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紫色のクラベル~傾国の悪役令嬢、その貴種流離譚~  作者: 星見だいふく
第七部01 開けてはならない蓋
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蠢く (3)


マリアが城に泊まるとなれば、王がマリアの部屋を訪ねて来るのも当然だった。

夜遅くに自分が泊まっている部屋にやって来た王を、マリアはにこやかに迎え入れる。腹の子と共にマリアは王から労わられ、翌朝はマリアが王を起こす側になった。


ずいぶんと遅い起床だというのに王は焦る様子もなくベッドで寛いでおり、先に身支度を始めたマリアを眺めている。そして髪を梳いているナタリアに声をかけ、なんと王自らマリアの支度を手伝い始めた。


鏡台に映る王の姿を見た時に、マリアも目を瞬かせ、戸惑ってしまった。


「グレゴリー様に髪を整えて頂くなんて光栄なことですが……よろしいのですか?ずいぶん、ごゆっくりされておりますが……」

「最近は政務の大半をヒューバートが引き受けてくれるようになってな。以前よりはゆとりが持てるようになった――余も、そろそろお役御免だ。趣味のひとつでも見つけて、時間のつぶし方を考える必要がありそうだな」

「ふふ……そういうことでしたら、私もぜひ協力させて頂きますわ」


そう言いつつも、ぎこちない王の手つきにマリアは苦笑する。

時々クシを髪に引っかけて、マリアは痛みに小さく顔をしかめることもあった。隣で眺めているナタリアは、ハラハラとした様子だ。


「ううむ……見ている時には簡単そうに思えたが、実際にやってみると難しいものだな」


王としては可愛らしく編み込んでくれているつもりなのだろうが、どう控え目に見ても、髪をぐしゃぐしゃにしているだけだ。あとでナタリアに整え直してもらわないと。


「……娘でも良いな。このように髪を結ってやるのも楽しそうだ」


何気なく呟く王に、マリアは笑顔を浮かべつつも黙り込む。


グレゴリー王には、公称の娘がいる。ジュリエット王女――パトリシア王妃の、不義の子。

本人は、自分がグレゴリー王と血の繋がりがないことを知らない。王は実子であるはずのチャールズ王子にいささか冷淡であったが、王女に対してはそれ以上だ。

やはり、王にも受け入れられないことはあるらしい。




王の身支度を手伝い、王が部屋を出るのを見送ってからマリアもオフェリアを迎えに行った。

離宮に行ってみれば、すでにヒューバート王子は政務に行ってしまっていたが、オフェリアはまだ眠っている、とベルダから告げられた。


「起こしてきたほうがいいですか?殿下からは、まだゆっくり休ませてあげたらいいと言われたんですが……」

「いえ、いいわ。自然に目が覚めるのを待つから。そんなに疲れてるの?」

「昨日はお仕事とっても頑張ってましたからね、オフェリア様。それなのに、殿下はなかなか眠らせてくれなくって。久しぶりだからって、まったくもう。もっとオフェリア様を労わって欲しいものです!」


ぷんぷん、と怒るベルダに、マリアもナタリアも笑った。


ララは、アレクと一緒に控えの間で待機していた。

ドレイク卿から貰った携帯用のチェスボードを使って、二人で覚えたばかりのチェス勝負をしている。ルールはまだ把握しきれていないようで、対戦相手にこの駒はここに動かせるのか、なんてことを聞きながらやっていた。


「ララ、オフェリアがまだ目を覚ましていないのなら、待っている間に行きたいところがあるのだけど……ついてきてくれる?」

「んー。別にいいけど、どこに?」


クイーンの動かし方がまだよく分からないのか、盤面を見ながらララが答えた。




ナタリアはベルダと共に待たせ、護衛のララを連れてマリアは離宮をあとにした。

日も高くなり、城内は様々な通り過ぎていく。顔見知りと出くわすのも自然なことで――このあたりをうろうろしていたら、彼女にも出会うだろうとは思っていた。


パトリシア王妃――マリアの妊娠が公のものになってから顔を合わせるのは初めてだ。

廊下の端に寄って頭を下げ、静かにやり過ごそうとしたが、王妃の取り巻きはマリアを見て顔をゆがませた。


「おお、嫌だ。ずいぶんとみっともないものを見てしまったこと」

「まったくですわ。恥知らずと言うのも、ここまで来ると罪ですわ」


妊娠した愛妾。

蔑みの対象にしかならないことはマリアにもよく分かっている。

いまさらそんなもので動じるはずもないが、あまりにも予想通りの反応に、皮肉な思いが胸に込み上げてきた。


「まあ、皆さん。そう厳しいことを言ってあげないの。オルディス公爵、私、あなたに同情しているのよ」


パトリシア王妃は、心底同情しているような口調で言った。嫌味ではなく、本当にマリアを憐れんでいるらしい。

蔑まれこそすれ、憐れまれる覚えはなくて、マリアだけでなく取り巻きもきょとんとした表情でパトリシア王妃を見ていた。


「そんなに大きなお腹で、それでも陛下に媚を売ってご機嫌とりをしなくてはいけないなんて。私は妊娠していた時、人と会うのが憂鬱だったわ。みっともないお腹を晒さなくてはいけなくて……お腹のせいで、可愛らしいお洋服も着れなくなっちゃうし。妊娠中もずーっと不愉快な気分だったけど、出産でも身体は酷い有様になって……肌も髪もボロボロで、取り戻すのにすごく時間がかかったわ。二度と子どもなんて生まないって、そう決めたの」


マリアは笑顔が引きつりそうになった。

何気なく話しているが、王妃は自分がかなり危うい話題を出していることに気付いているのだろうか。


二度と子どもは生まないと、初めての妊娠と出産を経てそう思った――だが、王妃の子どもは二人。ジュリエット王女は王妃の不義の子。では、チャールズ王子は?


「愛妾など、何の保障もない身分ですから」


マリアが言えば、王妃は口を閉ざして静かに微笑む。マリアの言葉に同意するように。


話題を替えたほうがいい――王家の名誉のために。マリアはそう判断した。

王家の闇や秘密に興味がないわけではないが、それはこんな場で暴露されて良いものではない。


「そうね。王の寵愛にすがるしかない、もろい足場だわ。あなたの子が例え男の子でも、王の寵愛が深くても、その子には何の権利も与えられないのよ。そのことは忘れないようにね。王妃は私よ」


にっこりと笑い、パトリシア王妃が言った。マリアに挑んでいるわけでもなく、ただ物分かりの悪い子どもに言い聞かせるような口調で。


自分は王妃なのだから、という揺らぐことのない自信に満ちている。王妃にとって大切なのは、王から愛されていることでも、子どもたちを守ることでもなく、自分の地位。王国の至上の女性として、周囲から称えられていること……。


「さあ、皆さん、行きましょう。お茶会をする時間が短くなってしまうわ」


取るに足らない愛妾のことよりも、自分のためのお茶会のほうが王妃にとっては重要だ。

それきりマリアを気に留める様子もなく王妃は取り巻きを連れて去っていった。


一行の姿が見えなくなると、ララは大きく溜息を吐いた。


「女同士の睨み合いは、居心地が悪いぜ」

「この辺りを歩いていれば出会うかもしれないと思ってはいたけれど、やっぱり良くない気分にはなるわね。胎教に悪いわ」


このあたりは、王妃の私的な部屋が近い。王妃だけでなく、ジュリエット王女も――第三王子チャールズ王子が生活しているエリアだ。

チャールズ王子に会おうと思ったら、どうしても彼の関係者に出くわしてしまう。


「チャールズと会うって、大丈夫なのか?あいつ、カッとなったら女にも平気で手を上げる男だぜ。妊娠中のお前が近付くのは危ないぞ」

「だからあなたについて来てもらったんじゃない。何かあった時は助けてね。期待してるわよ」

「おいおい……それで万一のことがあったら、伯爵に王にナタリアにベルダに……俺、なぶり殺しにされちまうじゃねーか」


マリアのかつての婚約者――チャールズ王子。

庇護者でもあり身内らしい情を示してくれたレミントン侯爵を失ってから、すっかり大人しくなったとか。マリアは、できれば彼と会っておきたかった。

短気な王子が逆上してマリアを襲う可能性は捨てきれないが……様子を探っておいて損はない。


王子の部屋には見張りもなく、静かだった。

人を遠ざけて育ち、いまもオフェリアのため最低限の人間しか近づけないようにしているヒューバート王子と違い、チャールズ王子は多くの人間に囲まれ、かしずかせて生きてきたはずなのに。いまは……。


「誰だ?」


マリアがノックすれば、王子自ら顔を出した。

おどおどとした様子で、これまでの尊大で鼻持ちならない態度が嘘のように、身を縮込ませている。


「おまえか……」

「入ってもよろしいですか?」


マリアを見て気まずげに視線を逸らしたが、以前なら、もっと敵意や反発心をむき出しにしていたというのに……しょげかえっている、というのは本当らしい。


すんなりとマリアは王子の部屋に通され、長椅子に案内される。王子は座ることもせず、マリアから少し距離を取ってそわそわと歩き回っていた。


親に叱られるのを予期する幼子のように、チャールズ王子はマリアの顔色をうかがい、お前も僕を責めに来たのか、と言った。


「伯父上がああなったのは、僕のせいだと。僕が全て悪いと……」

「確かに、賊を殿下の部屋に招き入れてしまったのは殿下の落ち度です」


いまもこうして、マリアなんかをあっさり通して――反省しているのかと説教したくなる気持ちも分かる。何度マリアに利用され、打ちのめされれば理解するのやら。


「ですが、リチャード様がああなったのはリチャード様ご自身の責任です。殿下を助けたかったのなら、リチャード様は一旦あなたを見捨て、自分もお部屋を出るべきでした」


マリアがきっぱりとした口調で言えば、チャールズ王子は目を見開いた。


チャールズ王子が賊に囚われた時。

レミントン侯爵は王子の身代わりなど申し出ず、他の召使たちと共に部屋を出るべきだった。そして救出計画を練ってから部屋に突入し、改めて王子を救い出すべきだった。それが確実な救出方法だったのだ。

――だが、侯爵はそうしなかった。


「リチャード様は、殿下を愛しく想い過ぎていらっしゃったのですね。殿下が拷問を受けることも仕方なしと見過ごしていれば、侯爵は無事でした。リチャード様さえ無事であれば、いくらでも殿下をお助けする方法はあったというのに……」


よろよろと自分の足下に膝をつくチャールズ王子に、マリアは手を伸ばす。マリアの手が王子の頬に触れると、ビクッと王子は身を竦ませた。

その姿はまるで、ぶたれるのを怯える幼子のよう――マリアは優しく王子の頬を撫で、もう一方の手を伸ばして王子の頭を撫でる。自分を見上げる王子に、にっこりと微笑みかけた。


「愛ゆえの行いを、どうして責められましょう。すべて野蛮なフランシーヌ人のせいです。チャールズ様もリチャード様も、責められることなど何もありませんわ」


王子はマリアの膝に縋り付き、やがてすすり泣く声が聞こえてきた。母親が無償の愛情で包み込むように、マリアは王子を優しくあやす。

嗚咽の合間に、王子は必死で言葉を紡いだ。


「ぼ、僕は……どうしたらいい?みんな、僕のもとからいなくなってしまった……ヒューバートは、僕をフレデリク地方に追いやろうとしている……あ、あんなところへ行ったら、僕は死ぬしかない……もう伯父上もいないのに!」


チャールズ王子には、戦なんかできない。ヒューバート王子と違い、軍部からの支持もなく……むしろ、敵愾心すら抱かれている。レミントン侯爵がいなくては私兵を雇うという方法も思いつかないだろう。対人戦の訓練も、恐らくは受けていない。

そんな王子が、フランシーヌとの争いが避けられぬ地域を治めることになれば……。


「……殿下。フレデリク地方の領主の件、自ら進んでお引き受けなさい。ヒューバート殿下に恭順するふりをしておけば、しばらくは安泰ですわ。フランシーヌとて、そう簡単にフレデリク地方を引き渡しはしないでしょう。しおらしくしていらっしゃれば、陛下がかばってくださいます」


王が、チャールズ王子を庇う――忌々しいことに、これは王子を騙すための詭弁ではなく、事実だった。


チャールズ王子のフレデリク行きを反対している最大の人物が、なんと王なのだ。

王はチャールズ王子に対して冷淡だが、冷酷にはなりきれない。死ぬしかないと分かっていることに、王は難色を示していた。


「だ、だが、それでもし、本当にフレデリク地方に行くことになってしまったら……」

「その時は私にお任せください。フランシーヌは、キシリアにとっても重要な国です。フランシーヌから流れ込んでくる野盗には、キシリアも手を焼いております。キシリアとエンジェリクは友好国。エンジェリクの王子を助けつつ、フランシーヌの情報も探れる立場になれる――キシリア王は、喜んで兵士を送ってくださいますわ」


革命の影響でいまだ混乱が続くフランシーヌでは、以前は兵隊をしていた人間が野盗となり、国境を越えて隣接するキシリアにまで流れ込んで来ていた。もちろん、キシリアにとってそれは大問題だ。国の治安に関わる。


「それにベナトリアの聖堂騎士団も、絶えずフランシーヌの情勢を見張っております。オルディス領にいる聖堂騎士団の隊長に頼んで、彼らの支援を要請してもらいましょう。そうすれば、フランシーヌはフレデリク地方を奪い返すどころではなくなるはずです」


世界各国に派遣された聖堂騎士団――教皇庁直属の軍隊で、フランシーヌと敵対する国にも当然存在する。

教皇庁から遠く離れた地にあるような騎士団は、もはや国軍と変わらず……聖堂騎士団に伝手のあるマリアなら、ベナトリアとフランシーヌの微妙な関係を突つくことができるだろう。


「……そうか。そうだな。そうすれば、僕もなんとか生き延びられるかもしれないな」

「はい。ですから、ここはひとまずヒューバート王子に従いなさいませ。チャールズ様が心を入れ替えて責務を果たそうとする姿を見れば、きっと陛下が、温情をかけてくださいますわ……」


――もっとも、そんなことはさせないが。

王の恩情も効かぬほどの状況に、追い込んでしまえばいい。そのためには、チャールズ王子は私の手に落ちていてもらわなくちゃ……。


「マリア……お前だけだ。僕にはもう、お前しか頼れる人間がいないんだ……」

「お可哀そうなチャールズ様。大丈夫です。私がすべて、上手く片をつけて差し上げますから」


慈悲深い聖女の仮面の下で、マリアはほくそ笑む。

――懲りない男。目の前のこの女が、とてつもなく性悪な魔女だと、知っていたはずなのに。


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