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紫色のクラベル~傾国の悪役令嬢、その貴種流離譚~  作者: 星見だいふく
第二部02 誇り高き、キシリアの
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再び出会う  (2)


あくまで競馬は、国王主催の交流会の出し物のひとつ。レースが終われば、出場選手たちは華やかな場を離れることになる。


選手たちは、思い思いに交流していた。

王国騎士団の騎士たちは当然互いに顔見知りだし、予選を勝ち抜いてきた者同士で親交を深めている者たちもいるようだ。

推薦枠のマリアには顔見知りはいないが、唯一の女性ということで注目を集めていた。マリアだけでなく、優秀な雌馬のリーリエも注目の対象のようだ。


伯爵お気に入りのマリアにもリーリエにも近づけまいと、ノアのガードがより一層厳しくなっている。


マリアはシルビオの姿を探した。

彼の姿はない。あの存在感で見失うはずもないし、選手たちの注目を集めているはずの男――どこへ行ってしまったのか。


シルビオの代わりに見つけたキシリア人。その男には見覚えがあった。

マリアと目が合うと、キシリア人の男は頷く。マリアに来るよう、合図しているように見えた。

ノアの腕を軽く引っ張り、マリアも合図する。ノアと共に、マリアは男を追いかけた。


「サンチョ様!」

「おお、来たか。久しぶりだな、マリア。前に会ったときは、お前がまだ十歳にもならない頃か。父親に似て――女の子への褒め言葉としてはどうかと思うが、美人になった!」

「ありがとうございます」


サンチョは、父クリスティアンの旧くからの知人であり、キシリアの貴族だ。

トリスタン王とは馬が合わなかったらしく、長らく地方に引っ込んでいたはずだが……。


「フェルナンドなんぞに、キシリアの王冠を抱かせるわけにはいかんからな。わしの静かな隠居暮らしも打ち止めだ。トリスタン様とはケンカばかりで……色々と腹の立つところもある君主であったが……キシリアの偉大な王であった。それにクリスティアンも……あのような、卑劣な刃に倒れてしまうとは……」


言葉を濁し、サンチョが鼻をすする。


「先ほどのレース、見事であったぞ。ロランド様が、何としてもおまえに会いたいと仰せでな。わしが探しに来たというわけだ」

「ロランド様は、私を覚えていてくださったのですね」

「当たり前だ。何より、クリスティアンそっくりの顔で分からぬはずがない」


サンチョに連れられ案内されたのは、エンジェリク城でも警備の厳しい中心部――貴賓用の応接室。

マリアが部屋に入ると、長椅子に腰かけていたキシリア王はすぐに立ち上がった。


「マリア!やはりそなたか。生きていたのだな」


マリアの両肩を抱き、ロランド王が言った。

マリアの顔を覗きこむその瞳には、喜びだけでなく、郷愁の色もある。恐らく、マリアを通して、クリスティアンのことを思い出しているのだろう。


マリアは、キシリアの王に頭を下げた。


「お久しぶりです、ロランド様。私は、妹オフェリアと共に、エンジェリクへ逃げのびておりました」

「オフェリアも無事か。本当によかった。余は、そなたの一族を誰ひとりとして守れなかった……」


若く逞しい王は、苦々しく言った。


「マリア、まずそなたに、見てもらいたいものがある」


ロランド王は懐の巾着袋から、丁寧に指輪を取り出す。アメジストが埋め込まれた銀色の指輪。クラベルの花が刻まれた、その指輪は――。


「これは、セレーナ家の当主が身に着ける指輪です。父が……最期まで身に着けていたはず……」


思い出さないようにしていた記憶を掘り起こす。

父と最後に別れたとき……自分の頭を撫でた父の指には、間違いなくこの指輪があった。


やはりそうか、とロランド王が頷く。


「余も、クリスティアンの物に相違ないと考えていた。念のため、そなたにも確認してもらったのだ。これは、シルビオ・デ・ベラルダという男が渡してきた」

「シルビオに、もうお会いになったのですか?」

「競技に出ている姿を見たときから気付いていた。奴を、戦場で見かけたことがある。もっとも、余もまだ王子、向こうも幼い少年だったがな。余より年少の者が戦場に出ているということで、印象に残っていたのだ。あまり父親には似ていない」


シルビオは、確かに剣の腕に覚えがあるような雰囲気だった。

マリアの一つ上だと聞いていたが、それを考慮すると、かなり幼い頃から戦に駆り出されていたことになる。

そうか、ロランド王とはすでに面識はあったのか……。


「奴がこれを渡し、余と話がしたいと。クリスティアンの遺体も預かっている、と言っていた」


父の名に、マリアは血の気が引いた。


「ロランド様、どうか父を取り返してください!命亡きあとまで敵に辱められるなど、耐えられません!」


礼儀を忘れ、マリアは王に詰め寄ってしまう。マリアの無礼さを咎めることもなく、ロランド王は再び頷いた。


「もちろんだ。余とて、父と国に仕えてくれた忠臣が敵の手にあるなど、耐えられぬ。マリア。シルビオとの会談。そなたも同席するか?辛い話を聞くことになるかもしれぬが」

「どうか、私もお連れください。どのような辛い事実であっても、知らぬより耐えられないことはありません」

「そうか。ならばシルビオと会う前に、余とサンチョの話を聞いてほしい。そなたの兄弟たちのことだ」


マリアには、同母妹のオフェリア以外にも兄弟がいる。


三人の義理の兄――ロシータという愛妾の連れ子。

ロシータは父のはとこで、嫁ぎ先で三人の息子をもうけたものの、夫の死後、財産を独占したい婚家から息子共々追い出されてしまった気の毒な女性だった。

三人の子を残して尼僧になることもできず、その境遇を憐れんだ父が、愛妾として囲い込んで生活の面倒を見、彼女の息子たちも養子に迎えていた。

――もっとも、儚げな雰囲気が美しい女性だったので、父が聖人として振る舞い続けていたとはマリアも思っていないが。


そして異母弟も一人。母が亡くなった後、父が寵愛した女性との間に生まれた庶子。

エマは、母とは異なる雰囲気で、美人ではなかったが明るい笑顔が可愛らしい女性だった。マリアも好感を抱いていたし、父が彼女と結婚したいと言うのであれば、再婚を認めるつもりだった。

結局、男児を生んでも彼女と結婚はしなかった。父は、自分の妻は生涯スカーレットただ一人と公言し、エマもまた、妻の座を望まなかった。


「まずは、そなたの三人の兄のうち、長兄エンリケ。そなたも知っていると思うが、父王が倒れた時、余は南部の反乱の鎮圧を行っていた。父の死とフェルナンドの帰還が知らされ、混乱を極めた余の軍に裏切りが出た。裏切り者たちの包囲網を突破する際、エンリケがしんがりを申し出てくれて……余と味方を逃がすために最後まで戦い続け、戦死した」


寡黙で、おおらかな兄だった。見た目が熊のような大男なので、幼いオフェリアに泣かれておろおろする姿に、マリアも彼の弟たちもよく笑った。


「キシリアへ帰還したフェルナンドがミゲラを侵攻し、町長ペドロは徹底抗戦の意を示した。抗戦の最中、三男ウーゴが戦死している。そして町で病が流行り、多くの町民が犠牲となった。クリスティアンの弟ペドロ、愛妾ロシータも病で亡くなっている。三兄弟最後の生き残りディエゴが、町長亡きあと代理を務め、オレゴンの介入まで町はフェルナンドの攻撃に耐え続けた。オレゴンによる征服後、すでに流行り病に蝕まれていたディエゴも倒れ……ミゲラにいたセレーナ一族は滅びてしまった」


真面目で少し融通の利かないところがあったが、面倒見の良い二番目の兄……悪戯好きで、マリアやオフェリアを困らせては自身の兄に叱られていた、三番目の兄……そんな息子たちに手を焼きながらも、愛しそうに見つめていたロシータ……快活で、我が子も同然にマリアたちを可愛がってくれた叔父……。

あの人たちも全員、いなくなってしまった……。


「それから、弟のことだが……」

「まさか、ルカにまで何かあったのですか?あの子は三つになったばかりの幼子ですよ」


信じられない思いでマリアが口を挟むと、サンチョが重苦しい表情で口を開いた。


「ガスパルが――我々の古くからの知人でもあったはずの男が、裏切り者だった。それを知らず、幼い息子を抱えるエマは彼を頼りに行ってしまった。フェルナンドと奴が通じていることを知り、わしは兵を率いてすぐに奴の城へ向かった。奴の正体を知らぬエマが、彼のもとへ行ってしまったのではないかと思ってな。わしが向かっていることを知ったガスパルは、怖気づいて城を引き払い、一目散に逃げ出した――エマたち母子を牢に閉じ込めたまま。ガスパルが逃げ出して数日経った後にようやく到着した我々が発見した時、エマは辛うじて息があったが、幼い子供は耐えきれず……」


サンチョも、それ以上は言葉が続けられないようだった。マリアも言葉を失い、しばらくの間、呆然としていた。

三歳の無邪気な男の子にとって、あまりにもむごすぎる最期だ。


「我が子を喪ったエマは、何度も自害を図った。衰弱していく我が子を目の当たりにしながら、何もできずにいたのだ。いかほどの心痛であったことか、推測することもできぬ。いまは尼僧となり、俗世とは縁を切っている。余との謁見にも、ほとんど応じなくなった」

「……それが、彼女のためだと思います。生きていてくれているのなら……」


それでいい、とは言えない。子を喪ってまで生きなければならないというのは、エマにとって地獄でしかないのかもしれない。

そう思っても、マリアはせめて、彼女には生き残っていてほしかった。

セレーナの一族は……本当に、マリアとオフェリアだけになってしまったのだから。


「マリア、これを」


ロランドが、一通の手紙をマリアに差し出す。

ボロボロになった紙を広げたマリアは、書かれている父の筆跡に、激しく心を動かされた。


父が、弟ペドロに当てた手紙だ。

ミゲラの町をフェルナンドが襲撃するであろうこと、それに耐え、頃合いを見てオレゴンに救助を求め、フェルナンドに町を渡さないように、といった旨がしたためられている。

キシリアの王となったロランドが必ず奪還してくれることを信じ、一時の屈辱に耐えてほしいと。


そして、抗戦することで、フェルナンドの軍をミゲラに引きつけ、マリアとオフェリア、幼いルカが逃げ出す時間を稼いでほしいとも書いてある。

我が子のために町を危険に晒そうとする兄の頼みを、どうか聞き入れてくれないか……。


叔父も、兄たちも、きっとこの頼みを了承したに違いない。だから、最後まで抵抗を続けてくれた。マリアとオフェリアを生かすために……。


「ディエゴは息を引き取る寸前に、この手紙が余のもとに届くよう手配した。そして、余に必ず、ミゲラを取り返してほしいと言い残した」


ロランド王の言葉を聞きながら、鼻の奥がツンと痛むのを堪え、マリアは手紙を抱きしめる。

サンチョが、ズズッと鼻をすすった。


「マリア、余はそなたに誓おう。必ずやフェルナンドを倒し、正統なるキシリアの王としてミゲラを取り戻す。クリスティアンやそなたたち一族の忠誠を、無駄にはせぬ」


マリアは頷き、手紙を丁寧にたたんでロランドへ返した。

いいのか、という王の問いかけに、もう一度頷く。


マリアに会えるかどうかも分からないのに、ロランド王はこの手紙を持っていた。彼が、個人的な思い入れを持って身に着けていてくれたから。

これは、ロランド王が持っておくべきだ。王の誓いが果たされる、その日まで。


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