花の園 (1)
キシリア王の帰国が進む中、マリアは意外な報告を聞かされた。
マリアの部屋にメレディスを招き、長椅子に並んで座って交流会のことなどを話していた時のこと。
特にマリアは、競馬が終わった後キシリア王と話をしていて、メレディスの品評会を見に行くことができていない。
結果についてはオフェリアたちから聞いていたし、ノアがマリアが行けなかった事情も説明してくれてはいたが、改めてメレディスから話を聞いておきたかった。
「メレディスもキシリアへ行くの?」
キシリア王のおかげで再びキシリアへ渡ることができるようになり、エンジェリク国内のガーランド商会は、しばらく休業となる。従業員の大半も伯爵と共にキシリアへ行くことになっているのだが、メレディスは理由が異なっていた。
「僕の絵が、キシリア王の目に留まったんだ。ぜひ、アルフォンソ王妃やキシリアのことも、描いて欲しいと言われて」
メレディスの絵は品評会で披露され、高い評価を得た――観衆からは。観衆から高く評価され、絶賛されたにもかかわらず、何の賞も与えられなかった。
それについて、メレディスは驚く様子も不満もないようだ。最初からこの展開は予想できていた、と語る。
「マクファーレン伯への配慮が働くことは分かっていた。だから、入賞については最初から期待していなかったんだ。大衆の目に僕の絵がどう映るのか、確かめる機会が欲しかっただけで。僕の絵は、大勢から評価された――それで満足だ。キシリアの王にまで認められたのだから、賞なんか必要ない」
「そうね……。キシリア行ってしまうのは寂しいけれど、それ以上に私も嬉しいわ。メレディスは、賞を得るよりももっと……大きなチャンスをつかんだのね」
このままエンジェリクにいては、メレディスが正当な評価を受けることはできない。キシリアへ行くことは、メレディスにとって大きな前進になる。
エンジェリクで名誉を得られないのならば、外国で名誉を受けてエンジェリクへ帰ってくればいい。
「品評会、見に行けなくてごめんなさい」
「きっと驚くよ。みんな、モデルになった美少女に興味津々で。競馬のほうでも大活躍だったんだって?相乗効果で、とんでもない話題になってる」
からかうように言われ、マリアも苦笑する。
「そうみたいね。正直、荷が重いわ」
なにせ、メレディスの絵に描かれているマリアは、本人から見ても絶世の美少女だ。あの絵に描かれた女性に会うつもりで期待されると、さすがのマリアもプレッシャーを感じざるを得ない。
「キシリアのこと、たくさん描いてくるよ」
そう言って、メレディスはマリアの頬に触れる。優しく笑いかけられ、マリアもあたたかいものが胸を占めるのを感じた。ごく自然な笑顔で、メレディスに微笑み返す。
「とても楽しみにしているわ……本当に。メレディスが描いてくれるキシリアを」
もう二度と、見ることも叶わないかもしれない故郷。メレディスの絵を通して見れるのなら……。
メレディスは、それ以上何も言わずマリアを抱き寄せる。メレディスの肩に頭を置き、しばらくの間、マリアもキシリアに想いを馳せていた。
それから二日後には、ガーランド商会はキシリア王と共に王都ウィンダムを発った。本当は港町まで着いていってギリギリまで見送りをしたかったのだが、その日の夜にフェザーストン子爵夫人からの招待を受けていたため、王都での見送りとなった。
「浮気はほどほどにするように。君は一度心を開くと、途端に無防備になるからな。ウォルトン副団長には気をつけなさい」
「レオン様、ですか?」
「あの男、なかなかの女性遍歴のようだ。もっとも、相手はすべて既婚者――君は対象外だと信じたい」
別れの直前、伯爵から王国騎士団副団長の裏の顔を暴露され……少し驚いたが、女性の扱いや引き際の良さを考えると、あまり意外でもなかった。
それに既婚者が対象なら、若過ぎるマリアのことは女という認識すらないのでは……。
「忠告したばかりだというのにすでにその状態では、君を残していくのは心配でならんな。悪意には敏感だが、性的な面で狙われることに関しては無頓着が過ぎる。マリアの魅力をもっとも見くびっているのは、他ならぬマリア自身だな」
「……難しいです。自分の魅力に自信はありますが、そこまで自意識過剰にはなれません」
たびたび指摘されていることなのだから、マリアも気にはしている。気にしてはいるのだが……誰でも彼でも惹きつけられると自惚れられるほどの自信はない。
「そういうところが可愛いからと、甘やかしてる伯爵が言っても説得力ないと思います」
苦笑しながら、メレディスが言った。
伯爵の後ろに控えて沈黙していたノアが、見かねたように口を開く。
「……マリア様。マリア様は、高い山を見ると挑まずにはいられない男たちの、羨望の対象になりやすいのです。野心が強い男には注意してください」
「野心……」
野心が強い男と言われ、思わずドレイク警視総監の顔が思い浮かんでしまった。
彼も野心は強い人間だ――注意したほうがいいのだろうか。
「お姉様、お姉様!」
そこへ、興奮したようにオフェリアが走り込んでくる。顔を真っ赤にし、後ろからは大慌てで追いかけて来るリースと、さりげなくそれを妨害するベルダもいた。
「ナタリアがね、リースさんとちゅーしてた!」
「あら」
妹の目撃情報に、マリアはニコニコと笑い、伯爵は悪戯っぽい笑顔でリースを見る。リースは頭を抱えて、しゃがみこんでしまった。
「誰に恥じることもない恋人同士なんですから、微笑ましいじゃないですか」
メレディスも笑顔でフォローするが、リースは恥ずかしさに撃沈している。ノアはいつものポーカーフェイスだ。キスシーンを見たオフェリアは顔を赤くしたまま、きゃーきゃーと興奮している。
「一歩前進で良かったですねえ。この人たち、手を繋ぐのもなかなかだったんですよ」
ベルダがしたり顔で、うんうんと頷く。
「なぜそれを!?」
「女性には、どれぐらい積極的になっても許されるのでしょうか。嫌われるのはいやですが、何もしなさ過ぎても引かれたりしませんか」
驚愕するリースに、マリアが言った。
不思議そうな顔をしている伯爵に対し、メレディスが目を逸らしているのを見て、リースが詰め寄る。
「メレディス君、酷いですよ!」
「すみません。僕も女性のことはよく分からないので。何とかしてあげたくて、マリアに相談したんです。面白半分で吹聴したわけでは……」
マリアは、リースさんがこういうことで悩んでいるんだけどなんて返事したらいい、とメレディスから相談を受けていた。
もう面倒なので、マリアから直接ナタリアに指示することにした――そっちの面ではへたれだから、ナタリアのほうから行動してあげなさい、と。
「私に相談すればいいではないか。面白おかしく状況を引っかき回してやったぞ」
「それだから、伯爵には絶対相談しなかったのだと思いますよ」
今日もノアは伯爵に容赦がない。
伯爵はリースの恋を応援する気があるのか謎だ。
「すみません、デイビッド様。はしたなかったでしょうか……?」
遅れてやってきたナタリアは、顔を赤らめ、悲しそうな表情をしている。
「リースさん。オフェリアを追いかけて口止めに走るより、ナタリアと一緒にいてあげるべきだったと思うのですが」
「一所懸命アピールしたのに、ナタリア様可哀想!」
マリアがリースをたしなめれば、ベルダが便乗して野次を飛ばす。落ち込むナタリアにかける言葉も見つからないのか、リースはオロオロするばかりだ。
「やれやれ、仕方のないやつだ。ナタリア、見ての通り、デイビッドは女性のことはさっぱりでな。君がリードしてくれるぐらいが丁度いい。デイビッド任せにしておくと、墓に入るまでオロオロし続けるだけだ。まあ、こんな男だが、これからも見捨てないでやってくれ」
微妙にひどい言い草だが、伯爵のフォローにナタリアも少し安心したようだった。
「ベルダも、あんまりからかっちゃだめよ。二人とも純情なんだから」
「デイビッド、君ももう少ししっかりしろ。キシリアへ行くのだ。万一がないとは言い切れん。ナタリアに何も伝えなかったこと、後悔する日が来るかもしれんぞ」
伯爵の言葉に、その場の空気が変わった。
キシリア王の後ろ楯があるとはいえ、内戦が続く国へ行く危険は大きい。
マリアやオフェリアが一緒にキシリアへ行けないのは、それが理由だ。フェルナンドに直接命を狙われているマリアたちは、商会についていくわけにはいかない。自分達も危険だし、商会をより危険に晒すことになる。
だからナタリアも、いつもより大胆に別れの挨拶をしたのだろう……。
「お帰りをお待ちしております。道中、どうかご無事で」
商会の馬車が、長い行列を成して王都を出発していく。
馬車の最後尾が見えなくなるまで、オフェリアとベルダは手を振っていた。ナタリアも、馬車の姿が見えなくなっても、彼らが旅立っていった方向をずっと見つめていた。
「寂しいね」
オフェリアの言葉に同調するように、マサパンがそばで悲しげに鳴く。犬のマサパンと馬のリーリエは、マリアたちのもとに残されることになった。
マサパンも、馬車が去っていった方向を見つめている。
「そうね、私もとても寂しいわ」
マリアも頷いた――とても寂しいし、かすかな不安もある。
伯爵と別れるのは、エンジェリクに到着して以来だ。あの時は、いざとなったら頼りに行こうという甘えが許された。
だが今回は違う。
今回ばかりは、頼ることができない。頼れる距離に彼がいないのだから。
屋敷へ戻ると、ナタリアとベルダに手伝ってもらいながらドレスを着て、しっかりと髪を結い上げる。
姉の変身を、オフェリアはマサパンと共に見ていた。
「お姉様、とても綺麗よ。人魚姫よりずっと」
「ありがとう。今夜は人魚姫に勝てるぐらい、私も気合いを入れたわ」
マリアを迎える馬車が来た。
今夜の副団長はいつものラフな服装ではなく、礼服を着ている。もともと口さえ開かなければ迫力のある人物だ。正装姿は、高位の騎士である彼の風格を引き立てていた。
「こんばんは、マリア。今宵の君は一段と美しい」
「ありがとうございます。レオン様も、とても素敵ですわ」
「惚れ直すぐらいに?」
「今夜ばかりは、否定することはできませんね。思わずときめくぐらいの魅力がおありですよ」
「それは何よりの誉め言葉だ」
今夜の副団長殿は、服装だけでなく態度もいささか普段と趣が異なっている。
マリアの手を取り口付けながらも、マリアから視線を逸らさない。彼の眼差しには覚えがあった。伯爵のそれと同じ……。
「さて、それでは出発しようか」
副団長の左腕に手を伸ばし、マリアは彼と腕を組む。
伯爵はいない。
それでも、きっと大丈夫。いまの自分ならうまくいく。
エンジェリクへ来たばかりの頃と――何も持っていなかったあの頃と、マリアももう違うのだから。




