至高の贈り物
彼女を一目で見た時、生まれ持った高貴さというものをヴィクトールは改めて思い知らされた。
自分の半分も生きていない少女なのに、すでに自分と同等以上の気品を身に着けている――ヴィクトールが焦がれてやまないものを、彼女は持っている。
「きちんと節度は守ってください。彼女は頼る大人を喪い、幼い妹を抱えて生き残るのに必死です。そんな状況で伯爵に口説かれては、拒絶することなどできないのですよ」
ノアから忠告され、ヴィクトールは思わず言葉に詰まってしまった。
……彼女は、もろに自分の好みだ。
自分の好みがいささか歪んでいることは、ヴィクトールにも自覚があった。
身分が高く、他に頼る相手がおらず、何らかの打算があってヴィクトールに近づく女――そんな女を選んでいたら、最後には捨てられてしまうのも当然だ。
もっと自分を大切にしてくれる相手を選ぶべきだと忠告されることもしばしば。それでも……どうしても、生まれながらに貴族の女を選んでしまう。
それは、決して消えることのない自分のコンプレックスが原因であることは分かっていた。
貴族の女にも色々いるだろうに、よりにもよって――と、ノアから呆れられたこともある。
……そんな女でもなければ、真っ当な貴族が自分なんかを相手にするはずがない。
口に出したことはなかったが、ヴィクトールにも、そんな弱気な一面があった。
小さな鈴の音に、ヴィクトールは振り返った。
いまは執務室。デイビッド・リースと共に書類の整理をしていたのだが、部屋の片隅にあるベビーベッドの中で、眠っていたはずのクリスティアンがいつの間にか目を覚ましていた。
ベッドに吊るされた音の鳴るおもちゃを引っ張って、ご機嫌そうにしている。
「起きていたのか。もう少しで終わるから、良い子で待っていなさい」
息子に向かって優しく話しかけるヴィクトールの姿は、愛情に満ちた父親そのもの。
クリスティアンのことが、可愛くて愛しくて堪らないらしい――そばで見ていたデイビッドはにんまりと笑い、ノアもかすかに口角を上げている。
ニコニコと笑いながらおもちゃを鳴らして遊んでいるクリスティアンはベッドに寝かしたまま、ヴィクトールは仕事に戻った。
……ように振舞ってはいるが、息子が気になって仕方ない、と彼の顔にはっきりと出ていた。
ノアに劣らず笑顔のポーカーフェイスで真意を読ませないヴィクトールにしては珍しく、デイビッドですら彼の内心が手に取るように分かった。
結局、いつもよりずっとぞんざいに書類を片付けて、ヴィクトールはクリスティアンを抱き上げた。
「クリスティアン……待たせてすまなかった。ベッドの中ばかりは退屈だろう。少し、外に出るか」
父親の言葉を理解しているのかどうかは定かではないが、クリスティアンは嬉しそうににっこりと笑う。
母親そっくりの赤ん坊だが、笑うとますますマリアそっくり……ヴィクトールも、クリスティアンの笑顔につられて幸せそうに笑っていた。
「彼女は、いったい何を贈ったら喜んでくれるだろうか」
クリスティアンを抱いて、ヴィクトールがぽつりと呟く。
おもちゃをかじるクリスティアンに手を伸ばすと、父親の指を、クリスティアンがぎゅっと握る。そんな些細な行動も、ヴィクトールに幸せを与えてくれていた。
クリスティアンは、間違いなくヴィクトールの人生において最高のおくりもの――それを与えてくれた彼女に、何かお返しをしたいのだが……マリアは、物を贈っても喜んでくれない。
一応、礼を述べながら笑顔で受け取ってくれる。しかし、物欲が薄いこともあって、マリアが心から喜ぶことはめったにない。
……それどころか、無駄遣いするなと説教してくることも。
「マリア様に何かお返しをしたいというのなら、物を贈るのではなく、愛情や思いやりで返せば良いと思います」
事も無げにノアはそう答えたが、ヴィクトールはちょっとだけ恨みがましく彼を見た。
一般的には、むやみやたらに物を贈るよりも、そういった行為で返すほうが好ましいのは分かっている。分かっているが……それはヴィクトールにとって自信のないことだから他の方法を尋ねたのに……。
「伯爵は、ご自分で思っているよりもずっと愛情深い人間ですよ。だからマリア様も、他の誰でもない貴方の子が生みたいと申し出たのではありませんか」
「……そうだろうか」
愛情。思いやり。
孤児として育ち、あまり真っ当とは言い難い環境で育ったヴィクトールには、まだよく分からない分野なのだ。ちゃんとできているつもりだったが、いままでの女性たちは皆、最後にはヴィクトールのもとを離れていって。
「選んだ女性が悪すぎるのです。伯爵のことを、最初から利用するつもりで近づいてくる人間なのですよ。目的を果たしてしまえば去っていくのは当然でしょう。そんな女性でもなければ、自分が口説くことはできないと思って……」
「今日はずいぶんと説教が続くな」
図星を指されて内心苦い思いを表に出さないようにしながら、ヴィクトールが言った。
――敬愛するヴィクトール様が不遇な扱いを受けるのが、ノア様には我慢ならないんですよ。
ノアの説教癖を愚痴った時、マリアが笑いながらそう答えたことを思い出す。きっとそうなのだろう。でも、もうちょっと小言の量を減らしても良いと思う。
「ヴィクトール様、クリスティアンを迎えに参りました」
部屋に、マリアが入って来る。母親の姿を見て、ヴィクトールの腕の中のクリスティアンがいっそう嬉しげに笑う。
「あらあら、とってもご機嫌ね。お父様と一緒で楽しかったのかしら」
マリアの言葉に同意するように、クリスティアンはにこにこしている。マリアも、我が子に向かって優しく微笑みかけ――そんな二人を、ヴィクトールもまた愛しそうに見つめていた。




