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紫色のクラベル~傾国の悪役令嬢、その貴種流離譚~  作者: 星見だいふく
第二部01 春の訪れ
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嵐が去った後


おじの退院祝いに、マリアたちはささやかなパーティーを開いた。

おじが優しい良い人だと信じているオフェリアはおじが退院したことを喜んだし、ベルダも恩人であるおじが元気になったことを素直に歓迎していた。マリアとの関係に複雑な思いを抱いているナタリアも、おじの不幸を願っていたわけではない。無事に退院できたことは喜んでいた。


残念ながら、おじの身体は元通りとはいかなかった。

左手の握力は元には戻らず、左脚は膝から下に力が入らず引きずっている。杖が必要な生活にはなったが、それでも、一時は寝たきりも危ぶまれたことを考えれば、ずいぶんと良い結果にはなっていた。


おじは祝ってもらえることを喜びながらも、不意にマリアに触れてしまいそうになるのを必死で自制していた。そんなおじの内心に気づかないふりをし、マリアは夜を待った。




夜も更け、オフェリアがぐっすり眠ったのを見届けたマリアは、おじの寝室を訪ねる。

おじはマリアの訪問に、目を丸くしていた。


「おじ様に、お渡ししたい物があるのです。入れて頂けますか?」


薄手の寝衣にガウンを羽織っただけのマリアに戸惑いながらも、おじは部屋に招き入れた。


ベッドに腰掛け、隣に座るようおじに促す。マリアからさりげなく距離を取って座るおじに、持っていた小箱を差し出した。


「おじ様のご実家は、ポーダリオス男爵家で、蝶を家紋にしていたとお聞きしました」


箱を開き、中身を見せる。純銀製のカフスが二つ。蝶をあしらい、「EP」の文字が刻まれている。

驚愕するおじに、やっぱり、とマリアは呟いた。


「これはおじ様の物ですね?」

「そう……。そうだ。これは、両親が僕に贈ってくれたものだ。間違いない」


震える手でカフスを取り、おじは真偽を確認している。目尻には、すでに涙が浮かんでいた。


「どうして、これが……?」

「伯母様が公爵家に伝わる大事な品も売り飛ばしていたと聞き、ガーランド商会にお願いして、行方を追ってもらっているのです。その最中に、これが見つかりまして。少し珍しいイニシャルが彫られてしまっていますし、安価な銀なので、買い手もつかず質屋の倉庫の奥にしまい込まれていたそうです」


伯母に親の形見を無断で売り飛ばされたことには、マリアも同情していた。これぐらいは買い戻しておいてもいいだろうと、おじが退院するまで取っておいたのだ。


「本物で安心しました。おじ様をぬか喜びさせてしまうのではないかと、少し心配しておりましたの」


堪え切れず、おじが涙を流す。

力の入らない左手ではカフスを落としそうになってしまい、両手で大切に包み込んでいた。


「ありがとう、マリア。本当に……。もう二度と会えないと……」


ガウンの裾でおじの涙を拭えば、おじはマリアを抱きしめる。おじが落ち着くまで、マリアは優しく背中を撫でた。


ようやく涙をおさめたおじは、ごく自然とマリアに顔を近付けかけて、ハッと我に返り慌てて身体を離した。マリアはクスリと笑い、おじの頬にキスする。


「マリア、あの、あんまりそういうことは……。僕も男だし、昔は反応しなかったけど、いまはそうでもないから……!いや、相変わらず君限定みたいではあるんだけど……」


しろどもどろに言い訳をしながら後ずさるおじに、マリアは吹き出した。


伯母に襲われて以降、おじはマリアと距離を置こうとしている。伯爵との関係に勘付いているのもあるだろうが、ハンデを抱えたことでマリアに負い目を抱いているらしい。

だから自分から身を引こうと――重荷になって、マリアから見捨てられてしまう前に。もしくは、重荷と思われるような存在になってしまう前に。


「おじ様ったら。勇気を出して女のほうから夜這いをかけたというのに、恥をかかせるものではありませんよ」

「よばっ……!?だって、マリアは伯爵と……僕なんか、もう君には釣り合いも取れない――」


身を乗り出し、おじにのしかかる。柔らかい女性の肌の感触に、顔を真っ赤にしたおじが息を呑んだ。


「だから、私がおじ様を手放すと?甘いです。私の強欲さは、伯母様以上ですよ」


ガウンを脱ぎ捨てれば、露わになった胸元におじの視線は釘づけになっている。

暴漢共の視線は不愉快極まりないが、おじにはそれを感じない。むしろ誘惑するためにこの姿になって来たのだから、反応してもらわないと困る。


メレディスの父子の確執に巻き込まれた件――マリアにとって、決して意味のないものではなかった。おかげで、マリアも本来の自分の目的を思い出した。

オルディス公爵領は大切な母の故郷。尽力するのは当然だ。しかし、マリアの目的はキシリアの大貴族として、誇り高いセレーナ家の生き残りとして、その矜持を失うことなく生きること。

伯爵の好意やメレディスとの恋にうつつを抜かしている場合ではない。彼らと関係を切る気もなければ、彼らのものになる気もない。

だから。


「おじ様は、オルディスの大切な財産ですもの。絶対誰にも渡しません。永遠に私のものです。おじい様に気に入られてしまったのが、運の尽きだったかもしれませんね」


マリアは王都ウィンダムへ戻る。オルディス公爵領は、領主としての実績と信頼のあるおじエリオットを領主代行にして任せるべき。

それが、マリアの出した結論だった。


「どうぞ、心ゆくまで私を楽しんでください。私が持っている唯一の財産ですから、おじ様のお望みのまま……。閨にいる間は、おじ様に全てを差し出しますわ」


スカートの裾から足がはしたなく出ることもためらわずおじに抱きつけば、熱く抱き返された。


「そんな娼婦みたいな台詞……」

「娼婦でしょう、実際。私は恥じるつもりはありません。私の身体以上に、価値のある男性に選ばれているんですから」

「マリアは……その、僕のことを過大評価し過ぎじゃないか?」


そう言いつつも、嬉しいけど、とゴニョゴニョおじが呟く。


「おじ様は、少しばかり卑屈が過ぎるのです。伯爵にやきもちを焼く姿は可愛らしいですが、もうちょっとご自分に甘くてもよろしいと思いますよ」


娼婦という称号は、マリアにとっては決して悪いものではない。むしろ、伯爵やおじのような男を魅了できるほどのものがあるのなら、誇らしいことだ。


しかし、このやり方は気が進まないものでもある。自分の女としての魅力が、どこまで通用するのか分からないからだ。

伯爵やおじは気に入ってくれたが、他の男もそうなってくれると期待するには不安が強過ぎる方法で。

……魅力というものが、目に見えて分かりやすいものであればいいのに。




「女としての才能、というのは、難しいものですね」

「君が言うと、皮肉か嫌味にしか聞こえんな」


マリアが愚痴れば、髪を撫でていた伯爵に苦笑されてしまった。


「そんなことありません。私はこれから先、ヴィクトール様たちに捨てられる恐れを抱えて生きることになります。存外、私の最期も、伯母様と似たようなものになるかもしれません」


美しいが傲慢で、自分勝手で、淫蕩な伯母。最期には周りの人から見捨てられ、孤独となって死に追いやられてしまった。伯母はマリアを同類だと罵ったが、正論――いや、マリアはそれ以上かもしれない。


「それはそれで、面白い最期だぞ。自分の欲望の赴くままに生き、それに相応しい末路を迎える。一度きりの人生だ。どうせ私も地獄行きだからな。君も一緒のほうがいい」

「ううん。ヴィクトール様も、結構ワルなのですね」

「そんな可愛らしい表現で済むものか」


大笑いされてしまった。


ガーランド商会は、晴れてオルディス公爵領に支店を出すことになった。

商会にはすでに担保として差し出している土地があるが、それとは別に土地を借り、そこに支店を建設した。商会に大きな借りがある公爵領は、破格の値段で無期限に貸し出している。

用水路の修復が終わり再びオルディスが栄光を取り戻せば、商会にとっても大きなプラスとなるだろう。その修復工事の費用建て替えは、先行投資ではあるが……。

それでも、商会の対応には感謝しかない。もっとリスクもコストも少ないところを選ぶ道も彼らにはあった。オルディス領への支援は、伯爵の一存によるものが大きい。


「私はこれから先も、ヴィクトール様に依存して生きることになりそうです」

「当然だ。私に身も心も依存して、離れて生きるなどできないように仕向けているのだからな。私の強欲さに、君が敵うものか」


一房だけ短い髪を弄り、伯爵が尋ねて来る。


「領主殿がいては、屋敷を訪ねるわけにもいかんな。今夜は私の部屋に来ないか?」


マリアの目が泳ぐのを見て、伯爵の眼差しが鋭くなった。笑顔のまま、不穏な空気をまとっている。


「マリア?」

「メレディスから、新しい絵を描きたいからモデルになってくれと頼まれたばかりでして」


マリアの髪が指に絡みついているのも構わず、伯爵が引っ張った。痛いです、とマリアが抗議する。


「放ったらかしにするヴィクトール様が悪いんです。また支店作りに夢中になって」

「ならばその埋め合わせをしよう、いますぐ。メレディスとの予定はキャンセルしろ。いや、キャンセルさせてやろう」


浮気に怒る伯爵は怖いが、独占欲を向けられるのはちょっと嬉しい。

……なんてことは、口にしないでおこう。煽り過ぎるととんでもないことになる。




「伯爵も領主殿も、他の男に手出しされていると思うと余計に燃える人間なのかな」


日を改めてメレディスのモデルを務めていたマリアは、彼のとんでもない発言に倒れこみそうになった。


「そういう性癖があるんだよ。それとは真逆に、潔癖で、ほんのささいなよそ見も許さないような男もいて――まあ、僕の父のことなんだけど」

「メレディスは、その部分はお父様に似ていないの?」

「うーん、君の浮気なところは結構悔しく思ってる。でもそういうところが君の魅力でもあって、それを潰しちゃうのは君の輝きを失わせることにもなるわけで。男としてのプライドよりも、美の損失なんて許せない芸術家の性が恨めしいよ」


まさかメレディスがそういうことを気にしているとは思っていなくて、マリアは意外に感じた。


「やっぱり男としては独占したいよね。でも芸術家としては、世に広く知らしめたい想いもあって。ああ、僕はどっちを優先すべきなんだろう……」


苦悩しつつも、メレディスの絵は今日も絶好調だ。


マリアたちを襲った男は、メレディスの予想通り、逮捕されることもなく終わった。ドレイク警視総監からは、自分のもとに報告があがって来る前に事件が握りつぶされた、という連絡があった。

ウォルトン副団長は、マクファーレン判事を追い詰めるためにも追及してみるか、と提案したが、マリアが断った。


次は握りつぶすこともできないほど、自分も力を持ってみせる。その決意と教訓のためにも、あえて見逃すことにした。


「そう言えば、出展が正式に認められたのよね。おめでとう、メレディス。必ず上手くいくわ」

「ありがとう。マリアも、王都に戻ったら競馬の練習を始めるんだろう?僕は馬のことはよくわからないけど、応援してるよ」


王国騎士団から新人騎士も派遣され、用水路の工事が始まった。ウォルトン副団長は一足先に王都へ戻り、マリアももうすぐ王都へ戻る。その後は彼から指導を受けることになっていた。


「ええ、頑張るわ。キシリア王のためにも、無様な真似は出来ないもの」


キシリア王に会う。

それはマリアに強い目的を与えた。父を、一族を破滅に追いやったフェルナンド――仇敵のことを忘れたことなど、一日たりともなかった。

キシリア王が彼を倒すためエンジェリクへ親交を深めに来たのなら、キシリアの貴族として、マリアにはそれを応援する務めがある。


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