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紫色のクラベル~傾国の悪役令嬢、その貴種流離譚~  作者: 星見だいふく
第二部02 誇り高き、キシリアの
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雨が降る  (2)


その日も、夜遅くから雨が降り始めた。 昨日よりは静かだが、雨音は部屋に響く。物音も痕跡も洗い流してしまう雨――あの男、なかなか強運の持ち主のようだ。


ベッドに座り込んで窓の外を眺めていたマリアは、ふわりと風が吹き込んでくるのを感じた。

カーテンが揺れ、テラスに面した窓が開いている。そこから入って来た黒衣の男ににっこりと笑いかけ、マリアはベッドのそばに立った。


「意外と遅かったわね」

「俺じゃなければ、夜が明けても辿り着けなかったさ」

「言っておくけど、私だって優しさは見せたのよ。こんな侵入しやすい部屋が、私の寝室なわけないじゃない」

「そりゃどうも」


シルビオはマリアに近づき、恭しく膝を折った。マリアの寝衣の裾を取って口付け跪く姿は、なかなか絵になっている。

やはり、キシリア王の血筋なだけはある。粗野な男という印象だったが、所作には生まれ持った気品があった。


「どうか、今宵の相手に私を選んでいただけませんか」


キザな振る舞いも難なくこなすシルビオに苦笑しながら、マリアはガウンを脱ぐ。右手を差し出せば、シルビオは立ち上がり手を取って口付けた。




翌朝。エンジェリク城にあるロランド王の客室にて。

両手を縛られたシルビオが、マリアに引っ張られながらキシリア王に引き渡された。


「そんな面白い状況になっているわけは?そういうプレイか」

「目が覚めた時にはこうなっていた。油断できん女だ」

「調子に乗ったのは認めるわ。まさかあんなに寝入ると思わなくて」


ちょっとしたからかいのつもりだったのだが、一向に目を覚まさないシルビオに悪戯心がわき、つい完全に縛ってしまった。


「枕としても抱き心地が良いんだ、お前は」

「ううん。首輪にしてやればよかったわ」


シルビオとマリアのやり取りに、キシリア王が声を上げて笑う。腰に帯びていた剣を抜き、刃先をシルビオに向けた。


「じっとしていろ。手元が狂うかもしれんぞ」


そう言いながら、ゆっくりとシルビオに近付く。シルビオの反応を試しているようにも見えたが、シルビオは動じない。

それに満足したキシリア王はふっと笑い、シルビオの両手を縛るロープだけを切り落とした。


「女性というものを侮ってはいかんな。甘く見ていると、手痛い反撃を食らうものだ」

「さすがは。ロランド様は、女性のことをよくご存知で」


マリアがにっこり笑って言えば、キシリア王は何かを探るような顔を向ける。


「アルフォンソは素晴らしい女性だぞ。私の自慢の妻だ」

「まあ。ということは、他の女性との経験ということですか」

「なぜそうなる」

「反論なさりたいのでしたら、まずはその香水を落としてからにしてくださいませ」


ぴしゃりと言えば、キシリア王がギクリと身を退く。そしてクンクンと腕を嗅ぎ、自分の匂いを確認した。


「……匂うか?」

「言われてみれば……匂うような気も」

「俺にはさっぱり分からん」


サンチョとシルビオにも確実させるが、二人も首をかしげる。


「男の方というのは、そういうところが無頓着ですのね。昨夜のお相手は、金髪美女だったのでしょう?」

「なぜそう言い切る」


認めるつもりのないキシリア王に近付き、彼の腕に絡み付いた、細く長い金糸を摘まみあげて見せる。

キシリア王は露骨に目を逸らし、空々しく笑う。


「お前の従者の髪ではないか?光の加減によっては、そんな色にも見えたぞ」

「ノア様の髪は、こんなに縮れておりません」


マリアが眉を吊り上げて言えば、キシリア王は観念したようだ。


「私の言った通りだろう」

「よい実例だ」


王の言葉に、シルビオが深く頷く。


「マリア、アルフォンソに教えたりしないだろうな」

「まあ。私からの手紙も読む時間もないぐらい、アルフォンソ様をお傍において、ご機嫌取りをしていればよいではありませんか」


コロコロと笑い声をあげながらも、目が笑っていない自覚がマリアにもあった。


「……ロランド様。王妃様のご懐妊よりも先に、エンジェリクでご落胤が生まれたなどという報告を聞きたくはありませんからね」

「そこまで節操なしではない」

「複数の残り香をつけられても気付かないご様子では、心配にもなりますわ。二人……いえ、三人ですか。いかがです、サンチョ様」


マリアが視線をやれば、王の臣下は頷く。


「エンジェリク王は、ロランド様を手厚く歓迎してくださってな。ロランド様の寝所には、一ダースほどの女性が侍っておる。昨夜は、同じ金髪であっても違うものかと、味比べを所望なさって……」

「サンチョ、王の個人情報を軽々しく話すな!」

「王よ。こればかりは、わしもマリアに同意ですぞ。王妃様は、健気にキシリアで王のお帰りを待ち続けておいでです。それに、ご懐妊の兆しがないことを、王妃様が気になさっていることもご存知でしょう」

「私とアルフォンソは、まだ結婚したばかりだ。互いに若い。まだ焦る必要など――」

「結婚したばかりで、妻を放って金髪美女を侍らして楽しまないでくださいませ」


マリアとサンチョの言葉に、キシリアの王は眉間に皺を寄せる。二対一の不利な状況に機嫌を悪化させた王は、苦笑するシルビオに矛先を向けた。


「私が困る姿を見て嗤うとは。悪趣味だ」

「すまん。なんとも不思議な光景に感じられてな。俺自身、どう反応すればいいのか困っているのだ。俺は、親兄弟ともそんなやりとりをしたことがなかったものだから」


弟に王位を奪われたフェルナンドは、自身の二人の息子のうち弟であるほうのシルビオを冷遇している、と言われていた。

主君にも父親にも恵まれなかったシルビオにとって、王相手に平然と反論する臣下の姿は異質なものに映ったのかもしれない。


キシリア王もそれを察したのか、仕方がないとばかりに溜息をついた。


「シルビオ。お前はベラルダの名を捨て、今日から名もなき男として余の部下となれ。余は、そなたの忠誠を歓迎しよう」


右手を差し出すキシリア王に、シルビオは跪く。昨夜のマリアにしたものと同じ忠誠の口付け。だが、その意味合いは異なる。


――シルビオが、ロランド様の部下になった。お父様が望んだ通りに。これできっと、良かったのよね。

宰相クリスティアンを喪ったキシリア王には、彼に代わる味方が必要だ。その役目をシルビオが埋めてくれると期待して、本当に良かったのだろうか……。


キシリア王たちは間もなく帰国する。フェルナンドと戦うため。

女のマリアにできることは、ここまで。キシリアで夫の帰りを待つ王妃同様、マリアも王たちを待つことしかできない。

先ほどまでの無防備な雰囲気は、もうキシリア王にはなかった。ロランド王の眼中に、もうマリアはない。

新たに獲得した味方とキシリアでの戦いだけが、彼の頭を占めている。キシリア王にとって、女は一時の安らぎを与えればそれでいい存在なのだ――王妃アルフォンソ以外は。


「マリア」


静かに立ち去ろうとするマリアを、シルビオが呼び止める。


「今度は泣いて懇願させてやる。次の逢瀬を、楽しみにしてろ」

「あなたの寝首を掻く機会が、もう一度巡って来るということね。楽しみに待ってるわ」


立ち去るマリアを気に留めたのは、シルビオだけ。その彼も、ほんの一瞬マリアに振り返っただけで、いまはもうキシリア王と向き合っている。


そうでなくては困る。父が命を捧げたキシリアの王ならば、余計なことに時間を割くべきではないのだから……。




屋敷へ戻るつもりで城内の廊下を歩いていたマリアは、ドレイク警視総監とウォルトン副団長の姿を見つけた。

この辺りは城の中でも比較的出入りしやすい場所。彼らが仕事として通りがかるのも、特におかしなことではないが……二人揃ってたまたま帰るマリアと出くわすというのは、ちょっとばかり不自然だ。


「お久しぶりです、ドレイク卿。お礼を伝えるのが、すっかり遅くなってしまって……妹へのプレゼント、ありがとうございました。届いたチェンバロに大喜びして、毎日練習に励んでおります」


相変わらず、ガラス玉のように透き通った青い瞳からは、感情を読み取ることができない。完全なるポーカーフェイスのまま、そうか、とドレイク卿は頷いた。


「気に入ってもらえたのならば何より。いつか、彼女の練習の成果を聞かせてもらいにうかがおう」

「ドレイク卿に披露する機会があるとなれば、あの子も張り切ります。いままで以上に、熱心に練習することでしょう」


それから、隣のウォルトン副団長を見る。

いつもの陽気な笑顔だが――あの日、マリアの推薦者として近くにいた彼は、ノアから事情を聞かされているはずだ。


「ご心配をおかけしました。何の説明もなく帰ってしまい、申し訳ありません」

「そんなこと気にしなくていいさ。君も、故郷のことで色々大変だったんだろう?さすがの僕も、その状況で嘴を突っ込むほど野暮な男じゃない」

「お気遣いに、感謝しかございません」


普段と変わらぬ軽薄な口調に、マリアはホッとした。

いつもと同じおどけた態度で接してくれるのは本当にありがたい。今回ばかりは、彼の陽気さに素直に感謝した。


「本当に気にしなくていい――が、君が気にするのなら、何らかの形でお礼をしてくれてもいいんだぞ。そうだな。君のデビュタントのエスコート役を、僕に引き受けさせるとか」

「デビュタント……」


王都を中心に活動するのなら、いまのマリアにとって社交界デビューは必要事項だ。

キシリアや父のことに心奪われ手をつけていなかったが、国王主催の交流会で好成績を残したマリアのもとには、夜会に誘う手紙が多数届いていた。


「フェザーストン子爵夫人から、手紙が届いていなかったか?彼女の招待はぜひ受けてくれ」

「分かりました。レオン様からのご厚意をお受けします。エスコート役、よろしくお願いいたしますね――ドレイク卿、なんだかものすごく不安になるお顔をされていますが、私、早まりました?」


副団長の提案を引き受けた途端、ドレイク卿の眉間に深い皺が刻まれた。マリアが問えば、はっきりと頷く。


「マリアなら、上手くやるさ」

「私が不安を感じているのは、貴公のほうだ。心当たりはあるだろう」


ポーカーフェイスのドレイク卿には珍しく、不快な表情が出ている。副団長はそんな顔をされることに慣れているのか、失敬な奴だ、と返した。


「僕のほうが、お前より好感度が高いからと言って僻むな。努力の結果だぞ」

「勝手にほざいていろ。だが貴公が余計なことをしたせいで、オルディス公爵の不興を買いたくはない。我が身を振り返って行動しろ」


副団長相手だと、言葉少なな警視総監もお喋りになるようだ。対照的な二人だと思っていたが、意外と良いコンビなのかもしれない。


「こんな男とセット扱いしないで頂きたい」


マリアの思考を読み取ったらしいドレイク卿は、眉間に刻んだ皺をさらに深くしていく。


「お二人は、実はとても仲が良いのですね」

「そうだろう!ジェラルド!露骨に嫌な顔をするんじゃない!親友に向かって、なんだその態度は」

「親友」


心の底から心外だ、と言わんばかりの口調でドレイク卿が復唱した。


ウォルトン副団長のエスコートは、正直助かる。

マリアはそういった場は初めてだし、こればかりは伯爵を頼れない。彼は生粋の貴族ではないため、そういったことに参加することができないのだ。

副団長の申し出は渡りに船……だと信じたい。ドレイク卿の反応が気になって仕方ないが。


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