ある陽気な一日 (3)
翌日。 事務所にマリアが顔を出したのでリースが驚いたが、マリアの話を聞いてさらに驚いていた。
「メレディス君が、君の屋敷に泊まった?」
「正確には、いまも私の屋敷に泊まっています。一服盛ったので、いまも寝てるでしょうね」
「それはまた、どうしてそんなことに?」
「休もうとしないんです、彼」
あの後も、メレディスは絵を描き続けていた。
結局、それに付き合ったマリアはそのまま長椅子で眠る羽目になったのだが、目を覚ましてもメレディスは一心不乱に描き続けていて。
休んではどうか、とマリアが声をかけても、聞こえていないのか完全無視。
水を持ってこさせて彼にすすめたところ、ようやくそれは口にしたので、あらかじめ盛っておいた睡眠薬により強制的に休むことになった。
ちなみに、薬の出どころは警視総監ドレイク卿からである。捜査協力の礼に、何か欲しいものはあるかと尋ねられたので、役人が使ってる薬が便利そうだし欲しいと返したら、なんかあっさり横流ししてくれた。
まさか、こんなに早く利用する機会が来るなんて。
「まったく。そんなところは上司に似なくていいのに。リースさんもそう思いませんか?」
チクリと皮肉を言えば、リースはあはは、と乾いた笑いを浮かべた。
「そういうわけで、貴重な人手を奪ってしまったお詫びに、今日もクリスが代わりに出勤してきたんです」
「ああ、本当に残念です。昨日は、クリス君もメレディス君も揃っていたというのに、肝心の私が休むだなんて!」
ノアからの密告によると、あの後のリースは。
文字通りベッドに放り込まれても仕事に行こうとしていたが、ナタリアに手を握られ、あやすように寝かしつけられれば、デレデレ状態となり三十秒足らずで眠ってしまったらしい。
……オフェリアより単純な人が何を言ってるのやら。
「とはいえ、私で本当にメレディスの代わりが務まるかは、いささか不安ですが」
「うーん、そうですねぇ。メレディス君にお願いしてた仕事をそのまま君に、というわけにはいかないでしょう。なんせ彼に任せていたのは、私でも手を出しにくい法関連の書類整理ですし」
「やっぱりそうですよね。昨日仕事を見て、私では敵わないだろうなと感じてはいました」
「彼、法科大学出身らしいんですよ。私も一通りの商法は頭に叩き込んでありますが、さすがに専門的に学んできた人間には勝てません」
マリアも頷いた。
公爵家当主として、必要な法律は学んでいる。しかしまだ勉強中の身。メレディスの足下にも及ばぬ付け焼き刃だ。
しかし、大学まで行って学んでいたとは……。
もとは弁護士志望とかだろうか。同じ司法の人間として、警視総監のドレイク卿とは知り合いかもしれない。
余計な詮索は頭から追い払いながら、マリアは用意された仕事に取りかかる。リースが嬉々として書類を乱舞させていると、事務所の扉が開いた。
「まだ準備中ですよ」
リースが、入ってきた男に声をかける。
男は商会の従業員でもなければ、オルディスの領民でもなかった。これだけの存在感だ。オルディスの人間なら、さすがにマリアのところまで噂が来ているだろう。
厳つい顔に体格もよく、肌は日に焼けて浅黒い。そのへんの農民ではありえないような迫力だが、マリアを見るなり、近寄りがたい雰囲気が消え去った。
「おー!君だ、君!いやー、会いたかったんだよ!近くで見ると、ますますイイ女だ!」
低音美声だが、軽薄な口調がそれを台無しにしている。
マリアが少し後ずさるのを見て、さらに男は言い募る。
「待った待った!そんなに警戒しないでくれ。怪しい者じゃあない。僕はただの、君の大ファンさ」
ますますもって怪しい。
マリアもリースも、その心情を隠すことなく男を見つめる。
男は気を悪くする様子もなければ、焦る様子もない。つまりこの反応は想定済みというわけで、こんな態度をとられることも分かっていての振る舞いということだ。
……やはり胡散臭い男である。
「これは失礼。はしゃぎ過ぎて、自己紹介がまだだった。僕はライオネル・ウォルトン。以前、ベルトランドで行われた交流会――そのときに、騎手として君は演技を披露してくれただろう。あれを見てね。それ以来、君に会いたくてたまらなかったと言うわけだ」
そういえば、とマリアは交流会のことを思い出した。
伯爵の頼みで、マリアは騎手として馬術競技に参加したことがあった。
あの後、マリアに会おうと商会に押し掛けてくる貴族もいたが、従業員に追い払われ続け、次第に熱もおさまっていった。
「王都にある商会の本店を何度も訪ねたんだが、他の男たちと共に、すげなく追い返されてしまってね。ようやくうるさいのもいなくなって、改めて君を口説きに行こうと思ったら、もう王都にはいないって言うじゃないか」
やれやれ、と言わんばかりの表情で男は話し続ける。
「それで途方に暮れてたら、ジェラルドがちゃっかり君と親しくなっていたんだ。僕がずっと君に会う方法を考えてたっていうのに、ひどいじゃないか。困っている僕を助けず無視していたあいつに詰め寄ったら、知らん、の一言だけ。まったく、友達がいのない奴だ。挙句、おまえが余計なことをして彼女に悪印象を持たれたくない、とか言って、君の情報を出し渋った」
「ジェラルドというのは、警視総監のジェラルド・ドレイク様のことでしょうか」
警視総監を親しげに呼ぶ彼に、マリアは少し驚いた。
リースは何やら心当たりがあるのか、怪訝そうな声で尋ねた。
「ライオネル・ウォルトンですか。たしか、王国騎士団の副団長殿が同じ名前でしたね」
「ああ、そりゃそうだろう。僕がその副団長なんだから」
やっぱり、と呟きながらも、これが副団長とか信じたくない、というリースの心の声が聞こえてくる。マリアも、まだ彼から距離を取っていた。
「王都の治安を守る者同士、役人と騎士っていうのは何かと接点が多くてね。年も城仕えの時期も同じようなものだから、ジェラルドとは同期というか……まあ、腐れ縁ってやつだ」
そんな繋がりでもなければ、仲良くなりそうもない組み合わせだ。
あの寡黙な警視総監に対し、饒舌な王国騎士副団長。両極端過ぎる。
「それで。その王国騎士団の副団長様が、私に何の用でしょう」
「そんな距離を感じる呼び方しないでくれ。僕のことは、レオンでいい。親しい人には、そう呼ぶよう言っているんだ。ジェラルドにもそう言ってるんだが、呼びたくないと一蹴された。呼びたくないって、何だそれ。君もそう思わないか」
むしろ、ドレイク卿に全力で同意だ。マリアは溜息をつく。
「レオン様は、私に何の御用なのですか?」
「うんうん。やっぱりその呼び方がいい。ところで、用というのだが。今度行われる国王主催の交流会――そこで開催される競馬大会に、ぜひ君を推薦させてもらえないかと考えていてね。どうだろう。引き受けてもらえないかな」
「競馬……。馬でレース、というわけですか」
思いの外、副団長殿からの頼みというのは真面目なもので、マリアは考え込んだ。
馬の扱いには自信があるが、レースとなれば話は別だ。
「レース競技のための訓練は受けておりませんから、果たしてご期待に添えるかどうか……」
「なら特訓しよう。僕だって一応、王国を守る騎士だ。自分自身で出場して、優勝した経験もある。多少の指導ならできるつもりだぞ」
「出場のためには、もう一つ問題が。ご存知かもしれませんが、オルディス領は大規模な公共工事が始まったばかりです。責任者の私が領を離れてしまうと、民の士気が下がる恐れがあります」
「うーん、なるほど。よし。それじゃあ、騎士団から何人か派遣しよう。ちょうど、新人のための研修内容を考えていたところだ。用水路修復の工事の手伝い。うん。新人向きの仕事だな」
事もなげに提案しているが、ドレイク卿といい、この男といい、職権乱用が過ぎるのではないだろうか。マリアには、ありがたい公私混同っぷりだが。
「……あの。本当によろしいんですか?」
「うん?まだ渋るかい?それじゃあ、最後の手段だ。その交流会には、キシリア王が出席する」
キシリア王。その一言でマリアが顔色を変えたのを、副団長殿は間違いなく気付いていた。さっきまでの陽気な笑顔が、してやったりという意味深なものに変わっている。
だがマリアも、キシリア王への敬意を隠す気はなかった。
「ロランド様が、エンジェリクにお越しに……」
「フェルナンド・デ・ベラルダとの内戦が、本格化してきたからな。エンジェリクへの支援要請も兼ね、我が国との友好を深めるためにやって来る。ジェラルドから、君はキシリア人だから、キシリア王には強い反応を示すのではないかと教えられていたんだが――どうやら、奴の推測は大当たりだな」
「レオン様、どうか出場させてください」
キシリア王は、宰相であった父を介して知り合った程度の、友とも呼べぬ相手だ。向こうがいまの自分を見ても、何者なのか気付いてもらえないかもしれない。
――それでも構わない。
キシリア王がフェルナンドとの戦いに勝つため、エンジェリクへ来るというのなら。交流会を成功させるために、自分が少しでも貢献できるのなら……。
「話は決まりだ!それじゃあ、具体的な日取りはまた後日。僕も新人共を寄こすよう、騎士団に連絡しないといけないし、君も領のことで、すぐには王都に戻れないだろうから。観光がてら、しばらくは僕もここに滞在させてもらおう」
満足そうに笑い、副団長はマリアの手を握る。
その握力に、マリアはドキッとした。
騎士というのは本当だ――そう実感させられる力強さ。それに、ラフな服の隙間から見えた腕も、マリアの倍ぐらいの太さがある。
陽気で軽薄そうな男に見えるが、あまり侮らないほうがよさそうだ。
「いやあ、本当に可愛い子だなぁ。これを機にジェラルドより仲を深めて、思い切りあいつを悔しがらせてやろう。いまから、お茶でもどうかな」
「……いまは仕事をさせてください」
口を開くと脱力させられるが。
おしゃべりな男ではあったが、引き際はよく心得ているようだ。あっさりと事務所を出て行ってくれた。また来るとは言ってたので、本当にまたやって来るだろうが。
副団長殿が出ていくと、マリアはまた仕事に戻った。しかし目の前の書類を片付けながらも、頭の中では公爵領をどうするか、ずっと考えていた。
やはり、王都ウィンダムには戻ったほうがいい。自分はあそこを拠点にすべきだ。
そうなると、オルディスを任せられる人間が必要になる。
最善の策は、デイビッド・リース――彼に領主代行を任せてしまうこと。
優秀だし、信頼できる人物で、ナタリアと想い合う仲。これ以上相応しい人選はない。
けれど、ナタリアの気持ちを利用したくないという拒否感があった。伯爵に言えば甘いと笑われるだろうが。
――領主代理は、彼に任せるしかない。不誠実が過ぎるので、気は進まないが。




