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紫色のクラベル~傾国の悪役令嬢、その貴種流離譚~  作者: 星見だいふく
第七部02 最後の幕は上がり
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悪魔が微笑む


ジェフは、どこにでもいる平凡な男だった。

モニカという可愛い幼馴染みがいることを除けば、本当にどこでもいるありきたりな男で。だからこそ、可愛い幼馴染みには特別な思い入れがあった。


母親が亡くなり、モニカが貴族の父親に引き取られることになった時は、私の家も家族もここにあるのに、と涙を流す彼女を引き止めたかった。でもきっと、身寄りのない少女のままでいるより金持ちの父親と一緒に暮らすほうがいい。

……そう思って見送ったのに。


モニカが処刑される――王子様を危険な目に遭わせたとか、そんなよく分からない理由で。

何か貴族たちの陰謀に巻き込まれて、口封じに殺されてしまうらしい。そんな噂も耳に入ってきて、居ても立ってもいられずジェフは城に乗り込んだ。

即座に捕まり、地下の恐ろしい牢屋に放り込まれてしまったが。




「モニカさんとは、恋人同士だったんですか?」


人の好さそうな役人が、気遣うように尋ねてくる。名前は確か、アレンとか言っていた。

――恋人だったわけじゃない。きっと向こうは、自分の気持に気付いてもいなくて……。


ジェフはまだ尋問の順番ではないらしい。恐ろしげな悲鳴が聞こえてくる以外、ジェフは牢屋で一人きり。親切そうな役人だけが、唯一の話し相手。

ジェフは彼の姿が見えると、すぐに声をかけに行った。


「モニカはどこにいるんだ?」

「別の場所だ。あなたとは真逆で、上にある牢獄なんだ。塔になっていて……重要な死刑囚は、そこで刑が執行される日を待っている」

「死刑囚なんて、そんな……」

「下っ端の自分では詳細は分からないが……どうやら、チャールズ王子に弄ばれたみたいだ。王子は婚約者もいたというのに、モニカさんにも親しげに振る舞い……可哀想に。婚約者は大貴族の姫。貴族たちは公爵家の味方をして、平民出身のモニカさんに冷たく当たったそうだ」


――やっぱり。

貴族なんて、ろくなもんじゃない。可哀想なモニカ。婿養子の父親は、結局は平民の娘も見捨ててしまったとか……。


「頼む。モニカに会わせてくれ!」


牢越しに懇願するが、アレンという役人は困ったような表情をするばかり。

それきり役人は何も言わず、立ち去ってしまった。


仕方がないと思いながらも落胆し、ジェフが肩を落としていると、牢の隅――手を伸ばせば届きそうなギリギリの場所に鍵が落ちている。小振りの短剣と一緒に……。


指がつりそうになりながらも手を伸ばし、鍵を取った。短剣は懐に隠す――この小ささなら簡単に隠せるが、刃は鋭く、十分武器にはなりそうだ。


地下の牢獄を出たジェフは、なかなか先に進むことができなかった。とにかく上を目指せばいい、と分かっていても、そもそも上に行く方法も分からない。階段がどこにあるのか、普通の階段でいいのか。

騎士がうろうろしているから、廊下を歩くことも簡単ではないし……。


「カイル副団長。いかがされましたか。副団長殿がこのような場所にいらっしゃるとは珍しい」


騎士の中でもちょっと変わった衣装をした男が呼び止められている。あの衣装はジェフでも見覚えがある。

王国騎士団の騎士の服。王国騎士団は平民と接する機会も多いし、平民が城仕えできる数少ない憧れの職種でもある。子どもの頃は、ジェフもあの衣装を着てみたいと思ったものだ。


「モニカ・アップルトン男爵令嬢への差し入れを持って行くところです。まだ寒さが厳しいので、新しい毛布をと……」


王国騎士団のほうの騎士が抱えていた毛布を見せると、呼び止めたほうの騎士が納得したように頷く。


「オルディス公爵か。お優しい人だなぁ。もう数日の内に処刑される女だというのに。俺みたいな見張り役や、刑執行に関わる人間以外、誰もが彼女のことを忘れてるよ。実の父親ですら、あの女を気遣う手紙のひとつも寄越さないんだろ?大罪人かもしれないが、薄情なことだ……」


毛布を抱える騎士をジェフは追った。

見つからないよう神経をすり減らし……幸いなことに、最初に呼び止めた騎士以外、誰かとすれ違うこともなかった。


長く複雑な廊下を歩き続けた騎士が、ひとつの部屋の前で立ち止まり、鍵を開けて入っていった。


――ここだ。

ジェフは差し入れに行った騎士が出て行くのを待ち、それから部屋に入った。


「誰……?えっ、まさか……!?」


モニカの牢獄は、ジェフがいたところよりもずっと居心地の良い場所だった。

そのことに拍子抜けし、モニカの元気そうな様子にも正直驚いた。この間捕えられたばかりのジェフより、モニカは身なりも綺麗にしている。ドレスではないが、それでも多くの平民が着用しているものよりは数段良い服を着ているし……。


「ジェフ!あなた、ジェフなのね!ああ、あなたが来てくれるなんて……!私を助けに来てくれたの!?」

「あ、ああ!そうだよ!助けに来たんだ。すぐ逃げよう、モニカ!」


輝くばかりの笑顔を向けられ、ジェフのもやもやした気持ちはすぐに吹っ飛んでいった。

そうだ。自分は、窮地に陥ったモニカを助けに来たのだ――卑劣な貴族たちの罠に落ち、孤独なモニカを助け出す。自分こそが……。


逃げるほうは問題なかった。あの騎士を追ってきた道を引き返せば、あとはモニカでも知っている場所に出る。

二人で城から逃げ出して、いったんは下町へ帰る。そして王都も出て、どこか田舎でひっそりと暮らすんだ……二人で……。


――だが、そんな夢は儚く散っていった。




謁見の間は、不穏な空気に包まれていた。

フレデリク領主の一件について王より正式な発表があるということで集まっていた貴族たちは、ヒソヒソと囁き合っている。


近衛騎士隊スティーブ・ラドフォード隊長が王の許しもなしにやって来たかと思うと、まっすぐにアルフレッド・マクファーレン主席判事に何やら報告に行って。主席判事は複雑な表情をしてそれを聞いている。

少し考え込むようなそぶりを見せた後、判事は御前に進み出た。


「陛下、モニカ・アップルトン男爵令嬢が牢より脱走いたしました」


モニカの名前に、貴族たちは虚を突かれたように目を丸くして互いの顔を見遣る。。


――あの身の程知らずの小娘……まだ生きていたのか。

そんな心の声が、マリアには聞こえてくるようだった。


たぶん、ほとんどの人間がモニカのことなど忘れ去っていたに違いない。事実、大半にとってモニカなどどうでもいい存在だ――生きていようが、死んでいようが。


王も、囚人が逃げ出したという事実にだけ不快感を示し、モニカの生死そのものは気に留めていない。

モニカと個人的な繋がりのあったチャールズだけが、わずかに顔色を変えて彼女のことを案じていた。


「しかし、すぐに捕縛されたのこと。脱走を手引きした男がいるようで、二人はこの近くで捕えられております。確認のため、私は席を離れさせていただいても――」

「良い。その二人をここへ連れてこさせよ」


そう答えるだろうな、とマリアは思った。

すぐ近くで捕えられたのなら、なにもわざわざ主席判事が足を運ばなくても、ここへ連れて来させればいい――王はそう判断するだろうと。


騎士に両腕を拘束された、騒がしい逮捕者たちが謁見の間にやって来る。

これだけ注目されても委縮しないあたり、やっぱり彼女の無神経さは生まれ持ったもので、城に侵入して助け出そうなんてぶっ飛んだことを思いつく男もなかなかのものだ。


ジェフという平民の男は、思い込みが強い上に行動力もあって……マリアだったら、あんまり仲良くなりたいとは思わない部類の男だ。平民として暮らしていた頃のモニカとは、お似合いのカップルだったそうだ。

お花畑な少女と、そんな少女の妄想に引きずられて騎士を気取る青年――うん、文句なくお似合いだ。


「チャールズ様……!?そんな、ズルい……!」


居並ぶ貴族たちの中から素早く見知った顔を見つけ出し、モニカが非難の声を上げる。


「私はこんな目に遭ってるのに、チャールズ様は何のお咎めもないなんて!やっぱり貴族は、私たち平民を見下してるのね。平民など、都合が悪くなったら切り捨てる駒だとしか思っていなかったんだわ……!」


彼女の言い分は一理ある。たしかに、身分の差というものは時に大きな明暗を分ける。


王子を危険に晒し、高位の貴族に重傷を負わせたという理由でモニカは極刑を言い渡された――例えばこれが、王子でなかったなら。重傷を負ったほうとその責任を作ったほうの身分が逆であれば。金と、しばらくの謹慎程度で済んだはず。


でもそういう世界で、自ら進んでそういう人たちに近づいて行ったのだから。万一の時のリスクも考えておくべきだった。

それに、モニカは貴族になったことで得られた特権を享受したがっていたはず。都合が悪くなったら平民ぶって貴族を糾弾して……一理ある言い分であっても不愉快だ。


「お前が、チャールズ王子……」


ジェフは自分を捕えていた騎士を振り切り、ナイフを抜いてチャールズ王子めがけて突進する――それを、貴族たちは唖然とした面持ちで目撃した。


――なんと馬鹿な真似を。

無謀にもほどがある。開いた口が塞がらないとはこのことだ。

そんなことをして、わずかでも可能性があると思ったのだろうか。この状況で、自分の思い通りにいくと思うほうがどうかしている。


ジェフ以外の誰もがそう思っただろう。そしてその予想通り、ジェフはあっさりとウォルトン団長によって斬り捨てられていた。


当然である。

謁見の間に貴族たちが集合し、近衛騎士が警備にあたっているのだ。王国騎士団団長に近衛騎士隊隊長は武器を所持したまま、王や王子のそばで控えている。

ウォルトン団長が動かなければ、近衛騎士がよってたかって彼を斬りつけていただろう。実際、団長の迅速な動きに間に合わなかっただけで、近衛騎士たちはすでに飛びかかる体勢を取っていた。


「いやああぁっ!ジェフ……こんな、こんな酷い……!」


ピクリとも動かなくなったジェフのそばに駆け寄ってうずくまり、モニカが泣き出す。

ほとんどの貴族はしらーっとした顔でそれを眺めていたが、チャールズ王子は狼狽し、モニカに近づいて彼女を気遣う素振りを見せた。

それなりに親しくしていた相手だ。同情とまでは言わずとも、完全に無視するという選択肢はできなかったらしい。


「なんでこんな酷いことばっかり……!私たちが平民だからって……!」


いまさらなのだが、モニカはすぐ、酷い、と相手を罵る。

確かに行為そのものは残虐かもしれない。酷いことだ。だが、そうなるに至った過程についてはどう考えているのだろうか。

ジェフの遺体に縋って泣き崩れるモニカを見ながら、マリアは思った。


酷い、と。そこで思考停止しているように見える。自分はただ、酷いことをされた――その結果しか見ようとしない。


その姿に、マリアはオフェリアを思い起こさせた。

あの子も物事の裏側を見ること、先を見通すことを苦手としている。だからマリアも亡き父も、どうやったら知性の幼いオフェリアに、結果だけではなくそれまでの過程も考える癖を身に着けさせることができるか、四苦八苦したものだ。

結局限界があって、人並み以上になることはなかったけれど。それでも、自分を振り返る努力は一所懸命していると思う。


……モニカは、そういう努力をしないといけないということを、誰からも教えてもらえなかったのね。


日々の生活に追われている平民では、そんな情緒面の教育をゆったりやってる暇もなかったのだろう。

それに、権利を与えられない代わりに義務も責任も生じない平民であれば、多少のトラブルも面倒になったら誰かに投げ出してしまえばいい。気ままに逃げ出してしまっても構わないし。


男爵家に引き取られた時に、モニカの父親が真剣に彼女を育てていれば。あの子も少しは違った未来をつかんでいただろうか。


「……あんたなんか、王子様じゃないくせに」


ボソリと。さほど大きな声でしゃべったわけでもないのに、モニカの声ははっきりと謁見の間に響いた。


チャールズ王子がヒュッと息を呑み、貴族たちが青ざめる。


チャールズ王子は、本当に王の子なのか。それは誰もが疑い、そして誰も口にしてはならないことだった。


王子自身、その疑いは抱いていただろう。真正面からそれをぶつけられ、激しく動揺している。

王子であることは、チャールズにとって重要なアイデンティティだ。それを否定された時、チャールズ王子の心にどのようなものが芽生えるか……。


「私、知ってるのよ。私の牢にやって来る騎士ですら知ってるんだから!ジュリエット王女は、王妃様が他の男との間に作った娘だったんでしょ!?ならあんただって――この嘘つき!」


我が身に降りかかる悲劇に、ついにモニカも我を失った。

淑女らしくない乱暴な言葉でチャールズ王子を罵り――呪いの言葉を口にして、自ら破滅を引き寄せていく――。


「王子様のふりして、そうやって私たちのことをずっと騙してきたのね!あんたのせいで、私の人生めちゃくちゃよ!」

「……な」


チャールズ王子の顔から血の気が引いて行く。絶望に青ざめ――やがて、それは怒りへと変わっていった。

自分の悲劇に酔っているモニカには、チャールズ王子の瞳に狂気が宿ったことに気付いてない。


「僕だって……お前のせいで」


か細く震える声で、王子が呟く。

悲劇のヒロインの如く泣き叫ぶモニカには、王子の声は届かない。


「僕だって……それに、伯父上も……全部……全部、お前のせいじゃないか!」


こうなることは簡単に予想できた。怒りで頭に血が上ると、女に手を上げることもためらわない王子。

そんな王子のそばには、斬り捨てられた際にジェフの手から零れ落ちたナイフが。


マリアと同じ考えに至った王が騎士に命じようとしたが、すでに遅かった。反射的にナイフを広い、王子はそれをモニカめがけて振り下ろした。

遺体に泣き縋って無防備にさらけ出された背中を一突き――死刑囚用に与えられた薄手の衣しか着ていないモニカの背中に、小さなナイフが深々と突き刺さる。


モニカは驚愕に目を見開き――その表情のまま一瞬の内に絶命した。


「騎士よ、チャールズ王子を捕えろ!」


ヒューバート王子の言葉に、凍りついていた謁見の間の時間が動き出す。


騎士たちが慌ててチャールズ王子の両腕を抑え……王子は抵抗しなかった。呆然としていて、自分が何をしたのかも分かっていないようだ……。

騎士に両腕を取られてよろよろと立ち上がるチャールズ王子を、ヒューバート王子は冷酷なほど静かに言った。


「罪人は、その処遇が決まるまで牢に入れておけ」


罪人。

その言葉に、チャールズ王子はパッと顔を上げてヒューバート王子を見た。そして、冷たく見据える兄にようやく自分が何者になったのか悟る。


縋るように王に視線を移すが、王は悲痛な面持ちで……やがてチャールズ王子から視線を逸らした。

最後に、チャールズ王子はマリアを見た。マリアはただ、微笑み返すだけ。


チャールズ王子は気付いたことだろう。この女は、やっぱり悪魔だったと。

すべては仕組まれた罠――そして自分はまんまとその罠に引っ掛かり、抜け出すことのできない奈落へと落ちてしまったことを。


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