ある陽気な一日 (2)
「あの、私なら大丈夫ですから。マリア様には、自分で説明します……」
「そういうわけにはいきません!こんな時間に帰すことになってしまって……私からも謝罪しないと……!」
日も高くなった頃、リースに送られナタリアが屋敷へ戻って来た。
マリアと共に出迎えた伯爵は、悪戯っぽい笑顔で彼に声をかける。
「初っ端から朝帰りとは、君も意外とやるな、デイビッド」
「伯爵!?い、いえ、違います、誤解です!」
伯爵の姿を見つけ、リースは真っ青な顔で弁解した。
「ナタリアさんには指一本触れていません!本当です!仕事に没頭するあまり徹夜して、それに付き合わせたばっかりにナタリアさんは朝帰りする羽目になっただけなんです!」
「……それはそれで、どうかと思うぞ」
色気がないという次元ではない。マリアも伯爵も呆れ果て、当のリースもがっくりと肩を落とし、ですよね、と力なくうなだれた。
「ナタリア。帰って来たばかりで悪いのだけれど、このままリースさんを送り帰してきて。そして無理やりにでも寝かしつけてきなさい」
「未婚のお嬢さんを、男の部屋に入れるわけには……」
「リースさんの部屋は、従業員用の宿舎ですよね。事務所に二人きりで残してくるより、よほど安全だと思いますけど?」
リースの反論を封じ込めるようにマリアは言ったが、リースはさらに反論を続けてきた。
「休むわけにはいきません。仕事があります!」
「一晩徹夜して片付けてきたんだから、一日休んだぐらいどうってことはありません」
「今日は今日とて新しい仕事がやって来ます!」
「なら、代わりの者にやらせましょう。今日はクリスが出勤します。だからリースさんは休んでください」
「クリス君が来てくれるなら、なおのこと仕事をしに行きます!やってしまいたい仕事がたくさん――」
「ノア、送り帰すのを手伝ってやれ」
ついに伯爵が口を挟み、指示を受けたノアが実力行使でリースをひきずっていく。
そのあとを、ナタリアが追いかけていった。
宣言通り、マリアはその日、商会の仕事を手伝った。
テッドやポールなどの、顔なじみの従業員たちは王都にある本店に残っている。必要になれば別の部署から助っ人を派遣してもらえるが、基本的にはリースとメレディスの二人で事務を切り盛りしているらしい。
メレディスに業務の指示をもらいながら仕事をこなし、休憩時間になると、約束のスケッチを見せてもらった。
「良い絵ね。芸術的才能のない私が言っても、説得力はないかもしれないけれど」
「そんなことないよ。褒めてもらえれば、やっぱり嬉しいものさ」
メレディスは、領内のあちこちをスケッチしていた。少し寂れてはいるが、美しいオルディス領。成り行きで継ぐことになったが、母の大切な故郷。
幼くして、母とは死別してしまった。きっとここには、マリアの知らない母の思い出があるに違いない……。
「メレディスは画家を目指しているの?」
彼の描く絵は、質も量も単なる趣味の域を超えている。マリアが尋ねると、メレディスはわずかに表情を曇らせた。
「うん。本当はずっと、画家になりたくて。でも、現実は厳しいよ」
「そうなの。これだけ描けてもだめだなんて、世の中というのは本当に厳しいのね。オフェリアが見たら、評価も変わるのかしら」
「オフェリアって、君の妹さん?もしかして、金髪で、君と同じ色の瞳をしてる?」
「どうしてそれを?」
妹の容姿を言い当てられてマリアが驚いていると、メレディスが事務所の外を指差した。
窓から、ちらちらとオフェリアが中の様子をうかがっている。
「オフェリア!?」
扉を開けて迎え入れれば、大きな包みを抱えたベルダも一緒だった。
「お姉様、いま忙しい?」
「いまは休憩中だから大丈夫だよ」
マリアが何か言うよりも先に、メレディスが答えた。
「えへへ。サプライズなの!お姉様にプレゼントよ!」
もうできたのか。
おそらくメレディスも、心の中でマリアと同じように考えたに違いない。
「開けてみて!」
包みを渡されたマリアは、促されるままにプレゼントを開ける。
中は、青を基調に、色とりどりの布でグラデーションされたドレスだった。
「素敵なドレスね。オフェリアの手縫い?」
「ベルダにも手伝ってもらったけど、ちゃんと私が作ったよ!」
オフェリアが得意気に胸を張るが、マリアは素直に感心した。
マリアのサイズを教えたのは昨日。布を縫い合わせただけとはいえ、一晩で完成させてしまうとは思わなかった。
「せっかくだから、奥の部屋で着替えておいでよ」
メレディスの好意に甘え、マリアはさっそくドレスを着ることにした。
ベルダに手伝ってもらいながら着替える最中、出来映えが気になるのか、オフェリアはマリアの周りをうろうろしていた。
「全部の布を買うだけのお金はなかったの。だから、ハンナさんから余ってる端切れをいくつかもらって、縫い合わせることにしたの」
だからこのデザインなのか、とマリアは納得した。
メインとなっている青い布は手触りのよいシルクだが、それ以外の部分は、明らかに布の質が違う。不足分は、使い物にならなかった端切れで補ったというところか。
ドレスは露出が多めで、マリアのスタイルにぴったり合っている。身体の線に沿うマーメイドラインに、スリットの入ったスカート――余裕のない布で作るには、このデザインしかなかったのだろう。
キシリアで襲われたときについた左腕の傷を隠すため、左肩には袖がついている。しかし、両袖をつける余裕はなかった。だからその違いが不自然にならないよう、アシンメトリーのドレスになっていた。
「テーマはね、人魚姫よ!」
「たしかに。グラデーションが、鱗に見えなくもないわね」
このファッションセンスは、なかなかのものだと思う。身内の贔屓目を抜きにしても、よくできたドレスだ。やはりオフェリアは、こういった方面に優れている。
「ありがとう、オフェリア。とっても嬉しいわ。明後日のあなたのパーティーには、このドレスを着るわね」
「パーティー……?」
オフェリアは、きょとんとした表情でマリアを見つめた。
「やっぱり忘れてたのね。明後日は、あなたの誕生日でしょう」
「あーっ!そうだった!」
「お祝いは期待していて。このプレゼントに負けないものを用意するわ」
ケーキ焼いてね、とオフェリアがぴょんぴょん飛び跳ねる。部屋の扉を、静かにノックする音が聞こえてきた。
「もう着替えたかい?僕も、見せてもらってもいいかな?」
どうぞ、と声をかけてメレディスを招き入れる。マリアの姿を見たメレディスは目を見張り、しばらく硬直していた。
……なんだか見覚えのある光景だ。
そう言えば、領に戻ってから、マリアはずっと男物の服を着ていて、ドレス姿をメレディスに見せるのは初めて――ああ、そうか。以前にも、女性らしい格好をした途端、男性たちが態度を変えたような。
「マリア!」
ようやく我に返ったメレディスが、すごい勢いで詰め寄ってくる。
「僕に君の姿を描かせてほしい!絵のモデルになってくれ!」
メレディスの気迫に押され、マリアは思わず頷いてしまった。
「それでこんな時間に、メレディス様は訪ねていらっしゃったのですか」
おじの見舞いを終えて屋敷に戻ると、メレディスがすでに到着していた。少々無作法な時間である。
しかし、商会の仕事を片付け、おじを見舞ってからでは、この時間しかなかったのだ。メレディスばかりを責めれらない。
「メレディス様なら、書斎でお待ちです。大きなトランクを抱えてお越しでした。絵を描くというのも、存外大仕事なのですね」
ナタリアの言うように、書斎でマリアを待つメレディスは、足元に大量の荷物を広げていた。
スケッチ用の紙に絵の具、キャンバスにイーゼル――絵描きというのも、金のかかりそうな仕事だ。
「お待たせしてごめんなさい。もうドレスに着替えて来たほうがいいかしら?」
妹が作ってくれたドレスは、パーティーまで大事に保管しなくてはならない。マリアはまたいつもの男物の服を着ていた。
「最初は下書きを兼ねてスケッチを取るだけだから、そのままで大丈夫だよ。イメージが固まって、キャンバスに描くようになったら着替えを頼むね」
「なら、スケッチの間は、私も仕事をしていて構わない?」
「ああ。というか、結構な長丁場になるから、気楽にしてて。必要になったら、こっちから声をかけるよ」
仕事の許可が出たのはありがたかった。長椅子に腰掛け、マリアは仕事を始める。
少し離れたところに椅子を移動させ、メレディスも絵を描き始めた。
しばらくの間、部屋にはペンが紙の上を走る音だけが響いた。マリアもメレディスも口を開かず、黙々と互いの作業に集中した。
何枚もスケッチを描き殴った後、溜め息をついて、ようやくメレディスがマリアに声をかけてきた。
「それじゃあ、あのドレスに着替えてもらえるかな」
ナタリアを呼び、マリアはドレスに着替えに行く。
着替えのためにマリアは自分の寝室に移動していたが、書斎に戻ってくると、すでにメレディスはキャンバスに向かってラフを描き始めていた。
今度は仕事を置き、マリアはモデルに集中する。自分を見つめるメレディスを、観察していた。
真剣な眼差しは鬼気迫るものがあり、普段の愛想のよい姿からは想像もできない迫力だ。
誉められて嬉しそうに笑う顔も魅力的だが、そんな獰猛さをうかがわせる表情も悪くない。マリアはそう思った。
そう言えば、伯爵も、自分を口説くときはああいった表情を見せる。あの手の顔に自分は弱いのだろうか。
しかし、時間が経つにつれメレディスの表情が曇っていく。苦しんでいるような様子で、明らかに筆が進んでいない。
「一度、休憩する?」
「僕は別に――あ、でも、僕が平気でも、君はそうとは限らないよね。ごめん、休憩しようか」
用意した紅茶を飲みながら、マリアはメレディスを見る。絵のことで頭がいっぱいなのか、メレディスは明らかに上の空だった。
「難しい顔をしている理由を、聞いてもいいかしら?」
「うん……うん?ああ、ごめん。僕、そんなに顔に出てた?」
ようやくマリアを見たメレディスに、マリアはクスクスと笑う。メレディスは、決まり悪そうに笑い返した。
「君の美しさを現せない自分の腕に、悩んでたんだ」
紅茶を一口飲み、メレディスがまた考え込むような表情に戻った。
「君の美しさは、単なる容姿の良さだけじゃない。内面から出てくる……そうだな、オーラみたいなものが君を輝かせてるんだ。でもいまの僕には、それが描ききれない。これが才能の限界ってやつなのかな……」
絶賛されるのは嬉しいが、肝心の自分を見もせずにそんなことを言われても何も感じない。
最後の台詞はマリアではなく、自分に向けた問いかけだ。
芸術というのはマリアには未知の領域ではあるが、目の前にいるのに全く話もしてくれないのは面白くない。
紅茶を飲み切ることなくメレディスはまたスケッチを始めてしまい、マリアも仕事に戻ることにした。




