追い詰める (3)
報告が終わった後、マリアはチャールズ王子の部屋を訪ねた。謁見の間での王子の態度が気になって。
何か嫌な予感がする。
不愉快なことに、この手の予感はたいてい当たるのだ。
「チャールズ様、失礼いたします」
ノックをして部屋に入る。
マリアが推薦した女官たちはしっかり働いてくれているみたいで、チャールズ王子の部屋は以前よりずっとましになっていた。
王子もこぎれいな服装で……けれど、乱雑だった。それはまるで、内心の動揺を表しているような……。
おどおどとした態度はいつも通りだが、怯えが増している。マリアはそれに気付かないふりをして、優しく微笑みかけた。
「ご無事に帰ってきてくださって、安堵いたしました。陛下もチャールズ様のこと、とても気にかけておいででしたよ」
「うん……」
以前なら飛びついて来そうな話題を出したというのに、王子は上の空で目を泳がせている。
手を伸ばし、チャールズ王子の頬に触れた。ようやくその存在に気付いたように、チャールズ王子はマリアを見た。
「いかがなさったのです?なんだかとても、怯えていらっしゃるような」
チャールズ王子は唇を噛み、激しくためらう様子を見せて……そして意を決したような表情で口を開く。
「……あの火事は、ヒューバートが仕組んだものだ!」
マリアは目を丸くした。
「僕は見たんだ!あの日……火事があったあの日の夕刻頃、ヒューバートはクラベル商会の人間と会っていた。あいつらが酒を欲しがっていると話していて……その酒に、何か薬を仕込んだと……。火事のことをはっきりしゃべってたわけじゃない。ただ、薬が効くのはどれぐらいだとか、そんなことを相談していた……!」
チャールズ王子の唇に指を当て、マリアはしーっと合図をする。チャールズ王子も言葉を飲みこんだ。
「いけませんわ。そのお話が本当だとしたら、ヒューバート殿下は恐ろしい企みを、平然とやってのける恐ろしい方だということです。チャールズ様がそれに気付いたことを知ったら、どのような行動に出るか」
マリアの指摘に、王子が今度は息を呑む。
さらなる恐怖に顔を引きつらせ、どうしよう、と小さな声で困惑したように何度もつぶやく。
「何も知らなかったふりをするしかありませんわ。極めて怪しい状況ではありますが、決定打にはなりません。それを陛下に訴えても、果たしてチャールズ様のお言葉を信じてもらえるかどうか……」
訴えたところで、劣等感や嫉妬心からヒューバート王子を貶めようとしているだけと思われて、自分の言葉が聞き入れられるはずがない――チャールズ王子にも、さすがにその自覚はあるらしい。
だから先ほどの報告の場でも、ヒューバート王子の不審な行動について黙っていたのだ。話しても、一蹴されて終わりだと……。
「何も知らなかったふりが難しいのなら、せめて殿下と顔を合わせないようになさいませ。知っていることを悟られないよう。チャールズ様がヒューバート王子を避けていても、それは特別不思議なことではありませんわ。そうやってやり過ごし、フレデリクへ行ってしまえばよいのです。陛下は今回のチャールズ王子の働きに満足し、領主にすることにも賛同するご様子ですよ」
優しく、幼子を諭すようにマリアは言う。
「フレデリクに行ってしまえば、ヒューバート殿下でもそう簡単にチャールズ様に手出しできなくなります」
「そうか……そうだな。逆の考え方をしてしまえば、フレデリクに行けばヒューバートの力も及ばない。例え僕が目障りでも……ヒューバートが王になったとしても……」
チャールズ王子はホッとしたように笑い、マリアを抱きしめた。
王子を抱きしめ返しながら、マリアは嘲笑の笑みを浮かべる。
――ついに、天にまで見放されてしまったのね……。
どこまでも運のない王子様。
フレデリク領主となって遠流で済ますことも、もう許されない。
フレデリク領主になったチャールズ王子を支えるのは、キシリアより派遣された兵士、聖堂騎士団の騎士たち――どちらも、マリアの息がかかった人間たち。
それでチャールズ王子を囲い込み、何かあったら速やかに処分してしまう。
……そのつもりだった。少なくとも、もうしばらくは生かしておくつもりだった。
もう、彼を生かしておくことはできない。
ヒューバート王子の犯行に気付いてしまった――マリアの企みを知ってしまったからには。
「まったく。チャールズ王子に目撃されてしまうなんて、迂闊過ぎますわよ」
ヒューバート王子の離宮で、マリアは王子の失態を叱った。
オフェリアはベルダの計らいで花の世話に行ってしまっている。あの子には絶対知られてはならないことだ。
「すまない。大がかりな計画だったから、さすがに誰にも一切気づかれずに行うのは無理があった」
ヒューバート王子は困ったように笑う。
「ウォルトン団長にも説明したわけじゃないが、薄々感づかれたみたいで――チャールズをさり気なく遠ざけてくれていたように思うのは、きっと僕の気のせいじゃないはずだ。ブレイクリー提督はどうかな……」
「オーウェン様は、あまり陰謀に長けた方ではありませんわ。気付いたとしても、全力で気付かなかったふりをして無視を決め込むはずです」
二人も聡い人間だ。マリアとヒューバート王子の企みを気付く可能性は考えていた。
気付いても、やり過ごしてくれるだろうと。
――海賊討伐の最中に、目障りなかつての王妃派を一掃する。
それが、マリアの目的だった。
マリアやヒューバート王子にとって不都合な人間――例えば、浅はかな考えでマリアの身近な人間を殺そうとするような、そんな愚かしい連中。
すべてこれで片付けてやるつもりだった。
欲の皮の突っ張った、先の読めない、自分のことしか考えない人間。
フレデリク領主という高級な餌をぶら下げれば、考えなしに飛びついて来ると思っていた。この海賊討伐は、またとない絶好の機会だった。
遠い異国で起きたこと――調べることもできない。真相は簡単に闇の中に葬ることができる。
だからホールデン伯爵に頼み込み、クラベル商会にまでついていってもらったのだ。
ヒューバート王子と共に、この企てを成功させるために。王子の手足となって動いてもらうために……。
「実を言えば、少し意外に思っていることもあるのです。殿下が私のこの大量虐殺計画にあっさり乗ってくれたこと。もっと反対されるかと思っておりました」
綺麗な言葉で誤魔化すつもりはない。
マリアたちのやったことは虐殺。
心優しいヒューバート王子から反対されることも覚悟していた。何が何でも説得するつもりではいたが、王子はあっさり同意し、容赦なくやってのけた。
王になるのならそれぐらいの冷酷さが必要だが、ヒューバート王子の同意にはマリアも拍子抜けし、少しばかり驚かされた。
「……エステルではなく、オフェリアが命を落としていたかもしれなかった」
ヒューバート王子が呟く。
王子の視線の先には、棚の向こうでベルダと一緒に無邪気に花の世話をしているオフェリアが。
「あの事件。たまたまエステルの手に渡っただけだ。何かが違っていれば、オフェリアがああなっていたかもしれない。それを思えば……」
マリアもオフェリアを見た。
春が近付き咲きほころび始めた花にも負けぬオフェリアの笑顔。あの笑顔が、マリアの心の支えだ。それはヒューバート王子も同じ。
あれが永遠に失われてしまったら、きっとマリアも、ヒューバート王子も、生きてはいけない……。
「オフェリアを守るためなら悪魔とでも手を組むさ。僕は地獄に落ちたっていい」
「……殿下のご覚悟、確かに受け取りましたわ」
ヒューバート王子はやってのけてくれた。
だからマリアも。
「チャールズに僕の犯行を見られたのはまずいな。それでいつ足下をすくわれるかも分からない。チャールズにその気はなくとも、うっかり誰かに漏らす可能性はある。それぐらい彼は迂闊だし、その迂闊さをまんまと利用された前例もある」
マリアは頷き、お任せください、と答える。
「チャールズ王子にも退場していただく時が来ました。今度は私がやり遂げてみせます」
王にも庇えぬ失態を――下手なやり方では、チャールズ王子を破滅させることはできない。
身近な人たちを次々に亡くし、心が弱まった王は、これ以上失うことを恐れてチャールズ王子のことも庇ってしまう。
だから、決定打が必要だ。
そのために、マリアはあの小娘を生かしてきたのではないか。いまこそ、彼女が役に立つ。
「モニカ・アップルトン男爵令嬢か。でも、彼女ももう極刑が決定しているのでは……?」
死を待つばかりの少女。別に彼女を助けるつもりはない。チャールズ王子を、その道連れにしてもらうだけ。
「今回は、殿下は知らぬ存ぜぬを通して過ごしてくださいな。殿下が動いてチャールズ王子が警戒してしまうと、厄介ですから」
マリアはそう言い、王子にオフェリアを任せて離宮を出た。
向かう場所はドレイク警視総監の執務室。
彼に頼んで、会わせてもらわなくては。
「ジェラルド様、先日お話しくださった逮捕者を、ぜひ私にも見せてくださいな」
すでにその罪が明白なアップルトン男爵令嬢は、役人ではなく判事の管轄圏にある。モニカに会うのならマクファーレン主席判事に頼まなくてはならない。
そちらも頼みに行くつもりだが、まずは警視総監のほうが先だ。
――その男は三日ほど前に逮捕された。
王城に侵入した罪で、現行犯逮捕。城に侵入して五分と経たずに、見回りの騎士によって捕えられた。
「まだ取り調べが終わっていない」
ドレイク卿に案内されてやって来たのは尋問部屋。
マリアもここに足を踏み入れたことがある。
初めてドレイク卿に会ったその日に、いきなりここへ連れて来られた。初対面の少女を会ったその日に連れてくるだなんて、どうかしてると思う――。
道中そう言ってマリアが笑えば、ドレイク卿もかすかに笑った。
「……一目惚れだった。なんとか貴女と接点を持ちたくて、話題を繋ぐためにここへ連れて来て共犯関係を強要した――と言えば、信じてもらえるだろうか」
マリアはさらに声を上げて笑い、信じますわ、と答える。
「ジェラルド様は存外ロマンチストですもの。それで思わず連れ込んだ、にしては、ロマンの欠片もない場所ですけれど」
逮捕された男は無傷だった。まだ本格的な尋問は始まっていないらしい。
それでも、止むことのない悲鳴に怯え、爪の一枚を剥がす必要もなくすべて白状してしまったとか。
「モニカ・アップルトン男爵令嬢が平民だった頃の知り合いだそうだ。城への侵入理由は、彼女を助けたかったから」
「貴族の陰謀に落ちたお姫様を助けるナイトの登場というわけですか。夢いっぱいのお話ですわね」
若い男――年齢は、モニカより少し上だ。
彼の身元はクラベル商会で調べてもらった。平民の身元調査は、役人よりもホールデン伯爵のほうが優秀だ。
「それではマスターズ様とカイル様にも協力していただいて、最後の舞台を始めましょうか」
オフェリアのためだなんて言わない。
マリアは自分の矜持のため、地獄に落ちることを選んだ。誰かのためじゃない、全部自分のために犯してきた罪。
――そしてまた、次の罪を犯す。




