ですが」

「私との勝負など、集中する必要もないということか」

「そういうわけではありません。邪推し過ぎです」


その日もウォルトン副団長は冷やかしにやって来たが、怒りのオーラをまとうドレイク卿を見て目を丸くしていた。

チェス勝負から解放されないマリアは、やって来た副団長をすがるように見た。


「レオン様、助けてください。私、どうやらドレイク卿を刺激してしまったようで」

「いったい何をやらかしたんだ。こんなに闘争心を燃やすジェラルド、初めて見たぞ」

「分かりません。私が解説してほしいくらいです」


これはきっと、自分のせいではないはず。不可抗力だ――マリアはそう思った。


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