キシリア王の忠臣
シルビオは、キシリア人たちと同じ来賓区画の小さな一室に軟禁されていた。
ベッドと簡素なテーブルが備え付けられただけの部屋だが、捕虜にしてはかなり扱いが良い。
拘束されてはいなかったが、さすがに普段の装備はない。黒い衣服だけの身軽な姿となっていた。
「おまえも来たのか」
ロランド王に連れられたマリアを見て、シルビオが言った。
「シルビオ・デ・ベラルダ。余は望み通り、お前との謁見に応じる。些細な疑惑であっても、容赦なく首を刎ねさせるつもりだ。心して話せ」
「そんな忠告は必要ない。俺が気に入らなければ、さっさと首を刎ねればいい。ああ、クリスティアンの亡骸のことか?なら、俺が生きていなくても問題はない。いま俺の愛馬の世話をしている男――あれは、幼い頃から俺に仕えてくれる従者でな。クリスティアンを直接回収したのもあの男だ。俺でなくても、奴に聞き出せばいい」
クリスティアンのありかを交渉の切り札にするのではないか。ロランド王もサンチョも、マリアと同じことを危惧していたに違いない。
あっさりと話すシルビオに、ロランド王は少し拍子抜けしたような顔をした。
「俺は、お前に義理も忠節も持ち合わせちゃいない。ただ……クリスティアンという男を、父の下らん自己満足に利用されたくはない。有るべきところへ帰したかった。最初から、交渉の材料にするつもりはない」
短い沈黙ののち、ロランド王がシルビオに近づく。
シルビオが座る席の前に腰掛け、悠然と足を組んで、彼を見定めるように見つめた。サンチョはいまにも剣を引き抜いて飛びかからんばかりに警戒しているが、ロランド王はやや気楽な態度だ。
「……なるほど。たしかにお前には、話し合いをするだけの価値がありそうだ。改めて問おう。私に何の用だ?」
王らしからぬフランクな口調で、ロランド王が問いかける。
「ロランドの部下になってはどうかと薦められた」
「ほう。私の部下に。お前が。誰がそのようなことを?」
「クリスティアン・デ・セレーナ」
父の名に、ロランド王はすぐに返事をしなかった。
「あの男が、俺に相応しい主人はおまえだと言ってきた」
「それで私に寝返ると?実の父親を見捨ててか」
「父親だというだけで敬愛しろとでも。あいつの関心は自身の頭に載せる王冠であって、キシリアという国ではない」
シルビオが不快感に顔を歪める。不敵な笑み以外の表情を初めて見たマリアは、軽く目を見開いた。
「あいつがフランシーヌと組んでいることは知っているな。だがフランシーヌといっても、皇帝ではない。あの国も色々とややこしい状況だ。後継者の座を巡って、三人の人間が常に争っている。そのうちの一人が、フェルナンド・デ・ベラルダの支援者だ。フェルナンドが力を得れば、後継者争いにも箔がつく。その打算に巻き込まれただけだが、父はそれでも構わんのさ。キシリアの王になった暁には、フランシーヌに国土の一部を譲渡する密約にまでサインした。王冠が欲しいだけの男を、主君になぞ仰げるか」
その言葉は、シルビオの本心だろう。マリアはそう思った。
それが事実だとしたら、シルビオのような男が忠義を感じるはずがない。例えロランド王たちを騙す演技であったとしても、実子がそのような証言をした、というだけで、フェルナンドを討つに十分な材料になる。
誇り高いキシリア人が、売国奴が王位につくことなど、許すはずがないのだから。
「……私の部下になるという話、しばし考えさせてくれ。非常に興味深い話ではあったが、それだけで即答するほど私も豪胆ではない。それに、まずはクリスティアンだ」
「分かっている。俺も、いますぐ返事をもらおうなんてことは思っちゃいない。ただ……マリア、お前がいるなら話しておきたいことがもうひとつある。そのクリスティアンのことだ」
シルビオがマリアを見た。ロランド王が椅子を引き、自分の隣にもう一つ席を用意する。その席に腰掛け、マリアはシルビオと向かい合った。
「俺はキシリアでも顔が知られていない。だからトリスタンの訃報を受け、最初にキシリアへ潜入した。といっても、細々とした雑用を押しつけられただけなのだがな。捕獲したクリスティアンの監視役も任じられていた」
トリスタン王弑逆の疑いをかけられ、父は逮捕された。あの時のクリスティアンを、シルビオは見張っていた、ということか。
「実を言えば、お前と妹が侵入してきたことも知っている。お前も気付いていただろうが、クリスティアンにはむしろ逃亡を期待していたからな。逃亡を手助けしそうな人間は、あえて見逃すようにとも指示は受けていた」
シルビオは、当時のクリスティアンの動向について話し始めた――。
フェルナンド一派は、焦っていた。
国王弑逆の疑いがかかったクリスティアンは、わざと監視を緩めているにもかかわらず、逃げ出そうとしない。娘たちが来たときは期待も高まったが、結局、娘たちも帰してしまって。
その日は、ずっと地方に引っ込んでいたキシリア貴族のサンチョが、クリスティアンのもとへ忍びこんでいた。
「なぜまだ逃げていない?娘たちが来ただろう。どうしてあの子たちと逃げないんだ!?」
「逃げれば、敵の期待に応えることになる。国王弑逆の疑いがかかった私がロランド様のもとへ逃げ込めば、ロランド様は父王殺しの悪名を着せられる。様子見の諸侯や諸外国に、ロランド様を敵と認定させる口実を与えるわけにはいかない。トリスタン様が亡くなって、ただでさえ混乱しているのだ。これ以上、敵を増やせない」
二人のやりとりを盗み聞いていたシルビオは失笑した。やはり、あの男は、父の浅はかな目論見を正しく見抜いている。
「娘たちには、エンジェリクへ逃げるよう伝えた」
「エンジェリク?なんで、そんなところへ。お前の弟がいるミゲラでいいじゃないか!道中が心配なら、わしが連れて行ってやる!」
「娘たちは問題ない。いまキシリアにはガーランド商会が来ている。フェルナンドの帰還を受け、すぐにエンジェリクへ引き上げようとするはずだ。マリアなら、商人の中に紛れ込むぐらいのことはできる。それより、サンチョ殿にはガスパルの城へ行ってほしい。奴は裏切り者だ」
それも勘付かれたか。シルビオはさらに嗤う。
あのこうもり野郎、と顔を真っ赤にして。サンチョが憤慨した。
「私の生家にも、火を放って焼き払うよう言いつけてある。そうなると、エマも逃げなくてはならない。だが幼い息子を連れていては、彼女はマリアたちのようには動けないだろう。誰か、信頼できる人間を頼りに行く可能性が高い……一番近くにいるのは、ガスパルだ」
皆まで言わずとも、サンチョはクリスティアンが危惧していることをすぐに察した。
「わかった。息子たちのことはわしに任せろ。お前も、さっさと逃げ出してこい。ロランド様にはお前が必要だ。そこの男は、始末していくか?」
どうやらサンチョという男、シルビオの見張りにとっくに気付いていたらしい。単細胞な見た目に反し、意外と細やかな配慮ができる男だ。
「それはやめてくれ。私は、彼と話がしたいんだ」
クリスティアンに止められたサンチョは、そうか、とだけ返して踵を返していった。
サンチョの姿が見えなくなると、クリスティアンはシルビオのほうを向き、どうぞ、と椅子を指す。
「お茶すら出せないが。せっかくなら、お喋りでもしていってくれ」
「話し相手が欲しくなるほど退屈なら、さっさと逃げ出せばいい」
「そうはいかない。ロランド様討伐の口実は与えないよ。それで支援者を増やされては困る。せっかく、臆病者のフェルナンドが勇み足を踏んだんだ。今度こそ決着をつけよう」
そう言って、クリスティアンがもう一度椅子を指すので、シルビオは仕方なく椅子に座った。
「トリスタン様の死は、フェルナンドにとっても不幸だったな。慎重さだけが取り柄の奴だったのに、長年の仇敵の死に舞い上がって、やらかしてしまった。君たちは……金がないんだろう?」
反論する気も起きないほど正解だ。
長年王位簒奪を目論んでいた父フェルナンドは、仇敵であったトリスタンの突然の訃報を受け、ろくな準備もせぬままキシリアへ戻ってきてしまった。攻められたのなら、とうの昔に攻撃を仕掛けていた。
フェルナンドを悩ませ続けたもの、それは――資金不足である。
なんとか支援にこぎつけたフランシーヌは、財政状況がよろしくない。そのため、フェルナンドはずっと資金繰りに苦心していた。
だがトリスタンの死という絶好の機会を得たことで、フェルナンドの自制は吹っ飛んだ。王亡きいまなら……若い王太子しかいないいまなら……。そう算段してキシリアへ来たものの、有能な宰相によって、すでにその計画は大きく躓いている。
「父王殺しの悪名を着せ、フェルナンドはロランド討伐の大義を得る。それをもとに諸侯や諸外国を動かし、資金を出させる予定だった――といったところか。諸侯が動かなければ、疑惑の宰相から財産を没収すればいい。そんな甘い計画では、ろくな傭兵も雇えないだろう。息子の君までこき使うほどだ。人手不足も大変だな」
王都にあるクリスティアンの屋敷は、すでに火が放たれていた。恐らくこの様子では、生家も、セレーナ一族の基盤となっているミゲラも、フェルナンドの手が届かぬよう対策が成されているに違いない。
「全てお見通しと言うわけか」
「そんなことはない。トリスタン様が即位されて以来、フェルナンドとはずっと戦い続けてきた。そんな私でも、奴がこんな無謀な計画を実行に移すとは予想もしていなかった。おかげで捕囚の身だ。こればかりは、私の読みが甘かった」
シルビオは皮肉な気持ちになった。
たしかに、有能な宰相を捕えることには成功した。
しかし……それだけだ。
クリスティアンを捕えたことで、かえってこちらの情報を渡すことになってしまった。
今回のことで、キシリア王を長年悩ませ続けた密かなる裏切り者たちは明るみになってしまい、サンチョのように日和見を決め込んでいた貴族を動かすことになった。
ガスパルの裏切りは、フェルナンドへの忠誠から来たものではない。
単なる私欲と保身から来たキシリア王への反発が、フェルナンドの思惑が一致しただけ。キシリア王の裏切り者たちは、フェルナンドの味方というわけではない。
「……お前を失うことは、キシリア王にとっては大きな痛手になるな」
「そうとも限らない。私はロランド様よりずっと年上だ。いつかは必ず先に逝く。有望な若者がいるのなら、そちらに託したほうがいい」
そう言って、クリスティアンはシルビオに笑いかける。
美しい男だが、その微笑みはいっそ神々しい。さすがのシルビオも、軽口をたたくことができなかった。
「シルビオ。どうだ。君がロランド様に仕えてみないか」
「俺が?フェルナンド・デ・ベラルダの息子である、この俺が?どうやってロランドに取り入れと」
「それは自分で考えろ。私はあくまで、仕えてみたらどうかと薦めるだけだ。ロランド様に気に入られるかどうかは、君の力量次第。それぐらいのことは自分でやってのけてみせてくれ。これでも、期待しているんだぞ――ロランド様は、きっと君を気に入る」
左手の中指から、クリスティアンが指輪をはずしてシルビオに渡してくる。
「セレーナ家に伝わる指輪だ。それを見せれば、ロランド様も、少しぐらいは話し合いに応じてくれるんじゃないか」
指輪を受け取りながら、シルビオは複雑な気持ちになった。まるで形見分けのようで――そんなこと、口にできるはずもないが。
「父は、お前の命を盾に、ロランドに迫るはずだ」
「そうだろうな。父王を亡くしたばかりで、誰が味方なのかもわからない。そんな状況で私を盾に取られたら、ロランド様も冷徹な選択をすることはできないだろう」
クリスティアンの顔が曇った。
ふっと笑い、左手の薬指からもひとつ指輪をはずして、シルビオに渡す。
「こっちは娘に渡してくれ。どうせ追いかけるように指示が出されるだろう。ミゲラに侵攻するなら人手は割けない――となれば、恐らく君あたりに。サンチョの話を聞いてたのなら、あの子がどこに行くかは分かるだろう?」
「おい。なんで俺が」
「上の娘は美人だぞ。私に似て」
他の男が言えば笑えない冗談だが、この男が相手ではシルビオも黙るしかない。
女性も赤面しそうな美しさ……美貌の宰相とは聞いていたが。
「ありがたくもないあだ名もつけられたが、娘に継がせるためだったと思えば悪くない。マリアに会えたら、私に代わって謝罪しておいてくれ。父親として生きることより、キシリア王の忠臣として死ぬことを選んだ私を許してほしいと」
その日の夜、クリスティアンはついにフェルナンドのもとへ連行されることになった。
フランシーヌから山を越えてはるばるキシリアへやって来たフェルナンドは、部下から自分の計画がなにひとつ上手くいっていない現状を聞き、殺気立っていた。
「久しぶりだな、クリスティアン」
両腕を兵士に捕えられ、フェルナンドの前に跪くような体勢でクリスティアンは無理やり押さえつけられていた。それでも、クリスティアンの涼しい顔は崩れない。
「ずいぶん老けたな。慣れぬ外国暮らしは大変らしい。それとも、それがフランシーヌの流行りなのかな。フランシーヌという国も、ずいぶん陰気で暗くなったと言われているようだ」
「相変わらず口の減らん男だ。キシリアの王を前にして、そのような態度が許されると思っているのか」
「お前がキシリアの王だと?トリスタン様の死を待つしかなく、ロランド様を排除することもできず、私一人も殺せぬお前が」
クリスティアンが嘲笑えば、フェルナンドの額に青筋が浮かんだ。
もともと殺気立っていた彼の機嫌は急降下していく。フェルナンド側の部下のほうが、ハラハラした様子で息を呑んでいた。
「臆病者のお前には、これが限界なのさ。いい加減、認めたらどうだ。庶子だからお前はトリスタン様に勝てなかったのではない。王の器ではなかった。だからベルナルド王も、お前やお前の母親を寵愛しながらも、権利を与えなかったのだ」
「黙れ!父上は謀殺されたのだ!トリスタンと、お前たちセレーナ一族が!お前たちが、私から王位を奪った!」
「最初からその権利を持たぬお前から、奪うものなど何もない。ベルナルド王が亡くなった時、お前はすでに十八を超えていたのだぞ。お前を王にする意思があったのなら、とうの昔に動きがあったはずだ」
「黙れ!」
痛いところをつかれ、フェルナンドは激高した。
フェルナンドは、ベルナルド王と愛妾の間に生まれた庶子。
トリスタンは、ベルナルド王と王妃の間に生まれた王子――しかも弟であった。
愛妾とその息子を寵愛しながらも、ベルナルド王は庶子に王位継承権は渡さなかった。トリスタンとその母親を冷遇したが、彼らを完全に排除しようとはしなかった。
偉大なるキシリアの王ならば、その力を持ってフェルナンドを王に据えることもできたはずなのに。
「私の父も、ベルナルド王から命令されたにもかかわらず、お前につくことは拒んだ。当然だ。キシリアには他に相応しい王がいるのだから、何もそれに劣る人間を選ぶ必要などない」
「黙れ!」
もう一度叫んだ時、目を血走らせたフェルナンドは剣を振り下ろした。
一切の抵抗もなく、恐怖の表情すらなく、クリスティアンはその剣を受けた。覚悟の一撃だったのだろう。自分がロランドの足枷とならぬよう、最初から命を捨てるつもりだった……。
全てを見ていたシルビオは、実父の醜悪さに顔をしかめた。
捕えられている無抵抗の人間を斬りつけるとは……我が親ながら呆れ果てた男だ。
それに、クリスティアンの思惑にまんまと乗せられているではないか。挑発に乗せられるまま、有益な人質を死なせてしまった。どこまでも無能で愚かな男だ。
シルビオが溜息をつけば、幼い頃から仕えてくれている従者にたしなめられた。父親への侮蔑を隠そうとしないシルビオは、フェルナンドからはひどく嫌われている。それを心配しての、シルビオへの忠言だった。
「こいつを裸にして、城門に晒せ!」
フェルナンドはそう怒鳴り、踵を返す。
部下が果たして自分の指示通りに動いたか、確認しないだろう。している余裕もないはずだ。
クリスティアンのせいで、キシリアへ着いてから、フェルナンドは銅貨一枚たりとも獲得できていない。金を手に入れなければ、雇った兵士に支払いもできない。下手をすれば、彼らが敵となってフェルナンドを襲うだろう。
フェルナンドがいま一番に考えていることは、ミゲラへの侵攻。何としてもあの町を手に入れ、金を得なくては……。
「クリスティアンの遺体は回収しておけ。金でも握らせておけば満足する連中だ。黙らせるのは簡単だろう」
シルビオが自身の従者に命ずると、有能な彼は小さく頭を下げた。




