本気を出したら
「負けた……」
呆然と。
ヒューバート王子は、いま起きたことが信じられないでいるようだった。
向かい合うアレクは、当然じゃん、と涼しげな表情。傍観していたララも、そりゃそうなるって、とフォローする。
「こいつ、こんなひょろひょろとした見た目だけど、戦士の親父さんに赤ん坊の頃からしごかれまくってるから、とんでもなく強いんだぜ。一対一の勝負じゃ、俺でも負けるかもしれねー」
男たちのやり取りを眺めながら、ヒューバート王子があっさり負けてしまったことは納得しつつも、アレクってやっぱり強いのね、としみじみ感じていた。
「ノア様と稽古をしている姿を見たことがあるけれど、二人は良い勝負しているようだったわ。もっとも、私はそういうの、まるっきり素人だけど」
「ノア殿とも対等に渡り合えるとなると、僕でも勝てるかどうか怪しいですね」
ヒューバート王子の従者マルセルも、アレクの実力に関心しているようだ。
ある日の城内。ヒューバート王子は、アレクと勝負をしてみたいと申し出た。
たまには訓練の相手を変えて、自分の実力を改めて確かめてみたほうがいい、という助言を受けて。
アレクの実力を、確かめてみたかったのもあるだろう。かなり強いと聞いていたけれど、自分の目で見たことはないから。
そして行われた勝負……あっさりと、アレクが勝った。
「いえーい。オフェリアに言いふらしてやろーっと」
勝利に喜ぶアレクの言葉に、ヒューバート王子が絶望で目を見開く。
こら、とマリアがたしなめ、調子に乗るな、とララとマルセルが声を揃えてアレクを叱る。
大好きなオフェリアに自分の失態を告げ口されてしまうなんて、さすがにヒューバート王子が気の毒だ。
「ヒューバートって変わってるよね。落ち込むぐらいなら、不敬で僕を斬ればいいのに」
マリアの従者として一緒に町へやって来て、アレクはそんなことを喋る。もう、とマリアはアレクの額を小突いた。
「そんなことはできない人だって、あなたも分かってるでしょ。それが殿下の良いところでもあるんだから、無茶言わないの」
マリアのお説教に、アレクは肩をすくめる。
「ま、ララもたいがい変わり者だけどね」
「そうね。ララも、皇子様とは思えない変わり者よね。でも私は、そんなララが大好きよ。アレクだって、変わり者のララやヒューバート殿下が好きでしょ?」
アレクは何も言わず、唇を尖らせて目を逸らす。図星をさされてちょっと気まずいのだ――マリアも、アレクの本心を読み取るぐらいのことはできるようになってきた。
背は伸びたけれど、悪戯っ子なところは初めて会った時から変わっていない。
「ところで、本当にここで良かったの?」
アレクの行きたい場所に向かって、やって来たのは町の小さな図書館。
今日は、ララと護衛の役目を交替して、アレクはマリアと共に屋敷に帰る日だった。要するに、休暇である。
ついでに、ヒューバート王子に勝ったご褒美として、どこか行きたいところはないかと尋ねてみた。
アレクが行きたがったのは町の図書館。エンジェリクの城には大きな図書室があり、マリアの屋敷にも、そこそこの書斎があるのだが……。
「うん、ここでいい。別に欲しいものがあるわけじゃない。エンジェリクで書かれてる本が見たいだけ。城や、マリアの屋敷には、貴重で高尚な本が揃ってるけど……こういう、大したことのない本を読んでみるのも好きなんだ」
「アレクは勉強熱心ね」
屋敷にいる時も、マリアが買い揃えた本を片っ端から読み漁っていた。
マリアも読書家で、空いた時間は勉学に励むようにしていたが、そのマリアも感心するほど、アレクも勉強家だ。
「昔から、外国の文化を勉強したりするの好きだった。チャコ帝国は大きくて広いけれど、他の国の文化を取り入れていけば、きっともっと良くなるって、ずっとそう思ってた――小さい頃から。それで……ララが、結婚する時、一緒に国を出てキシリアへ行こうって。そう誘ってくれてたんだ」
「そうだったの。それは初耳だったわ。ララらしいけど」
ララはマリアがキシリアにいた頃の婚約者で、いずれマリアと結婚して、キシリアで暮らすはずだった。アレクにも、一緒にキシリアへ連れてくるつもりだったのか……。
「だから、実はマリアのことも、小さい頃から知ってたよ。ララから、マリアの肖像画を見せてもらってたし」
それはマリアも何となく予想していた。
初めて会った時、アレクは人混みの中にマリアの姿を見つけ、迷うことなく真っ直ぐ向かってきた。はっきりと、マリアを選んで。
あれは、マリアが誰なのか分かっていての行動だろう。マリアはアレクのことを知らなかったが、アレクはララから教えられていた――そう考えていた。
「この本にする」
「決まった?じゃあ、それを借りて……そろそろ屋敷に帰りましょうか。久しぶりにアレクが帰ってきてくれたんだし、夕食は私が気合を入れて作るわ。ちゃんと食べれるものを作るから安心して」
マリアの創作料理はアレクにはあまり効かないのだが、だからと言って、あえて食べさせようとは思わない。無邪気に喜んでくれる姿を見ると、素直に作ってあげたいという気持ちにもなるし。
クリスティアンを寝かしつけた後、マリアは自室に戻って、本を読んでいた。
アレクに付き合って、自分も図書館で本を借りてみた――本の内容は、貴族社会を風刺したコメディ。軽妙な物語で、なかなか面白い……が、ところどころに、傲慢な貴族への批判が。
エンジェリクの城には絶対に置かれないような本だ。アレクの言う通り、町の図書館だからこそ、こんな本を取り扱っている。
……時々は、自分もああいった場所で本を探すべきかもしれない。
控えめなノックに、マリアは本から顔を上げた。入っていい?とアレクの声が聞こえてきて、マリアは彼を部屋に招き入れた。
「こんな時間にごめん。借りてた本を読んでたら……途中、読めなくなっちゃって」
そう言って、アレクが図書館で借りた本を差し出す。中を確認して納得した。
手書きの本だが……途中で原本を書き写す人間が替わったのか、ずいぶんと癖の強い筆記体となっている。エンジェリク語を母国語としないアレクでは、まだこれを読み解くのは難しいだろう……。
「読んであげる――このページからよね?隣にいらっしゃい」
ベッドに腰かけて、ぽんぽんと自分の隣を促す。
アレクはマリアの隣に座り、マリアにぴったりくっついて、甘えるようにマリアの肩にもたれかかってきた。身体は大きくなっても、こういうところが変わらないから、マリアもつい出会ったばかりの頃の少年のイメージのままで……。
「たしかに役得だけど……全然意識してもらえないのも複雑」
マリアが本を読み上げる合間に、アレクがぽつりと呟く。
自分にもたれるアレクを見てみれば、ちょっと不貞腐れたような表情をしていた。
「僕、男だよ」
「警戒心がなさ過ぎるって、ララによく怒られてるわ。でも……可愛いんだもん。甘やかしたくなる雰囲気が、アレクにはあるのよ」
「つまり子どもっぽいってことでしょ」
「いいじゃない。甘やかしてくれる人には甘えてればいいのよ」
アレクは頬を膨らませ、マリアは笑いながら、つんつん、とアレクの頬を突つく。
と思ったら、視界が急に反転し、マリアはベッドに押し倒され、天井を見上げていた。
「……男だから」
「ちゃんと分かってるわ」
不機嫌そうな声で言ったアレクに、マリアは微笑む。アレクを、男じゃないと思ったことはない。可愛い子扱いはしてるけど。
「あと、僕の初恋はマリアだから」
「……そうなの?」
それはちょっと疑ってしまう。こんな女の本性を知ってて惚れるなんて、趣味が悪すぎる。
「言ったじゃん。小さい頃からマリアのことは知ってたって。ララからマリアのことを聞かされて……あいつも君に惚れてたからさ、昔から。そんなララから聞かされ続けてたら、自然とこっちも惹かれていって……。実物のマリアに会うの、ずっと楽しみにしてた。色々あったけど……エンジェリクに来てマリアに会えたこと、本当はすごく嬉しいと思ってる」
思いもかけぬ愛の告白に、マリアは目を瞬かせた。
……驚き過ぎて、リアクションを取ることも忘れてしまっていた。
「……男だって分かってるなら、こういう目に遭っても文句ないよね?」
不敵に笑うアレクに、本気を悟った。あとでララに怒られそう――なんてことを考えていたら、アレクが耳に噛みついてきた。
「この状況で、他の男のこと考えるの禁止。チャコの男は独占欲が強いんだよ」
それは別にチャコ人の男じゃなくても……と言いかけて、マリアは言葉を飲み込んだ。
下手な反論はアレクの嫉妬を煽るだけだし、唇を塞がれて、何か言い返すこともできなかった。




