春の嵐 (2)
「いやあ、第三者の立場で傍観する分には、修羅場というのは面白いな!」
陽気なウォルトン副団長は、この状況を楽しんでいるようだ。その豪胆さには、マリアも感心した。
「しかし、この絵は本当に素晴らしい。僕には絵心はないが、それでも惹かれるものがある。メレディス……だったかな。どうだい。今度の国王主催の交流会に、この絵を出してみないか」
「えっ」
突然の提案に、メレディスが目を丸くする。周りにいた人間も、一斉にメレディスに視線を向けた。
「交流会は様々な催しがある。そのひとつの競馬にマリアを誘ったんだが、絵の品評会もあるぞ。それに、君が参加してみないか」
「素敵だわ!」
オフェリアが目を輝かせた。彼女の言葉に、誰もが同意した。
メレディスのマリアに対する想いは色々と問題をはらんでいるが、絵の素晴らしさは本物だ。高く評価されるべき作品であり、メレディスの才能を世間も認めざるをえまい。
だが、肝心のメレディスは浮かない表情だった。
「ありがたい申し出ですが、たぶん難しいかと。そういった場に出展するには、推薦してくれる後ろ盾が必要です」
「なんだそんなこと。ジェラルドに頼めばいいじゃないか」
メレディスの不安を、副団長は一蹴する。
「あいつは芸術への造詣が深く、その道での信頼も高い男だ。ジェラルドの推薦があれば問題ないだろう」
「ジェラルド……警視総監のジェラルド・ドレイク侯爵ですか?フォレスター宰相のご子息の?」
「そう。そのジェラルド」
「彼に僕を推薦してもらうのも、難しいかもしれません」
やたらと歯切れの悪いメレディスに、副団長は眉をひそめた。
「あの……僕、本名はメレディス・マクファーレンなんです。父はジョージ・マクファーレン」
ガツンと頭を殴られたように、副団長が驚愕する。
「主席判事のマクファーレン伯?まさか、やつの息子なのか!?」
「はい」
名前だけで、この男をここまで動揺させるとは。二人のやりとりを見守っていたマリアの視線に気付き、メレディスが説明した。
「僕の父は、若い頃に、ドレイク卿の父君と宰相の座を巡って争ってたんだ――結果は、言うまでもないと思うけど。それ以来、険悪な仲というか、父のほうが一方的にフォレスター宰相に強い敵愾心を持ってて」
「それでまあ、親父さんが憎いなら、当然その息子も憎いに決まってる。役人と判事じゃ、切っても切れない仲だ。まだ新人だった頃、ジェラルドはマクファーレン判事から、ずいぶん嫌がらせを受けてな。黙って耐えるようなやつじゃあなかったが」
なるほど、とマリアは頷いた。
そんな経緯があったのでは、メレディスが懸念するのも当然だ。さすがのウォルトン副団長も、こればかりは気楽に答えられないらしい。
「うーん。だが、あいつは興味がないことには、まったくこだわらない男だからなあ。判事のことも、あっさり割り切るかもしれん。頼むだけ頼んでみたらどうだ」
「そう……ですね。チャンスをつかみかけているのに何もせず見過ごすなんて、あまりにもバカバカしいですし」
メレディスが頷いた。
「しかし、主席判事殿の息子か……。そう言えば、二人いるって聞いていたな。兄のほうは知っていたが、弟のほうは名前すら知らなかった」
「でしょうね。僕は家の恥と言われ、父は社交界に出そうとはしませんでした。僕のほうも、大学を卒業すると同時に家を飛び出してしまいましたし。友人はおろか、まともに僕のことを知っている人すらいません」
動じる様子のない伯爵に静かに近づき、マリアは尋ねた。
「やはり、ご存知でしたの。メレディスのこと」
「おおよそのことは。マクファーレン主席判事の息子だと知り……法律家にさせたい父親に反発して、家を出たのではないかと考えていた」
「まったくその通りです」
ずばり言い当てられ、メレディスは苦笑する。
「父は、自分の価値観を変えるなんてことはしない人ですから。息子が絵描きになるなんて、許せるはずがありません。父に従えない以上は家を出るしかないと。説得が通じる相手ではありませんし」
「だろうなぁ。僕が知っているだけでも、かなり横暴な人物だ。判事としては優秀だが、私的な面では敬意を払う気にはなれんね」
副団長の辛辣な評価から察するに、メレディスの言葉は単なる父親への反発から出ているものではないのだろう。主席判事という男は、少々残念な人物ということか。
……それに、メレディスの頑固さが父親譲りだとしたらなかなかに厄介だと思う。
「マリア、これはルール違反だろう」
「私が招き入れたわけではありません」
改めてマリアの寝室を訪ねてきた伯爵から、メレディスについて非難されてしまった。
伯爵とどうしても話がしたいと言うメレディスは、マリアが断るのも構わず屋敷に居残り、マリアに会いに来た伯爵と対面した。
「伯爵にお願いしたいことがあるんです。どうか、伯爵も僕の絵のモデルに。ぜひ!頷いていただければ、すぐにでも退散します」
字面だけみれば問題ない台詞だが、状況を考慮するとなかなか肝の据わった頼み方だ。
というか、お願いしているとはとても言えない。
笑顔で凄む伯爵に対して、完全に気付かないふりを決め込むメレディス。折れたのは、伯爵のほうだった。
「やれやれ仕方がない。引き受けてもいいが、交換条件だ。私のために一枚、マリアの絵を描いてくれ」
喜んで、とメレディスは即答する。
「マリアの絵は、これからもたくさん描くつもりです。いくらでもお譲りしますよ」
「一枚でいい」
伯爵の反論をろくに聞きもせず、宣言通り、メレディスはすばやく屋敷を出ていった。
ウォルトン副団長の絵も描きたいと言っていたので、今日は彼を追いかけるつもりなのだろう。
「まったく。あの男は、どれだけ君のもとに通うつもりだ」
抱き寄せられながら抗議され、マリアはクスクスと笑った。
「でも、ヴィクトール様が、私が他の男に奪われる危機感を持ってくれたので、私としてはとても嬉しいです。ヴィクトール様の最優先は商会で、私はすぐ放ったらかしになってしまうんですもの」
「君が言えたことか」
伯爵が思わず苦笑いをする。だが、と言葉を続けた。
「良い刺激になるのは確かだな。浮気をした後ろめたさからか、メレディスと接触したあとの君は、やたらと可愛らしいことを言って甘えたがる」
もしかして、とマリアは心当たりを思い出した。
以前にも、メレディスと会った後に伯爵と会い、彼から奇妙な反応をされたことがある。
あの頃から、伯爵はマリアの気持ちを察していたのかもしれないし、マリアも、どこかで揺れる自分の心を感じていたのかもしれない。
それからしばらくの間は、特に事件もなく平和に日が過ぎた。
おじのリハビリは良い方向に進み、退院も現実的なものになってきた。用水路の工事も本格的に始まることになり、マリアは直接職人たちと最終打ち合わせを行うことになった。
「東方にある黄金の国では、一夜にして城を建ててしまった大物もいるそうだ。そいつの知恵を借りれば、この用水路の工事もさほど難しくないはずだ」
総監督を務める職人が、工場の計画を説明する。
「用水路をいくつかの区分に区切り、それにあわせてチームを作る。そしてチームを競わせ、早く工事を終わらせたチームから報酬に上乗せして賃金を弾むことにするんだ。それぞれのチームには、俺たちがリーダーとしてつくから手抜きはさせねえ。上乗せする分、報酬に追加が出ちまうが……」
「微力ながら、我が騎士団も報酬には協力しよう。完成したあかつきには、祝いとして騎士団秘蔵の酒を提供する」
副団長の申し出に、なるほどとマリアは悟った。
追加分は公爵家からも支払えるよう努力はするが、祝いということで、十四年前の火災に関わった貴族どもにも出させればいい。
ドレイク警視総監に事情を話して、協力を仰いでおこう。
ドレイク警視総監といえば――。
「メレディスの件、ドレイク卿は引き受けてくださったのでしょうか」
「おお。快く引き受けてくれたぞ。君が一筆書いてくれたのもあるだろうが、マクファーレン判事が息子の絵描き志望に反対しているのなら、ぜひ自分に推薦させて欲しいそうだ。彼が嫌がるのなら、率先してやってやりたいとノリ気だ」
「それは朗報ですね」
ドレイク卿の個人的感想はさておき、メレディスの絵が日の目を見ることになったのなら喜ばしいことだ。
安堵の気持ちに、マリアは自然と顔が綻ぶ。
それを、ウォルトン副団長がじっと見つめていた。視線を感じ、なにか、と尋ねる。
「君は男を振り回す悪女に見えて、好きなものには尽くす人間なんだな。対象は人、人以外問わず。オルディス公爵領にも、メレディスにも献身的だ」
「なんというか……そのように良く言ってもらうと恐縮です」
「それに。意外と自己評価が低い。そのギャップが魅力だとは思うがな。僕なんか、実態の三倍ぐらい自分を良く見せるのが得意だぞ。君も、少しぐらいは僕を見習ったほうがいい」
得意気に話す副団長に、マリアは堪え切れず吹き出した。
「副団長様――いえ、レオン様のおっしゃることにも、一理あるかもしれません」
呼び方が気に入らなかった副団長が、わざとらしく咳払いをし、マリアは訂正する。
「確かに。レオン様には、見習うべき点が多そうです。王都へ戻ってからも、このように、言葉を交わす機会を失うことなくいたいものです」
「お?初対面の時を考えれば、僕の好感度もずいぶんアップしたみたいだな。うんうん、良いことだ!この調子で仲良くなっていこう。というわけで、僕の部屋へ遊びに来ないかい、もちろん二人きりで」
「そこまでの親交は求めておりません」
事が起きたのは、その日の夕刻だった。
マリアに送られてきた一通の手紙。領主として忙しく働くマリアには、今や山のような手紙が毎日届くのだが、その一通はすぐ目に留まった。
消印もなく直接屋敷に放り込まれた手紙――差出人は、メレディスと書かれている。
中を読んだマリアが感じたのはただ一言。
うさんくさい。
「ナタリア、急ぎ商会へ行って、ノア様にこの住所に来てもらうよう、伝えてきてくれるかしら」
「はい……て、まさか。マリア様、ご自分も出向かれるおつもりで?」
外出の準備をするマリアを見て、ナタリアが慌てる。
手紙には、一人で会いに来て欲しいと書かれている。治安のよろしくない地域に。絶対に何かあるのが見え見えだ。
しかし気になったのは、メレディスのサインが本人のものであること。筆跡など、真似てしまえば簡単に誤魔化せるものではあるが、誤魔化すためには手本や、彼の癖をよく知っておく必要がある。
誤魔化すことは簡単だが、それを実行できかどうかは別だ。
「指定の住所に足を踏み入れるのは、ノア様の到着を待ってからにするわ」
男物の服を着、さらに大きめのマントを羽織って体型も曖昧にする。
万一のためのお守りも持って、マリアは指示された場所へ向かった。
そこは、オルディスでも特に廃れた場所だった。悪党の住み処というわけではないが、人がいないため、自然と素性のよろしくない者たちのねぐらになりやすい。
しかし彼らとて、こちらから刺激しなければ関わり合うことは望まない。目立つことなく通り過ぎ、住所に書かれている建物に到着した。
「ノア様、まだかかるかしら」
廃墟にも近い古びたアパートを見上げ、マリアは呟く。
気になることは自分でも確認したくなるのは、悪い好奇心だ。
それはわかっていても、メレディスの名前を使って自分を呼び出した人間が気になってしまう。
お守りを忍ばせたポケットに手を当て、マリアはアパートに入っていった。
異変は、アパートに入ってすぐに気付いた。
マリアの後ろを男が――二人の男がついてくる。気付かないふりを装いながら、角を曲がるときにさりげなく視線をやって確認すれば、小柄な男と大柄な男のデコボココンビ。
小柄なほうは、マリアとさほど身長も体格も変わらなさそうだ。大柄なほうは、いかにも筋骨隆々といった感じで、筋肉がつきすぎて動きが鈍いように見える。
……しかし、あっさりとマリアに見つかっているのだが、バカなのか、若い女だと思って侮っているのか。
できれば両方であってほしい。どちらであっても、マリアには歓迎すべきことなのだから。
指定された部屋の前につき、扉をノックしようと手を伸ばす。途端、大柄な男がマリアの口を押さえ、がっしりと背後から捕獲してきた。
「おっと暴れるなよ。あんたに恨みがあるわけじゃないんだ。大人しく言うことを聞いてくれれば、痛い目には遭わせないぜ」
次いで小柄な男がマリアの前に回り、ナイフをちらつかせてくる。
「よーし、何も怪しいものは持ってないな」
そう言ってマリアの口を押さえていた手を離し、大柄な男がマリアの身体をまさぐってくる。
身体検査を装っているが、女の身体を触って楽しんでいるには明らかだ。それに、不必要なほど自分の身体を押し付けてくる。
小柄な男も、その様子を見て下卑た表情を浮かべていた。
……下半身と脳みそが直結していそうな連中だ。




