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紫色のクラベル~傾国の悪役令嬢、その貴種流離譚~  作者: 星見だいふく
第七部01 開けてはならない蓋
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蠢く (4)


チャールズ王子には妹のジュリエット王女だけでなく、父親違いの姉もいる。

パトリシア王妃の連れ子エステル――王の子ではないため、彼女は王族ではない。


彼女の正体は、彼女の侍女をしているポーラの娘で……何らかの秘密を抱えた女性。

マリアより年上なのだが、精神面はオフェリアよりも幼く。なぜかマリアは彼女に気に入られていた。


一時はオルディス邸で彼女たちを預かっていたのだが、いまはもう城に戻っている。

前と同じ離宮で暮らしているエステルをマリアが訪ねると、彼女が伏せっていることを知らされた。


「ご病気か何か……?寒くなって参りましたし、早く回復することをお祈り申し上げますわ」

「いえ、病気ではないのです。少し疲れが溜まっているだけで……ふふ」


意味ありげに笑うポーラに、マリアは首を傾げた。


ちょっとだけ、心当たりはあった。

最近オフェリアが、マリアに内緒でこそこそ何かやっている。それがどうも、エステルを巻き込んでいるようなのだ。


オルディス邸にしばらく滞在した際、オフェリアはエステルと仲良くなったみたいで, 二人でマリアのために何か作ろうと相談し、せっせと励んでいるとか。

二人の共通の特技は裁縫……たぶん、生まれて来るマリアの子のためのベビードレス。それを作ろうとしているのではないのだろうか……。


「……お気持ちは嬉しいのですが、どうかほどほどに。それでエステル様がお身体を壊してしまっては、申し訳が立ちません」

「相変わらず鋭い御方ですこと。お察しの通り、エステル様はオルディス公爵に贈るプレゼントを縫うのに夢中になって……それで疲れているのもあります。でも私としては、それを止める気にはなれませんの。いままで夢の世界で揺蕩っているだけだったあの子が、少し現実の世界に戻って来てくれて……」


そう話すポーラの表情は、娘を想う母親としての愛情に満ちあふれていた。

だがその言葉でマリアは察してしまった。

とっくに成人した女性だというのに、その中身は幼子のようなエステル……それは、生まれついてのものではない。何らかの事情があって、彼女はああなってしまった。


何があって、エステルは精神を閉じ込めてしまったのか。

……あまり、愉快な出来事ではなかったのことは間違いない。


「とても良い傾向だと思うのですが、気がかりがひとつ」


ポーラは溜息を吐いた。そして、ちらりと周囲に視線をやる。エステルとポーラしかいない離宮に、いまは他にも人がいた。

城の女官たち――彼女たちがいることは、特別不思議なことではない。本来は。いままで女官の一人もいなかったことのほうが不思議なぐらいで。


エステルたちは、人を遠ざけて生きてきたヒューバート王子同様、他者が自分たちに近付くことを拒んで来ていた。

それがいまは――。


「レミントン侯爵がいなくなったことで、私たちもずいぶん立場が弱くなってしまいました。いままでは侯爵の力で追い払ってきたものが、ああしてエステル様に近付いて来るようになって。見知らぬ人間がそばにいることが、エステル様の疲労と精神的負担をさらに増やしているのです。連中は、私たちを見張っているんだわ……」


忌々しげに、ポーラが呟く。最後の一言には、彼女の素が出ていた。

エステルとポーラを見張る――ということは、女官たちは誰かの意図でここへ来ているということか。


「パトリシアの取り巻きをやっている人間の誰かでしょうね。パトリシア本人は、私たちのことなどどうでもいいはずです。チャールズ王子が急速に力を失って、いままで王子の腰巾着でおこぼれに与かっていたいたような連中は焦っております。エステル様は何かと陛下に気にかけてもらって頂いてますから、そういった連中からは目が離せない存在なのです……悪い方向に、転がらないといいのだけれど……」

「ご心配なら、また私の屋敷に滞在されますか?私もオフェリアも、お二人を歓迎しますわ」


マリアが言った。


王妃派の不穏さはマリアも知っている。

力を失ったチャールズ王子を見捨ててヒューバート王子にすり寄る人間もいれば、レミントン侯爵不在のいまなら自分が台頭できると、浅はかな私欲を剥き出しにしている人間もいる。

後者の人間は、エステルに強い関心があるはずだ……もちろん、悪い意味でも。


「ありがとうございます。けれど、オルディス公爵もオフェリア様をお守りしたいのでしょう?私たちが側にいると、私たちの事情に彼女を巻き込んでしまいますわ。それに私たちも……。正直に申し上げると、エステルがそちらの事情に巻き込まれるのも嫌なのです。お互い、近付き過ぎると良くない者同士ですわ……」


やんわりとした拒絶……マリアはそれ以上何も言わなかった。

ただ黙って……困ったように笑っていると、寝衣姿のエステルがふらふらと姿を現した。


寝ぼけ眼で起きてきたようで、ぼんやりとした表情だったのがマリアを見てパッと明るくなった。


「まあ、エステル様ったら。公爵に会えて嬉しいのは分かりますけど、もう少しお休みにならないと。最近遅くまで起きていることが多くて、明らかに寝不足なのに」


マリアに抱きつくエステルをポーラは諌めたが、エステルはいやいやと首を振る。


「では一緒にベッドに参りましょうか。よろしければ、私が本でも読みますよ」


彼女を寝室に連れていき、エステルのため、マリアは物語を読んだ。

かつては毎晩のように妹にしてあげていたこと……ヒューバート王子と結婚して、その頻度もグッと減った。

まさかそれを、他の誰かのためにすることになるとは思いもかけなかった……。




オルディス邸はいま、特に賑やかだった。

マスターズの息子を預かり、みんな可愛い赤ちゃんに夢中だった。赤ん坊のアレンはどちらかと言えば大人しい子なのだが、赤ん坊というのはその存在だけでも賑やかなものだ。


「ダーリーン様、色々教えてくれてありがとう。やっぱり赤ちゃんのお世話って大変だし、分からないことだらけで」

「いえいえ。私でお役に立てるなら、とっても嬉しいです!」


今日は、遊びに来たダーリーン・ハモンドに赤ん坊の育て方を教えてもらっていた。


マリアを始め、オルディス邸の人間はみな、赤ん坊と触れ合ったことはあっても、自分たちで世話をするのは初めてだ。

ナタリアなんか、マリア様の子が生まれた時にしっかりお世話できるように、と言って、ものすごく熱心に赤ん坊のアレンの面倒を見ている。

そのおかげなのか、赤ん坊のアレンはナタリアにとてもよく懐いていた――顔だけじゃなく、女性の好みも父親似なのかしら、とマリアがこっそり考えてしまったのは内緒だ。


赤ん坊を囲んで賑やかな屋敷に、別のお客がやって来る。クラベル商会の会長でもあるホールデン伯爵だ。

伯爵は、ダーリーンが遊びに来ているのを見て、普段よりも畏まった態度でマリアたちに接する。


「お邪魔いたします。オフェリア様、知らせを二つ持って参りました」


オフェリアは自分に敬語を使う伯爵にきょとんとしていたが、さすがにダーリーンの前で、いつものような気安い態度で接することはできまい。

マリアは王の愛妾――いくらダーリーンが気の置けない相手だとは言っても、マリアに他の男が気安く近付く姿は見せないほうがいい。


「まずはマスターズ殿の一件です。クラベル商会で子守りも見つかり、彼の住居も決まりそうです」

「無事に落ち着く先が見つかって良かったですわ」


マリアは笑顔で言ったが、赤ん坊のアレンとお別れしなくてはならないのでオフェリアはちょっぴりがっかりしている。


「それと……こちらはあまり良くない知らせかもしれません」


そう言って、伯爵が可愛らしいリボンのついた箱をオフェリアに差し出す。

頼まれていた品です、と伯爵が説明すれば、オフェリアは顔を輝かせて受け取り、リボンを解いて箱を開いた――途端、顔を曇らせる。


「私がお願いしてたの、これじゃないよ?」

「申し訳ありません。ご注文の品は在庫をちょうど在庫を切らしておりまして」


ダーリーンが、横から覗きこむ。可愛い裁縫箱ですね、とダーリーンは言い、うん、とオフェリアも頷いた。


「前に使ってたのがもうボロボロになっちゃったから、新しいのを買うことにしたんだ。これも可愛いんだけど……でも、エステルとお揃いで買ったのに」

「取り寄せてはいるのですが、届くまでにかなりの時間がかかってしまうかと。やはり、こちらは一旦持ち帰りましょうか?」

「うーん……ううん。これでいい。新しいのが必要なのは本当だから。届くの待ってると、お姉様の赤ちゃんが先に生まれちゃう」


やっぱり、オフェリアはマリアの赤ん坊にプレゼントするための物を作っていたらしい。

残念がりながらも、伯爵に渡された裁縫箱を受け取ることにした……。




「あれはわざとだ。オフェリアが頼んだ物と、あえて違う物をあの子に渡した」


その夜、マリアの部屋に泊まっていった伯爵から、マリアはそんなことを打ち明けられた。


「それはまた、どうして?」


オフェリアががっかりすることを、わざと。伯爵が理由もなしにそんなことをするはずもない。伯爵を責める気持ちよりも先に、なぜ、という疑問がわき出た。


「マリア、オフェリアの身の回りの物には気をつけたほうがいい。あの子が買い求めている物を執拗に調べている人間がいる。一人や二人ではない。恐らく色んな人間が……私のほうでも用心しているが、どこから漏れるとも分からん」


アレクからも警告されていたことを、伯爵にまで。マリアは顔をしかめた。


「もはや様々な人間から狙われる身ですから断定はできませんが……やはり、王妃派の人間でしょうか」

「君の言う通り、断定は避けたほうがいい。決め付けると、視野が狭まってかえって危険だ。だが真っ先に思いつく容疑者が王妃派なのは間違いないだろうな。貴族社会の情報は、私よりもメレディスのほうが詳しいのだが――」


メレディスは絵描きとして貴族たちから依頼を受けることも多く、彼らから情報を得ることにも長けていた。


力を失った第三王子――その王子を擁立していた王妃派。彼らが取った行動は、大きく分けて二つ。

チャールズ王子を見捨てるか、レミントン侯爵不在を好機と捕えて自分がリーダーに成り替わろうとするか。


どう考えたって、後者の方法が上手くいくわけがない。王妃派は自分本位で私利私欲にまみれた連中の集まり。侯爵だからこそまとまっていたような集団。

いや、リーダーになりたいと言っても、侯爵のように群れをまとめる気はないのかもしれない。ただ自分が、集団の中で一番偉いのだぞと誇示できればそれでいいような、底の浅い考えで……。


「行動力のある無能と言うのは時に恐ろしいものだ。少し考えれば自分へのデメリットが大き過ぎると分かっていることも、目先のことしか見えずにやらかしてしまう。そういった連中は、何をしでかすか計算しきれん」


それは前々からマリアも危惧していたこと。行動力のある無能者は、有能な敵より害悪な存在。

愚か者は自ら破滅の道を選びたがる。周囲に甚大な迷惑と損害を与えて。


――それからほどなくして、毒を盛られてエステルが倒れたという報せが、マリアたちのもとに届いた。


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