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紫色のクラベル~傾国の悪役令嬢、その貴種流離譚~  作者: 星見だいふく
第二部02 誇り高き、キシリアの
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再び出会う  (1)


王都ウィンダムに戻ると、マリアはすぐにウォルトン副団長から競馬に向けての特訓を受けることになった。

軽薄な印象の強い副団長であったが、指導に関しては非常にまじめかつ厳格で、当初疑惑を抱いていたことをマリアが申し訳なく感じたほどだった。


厳しくも的確な指導を行う姿に、王国騎士団の副団長という肩書きが伊達ではないことを思い知る。

その彼から、マリアとリーリエならきっと優勝できる、という言葉をもらえるのは心強い。

伯爵に新しい乗馬服を仕立ててもらい、マリアは当日を迎えた。


「お姉様、リーリエと一緒にがんばってね!お姉様が絶対一番だよ!」

「あんな見かけだけの野郎どもなんか、マリア様なら目じゃないですよ!がんばってください!」


オフェリアとベルダは、マリアを激励する。


「お怪我にだけはお気をつけて。前より、荒っぽいものになりそうですから」


マリアの支度を手伝いながら、ナタリアからは心配された。


「これで優勝すれば、また馬の価値が上がる。私のためにも頑張ってくれ」


宣伝を目論む伯爵に、マリアは快く頷く。オルディス領に支店もできたことだし、いままで以上に、商会への貢献も重要だ。


「君たちの腕前とコンビネーションなら、心配はいらん。出場選手の大半は我が騎士団の騎士たちだが、現実を思い知らせるためにも、容赦なく叩き潰してやってくれ」


軽く言ってくれたが、ウォルトン副団長の要望もなかなか容赦がない。

前回の馬術競技のように、楽勝とはいかないだろう、今回は。さすがに、出場選手たちの気迫や雰囲気、馬の質が違う。マリアも負けるつもりなどないが。


「マリア様、そろそろ第一レースが始まります」


男だらけのイベントということで、護衛や牽制も兼ね、今日はノアがマリアの従者役を引き受けてくれていた。

ノアに頷き、マリアはリーリエを見た。


「大丈夫よ。私たちなら、きっと勝てるわ」


自分のことも激励しながら、マリアはリーリエを撫でる。


「そうだろうな。優勝候補最筆頭は、間違いなくお前たちだ」


聞こえてきた声に、マリアは一瞬頭が真っ白になった。さっとノアがマリアと彼の間に立ちふさがり、まさか、という思いでマリアも振り返る。


大きな黒い馬と並ぶ、黒衣の青年――前に会った時より顔つきが精悍になり、身長も高くなっているが、間違いない。

シルビオ・デ・ベラルダだ。


「なぜ、おまえがエンジェリクに」


マリアを背に庇い、ノアが鋭く問い詰める。


「ロランドに会いに来たのさ。こんな機会でもなければ、俺のような人間は顔を拝むこともできないからな」


背中越しのマリアでもはっきりわかるほどのノアの警戒心と敵愾心にも、相変わらずこの男は飄々と笑うばかりで、動じる様子がない。

黒い馬は、リーリエが気になるのか、長い鼻を近づけてくる。フンッと、リーリエが鼻先で追い払う――どうやら黒馬は雄らしい。


「お前は第一レースの出場者だったな。第二レースの俺と当たるのは決勝戦。お前が出場してくれて、俺も喜んでるんだぜ。予選は骨のないやつらばかりで、退屈してたんだ」


この競馬は、出場ルールがやや特殊だ。

第一レースは、マリアのような有力者からの推薦者。予選もパスの特別枠。

第二レースから第四レースは、あらかじめ行われた予選を勝ち残った実力者枠――しかも成績順。第二レースに出場すると言うことは、シルビオは、間違いなくトップクラスの成績を残したということだ。

第五レースから第八レースは飛び込み枠。顕示欲の強い金持ちや権力者が、コネでねじ込んで参加している。


決勝戦は、その第一レースから第八レースまでの各一位が集まって行われる。つまり、第一レースの一位を目指すマリアは、第二レースを一位で勝ち抜くつもりのシルビオと、決勝戦で優勝争いをすることになる。


「ロランドだけでなくお前も見ているのなら、せいぜい張り切らせてもらうさ。お前たちの走りにも期待してるぜ」


そう言って、シルビオは第二レース出場者のゲートへと立ち去って行った。

不敵な笑みを絶やすことなく、まるで昔からの友人のような態度だ。不快感はないが、警戒心を失いそうになる危うさをマリアは感じていた。


「……マリア様、申し訳ありません。どうか、あなたのお側を離れる許可を頂けないでしょうか。あの男、監視しないわけにはいきません」

「もちろんよ。私なら大丈夫。ここはキシリアじゃないのだから、衆人環視の中、私に手出しはできないわ。シルビオもだけれど、仲間がいないかどうかも調べないと」


頭を下げると、ノアはあっという間に走り去っていった。

ここでは、シルビオはマリアを襲わない。それは確信があった。リスクが大きすぎる。もっと簡単に襲える時があるのだから。


マリアは第一レース出場者のゲートへ向かった。


競馬は、赤い旗を持つ旗持ちの合図でスタートする。赤旗が降り下ろされると、一斉に馬が走り出した。


走り始め、リーリエの順位は八頭中六位。徐々に後ろからも追い上げられ、第一ラップが終わる頃には最下位となっていた。

第二ラップでは、一位と二位の馬が僅差で首位争いを行っており、少し遅れて三位の馬が、それからさらに遅れて四位以下が、順位を変動させていた。


そして第三ラップ。先頭で、首位争いを繰り広げる馬は二頭――どちらの馬が勝つか注目していたほとんどの観衆は、リーリエの動きにしばらく気付かなかったに違いない。

最終、最後の直線コース、およそ百メートル。

それまで、七位の馬の後方にかろうじて食らいついていたはずの白馬が、怒濤の追い上げを始め、気がつけば三位を抜き去り、接戦を繰り広げる二頭の横をすり抜けてゴールしてしまった。


リーリエがつけたゼッケンと同じ紫色の旗を、判定員が揚げる。

一瞬の静寂の後、どっと歓声がわき上がった。ドラマチックな逆転劇に、観衆は大盛り上がりだ。


歓声に応えてウィニングランをしながら、マリアは客席に視線をやる。貴賓席の最前列に座る二人の男――どちらがキシリア王なのかは、すぐに分かった。

前に会ったとき彼はまだ少年の面立ちが残る王子であったが、いまや貫禄と威厳に満ちた王のたたずまいだ。

隣に座るエンジェリク王も、決して小粒な男ではないはず。それにも関わらず、倍以上の年齢差があるエンジェリク王に劣らぬ風格が、キシリア王ロランドにはあった。


「お姉様かっこいいー!」


観客席でぴょこぴょこと跳ね回るオフェリアの姿を見つけ、マリアは笑顔で手を振った。


控えに戻り、マリアは次のレースの行方を見守る。

シルビオが勝つ。決勝戦では、必ず彼と一騎打ちになる。第一レースの他の選手を見て、マリアは確信した。

あれが優勝候補の特別枠が集められたレースだったのなら、たぶん他も大したことはない。騎手も、馬も。やはり、最大の敵はシルビオだ。


シルビオと黒馬がスタート地点に着く姿を見つめていると、リーリエが鼻をすり寄せて来る。


「分かってる。私たちが勝つわ。キシリアのときだって、負けたわけじゃないもの」


キシリアでも、シルビオたちとは競い合ったことがある。邪魔が入って勝負が流れただけで、マリアたちは勝っていた。今回だって、必ず――。


第二レース。直前のレースでの逆転劇にわいた観客は、このレースでも別の興奮に歓声を上げた。


黒い馬はスタート直後から二位以下の馬を大きく引き離し、なんと最終ラップには、周回遅れとなっている他七頭をすべて抜き去ってゴールするという、圧巻の独走っぷりを見せた。

最下位から抜き去ったリーリエとは真逆の走り。どうやら、リーリエにとって一番相性の悪い馬のようだ。


第三レースと第四レースの選手は、予想以上に大したことがない。シルビオに圧倒されていたが、第二レースの選手の中には、第一レースの選手より上の者もいた。

シルビオと並ぶ羽目になったのが気の毒だ。それがなければ、彼らの実力も評価されただろうに。


第五レース以降は完全なお遊びだ。スタート直後に落馬する者も珍しくはなく、馬同士の衝突で棄権する者が半数という有様。ゴールできるのが三頭もいれば十分なほど。


決勝戦も近づき、マリアは自分の出場準備を進めていた。

第八レースはスタートの様子すら見ていなかったのだが、一位でゴールした青年の姿に驚愕してしまった。

決勝戦出場の最後の枠を、手に入れたのはノアだ。


第八レース終了後、すぐに決勝戦となる。遅く出場する者ほど不利になるのがこの競馬の特徴。だから、推薦のあるマリアは第一レース、予選を好成績で勝ち抜いたシルビオは第二レース、期待されていないコネ枠は第五以降に割り当てられている。


「伯爵にお願いして、ねじ込んでもらいました。彼を見張るには、こうするしかありませんから」


決勝戦までの短い時間、自分も準備をしながらノアが説明した。


マリアを狙うなら、このタイミングしかない。

騎手しか立ち入れない場所。トラブルに見せかけて接触するなど造作もない状況。もはや、おあつらえむきとしか言えない機会だ。


「ですが、私の腕はあなたやシルビオには及びません。最後は一騎打ちとなってしまうはず」

「レース中に仕掛けてくるとは考えにくいわ。余計なことをしていたら、私があっさり勝ってしまうもの」


マリアが反論した。


「その通りだ。余計なことは考えず、レースに集中しろ」


黒い馬を引き、通りすがり様にシルビオが声をかけて来る。


「俺に気を取られて負けました、なんて、つまらん結果は許さんぞ。特にマリア。お前とは、キシリアでの勝負に決着がついていないんだからな」


やはりノアの警戒は気にも留めず、シルビオはスタート地点に着く。内側の二番目に良いコース。

当然、最も良いコースが、第一レース一位のマリアとリーリエのスタート地点だ。


「シルビオは、ロランド様に会いに来たと話していたわ。なら目的は優勝よ。優勝者なら話す機会があるかもしれないもの。私はついででしかない」


リーリエを引き、マリアもスタート地点に着く。リーリエに跨ると、彼女も気合い十分といった感じで鼻を鳴らし、隣に並ぶ黒馬を睨んだ。

マリアと目が合うと、シルビオがニヤリと笑う。


スタートの合図である赤旗が振り下ろされ、八頭の馬が一斉にスタートする。


後続を引き離してトップを走るのはシルビオ。その後ろを追いかけるのはノア。リーリエは、今度は最下位ではなく、ノアの馬に食らいつき三位を保っていた。


シルビオの馬とリーリエ。トップスピードはリーリエのほうが上だ。問題は、トップスピードを維持するスタミナ。

トップスピードを最後まで平然と維持してしまう驚異的なスタミナ量が、黒馬の強み。一方で、リーリエにはスタミナに不安があった。そして何よりも不安なのが、リーリエの気まぐれな性格である。


最初に独走させてしまうと、スタミナに難がある上に飽きっぽいリーリエは、モチベーションを保てず途中で失速してしまう。

だからさっきのレースでは、わざと最下位になっていたのだ。

リーリエのトップスピードがあれば、最後に全て抜き去ってしまうことなど容易。全員を追い抜くことができるギリギリまでスタミナを温存させ、マリアがタイミングを見計らって全力を出させた。


だが、あの黒馬が相手ではそれではダメだ。

追い抜ける距離で、ギリギリまで彼らを追いかけなければならない。引き離され過ぎれば、いくらリーリエでも挽回できない。

だからノアがマリアの前に出たのだ。

ノアが、リーリエが黒馬を追い抜けるギリギリの距離で、黒馬を追い続ける。そんなノアの馬に牽引され、リーリエも走る。ノアの馬に食らいつくことで、何とかモチベーションを維持させて走り続けさせた。


だがどこかでノアも振り切り、直接黒馬に食らいつかせないといけない。タイミングが早過ぎれば、スタミナが尽きて失速してしまう。かといって遅すぎると、追いつく前に黒馬がゴールしてしまう。

先ほどと同じ、最終ラップの直線コースで勝負を仕掛けるのが理想的――だが、間に合わない。

マリアはそう判断し、最終の直線コース手前で……カーブに入った途端、リーリエに追い込みをかけさせた。


コース内側ギリギリを走る黒馬を追い抜くために、リーリエは外まわりを強いられる。それでも黒馬に並ぶ白馬の姿に、観衆が歓声を上げた。


直線コースは、いままで以上の大接戦となった。

黒馬が、第二レースではトップスピードを隠していたことは、マリアも気付いていた。予想通りさらに加速してくる。

リーリエの加速はさらに上。スピードは問題ない。問題はやはり――マリアの予想がこのまま当たるとすれば、ゴールから三メートルほど手前でリーリエのスタミナが尽きること。

勝負を仕掛けるのが早過ぎた。だがあのタイミングで仕掛けれなければ、追い抜きが間に合わなかったのも事実。リーリエが走り抜くことを信じ、マリアは強く手綱を握り締めた。


ゴールまであと三メートル。

マリアも予想しなかったことが起きた。スタミナが尽きるはずのリーリエが、さらにスピードを上げていく。

鼻……いや、頭ひとつの差をつけ、リーリエが先にゴールした。


大歓声を受け、マリアは自分が勝ったことにようやく気付いた。最後の奇跡にマリア自身も呆気に取られ、なかなか実感がわいてこない。


「良い勝負だった。俺が優勝するつもりでいたんだがな」


黒い馬で隣を走るシルビオに声をかけられ、マリアは笑う。


「騎手の差じゃない?男より、女のほうが軽いでしょ」


マリアの言葉に、シルビオがぷっと吹き出す。違いない、と大笑いする彼の顔には、屈託がなかった。

不満そうに鼻を鳴らすリーリエを撫で、わかってる、とマリアは相槌を打つ。


「女の執念を、舐めちゃいけないってことよね」


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