花の園 (3)
「怯える演技は見事だった」
「お褒めに預かり恐縮です。研究した甲斐がありました」
ホールを出ると、マリアはナタリアを迎えに、控え室へ向かっていた。ウォルトン副団長と共に、ドレイク卿もホールを離れている。
「ライオネル、彼女の機転に感謝することだ。デビュタントだったというのに、貴公よりよほど上手く立ち回っていた」
「言われなくても分かっている。やれやれ、とんだ道化を演じることになってしまった。完璧なエスコートを行って、彼女の好感度を不動のものにする予定だったのに」
「私は、狼狽するレオン様を拝見できて楽しかったですわ。油断できないお方だと思っておりましたが、可愛らしい一面もお持ちなのですね」
からかうようにマリアが言えば、ドレイク卿も皮肉っぽく笑う。副団長も苦笑していた。
「ナタリア、今夜はもう帰るわよ。あら……」
マリアたちの姿を見て、控え室から猛烈な勢いで逃げていく女性がいた。気のせいだろうか、彼女の服はずいぶんとボロボロになっていたように見えた。
そしてナタリアは、左の頬を赤くしている。
「誰にやられたの?」
左頬の腫れは、打たれた跡だ。ナタリアは涼しげな表情で、右手に持つ布切れを見せる。
「ラスボーン侯爵夫人の侍女と名乗る女が突然言いがかりをつけ始め、一方的に罵倒してきた後、平手打ちを……。倒れそうになり、咄嗟に手を伸ばして彼女の服をつかんだので、引き裂いてしまいました」
悪びれることなく言い切ったナタリアだが、少し表情を曇らせた。
「……すみません。マリア様やキシリアのことを侮辱され、つい反撃を。私はまだ未熟です。マリア様のお立場を、悪くしてしまいました」
「気にすることないわ。私のほうでも、主人同士一悶着あったところだから。今さらよ」
ナタリアの腫れた頬の様子を確認しながら、マリアが言った。
「元を正せばレオン様のせいだから、あなたが気にすることなんて何もないわ。もう、レオン様。ナタリアまでこんな目に遭わせて。貸しひとつですからね」
わざとらしく拗ねて見せれば、副団長はすまん、といつもの陽気な笑顔で謝罪した。
「今夜はごめんなさいね、マリアさん。使用人から聞いたわ。控え室でも、侯爵夫人の侍女が騒ぎを起こしてくれたんですってね」
見送りにきた子爵夫人が言った。
「騒ぎを大きくした責任は、私たちにもあります。招いてくださった子爵夫人に、ご迷惑をおかけしてしまって」
「いいのよ、そんなこと。あの女が来ていた時点で、私の評価は悪くなってしまっていたもの。あなたがやり込めてくれて、胸がスッとしたわ。まったく……顔と胸だけの女に、男たちは惑わされて……」
子爵夫人の手厳しい言葉に、男の副団長と警視総監は視線を泳がせる。
「せっかくいらっしゃってくださったのに、ゆっくりお話もできなかったわ。日を改めて、また招待させて頂戴ね」
「是非」
子爵夫人に見送られた後、ドレイク卿と別れ、副団長と共にマリアは帰りの馬車に乗った。
ナタリアの腫れは大したことはなく、乗って数分もしないうちに綺麗なピンク色に戻っていた。
「良かったわ、跡が残るようなものじゃなくて。ナタリアの顔に傷なんか作ったら、私がリースさんに恨まれるところだったわ」
からかいながらマリアが言えば、ナタリアの頬はまたほんのりと紅くなる。
二人の正面に座る副団長が、すまなかったと再び謝罪した。
「今夜は僕のせいで、とんだ目に遭わせてしまった。もう少し、初めての夜会を楽しんでもらう予定だったのに」
「私は楽しめましたわ。フェザーストン子爵夫人は、好感の持てる方でしたし」
「そう言ってもらえると助かるね。僕も彼女のことは好きだから、これからも仲良く……」
不意に、副団長が言葉を切った。
窓から外を眺め、嘘だろと呟く。
「どうかしました?」
「道が違う。ああ、どうして今夜に限って、こう立て続けに……」
何を嘆いているのかマリアが尋ねるより先に、馬車が止まった。
マリアにも、外の異変がわかった。
「重ね重ね申し訳ない。今夜の僕は、どこまでもツイてないみたいだ――何か、お守りは?」
ウォルトン副団長が、帯刀していた剣を手に持つ姿を見て、ナタリアが息をのむ。
夜会の最中には所持していなかったが、騎士である副団長は、常に帯刀をしていた。彼が、その武器を実際に手に取る姿は初めて見た。
「私たちのことはお気になさらず。足を引っ張るような真似はしません」
「騎士としては、淑女にそのような配慮をさせてしまって情けないが、君たちを傷つけさせないほうが重要だな。奥に固まって、間違っても馬車から出ないように」
タイミングを図り、ウォルトン副団長は馬車のドアを蹴り開けた。
馬車の外には得体の知れない男が複数――マリアが確認できるだけでも七人。全員が武装している。
じりじりと詰め寄る襲撃者に対し、剣を抜いた副団長は、にやりと笑って挑発した。
「これだけの人数で取り囲っておきながら、何もできんとはな。その程度の雑兵が、何人集まろうと同じだ」
言うが早いか、ウォルトン副団長が踏み込んだ。あっという間に敵の懐に入り、斬り捨てる。
一人目が地面に倒れ込む頃には、隣の男も倒していた。三人の男がほとんど同時に攻撃してきたが、ウォルトン副団長の優勢は揺るがない。
一番近い男の攻撃を剣で弾いて斬り返し、次に攻撃してきた男の腕を片手でつかんで、三人目の攻撃の盾にする。斬られて動けなくなった盾を捨て、三人目も斬り捨てた。
生き残っている襲撃者のうち一人が、体勢を立て直しきれていない副団長に襲いかかった。襲撃者の剣を受け止める副団長の剣と、つばぜり合いに持ち込んだが――副団長のほうが上だ。徐々に押されていっている。
――素人のマリアでもはっきりわかるほど、力量が違う。
最後の一人も同じことを考えたらしい。し烈な戦いから距離を取っていた彼は、同乗者の存在に気づいたようだ。
目が遭った瞬間、マリアも忍ばせていたお守りを握り、マリアを庇おうとするナタリアを背後に押しやった。
しかし、男の悪あがきはマリアには届かなかった。
伸ばした手は虚しく空を切り、男は力尽きて倒れ込む。最後の一人も、ウォルトン副団長は容赦なく斬り捨てた。
「数で敵わないと分かったら、女性を人質に取るか。どこまでも下らん連中だ」
吐き捨てるウォルトン副団長には、いつもの気安げな雰囲気はない。敵を見下ろすその表情は険しく、もとの厳つい顔立ちが際立っている。
「怪我はないか、マリア」
剣を収め、副団長がマリアを見た。
「私もナタリアも。大事ありません。助けてくださってありがとうございます」
「礼はいらん。私を狙ったものだ。巻き込まれた君たちを守るのは当然のこと。怖い思いをさせてすまない」
「レオン様の勇ましい姿を拝見できて、私としては得をした気分です」
「あの程度の連中に負けるような鍛え方はしていない」
おや、とマリアは思った。
敵の死亡を確認する副団長は依然険しい表情をしており、マリアの褒め言葉に対して軽口で返す様子もない。
ドレイク警視総監と親友というのも、あながち間違いではないのかもしれない。彼も警視総監と同じ、職務に対しては冷徹なほど真面目だ。
騎士ライオネル・ウォルトンは、その強さを誇ることも驕ることもない矜持の持ち主らしい。
副団長が状況を検めていると、青年が一人、急いでこちらに駆けつけてくる。
青年は焦ったような声でウォルトン副団長に向かって叫んだ。
「副団長ー!大変です、今夜、副団長を襲うという計画が――!」
「遅いっ!この状況を見ればわかるだろう、終わってから報告に来るんじゃない!」
着ている服装や会話から察するに、王国騎士団の人間だ。駆けつけた部下を見るなり、副団長が怒鳴った。
「うわ、すみません!間に合いませんでしたか……」
「まったく。おかげで、彼女のドレスを台無しにしてしまったぞ」
ドレスの裾には、マリアを人質に取ろうとした男の血の手形がべったり付着している。これは、洗って落ちるようなものではない……。
「マリア、このまま私の屋敷へ寄ってくれ。その姿で帰すわけにはいかん。オフェリアが卒倒してしまう」
……たしかに。
マリアは頷いた。
「ナタリア殿、すまないが、マリアは私の屋敷で預かる。君は、着替えを取りに行って来てくれないか。カイル、お前は彼女をしっかり護衛しろ。私の屋敷に戻ってきた時に彼女に傷でもついていてみろ。お前の首を刎ねるからな」
「今夜のウォルトン様は、ずいぶん不機嫌ですね」
「余計なおしゃべりをしている暇があれば、とっとと送って来い!」
副団長に再び怒鳴られ、カイルと呼ばれた部下はナタリアと共に行ってしまった。
副団長が溜息をつき、マリアに振り向く。彼は、いつもの明るい笑顔に戻っていた。
「……それじゃあ、ご同行願おうかな。馬車を待っていないで、こんなところさっさと立ち去ってしまおう。歩いても大した距離じゃない」
差し出された手を取り、ウォルトン副団長に案内され、マリアは彼の屋敷へ向かうことになった。
「襲った人のことを、お聞きしてもよろしいでしょうか」
「生憎と答えられん。公私ともに敵が多いものでね。心当たりが多過ぎて、僕にも分からんのだ」
「レオン様がご関係を持った女性たちの夫とか?」
「それなら喜劇ですむな」
ウォルトン副団長が、陽気に笑い飛ばす。
「僕には腹違いの兄弟が、両手両足の指を使っても数え切れないほどいてね。正妻の子に生まれただけでウォルトン侯爵家のすべてを継いだ僕は、嫌われ者さ。それに王国騎士団の副団長ということでもな。団長フェザーストン子爵は、かつて僕の父親の弟子だった。父は先代の団長で、子爵はいずれ僕に団長の地位を継がせたいと思っている。自分は、あくまで僕が継ぐまでのつなぎだと。そんな縁故が見え見えの人事に、不満が出ないわけがない」
「騎士としてのレオン様の実力は本物ですよね」
「僕も、それだけは譲れん。騎士に相応しい鍛錬は欠かしていない。しかし、僕の早過ぎる出世に、父親の威光がなかったとは言い切れんだろうな……」
そんなところまで、ドレイク警視総監と一緒というわけか。
彼も、早い出世は宰相である父親の影響を受けている。だからこそ、力を得ることに強い関心を寄せていた。
似ていない二人だと思っていたが、共通点は多いようだ。
副団長の屋敷に着くと、老齢の女性に出迎えられた。老婦人は、副団長に連れられたマリアを見るなり、目を丸くした。
「坊ちゃまが、この屋敷に女性を連れてくるだなんて」
「ソフィー、あまり深刻に考えないでくれ。成り行きで連れて来ることになっただけだ」
どうやら彼女は、ウォルトン侯爵家の侍女のようだ。
副団長への接し方から察するに、彼の乳母、もしくは幼少から仕えている女性といったところだろうか。
ニコニコと笑いながらマリアを観察する侍女に、副団長も苦笑している。
「僕の不手際で彼女のドレスをダメにしてしまってね。彼女の侍女が着替えを取りに行ってはいるのだが、侘びとして替わりのドレスを彼女に与えてくれないか。マリア、好きなものを持って行くといい。デザインが古臭いのは許してくれ。母が着ていたものだから、どうしても流行遅れにはなってしまう」




