春の嵐 (3)
二人の男たちに捕らわれたまま部屋に入ると、もう一人、男が待ちかまえていた。
他の二人よりは年輩で、何となく知的な顔をしている――ように見えなくもない。恐らくはリーダーであり、頭脳的な役割を果たしているのだろう。
「ようこそお嬢さん。さっそくで悪いんだが、我々のために手紙をひとつ、書いていただこうかな」
男たちに指示されるまま、手紙を書く。
宛先はメレディス。捕まった、誰にも知らせることなく助けに来てほしい――。
メレディスの名を語ってマリアを呼び出さずとも、マリアの名を語ってメレディスを直接呼び出せばいいじゃないか。なぜメレディスにはそんな手間のかかることをするのか……。
やはり、マリアは侮られているということだろうか。メレディス相手ならそれぐらい入念に準備をする必要があるが、マリアなら簡単に呼び出せる、と。
マリアが手紙を書き終えると、リーダー格の男がマリアの髪を一房切り落とす。それを手紙に添え、リーダーは小柄な男に届けるよう命じた。
リーダ格の男は扉に近い窓の前に陣取り、部屋の外と建物の外の両方に注意を払っているようだった。
部屋には灯り代わりに床に置かれた小さな蝋燭がひとつ。それしかなかった。
小さな灯りのそばに座るマリアの近くを、大柄な男がニヤニヤ笑いながらうろつく。その視線は、明らかにマリアの身体しか見ていない。
マリアを見張る気もない上に、縛ってすらいない。これでいいのかと、捕えられているマリアのほうが注意を促したくなるような状況だった。
「なあ。目当ての男が来たら、こいつは好きにしていいんだよな?」
大柄な男が確認すると、リーダー格の男は、好きにしろと短く答える。
いや、好きにさせず確実に始末してしまうべきだ。マリアは心の中で反論した。
真っ赤な夕陽が窓から消えていく。より暗くなっていく部屋に、足音が響いた。
手紙を読んだメレディスがやって来たのだ。男たちもそれを悟り、姿勢を変えた。
「マリア!」
マリアの姿を見て、メレディスはためらうことなく駆け寄って来る。大丈夫か、と声をかけ、マリアの無事を確かめた。
「君たちの目的は僕だろう。彼女は解放してくれ」
マリアを背に庇いながら、メレディスが男たちに向かって言った。
はっきりと言い切るその口調は、彼らの事情をすべて察しているようにうかがえた。
「そうはいかねえ。その女も、少しばかり痛めつけてこいって注文を受けてる。おまえさんに余計なことを吹き込むのが、許せねえそうだ」
「彼女は公爵だ。手出しすれば、君たちの雇い主だって無傷ではいられないはずだぞ」
「その女も色々訳ありだから、問題ねえってさ。それに、女を黙らせるのは簡単だ」
突然足を引っ張られ、マリアは床に倒れ込んだ。
あの大男がマリアの足をつかんで自分に引き寄せる。メレディスの顔色が変わった。しかし、マリアに気を取られた隙をつかれ、メレディスもリーダー格の男に押しつけられてしまう。
大柄な男に比べれば迫力のなさそうな体格だったが、リーダー格の男もそれなりに力はあるようだ。メレディスも負けじと抵抗しているが、不意打ちのダメージを受けていては劣勢気味だった。
欲望をむき出しにした顔で、大男はマリアの服を引き裂く。何をする気なのか、いまさら問うまでもなく、目的は明白だ。
「大人しくしろ。殺しは控えるよう言われてはいるが、場合によってはやり過ぎも見逃すって言われてるんだ。面倒が過ぎると、その女を本当に殺しちまうぞ!」
マリアの頭上で、リーダー格の男がメレディスを脅しつける。
「おまえも、殺していいって許可は出てるんだ!大人しく従うなら、利き腕を切り落とすぐらいで済ませてやるがな!」
その台詞で、マリアも確信した。
この部屋に入って来たメレディスが何も追及しない様子からも、薄々察してはいたが。
メレディスに余計なことを吹き込む自分が邪魔で、彼の利き腕を使いものにならなくすることが目的で、訳あり公爵のマリアぐらいどうにでもできる人間が、彼らの雇い主――。
「こんなことしてないで、さっさと殺してしまうべきじゃないの?」
思わずマリアが問いかけた。それを精いっぱいの抵抗と感じたのか、大柄な男は笑う。
「はっはっはっ!こんな美味そうなメシを前にして、お預けってか?せっかくなら楽しもうぜ。お互いによ」
引き裂かれた服から覗く白い肌に、男は夢中だ。目をぎらつかせ、よだれを垂らしてマリアに覆い被さってくるその姿は、まさに盛りのついた犬といったところか。マサパンのほうがずっと利口な顔をしている――もっとも、あの子は雌だが。
マリアは、ポケットの中のお守りを手に取った。
「ぐあっ!?ぎゃああああっ!」
香水を一吹き。大男の顔に吹きかける。
見た目の分かりにくさが気に入って所持していたのだが、あっさりと見逃されて良かった。中身を検めようともせず、マリアの手を縛りもせず。反撃してくださいと言わんばかりの状況だ。
顔を押さえてのたうちまわる大男に、リーダー格の男が怯んだ。次の瞬間、扉が轟音と共に蹴破られ、扉の前に立っていた小柄な男が扉ごと吹っ飛ぶ。
リーダーが状況を確認するよりも先に、部屋に飛び込んできたノアが、リーダー格の男を斬り捨てた。倒れこむ男を一瞥することもなく大男に飛びかかり、彼も始末する。
そして、その足元でゴホゴホと咳き込むマリアを抱きかかえた。
「私と合流してから、突入するんじゃなかったんですか!?」
珍しいことに、ノアはポーカーフェイスが崩れ、怒っていた。といっても、ちょっと眉間にしわが寄ってるかな、という程度だったが。
「遅すぎるのよ。メレディスのほうが、先に着いちゃったじゃない……」
咳き込みながら、マリアも負けじと言い返す。メレディスも、マリアのそばにやってきた。
「ちゃんと、メレディス君より先に着いていましたよ!飛び込むタイミングをうかがっていただけです!」
「なら、私がそのきっかけを作ったんだから、そんなに怒鳴らないで……」
「自制のなさまで、伯爵を見習わないでください!」
言い返すのも限界で、マリアの咳はよりいっそう酷くなる。背中をさすりながら、メレディスが不安そうな顔をした。
そんなメレディスに向かって、ノアが説明する。
「あの香水の中身は毒薬です。一吹きで大の男も行動不能にするほど強力なものですから、あの距離では、マリア様にも影響があるはずです」
かつて、においで人を操れる魅力を語ってくれた男がいた。彼の意見は大変参考になり、マリアもそれにならうことにしたのだ。
役人からもらった毒薬で、服用させずともその効果を発揮する方法を、伯爵たちとともに考えた。
香水瓶に入れ、お守りとして常に身に着ける。非力なマリアには、刃物よりもよほど頼りになる武器だ。
「外に出ましょう。休ませて、体内の空気を清めなければ」
ノアに抱えられたまま、マリアは屋敷へ戻って来た。
ノアの腕の中にいるマリアを見て、ナタリアもオフェリアも青ざめながら驚いたが、ノアはあえてフォローせず、自分を待たずに危ないことをしたのだと暴露した。しかも男に襲われかけたことまで丁寧に説明してくれたものだから、二人を泣かせる羽目になってしまった。
マリアはノアを恨みがましく見たが、メレディスにまで、これは仕方ないと言われてしまった。
屋敷に着いたときには体調も良くなっていたのだが、オフェリアにもナタリアにもノアにもメレディスにも休むよう言いつけられ、ベルダも静かに首を振っていた。
「伯爵にも、包み隠さず全て報告します。今日だけはゆっくり休ませるよう進言はしますが、明日は、きっちり伯爵からお仕置きを受けてください」
マリアが横になるのを見届け、ノアが言った。いつものポーカーフェイスに戻った彼を見て、マリアが声をかける。
「ありがとう、ノア様。私とメレディスを助けてくれたことも。感謝してるのよ、本当に」
わずかにノアが微笑んだ。
「……反省しているようなので、軽めで済ませるようにも言っておきます。かばうのは、これきりですよ。伯爵の大切な人だからというだけでなく、私もあなたのことは好きですから、危険なことはしてほしくありません」
「ちゃんと懲りたから大丈夫」
マリアが言えば、どうだか、とノアが返す。だが、その口調は優しかった。
「メレディス君、彼女がベッドから抜け出さないよう、しっかり見張っておいてください」
ノアが出ていくと、マリアはメレディスと二人きりで残されることになった。
ベッドに横になっているマリアを、メレディスが気遣わしげに撫でる。
「ごめん、マリア。今回のことは、僕を狙ったものだ。君を巻き込んでしまった……」
「あいつらの雇い主は、あなたのお父様ね?」
「ああ。罪人と取引をして、自分に都合の悪い人間を始末させるのは、父の常とう手段だ」
「なら、今回のことで罪に問うのは難しいかしら。一人、生き残りがいるけれど」
「たぶん無理だろう。あの男もどこかで姿をくらますか、何か別の罪にすり替えられて終わりだ。それこそ、ドレイク警視総監が、宰相である父親の力も借りて潰しにかかるぐらいの覚悟で挑まなくては、僕の父は倒せない。私人としては最悪だが、判事としてのキャリアが違い過ぎる」
父親のことを話すメレディスの表情は暗い。笑顔で語ってくれた兄の時とは、対照的だ。
「それにしても、ずいぶんつまらない人間を雇ったものね。隙だらけで、頭が悪い連中だったわ」
「その程度にしか、僕にも関心がないんだよ。本当は、僕のことなんかどうでもいい。自分に従わないのが気に食わないだけで、僕が挫折して苦しめば、父はそれで満足なのさ。僕の母は平民で、恋人がいた。それに横恋慕した父が、力づくで自分のものにした結果生まれてきたのが僕だ。男児を生んだことで母は屋敷へ連れてこられることになったが、扱いは召使い以下。見かねた当時の正妻が、離婚してやるから僕の母と結婚しろ、さもないと実家を巻き込んで破滅させてやると脅しつけてくれたおかげで、ようやくまともな扱いを受けるようになった」
その正妻が兄の実母だ、とメレディスは説明を付け加える。
「正妻とは政略結婚で、由緒ある家柄の令嬢だ。さすがに、彼女の実家を敵に回すことは父にもできなかった。正妻は、兄を残して父のもとを去った。父を見張るために、兄は屋敷へ残ってくれたんだ。母と僕だけにすれば、どんな目に遭うか。正妻と共に僕たちを気遣ってくれたんだよ」
下の兄弟のために振る舞うことが、長子の特権でもあり義務。
マリアは、かつて自分が口にした言葉を思い出した。
そんな経緯があったのなら、メレディスの兄は、マリア以上に、下の兄弟を守る使命を果たしていたに違いない。彼とは馬が合いそうだ。
「絵描きになどしたくない父は、小さい頃からずっと僕を鞭で打ってきた。手助けしようとする人間も、容赦なく追い詰めた。家を出てからも何度も妨害を受け、展覧会などへの出展も認められなかった。父を敵に回してまで、僕を推薦してくれる人間なんかいないからね」
それで、あれだけの絵が描けても、メレディスの才能は日の目を見ることがなかったというわけか。マリアは納得した。
「ガーランド商会が、オルディス公爵領へ行くのに当たって人手を募集していることを知って、急いで応募した。生活のために金を稼ぐ必要もあったし、王都を離れれば、父からの監視も逃れられるんじゃないかって思って。ガーランド商会なら、そう簡単に潰されることもないから。でも結局、マリアを巻き込んでしまって……」
「そして私を傷つけた。でもあなたは、画家を目指すことを止められない」
メレディスの言葉を、マリアが静かに続けた。メレディスが目を見開き、マリアを見つめる。
マリアはそんな彼に向って笑った。
沈黙が流れ、メレディスも自嘲気味に笑い返す。
「……そうだね。それでも僕は、絵を描くことを止められない。小さい頃からずっと、なりたくてたまらなかった。その夢が、現実になろうとしている。君を傷つけてまで手に入れたチャンスを、手放すことができない」
「あなたなら、そう言うと思ったわ。そして私は、そんなあなたが好きよ」
メレディスに惹かれた理由が、いま分かった。
彼は自分と同じ。自分が目指すもののためなら、誰に阻まれようと、誰を犠牲にしようと、諦めることなんてできない。
自分と同じ志を持つ人間だから、強く惹かれたのだ。
「お互い、諦めることなく頑張っていきましょう――なんて、ベタな台詞よね。でも、それを言い合うことのできる相手が見つかって、私、嬉しいのよ」
メレディスの笑顔が、いつもの明るく、朗らかなものに戻った。
やっぱり彼には、その笑顔が一番似合う。




