春の嵐 (1)
屋敷に戻ってきたマリアとオフェリアの姿を見て、ナタリアとベルダは仰天していた。
「まあ……お二人とも、何をしていらっしゃったのですか」
マリアもオフェリアも肌着だけの状態でずぶ濡れ、ついでにマサパンもずぶ濡れ。マリアたちのドレスを手に、二人と一匹を屋敷へ送ってきた見知らぬ男もずぶ濡れ。
オフェリアはウォルトン副団長の上着を借り、マリアは彼の旅行用マントを着せてもらっていた。
いったい何があったのかと、二人が驚くのも無理はない。
「私とオフェリアは悪くないわ。大人げないレオン様が悪いのよ」
マリアが言えば、えへへ、とオフェリアも同意するように笑う。
マリアに責任を押し付けられても、ウォルトン副団長は陽気に笑い飛ばし、反論したりはしなかった。
「なーに言ってるんですか、人のせいにして!もー!お二人とも、お風呂に直行です!もうすぐパーティーが始まるのに……オフェリア様ったら!今日の主役なのに!」
ベルダが怒ってオフェリアを引っ張って行こうとする。
お、とウォルトン副団長が反応した。
「今日はパーティーがあるのか」
「はい。今日はオフェリアの誕生日なんです」
「誕生日。それはめでたい日だ。僕も、あとでプレゼントを届けよう」
ニコニコと話す副団長に、オフェリアは自分から近づく。
「ねえねえ。レオン様。私の誕生日パーティー、レオン様も来てほしいな」
甘えるように、オフェリアは副団長を見上げる。人見知りのオフェリアも、すっかり副団長と打ち解けたらしい。
いいのかい、と愛想の良い笑顔で副団長は答える。オフェリアは、元気いっぱいに頷いた。
「うん!お客さんは、たくさん来てくれたほうが嬉しいもん」
「なら、ぜひともお言葉に甘えさせてもらおうかな。しかし……僕もこの格好じゃ、さすがにパーティーには出れん。一度、宿に戻るとしよう」
ウォルトン副団長を見送った後、オフェリアはうきうきしながらお風呂に入った。
オフェリアと一緒にマリアも入浴し――今回は、マサパンの毛皮も洗ってあげた。
「お客さん、増えて嬉しいな」
お風呂に入るオフェリアはご機嫌で。そう呟く妹に、少しだけマリアの胸が痛んだ。
去年の誕生日には、父がいて……招待客も大勢いた。でも今年からは、みんないない……。
「伯爵も来てくれるんだよね。お姉様のドレスも、しっかり見てもらうんだ!」
「……そうね。素晴らしいドレスだもの。私も、しっかり着こなしてみせるわ」
風呂から出ると、ナタリアに手伝ってもらってマリアは着替えた。
オフェリアのために。
あのドレスの素晴らしさを伝えられるよう……モデルが悪いせいで、ドレスの評価が下がるなんて許せないもの。
パーティーの時間が近づくと、伯爵とノアも屋敷を訪ねてきてくれた。
「誕生日おめでとう、オフェリア。君のこれからに幸あらんことを。これは私からの誕生日プレゼントだ」
「わぁ、可愛い……伯爵、ありがとう!」
オフェリアを祝福し、さっそくプレゼントを。受け取ったオフェリアは可愛らしい包装を開けて、中身を見て目を輝かせる。
お洒落な裁縫道具と高価な洋裁用の生地――いっそ服を買ったほうが安上がりなのではと思いたくなる代物だ。
「オフェリア様。お誕生日おめでとうございます。これは、商会の皆さんからです。ささやかなものですが」
そう言って、ノアはにぎやかな包装がされたプレゼントをオフェリアに差し出した。
開けなくても、それの中身は何となく察しが付く。たぶん、お菓子の詰め合わせ。甘い匂いがして……マサパンが、スンスンとプレゼントを嗅いでいる。
マリアも、人から預かったプレゼントを妹に渡す。
まだ退院できなかったおじと、ジェラルド・ドレイク警視総監から。
おじのプレゼントは、たくさんの本。マリアにアドバイスをもらいながら、オフェリアが気に入りそうなものを選んでくれていた。
ドレイク卿は、楽譜を。オルディス領に届けてくれたのは楽譜だけだが……王都にある屋敷には、チェンバロを届けてくれたそうだ。
こちらも、お金のかけ方が桁違い過ぎる。ドレイク卿からの手紙を読んだ時、マリアも苦笑してしまった。
「お姉様。ご本は今夜から読んでね。楽譜は……王都に帰ったら、一所懸命練習する!練習して、いつかジェラルド様に聞いてもらうんだ」
オフェリアの言葉に、マリアは苦笑いだ。
おじからの本は、毎日かけてマリアが読み聞かせることになるだろう。チェンバロの練習も……たぶん、マリアが付き合う羽目になるはず。
「誕生日おめでとう!急ぎ用意したものだから、こんなもので申し訳ない。来年は、もっと良いものをプレゼントしよう!」
盛装をして再度訪問してくれたウォルトン副団長は、プレゼントを渡しながら陽気に笑う。
来年も、彼の参加は決定しているらしい。
副団長からのプレゼントは、アフタヌーンティー用のケーキースタンド及び食器一式。
女の子が好きそうなあのデザイン。商会でも取り扱っていたから覚えている。知り合ったばかりの人間から贈られるような値段ではない。
これらのプレゼントだけで、オルディス公爵家には一財産できてしまった。
「みなさんがオフェリアに貢ぐので、私たちのプレゼントが見劣りしてしまいます」
「そんなことはない。今日のオフェリアは、いつにもまして可愛らしい。天使のようではないか」
伯爵が笑って言った。多少は世辞も入っているだろうが……今日のオフェリアは、間違いなく可愛らしい。
マリア、ナタリア、ベルダの三人で、ドレス、アクセサリー、靴のトータルコーディネートを揃えてプレゼントした。今日のパーティーには、オフェリアはそれを着ている。
白とピンクの、カーネーションをモチーフにしたドレス姿。ちょっと残念なのは、オフェリアへのプレゼントと、マリアへのプレゼントが被ってしまったこと。
「君も、実に素晴らしい。男物の服を着ていてもかすむことのない美しさだったが、やはり、ドレス姿は格段に輝きを増している」
副団長が、陽気に笑いながら褒めた。恐れ入ります、とマリアは頭を下げる。
オフェリアが作ってくれたドレスを着て、ついに伯爵たちにも披露を……。自分の容姿には無頓着なマリアも、今回ばかりは褒められて、とても嬉しかった。
たくさんの祝福をもらい、オフェリアは楽しそうに……幸せそうに笑っている。妹の笑顔に、マリアも幸せな想いで。
――オフェリアのための誕生日パーティーのことで頭がいっぱいで、彼のことを忘れていた。
「マリア!絵が完成したんだ!見に来てくれ!」
メレディスの声がホールに響く。
伯爵の雰囲気が変わったことに、マリアはすぐに気づいた。メレディスが出てきた方向にはマリアの寝室があることを、伯爵は知っている。伯爵が意味ありげな視線を送って来るのを、マリアは涼しい顔で受け流した。
……しまった。
さすがにこれは、良くない鉢合わせだった。
メレディスは興奮し、マリアを見つけるなり腕を引っ張る。
「自分でも会心の出来なんだ。こんなに素晴らしい気持ちは、初めてで……」
マリア以外は見えていないらしいメレディスと共に、全員がマリアの寝室に移動した。
部屋に入り、完成した絵を見ると誰もが息を呑む。
メレディスに容赦のない敵意を向けていた伯爵ですら、それまでの敵意を忘れて、食い入るように絵を見つめた。
「お姉様、綺麗……」
オフェリアが、うっとりとしたようにつぶやく。
マリアですらそう思った。絵に描かれている自分は、とても綺麗だ。
この絵を見た後に本人を見たら、がっかりするのではないか。思わずそう卑下したくなるほどに。
マリアによく似た人魚姫は、月夜に照らされた海を背景にしている。
それはメレディスの想像の海……なのだろうが、描かれた夜空はこの部屋の窓から見えるものだし、水面が波打つ様は青黒く塗られたベッドシーツだ。
伯爵もそのことに気付いていただろうが、それを指摘するのは野暮だと考えたらしい。絵画の出来栄えに感心している。
「ありがとう、マリア。君のおかげだ。君のおかげで、僕は新しい視点を見つけることができた」
そう言ってメレディスは手を握り、情愛の想いを隠すことなくマリアに向けてくる。
伯爵の周りだけ気温が下がったような気がしたが、メレディスの笑顔はまったく変わる様子がない。
「あのー、伯爵がすっごい殺気出してるんですけど気付いてます?伯爵との関係とか……」
ベルダの問いかけに、きょとんとした表情でメレディスが答える。
「え?身分の高い女性が複数の愛人を囲うのはよくあることじゃないか」
平然としているメレディスに対し、ひえっ、とベルダが後ずさった。
「伯爵から奪おうとか、そんなことは考えていないよ。いまはまだ」
「最後の一言が聞き捨てならんな」
伯爵がメレディスに詰め寄ろうとしたが、ノアがそれを遮る。
「仕方ありません。弱っている少女の不安につけこんで、強引に自分のものにした代償です。そんなやり方で手に入れたものは、いずれは誰かに奪われるものですよ」
「主人に牙を剥く気か」
伯爵が咎めると、まさか、とノアはいつものポーカーフェイスで、さらに言い返した。
「伯爵は、私にとって敬愛すべき主人です。しかしそれはそれ、これはこれ。卑怯な方法で女性を口説くのは感心しません。しかも相手は、いたいけな少女。苦言のひとつも呈したくなります」
「従業員には手を出さない、という誓いは守った。口説いたのは、彼女が商会を辞めてからだっただろう。だいたい、それで自制していたら他の男にかっさらわれたのだぞ。遠慮なんか、していられるか」
「ご自分で立てた誓いを守ったぐらいで、威張らないでください。反応に困ります」
「誓いなど、破るためにするものだ」
「胸を張って言い切らないでください」
伯爵とノアが言い合いをしているのを気にも留めず、メレディスは絵の出来栄えとマリアの素晴らしさに悦に入っているようだった。
オフェリアは周りの会話を聞いていないようで、マリアの絵をじっと見つめている。ベルダはやれやれと溜息をついて彼らを放っておいた。
ナタリアは居た堪れないようで、マリアに困惑した視線を送っていたが、マリアは完全無視を決め込むことにした。




