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紫色のクラベル~傾国の悪役令嬢、その貴種流離譚~  作者: 星見だいふく
第一部03 三者三様の転落 そして女公爵となる
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血染めのオペレッタ (1)


警視総監がどのような捜査を行っているのか、マリアにはそれを直接知る手段はなかった。

しかし伯爵からも、あの男が動くのなら何もしないことが一番いい、と言われてしまったので、マリアは大人しくしていることにした。


果たしてどれくらいで成果がわかるのか、マリアにはどのように伝わるのか……。少し不安になったが、ドレイク卿というのは、存外配慮の行き届いた男のようだった。


「マリア様、お花が届いております」


突然の贈り物について、ナタリアが戸惑いながらマリアに知らせる。

淡いピンクと紫の薔薇に、白いカスミソウで作られた可愛らしいブーケ。オフェリアが目を輝かせた。


「素敵な花束!お姉様、どなたからなの?」


花束を受け取るマリアの周りを、オフェリアがぴょこぴょこと跳ね回る。マリアは、花束に添えられているカードを読んだ。


「オフェリア、花はあなたにあげるわ。好きなところに飾ってらっしゃい」

「いいの!?」


嬉しそうにオフェリアは花を受け取る。花束はあくまでおまけだ。重要なのは、こちらのカード。


「ジェラルド・ドレイク警視総監殿からよ。オペラでもいかがですかって」

「オペラ!いいなぁ。私もオペラ見てみたい!」


エンジェリクには――王都ウィンダムには、オペラ劇場があるとは聞いていた。何らかの伝手がなければ貴族であっても観劇は難しいとされている人気スポット。

さすがにドレイク侯爵ともなれば、招待する側になっているようだ。


「なら一緒に行く?」

「本当?やったぁ!」


マリアに言われてオフェリアは無邪気に喜んだが、ナタリアは、よろしいのですか、と尋ねてきた。


「ええ。妹さんもご一緒にどうぞって、ちゃんと書かれているもの」


おめかしをしてオペラ観劇。それは、オフェリアをたいそう喜ばせた。

お気に入りのドレスを着て、お気に入りの髪飾りで結った髪を飾る。屋敷を出る時点ですでに上昇していたオフェリアの興奮は、劇場に着いた時には最高潮に達した。


「ようこそ、セレーナ嬢。招待を受けてくださり、感謝します」


マリアたちを出迎えるドレイク卿は、前に会った時よりは少しきらびやかな服装であった。

派手にならない程度に、銀の装飾が施された濃紺の上着。初めて会った時の印象通り、シンプルな物を好むらしい。


「本日はお招き頂き、ありがとうございます」

「ありがとうございます」


マリアにならい、オフェリアもちょこんと挨拶する。


ドレイク卿はマリアの手を取って口付け、オフェリアにも同様の挨拶をした。一人前の淑女扱いをされたオフェリアは嬉しそうだ。


見知らぬ人の前では、お喋りは控えること――普段はこの言い付けを守るオフェリアも、今日ばかりははしゃぐ気持ちを抑えきれないようだった。

オペラや劇場について矢継ぎ早に質問し、ドレイク卿は不快な表情を見せることなく丁寧に答えてくれていた。

もっとも、ポーカーフェイスだけはまったく変わらなかったが。


しかし今日のポーカーフェイスは、前回と違って親しみやすさを感じる。ポーカーフェイスといっても、バリエーション豊富だ。マリアはそんなことを、しみじみと考えていた。


「今日の演目はオペレッタだ。気楽に楽しんでいってほしい」

「オペレッタ?」

「軽妙な喜劇で、厳密にはオペラとは違うのよ。初めて観る私たちには、それぐらいが丁度いいかもしれないわ」

「喜劇ってことは、ハッピーエンドね。私、お話を見るならハッピーエンドがいいわ」


ボックス席に案内され、夢中になって身を乗り出しかけるオフェリアを、ナタリアが慌てて止める。

マリアも苦笑した。


「妹が騒がしくて申し訳ありません。オペラを観れることが、本当に嬉しいみたいで」

「芸術に関心を持つのは良いことだ。それに、好奇心が強いことも悪いことではない。好奇心なくして向上心は育たぬ」


意外にも、ドレイク卿のほうから妹の行動をフォローされ、マリアはあら、と声をあげた。


「そうおっしゃって頂けるとありがたいですわ。ドレイク卿は、芸術を真摯に愛していらっしゃるのですね」


マリアの言葉に、今度は返事をしなかった。


いつもの言葉少なな気質というより、ドレイク卿が照れているようにもマリアは見えた。

職務中の彼は冷徹だが、プライベートは穏和で紳士的な人間なのかもしれない。オフェリアに接する姿は、何らかの思惑があっての演技ではないだろう。


にぎやかなオペレッタは、時々観客の笑いも誘った。オフェリアは完全に舞台に心奪われているようで、マリアやドレイク卿のことなど忘れ去っていた。


「やはり十四年前のオルディスの大火災は、公爵夫人が関わっていた」


隣に座るマリアに聞こえる程度の声で、ドレイク卿が話す。明るい音楽にかき消されてしまわないよう耳を立て、マリアは頷いた。


「恐らくは、原因を作った一人だ。先代の公爵夫人は大火災のあと、被害に遭った者への補てんや援助を最優先にさせている」


音楽が終わり舞台が暗転する。

場内が静かになったのに合わせて、ドレイク卿も話を止めた。次のソロの場面のあとは大勢の役者が舞台に登場し、再びにぎやかに歌い始める。


「口止めか、良心に耐えかねての償いのどちらかだろう」


マリアは再び頷いた。

領全体のことを考え、用水路の修復をしようとしたおじを止めてまで、優先させたのだ。我が娘が、領民を襲った悲劇を生み出した張本人ならば、先代の夫人の行動にも納得がいく。


「現公爵――エリオット・オルディス氏は知らぬことだろう。知っていれば、生きているはずがない」

「……どういうことですか?」

「十四年前、火事の第一発見者と思わしき人間が全員消息不明になっている。火災に巻き込まれ死亡した公爵と二人の召使いはまだしも、公爵と行動を共にしていたはずの他四人の内三人が行方知れずという状況はおかしい」

「四人の内、行方不明になっていないお方は?」

「当時の執事だ。火災の直後にオルディス領を出、十二年前に病死している。長年オルディス家に仕え、忠義に厚い男だったそうだ。墓まで調べて確認させた。彼の死だけは間違いない」


静かなデュエットが始まり、ドレイク卿は口を閉ざす。

しばらくの間、舞台では熱唱が続き、咳払いの音すら許されないような雰囲気だった。


終幕が近づき舞台がにぎやかになったとき、ドレイク卿も最後の話を始めた。


「その男が、他の第一発見者たちを始末したと推測している。公爵令嬢の秘密を守るために仲間を殺し、最後に残った自分も死に、永遠に真実は闇の中となった」


カーテンコールが始まり、拍手にまぎれてドレイク卿が短く告げる。


「執事が始末し損ねた生き残りが、この劇場にいる」


スタンディングオベーションで、他の客にならいオフェリアは席から立ち上がって大きな拍手をした。

ドレイク卿も話をやめて、役者たちに惜しみない拍手を送っていた。




舞台は終わり、客でにぎわう一階のロビーを横目に、ドレイク卿に連れられたマリアたちは、劇場スタッフしか立ち入りを許されないバックヤードを歩く。

ドレイク卿は、プリマドンナとも知り合いだったらしい。


「まあ、ジェラルド。あなたが人を連れて訪ねてくるだなんて。それも、こんなに可愛らしいお嬢さんを」


プリマドンナはまだ舞台衣装を着替えておらず、舞台で見た主役そのままの姿にオフェリアは感動していた。


「とっても素敵でした!キラキラ輝いてて、すごく綺麗で……私もあんな風になりたいって、本当にそう思いました!」


憧れと興奮を隠すことなく見つめられれば、プリマドンナも悪い気はしないようだ。上機嫌でオフェリアに応えている。


ドレイク卿からの視線を感じ、マリアは彼を見た。さりげなく控え室の扉に近付き、ついてくるよう合図を出している。

マリアはナタリアを見、ナタリアが頷くのを確認すると、プリマドンナに夢中になっているオフェリアに気づかれぬよう外に出た。




「あの大道具係だ」


舞台の片付けに忙しなく動いているスタッフの中から、体格が良く、短く髪を切り込んだ中年男を指してドレイク卿が言った。


「ここではダンと名乗っているそうだ。本名はダニエル・バンク。十四年前まで、オルディス家で働いていた」


男は、裏方に相応しくない恰好をした人間に視線を向ける。そしてマリアと目が合うと、恐怖に顔をひきつらせ慌てて踵を返した。

しかし、出入り口にはドレイク卿の部下が控えている。よく見知った好青年の顔もあった。


「私が誰か、心当たりがおありで?」


マリアが声をかければ、逃亡を断念し、大道具係は観念したように口を開く。


「……スカーレットお嬢様の娘君でしょう。目元がご主人様そっくりだ。公爵様の孫だって、すぐに分かりますよ」


おじからも、目元は祖父によく似ているとは言われていた。それで、マリアと目が合うなり逃げ出したというわけか。


「ダニエル。十四年前に何があったのか、話してほしい」


マリアが言えば、大道具係は唇を噛み、ひどくためらう様子を見せた。

ドレイク卿が静かに切り出す。


「執事のライナスは、十二年前に他界している」

「……本当に?そう見せかけて、生きているなんてことは?」

「墓を掘り起こして亡骸まで確認した。間違いはない」


ドレイク卿の言葉を聞いた大道具係の目に、安堵の色が浮かんだ。

やはり、執事が当時の仲間を始末したというドレイク卿の推測は正しかったのだと、マリアは思った。


大道具係は深く溜息をつき、いままで誰にも打ち明けなかったであろう十四年前の真実を話し始めた……。




十四年前のあの日、公爵は六人の召使いを連れ、ある空き家を訪れた。

そこは娘ローズマリーが友人を連れ込んでいる場所だった。それも、男女複数の。


ただの浮気であれば公爵も目を瞑った。しかし、名のある貴族の若者たちが集まって乱痴気騒ぎを繰り返しているとなれば、見過ごすわけにはいかない。


姉娘は、幼い頃は優秀で才のある子だった。だが優秀さにあぐらをかいて努力を怠り、十代になると二つ下の妹に劣るようになっていた。

ローズマリーは両親の贔屓と認めなかったが、幼少は大きな壁になった年齢差もいずれは消えるもの。彼女の怠慢さが原因と、公爵は厳しく注意していた。


キシリアの宰相との結婚は、もとは姉のほうに来ていた話だった。ローズマリーの素行の悪さを熟知していた公爵が、妹のほうをすすめた。

姉のほうには、堅実で優秀な若者を婿に取って監視のためにも自分の手元に置く。領主としても父親としても、賢明な判断をした。

――はずだった。


妹の結婚以降、ローズマリーの素行はさらに悪化し、夫を無視して当て付けのように乱行と散財を繰り返している。


公爵は娘を見限っていた。娘婿と養子縁組をして後を継がせ、妹娘に子が生まれればその子を引き取る。ローズマリーは相続人から外す腹積もりであった。

そのために、公爵はローズマリーの勘当を決定付ける目撃者として、召使いを大勢引き連れてきたのだ。


「私のことがそんなに気に入らんのなら、さっさと出て行け!」


部屋は、目を覆いたくなるような有り様だった。

あられもない姿の男女に……酒と煙草と、気持ちの悪い体液の臭いが充満して……吐き気を催した。


怒る公爵に、負けじと娘も吠え返す。

居心地悪そうな顔でローズマリーの友人たちはコソコソと服を着、公爵についてきた召使いたちもただ溜息をつくばかり。

そんな時だった。


「火事だ!逃げろ!」


半分裸のままの男女が叫び、部屋の前を走り去っていく。他の部屋にも人がいたらしい。


一瞬の沈黙の後パニックが起こり、ローズマリーたちは慌てて逃げ出した。その内の誰かが公爵を突き飛ばし、公爵は足をひねって自力では立ち上がれないほどに痛めてしまった。

動けない公爵を若い召使い二人が支え、執事に指示されて残り三人が出火場所を確認しにいった。


あとから考えれば、それが最初の間違いだった。


我先にと逃げ出したローズマリーたちのように、公爵一行も逃げ出すべきだった。

炎が燃え盛る部屋を執事たちが確認し、消火は諦めて逃亡すべきだと公爵に報告をしたあとでは遅かった。

召使いに支えられ、足を引きずりながら歩く公爵を連れていては素早く動けない。


加えて、場所も悪い。

掃除のされていなかった空家は、埃やローズマリーたちが出したゴミで引火しやすい物が散乱しており、手入れのされていない壁や床は、少しの炎にも耐えられずに崩れていった。


正面玄関に辿り着いたものの、柱の一部が変形して扉が開かない。仕方なく裏口に回った途端、天井が崩れて二階部分が落下し、遅れてきていた公爵と、公爵を支えていた召使い二人が巻き込まれた。


「構うな!さっさとおまえたちだけで逃げろ!」


公爵は命令したが、我が身かわいさに見捨てられるほど、召使いたちも冷酷にはなれなかった。


公爵は落下物を下半身に押さえられ、抜け出すことができない。召使いの一人は即死だったようだが、もう一人は隙間に挟まった状態で助けを求めていた。

悲痛に泣き叫ぶ仲間の声がダニエルたちの足を止め、公爵や仲間を助けようと全員が必死でもがいた。

だが……。


「もういい。もう無理だ!私たちは、もう助からん。助からん人間に、もう時間をかけるな!そんなことより、これ以上被害を増やさないようにしろ!」


公爵のすぐ後ろにまで迫る炎を見て、ついにダニエルたちも逃げる決心をする。置いていかないでくれと泣き叫ぶ仲間の声を振り切り、四人は逃げ出した。


裏口から飛び出すや否や、轟音を立てて空家が崩れ落ちていく。四人は、しばらくそれを茫然と見つめていた。

通りすがりの見回りの兵士が火事を発見し、火事だ、と周囲に叫び始めた。その声にようやく正気を取り戻した四人は、消火と領民への警鐘に奔走した。


そこからの三日間は、まさに地獄絵図だった。


その時期は乾燥し、強めの風が吹いていた。炎は勢いを増して燃え広がり、辺り一帯の野畑を焼き払う。幸いにも居住区からは離れていたため住民の避難は間に合ったが、火災が発生してから三日後に雨が降るまで、炎はおさまることなく領地を焼き尽くした。


大規模な火災に、突然の公爵の死。

領内は混乱し、若い領主は休息を取る間もなく奔走していた。ローズマリーは行方をくらまし、公爵夫人は心労から倒れた。肉体的にも精神的にも追い詰められている新しい領主に真実を打ち明けるわけにもいかず、示し合わせたわけでもないのに、ダニエルを始め誰もあの日のことは口にしなった。


「奥方様に、すべてを話しに行く」


そう話す執事のライナスは、げっそりとやつれ、虚ろな目をしていた。彼の心情を、ダニエルたちは察するにあり余った――自分たちも、まったく同じ心境なのだから。


「皆も来てほしい。私一人ではとても……最後まで、正気を保って話をできる自信がない」


全員が頷いた。自分たちだけで抱え込むには、あまりにも重すぎる秘密だ。だが、話すのも辛い。

夫人に話すなら全員で。それは、ごく自然の流れだった。


「……あの子が。あの子が、そんな恐ろしいことを……?まるで悪夢だわ……。ああ、もう生きていたくもない。我が子に夫を殺される日が来るだなんて……」

「奥方様、どうぞお気を確かに」


真実を聞かされ嘆く夫人が憐れで、痛ましい。かける言葉も思いつかず、ダニエルは執事が用意した紅茶を飲んだ。

緊張と気まずさで、ダニエルや仲間たちは何度も紅茶を飲んでいた。手をつけなかったのは、中心となって話をしていた執事だけ。


「この秘密は、私が墓まで持って行きます。お嬢様を、親殺しにはできません」


ぐらりと視界が傾き、ダニエルは床に倒れ込む。おかしい。身体を床に叩きつけたのに痛みを感じないし、とっさの悲鳴すら上がらない。身体に力が入らず、徐々に視界が暗くなっていく……。


「ライナス、なんてこと。まさか、あなた――?」

「奥方様、お部屋に戻ってお休みください。あとは私が片付けます。奥方様は何も知らず、何も聞かなかった……」


最後に見たのは、恐怖に震える夫人と、感情のない目でこちらを見る執事の姿だった。


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